関口最強伝説・コケモモ物語

コケモモ(苔桃)
ツツジ科の常緑小低木。(バラ科の桃とは無関係)15センチ程に伸びる。初夏に白い花をつけ秋に赤い実をつける。食用。
2222番目のはじめサンに捧ぐ。

 人は時折、歌や言葉が頭にこびり付いて離れないことがある。
 その言葉を歌を、いつの間にか口ずさんでいる。
 思考がすっかり支配されてしまっている。
 関口巽を悩ませているのは、丁度そんな状態だった。。
 
 関口は風邪をひいていた。熱が下がらず、意識もぼんやりしがちだった。
 「タツさん、お薬置いておきますね」
 枕元に水の入ったコップと熱冷ましの薬をそっと置きながら雪絵が言った。
 雪絵は家計を助けるためにパートに出ている。勿論夫たる関口の稼ぎが悪いせいなのだが、雪絵がその事で文句をいうことはない。雪絵は只、ほんの少し疲れの見える微笑みを浮かべるだけだ。
 少女の頃はこんな風には微笑まなかった・・・。
 そんな雪絵にすまないと思う。
 が、それと同時に、関口は全く別のことを考えていた。
 コケモモ。
 どういう訳か、風邪をひいてからこの言葉が離れない。
 コケモモって何だ?
 聞いたことがあるようなないような。しかし熱のせいか思い出せそうで思い出せない。
 そんなもどかしさが、関口の思考を支配している。
 「あまり酷いようでしたら、お医者様にいらして貰ってくださいね」
 雪絵が手袋を履きマフラーを首に巻きながら言う。ガラス戸の向こうの景色もすっかり冬の色に染まっている。今日はかなり冷え込みそうだ。
 しかし今の関口にはそのことに考えが及ばない。
 「そうだね。リンゴが土気色になると医者が斑になるんだったね」(正しくは「リンゴが赤くなると医者が青くなる」)
 多分自分でも何を言っているか分かっていないのだろう。勿論雪絵にだって分かるはずもない。しかし夫のそんな言動にはすっかり慣れているのか、雪絵は特に気にする様子もなく、
 「じゃあ、行って来ますね」
 と言い残して出かけていった。
 関口は薬のせいで眠たいのと熱が高いのとで、すっかりぼんやりとしてしまっている思考の端で雪絵の出かけて行く音を遠くに聞いた。
 それにしても・・・。
 と関口は思う。
 コケモモって何なんだ?
 幸い今仕事は入っていない。考える時間はたっぷりとある。思考に没頭するのに問題は何もない。
 考える頭の方が問題だとは、関口は思ってはいない。仕事がないことを幸いと感じるあたり、既に問題なのだが、無論関口がそれに気付くはずもない。
 コケモモ。
 関口は言葉からソレを分析してみることにした。
 まず、「コケモモ」がコケ・モモとすると、コケはやはり苔だろう。ならばモモは桃なのだろうか?
 関口はそうして結論付けた「苔の生えた桃」を想像する。
 (これじゃあ単なる黴が生えて腐った桃じゃないか・・・)
 ひょっとしてモモが違うのかな? モモが腿だとする。そこでまた関口は「コケモモ」を想像する。即ち「苔の生えた太股」を。
 (これじゃあ、単なる黴の生えて腐った太股じゃないか!)
 関口は普通太股に黴なんか生えたりしないということをすっかり失念してしまっている。そして更に「腐った太股」はそれだけで既に大きな問題を孕んでしまっていることを。しかし仕方がない。関口は高熱に苦しんでいるのだ。
 関口は尚も自分の馬鹿げた考えに没頭する。
 モモは腿ではないようだ。それなら、と関口はモモと読む漢字を思い浮かべる。
 百、辺りなんかどうだろう?
 苔と百は何となく合いそうだ。そこでまた関口は「コケモモ」を想像する。
 しかし今度はどんな図も思い浮かばない。
 (う〜ん)
 そこで関口は方向転換を試みる。
 「コケ」の解釈の方が間違っているんじゃないだろうか?
 関口はモモを最初の桃に戻して、コケを分析してみることにした。
 「コケ」を一つの言葉として考えずに分解してみる。つまり「コ」と「ケ」とにである。
 「コ」・・・小、子、戸、枯、故、湖、粉・・・・。挙げていったらキリがない。
 「ケ」・・・家、化、気、怪、毛、・・・これも挙げていけばキリがない。
 そこで関口は「コ」を「ケ」の形容詞とすることにした。ならば「コ」は「小」とするのが何となく一番自然に思われた。次に「ケ」であるが、たった今挙げた漢字全てがそれらしく思われる。
 関口は取りあえず、当てはめてみる。
 「小家桃」「小化桃」「小気桃」「小怪桃」「小毛桃」
 何だか余計に分からなくなってきた。しかしそこから漂ってくる雰囲気は、どこか奇々怪々おどろおどろしいものではないか?
 関口は「コケモモ」なるものが妖怪の一種ではないかと結論付けた。(註:関口は高熱中)
 「小家桃」ならば小さな家に付く桃。「小化桃」なら桃に化けた小さいもの。「小気桃」はよく分からないが、多分桃の気配のようなものだろう(???)。「小怪桃」は何とも妖怪臭いではないか。ズバリ小さな桃のあやかしなのだ。
 関口は次第に自分の思考に満足を覚えるようになった。(註:関口は高熱中)
 関口は最後の「小毛桃」について考えようとしたとき、パッと頭に思い浮かぶモノがあった。
 ソレは小ぶりの桃だった。色と言い艶といい、全く熟れ頃の桃だった。顔と胴体の区別はなく、桃状の本体からは細長い手足が伸びている。そして、毛。それは正月などの鶴亀図の亀のように、本体の下部から長い毛が生えていた。

「小毛桃」想像図(しかも踊ってる)
 これこそが妖怪「コケモモ」だ!!
 何時の間に「コケモモ」は妖怪になったのだろう?
 しかしそんな疑問を覚える間もなく、関口はその結果にいたく満足且つ興奮したため、そのまま一気に熱を上げて意識を失ってしまった。
 
 
 関口は夢の中にいた。
 多分夢だと、関口は思った。
 何故だかガヤガヤガヤガヤと姦しい。大勢の声のようだったが、何を言っているのかはよく聞き取ることができない。しかしそれでもその内の幾つかは聞き取ることができた。
 「手前ら、こいつが寝てるウチにさっさとやっちまうぞ!」
 少し甲高い声は、気のせいか、聞き覚えのある声だった。
 「馬鹿がでかい声張り上げるな。目が覚めたらどうするんだ!」
 酷く偉そうな口調のそれも、何故だか聞き覚えがあるような気がした。
 「全く・・・には手を焼かされるな」
 冷ややかな呆れた口調も、やっぱり聞き覚えがあるような気がした。
 う〜ん、どこでだっただろう?
 熱があるせいか、関口には心当たりが思い浮かばない。
 その内、体の上をもぞもぞと何かが蠢く感触がした。何か小さな、虫・・・?
 (何? 一体何が起こっているんだ?)
 その何とも言えない感触に思いっきり振り払いたい衝動に駆られた。しかしどういわけか体が動かない。
 どうやらかの有名な金縛りという状態に陥ってしまっているらしい。
 ならばせめて、と関口は目を開けようとしたが、どうにも瞼が重く目を開けられない。
 その感触は最初寝間着の上からだったのが、次第に寝間着の内にまで侵入してきた。
 (うわああああ! 気持ちが悪い!)
 関口は叫び声を挙げたかった。実際挙げていたはずだった。しかし声は聞こえてこなかった。恐らく金縛りのなせる技だろう。
 ごそごそと、体を這い回る感触は関口の肌を粟立たせた。
 そしてあろうことか、その感触は、下着の中にまで侵入してきてしまった。
 関口は一気に血の気が引いていくような気がした。
 (な、何でそんなところに入り込むんだ!?)
 関口は何とか体を動かそうと力を込めた。が、虚しいまでに体は動こうとはしない。全く別の物のように動く気配もない。その間も、小毛桃たちは関口の体をまさぐってゆく。その感触はまるで全身を蜘蛛に這われている、とでも言えば想像がつくだろうか。
 (もうダメだ! 我慢できない!)
 そう考えた瞬間、パッと関口の目が開いた。気力かはたまた偶然か、どうやら金縛りが解けたらしい。そして当然の如く関口は己を悩ませているものの正体を知ろうとする。
 しかし人生には知らない方がよいこともある。そして知ってしまえば、もう知らなかった頃に戻れはしない。
 だが関口は知ってしまった。
 それはもう思いっきり、見てしまった。
 それは何ともおびただしい数だった。いや、おびただしいというのはもう少しマシな数を言うのかも知れない。
 それはコケモモだった。いや、小毛桃と呼ぶべきものだった。
 それはもう、うじゃうじゃうじゃうじゃと・・・。小毛桃はどこからともなく後から後からわいてくる・・・。
 「う、うわあああああああ!」
 
 
 雪絵が出かけたのを見計らったかのように、関口家の前に一人の男が立っていた。
 西洋陶磁器人形のように整った顔立ちは、見る者を陶然とさせる。が、榎木津という男はそんな世にも類い希な美貌とは全く関係なく生きてきている。
 (ふっ! 今日こそわ! 今日こそわ! 関に本心を言わせてみせるぞ!!)
 自信に満ちた力強い瞳は、榎木津の人柄を全く知らなければ何とも頼もしげではあるが、ほんの僅かでもその人となりを知っていれば、大層迷惑な代物にしか見えない。
 「ふっ!ふははははははははははははははははっはははは!!」
 榎木津は関口家の玄関前に仁王立ちになって、高らかに哄笑する。通りすがりの人々がビクリッと振り向くが、勿論榎木津にそんなことは気にもならない。榎木津は心の命じるままに大股で歩き出すと、ガラリッと玄関の戸を開ける、ことは残念ながらできなかった。というのも、確り者の雪絵が鍵を閉めておいたからだ。
 榎木津は閉じたままのガラス戸の前で考えた。
 尤も考える時間はさほど長くはなかったが。っていうか、思いっきり短かった。
 榎木津は何を思いついたのか、ポケットからガムテープを取りだし、ガラスにぺたぺたと張り付ける。そして徐に首に掛けていたマフラーを拳に巻き付けると、
 ガチャンッ!
 ガムテープのお陰でガラスは飛び散らなかった。
 榎木津は割れた処から手を中に差し込み鍵を開けた。そしてガラスの破片をパタパタと落とすと、再びマフラーを首に巻き付けた。
 その一連の動作に全く迷いはなかった
 そして一言。
 「全く、手間を掛けさせる。仕様のない猿君だ!こんなことをして僕の気持ちを試そうなどと、なんて可愛いヤツだ!
 そして再び高らかに笑うと、何の良心の呵責もなしに関口家へ入っていった。
 「猿! おおおおおーい!猿君やーい!」
 榎木津はそう叫びながら、関口家の居間へと入った。
 しかし関口はそこにはいなかった。台所にもいなかった。炬燵の中にもいなかったし、流しの下にもいなかった。トイレにも風呂にも入っていなかった。そんな処より探すべき処は他にあるだろう、とは榎木津は考えたりはしない。ただ榎木津はなまじ広い家で育った分、狭い家の勝手が分からないのだ。
 「猿ーー、どこに隠れているんだー?」
 勿論関口は隠れてなんかいなかった。
 関口はそれどころではなかったのだ。
 「う、うわあああああああ!」
 榎木津の耳に関口の叫びが聞こえた。
 「関!?」
 野生の勘とでもいうべきものが榎木津を速やかに関口の元へと運ぶ。
 (おお!今の今まで分からなかった関口の居場所が分かる!! やはり僕たちは真っ赤な糸で結ばれているのだ!!)
 榎木津は関口家の寝室の戸を乱暴に開けた。散々尋ねたことのある関口家なのに、今までどうしてそこを見つけられなかったのかが不思議なのだが、それこそが榎木津の榎木津たる所以であろう。
 榎木津が駆け付けたとき、関口は顔を真っ赤にさせて布団の中でのたうち回っていた。
 「関!!」
 榎木津は咄嗟に関口に駆け寄った。そして関口が振り回している手をはっしと掴む!
 「おい、関、どうかしたのか? 関? 関?」
 
 誰かの呼ぶ声で、関口は目覚めた。
 目の前には、不気味な小毛桃ではなく、よく見知った端正な顔があった。
 「え、えのさん・・・?」
 そう呟きながら、関口は自分の心臓の音を聞いていた。
 「そうだ! 僕だ! 一体どうしたんだ!?」
 関口は榎木津にそう問われて、咄嗟に辺りを見回す。当然の事ながら、小毛桃などという奇妙な生き物はいない。
 「夢・・・?」
 「夢?」
 関口の呟きに、榎木津が問い返す。
 そうだ、アレは夢だったんだ。
 関口は安堵してホウっと小さく息を吐く。
 全くなんて馬鹿げた夢を見たんだろう。
 まだ心臓がバクバク鳴っていたが、返って関口はそんな自分を可笑しいと思った。
 「な、何なんだ? 何を笑っているんだ?」
 流石の榎木津も、関口のコロコロと変わる様子に面食らったらしい。
 「いや、変な夢を見てしまって・・・。夢を見ているときは物凄く怖かったんですが、目が覚めてみるとあんまり馬鹿げた内容だったんで・・・」
 自分で自分が可笑しい。
 関口はそう言って、またクスクスと笑い声を漏らした。
 「全くなんて人騒がせな夢だ。関もそんな夢を見るんじゃない!」
 端正な顔を僅かに顰めて、榎木津が無茶なことを言う。
 「そんな、夢なんて見ようと思って見られるものじゃないんだし・・・」
 関口が当然至極な抗議を口にすると、榎木津はすかさず関口の頬を抓った。
 「下僕のくせに口答えするのか?」
 「ひひゃひゃひゃひゃ(痛たたた)!」
 関口がそう言って涙を滲ませるのを、榎木津は満足そうに見つめた。が、抓っている頬の熱さに、榎木津はハッとする。
 「何だ、熱でもあるのか?」
 言いながら榎木津は己の額を関口のそれにそっと重ねた。普段なら気恥ずかしくなるような事でも、熱ですっかりボケてしまっている関口には、気にならない。それどころか、返って榎木津の肌の冷たさが心地よいとまで思ってしまう。
 「ええ、ちょっと風邪をこじらせたみたいで・・・」
 「うん。確かに熱がある」
 そう言って、榎木津が額を離すのを、関口は名残惜しい思いで見つめる。
 ああ、冷たくって気持ちよかったのにな。
 熱で潤んだ瞳が、じっと榎木津の端正な顔に訴えるような視線を投げる。
 勿論関口には、そんな視線が榎木津の心理にどう働きかけるかなどと考えはしない。まあ普通は考えたりしないものだし、普通はそんなものに心を動かされたりはしない。
 無精ひげの目立つ、しょぼくれた三十男の潤んだ目など、一体誰が気に留めるというのだろう? 正常な判断力を持つ大人なら、一笑に付す程度のものだ。
 が、榎木津はタダでさえ逸している上に、なんとかは盲目という呪いを掛けられているのだ。
 「うつるといけませんから、今日は帰ってくださいよ」
 そんな関口の言葉さえ、榎木津には「関口の愛」などという妄想を感じてしまう。
 (全く、関は可愛いヤツだ。自分が病気なのに、僕の心配をするなんて!)
 「ふん。関ごときにしか感染出来ない風邪菌が、神たる僕に敵うものか!一日中一緒にいたところで、そんな風邪菌が僕に手出しなどできるはずもない!」
 とんでも無く失礼な台詞だが、通訳するとこうなる。
 僕の体の心配する前に自分の心配をしろ。今日は付いていてやるから安心するといい。
 しかし悲しいかな、榎木津の高度に演繹的表現は不条理小説家関口には通じなかった。そして恐らく通じる日はこないだろう。
 「そんな、子供の喧嘩じゃあるまいし・・・」
 「だから! 口答えするなと言っているだろう!」
 そしてやはり、榎木津の長い指が関口の頬を強く抓る。しかも今度は両方の手で。
 「ひひゃいひぇふひょう(痛いですよう)」
 関口は無駄だと知りながらも、一応の抗議を試みる。が、どういう訳か、榎木津は珍しく関口を解放した。そして今度は抓る代わりに、関口の頬を包み込む。
 熱に火照った頬に、榎木津の冷たい手は心地よかった。
 その心地よさに、関口はうっとりと目を閉じる。
 風邪をひいてからここ二三日、関口は髭を剃っていなかった。風呂にも入っていなかったから、髪はぼさぼさだった。勿論顔も洗っていなかったから、脂は浮きまくりだった。そんなことを差し引いても、いや、どんなことを差し引いたところで、関口は所詮髭の濃い猿顔の貧相な三十男だった。
 が、何故だかそんな関口を、榎木津はうっとりと見つめている。
 榎木津の視力が極端に悪いせいかのか、何とかは盲目という格言のなせる技なのかは定かではなかったが、榎木津は自分の端正な顔立ちなど未だ嘗て見たことがないっとでも言うように関口に見とれていた。
 しかし熱のせいで散々胡乱になってしまっている関口には、榎木津の常ならぬ行動に不審がる欠片もない。ただ関口の胸の内にあるのは、
 (こんなに手が冷たいんなら、ついでにその冷たい水で、手ぬぐい代えてくれないかな)
 勿論、そんな事を口に出そうものならまた頬を抓られかねないので、関口は心の中でそっと思うだけだ。
 「で、えのさん、今日はどうして家に?」
 関口は、自分の体温が移ってもう温くなってしまった用の無い榎木津の掌を外しながら言った。榎木津は関口の成すがままに手を離したが、僅かに未練があるようだった。
 「そうだ、実は今日はプレゼントがあるのだ!」
 榎木津は気を取り直すかのように言った。
 「プレゼント?」
 「そうだ! 実は貰ったのだが、僕の口には合わない。しかしサルのお前になら合うかも知れないと思ってな」
 随分酷い言いようだが、榎木津がわざわざ持ってきたのだから、素直に貰って置こうと関口は思う。熱のせいで文句を言う気力がないというのもあったのだが。
 「へえ、一体何をいただけるんです?」
 関口は、枕元にたたんで置いてあった半纏を羽織りながら言った。榎木津がいる限り、床に寝ていられないだろうと思ったためだった。
 「ああ、何でも舶来モノでな」
 榎木津はそう言って風呂敷から薄紅色の液体の入ったボトルと赤いゲル状の物体の入った小ぶりのガラス容器を差し出した。
 「なんか、綺麗な色だね・・・」
 関口の潤んだ声で囁くように言われると、榎木津の背筋にゾクゾクと走るモノがあった。
 榎木津は一瞬、関口を抱きしめたい衝動に駆られたが、何とか気力で押さえ込む。
 もう十五年も付き合ってきて、コレくらいの挑発には慣れっこになってしまっていたのだ。但し、挑発と思っているのは榎木津だけで、関口はこれっぽっちも欠片も小指の先ほども、勿論髪の毛一筋たりとも、そんなことは思っていない。
 (いや、まだまだだ。関が自分の口でちゃんと言わなければ、愛してなぞやらないぞ!)
 賢明な読者はお気づきだろうが、榎木津は何をどう勘違いしてなのか、関口に愛されていると思い込んでいる。そしてシャイな関口は自分への思いを口にできないと思い込んでいる。シャイにしても十五年間もはどうかと思うが、恐らく神である榎木津は常人と時間スケールが違うのだろう。しかも榎木津は人とは違う処にある意地とプライドのせいで、十五年間も手出しできないという状況にさえ甘んじているのだ。
 十五年という歳月は決して短い時間ではない。その間に二人の間に培われた関係は、決して希薄なものではないはずだ。にもかかわらず、彼らの間に相互理解という言葉は存在しない。また嘗て存在しなかったし、これからも存在しないだろうと思われる。しかし初めからないのだから、ないことを思い悩むことはないだろう。二人ともとんだHappy体質だ。
 「関は酒は飲めないだろう?」
 いきなり何を言い出すのだろうと、関口は榎木津を見た。
 「しかしコレなら飲めるかもしれないぞ。果実酒だから甘いんだ」
 榎木津にそう言われて、関口は改めて赤いボトルを見つめた。
 「何の果実酒です?」
 「ああ、コケモモだ」
 榎木津はサラリと言った。
 本当に何気なく。何の気なく。なーんにも考えず。
 尤も他にどんな言い方があるというのだろう? だがそのことが関口の心理に及ぼした影響は計り知れない。
 「は?」
 関口は己が耳を疑った。惚けた顔で榎木津を見る。
 関口の視界が俄に暗くなり、先程笑い飛ばしたはずの悪夢がまざまざと蘇る。
 しかし榎木津は関口の声など聞こえてないかのように、小瓶の方を指さして言う。
 「で、こっちがコケモモジャム」
 「は?」
 関口は惚けた顔で、更に榎木津を見た。
 「だから、こっちがコケモモ酒で、こっちがコケモモジャムだ!」
 関口はゴクリと生唾を呑み込んだ。嫌な汗が背筋を伝う。
 「酒って、どうやって作るんです?」
 関口は戦く体を押さえながら、何とかそれだけを言った。
 「そりゃ、梅酒みたいにコケモモを酒につけ込んで作るんだろう?」
 「小毛桃を酒につけ込む・・・?」
 関口の表情が俄に強張った。
コケモモ酒製造中の図
(註:関口氏は高熱中)

 「じゃあ、ジャ、ジャムは?」
 「そりゃあ、イチゴジャムみたいに、コケモモを煮込むんだろう?」
 「小毛桃をに、煮込む・・・?」
コケモモジャム製造中の図
(しつこく註:関口氏は高熱中)
 関口の表情から一気に血の気が失せる。
 「おい、どうかしたのか? 関、顔色が悪いぞ? 気分でも悪いのか?」
 関口の突然の変貌に、榎木津が慌てて関口の体に手を添える。関口を寝かせようと思ったのだ。が、その手は関口に激しく拒否される。
 「触らないでください!」
 「せ、関・・・?」
 嘗てない程の拒絶に、榎木津は愕然とする。
 どんなに強くつねっても、どんなに激しくネックブリーカーを食らわせても、どんなにきつく逆海老反り固めを決めても、これ程までには拒絶したことはなかったのに。
 「一体、どうしたんだ、急に・・・?」
 榎木津のいつもの強気はどこへいってしまったのか、それでも何とか声の震えるのを気力で押さえ込む。
 「前からそうじゃいかと思ってたんだ。でも今日ではっきりしましたよ!」
 榎木津には関口の言っていることがさっぱり分からない。
 (いや、そんなハズはない! 関が僕を拒絶するなんて!!)
 その自信は一体どこから来ているのか? しかしよくよく考えれば榎木津の気持ちも分からないこともなかった。関口は決して榎木津に厚遇されているわけではない。寧ろ酷い扱いを受けている。それでも関口は榎木津との交際を絶たなかった。絶てなかったのかもしれなかったし、絶つ機会を失してしまっただけかもしれなかったが、ともかく今も関口は榎木津の側にいるのだ。しかしそれを言ってしまえば、京極堂だって木場だって同じ様な立場なのだが、勿論榎木津はその事に気付いていない。
 何せ彼は神なのだから。
 しかしそんな自信も、関口の熱に浮かされた一言で脆くも崩れ去ろうとしている。
 榎木津の普段はその優秀さを発揮する機会もない頭脳が、高速回転し始める。
 「関、君はどうしたいんだ?」
 榎木津はらしくもなく低く唸るような声で関口に問うた。冷静になって、関口の拒絶の原因を突き止めようと考えたのだ。多分、真実を知るには、冷静になる前に常識を身につける必要があるだろうが、それを榎木津に要求するのは酷というものだろう。
 しかも、榎木津はすっかり忘れてしまっていた。
 関口は現在熱に浮かされてしまっているのだ。
 「どうしたいかですって? そんなの僕の知ったこっちゃない! えのさんが、好きにすればいいでしょう?」
 「好きに? 本当に好きにしていいのか?
 榎木津は関口の腕を無理矢理掴み、ジッと関口の表情を窺った。そんな榎木津の態度に堪えられないとばかりに顔を背けたまま、関口は顔を真っ赤に染めて言い放つ。
 「そうですよ! 好きにしたら良いんです!僕のことが・・・あっ!」
 榎木津は関口の答を最後まで待つことなく、関口の体を乱暴に押し倒した。
 「本当に、好きにしていいのか?」
 榎木津の声は震えていた。自信を喪失しかかっている焦りからか、榎木津は散々焦らされてきた(と思い込んでる)情熱を、関口にぶつけようとしていた。奇妙な話だが、あの理由のない自信こそが、榎木津の暴挙のストッパーの役割をしていたのだ。
 「そうです! そんなに僕のことが嫌いなら!!」
 それまでかたくなに顔を背けていた関口が、やっと榎木津の方を見たかと思うと、目尻に涙を滲ませてキッと睨んだ。
 「だ、誰が! 誰が関を嫌いだと言ったんだああああ!!」
 榎木津は関口の肩を掴むとそのまま俯せにし、その上に馬乗りになると、関口の顎を捉えて思いっきり持ち上げた。
 榎木津の何とも見事な海老反り固めであった。
 「痛〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!!」
 関口の絶叫が響き渡る。
 「誰が! 誰が関を嫌いだとおおおおお!!」
 「ブ、ブレイクブレイク!!」
 関口は激しく床を叩いた。
 その音に、榎木津はハッと我に返る。慌てて手を離したものの、関口はぐったりと伸びてしまっていた。
 「せ、関! 関口!」
 榎木津は相手が病人だということを思い出して、慌てて関口を介抱する。
 「関、大丈夫か?」
 榎木津は流石に病人に乱暴を働いてしまったことを後悔した。
 「や、やっっぱり、えのさんは僕のことが嫌いなんじゃないか・・・?」
 榎木津のあんまりな行動に、関口はとうとう子供のように泣き出してしまった。
 関口は汗とか涙とか鼻水とかで、散々ぐちゃぐちゃになってしまった顔で、榎木津を恨みがましくじっと見つめた。
 それは一気に見ている者の力を萎えさせる程の情けない顔だったが、この目で見つめられると、榎木津は弱い。
 (なるほど、関口は僕に嫌われたと思って、身を退こうとしたんだな!!)
 榎木津は不可解な関口の行動に素晴らしく自分本位な理由を見つけて、また再び根拠のない自信がむくむくと蘇る。
 「関・・・、僕は関の事が嫌いなんかじゃないぞ」
 出来るだけ優しく聞こえるように、榎木津はそっと囁くように言った。
 「だって、だって」
 三十男がだってもクソもなかろうが、すっかり盲目と化してしまっている榎木津には気にもならないようだ。
 「関、僕が君を嫌いだなんて、どうして考えたりできるんだ?」
 榎木津は関口の顔を両手に包みこんだ。その頬は先程より熱が増しているように思われた。関口は榎木津の手に自分の手を添えると、そっと榎木津を見上げた。
 涙の盛り上がった瞳が、じっと窺うように榎木津を見ている。更に熱が高くなったせいか視線が揺れている。
 「だって、えのさん、小毛桃なんか持ってくるし・・・」
 (そんなに関はコケモモが嫌いだったのか? それですっかり僕に嫌われたと思ったのか? ああ、なんて可愛いヤツなんだ!関は!
 榎木津には勿論、関口の内なる葛藤など知る由もない。関口が何を考え何を思ってそんなことを言っているのか、榎木津には分からない。
 じゃあ聞けよ。
 なんて野暮なツッコミはなしですよ、お嬢さん。<意味不明
 榎木津の心中では、このまま関口と行くとこまで行き着いてしまいたいと思った。しかし、関口の口から直接言わせるという長年の目論見も捨てがたかった。相反する二つの思いがせめぎ合う。
 やはり男の幸せは求められてこそだ!
 勿論男というのは榎木津の事に他ならない。
 一方関口はといえば、榎木津の内心の葛藤を余所に、ただ小さく
 「コケモモが、コケモモが、コケモモが・・・」
 などとぶつぶつと呟いている。
 それもそのはずで、今関口の目には、かの妖怪小毛桃がむらむらと畳の目からわき出してくるのが見えているのだった。そしてあろうことか関口の指をつたい腕をよじ登ろうとしている。
 「イヤだ!」
 関口は全身に怖気が走って、思わず腕を振り払った。
 その手を、榎木津が掴む。
 「えのさん!」
 関口は榎木津に助けを求めるべく、ジッと見つめた。その間にも関口の視界では確実に小毛桃が増えている。関口にしてみれば、その場で榎木津だけが頼りに思われた。そんな思いが、関口の瞳に何時にない力を与える。
 そんな関口の視線を真っ直ぐに受け止めながら、榎木津の脳裏にパッと閃くものがあった。
 (ああ、なんてことだ! 僕は馬鹿なことをしていたのだ! どうしてもっと関の事を考えてやらなかったのか? そうだ!求められてこそ男の幸せ!僕から関を求めてやるのが、関の一番の幸せなんじゃないか!!)
 勘違いもここまで来ればいっそ清々しいと言えよう。
 「関!」
 もうすっかり決心しきった榎木津が関口の名を呼ぶ。するとそれに答えて関口が縋り付かんばかりの勢いで答える。、
 「えのさん!」
 (関、君が言えないというのなら、僕が言おう!)
 榎木津の頭の中で盛大なファンファーレが高らかに鳴り響く。
 すまんな、関はいただくぞ!
 榎木津は心の中で二人の友に向かって勝利の宣言を叫んだ。
 「関、僕は君が好きだ! ずっとずっと前から。そう、多分初めて出会ったときから!」
 普段の榎木津からは想像も出来ない程、真摯な、真摯な告白だった。
 「本当に?」
 関口の声は震えている。
 多分それは驚愕のためでも戸惑いのためでも、勿論喜びの為でもなく、数匹の小毛桃が関口の腕をはい上がってきているためだろう。
 関口の耳には榎木津の声よりも遙かに響く、小毛桃の関口の体をよじ登るエッホエッホという掛け声が聞こえていたのだった。
 関口の体は恐怖のために固まってしまっている。それを榎木津は何と誤解したのか、尚も言葉を重ねた。
 「関、もう悩むことは何一つないんだ! 僕が君を好きなんだからな!」
 間近に見て、尚美しさを損なわない見事に整った顔立ちで真剣にそう言われて、拒絶出来る者はそうはいない。しかし関口には今はそれどころではなかったのだ。
 エッホエッホエッホと、小毛桃は確実に体をはい上がってきている。もう関口にそれを振り払う気力はない。ただ目の前に榎木津がいることだけは認識していた。そんな関口が出来ることは・・・、
 「えのさん! 助けてくれ!」
 そう叫んで榎木津の体に縋り付くことだった。
 「関!」
 榎木津は突然の関口の行動に驚いたが、それでもちゃっかり関口を抱きしめた。
 「助けてくれ!」
 関口の腕が榎木津の背中に回され、関口の体はよりいっそう榎木津に密着する。
 (関、ずっと苦しんでいたんだな! 僕への想いに!!)
 世の中知らなければいけないこと、知っては行けないこと、そして知らずにすめばよいことがある。この場合どれが当てはまるのかは、やはり本人達の認識の如何によるだろう。
 「関! 僕が君を助けてやる! だからもう苦しむ必要はないんだ!」
 榎木津は関口を一層強く抱きしめる。
 「本当に? えのさん!!」
 榎木津の腕の中で、関口は震えていた。
 勿論歓喜でも驚愕でもなく、小毛桃への恐怖の為に。
 「じゃあ、早くして! 早く!!」
 関口は榎木津の胸に顔を擦りつけて懇願した。
 早く小毛桃を振り払ってくれ、と。
 しかし勿論のことだが、榎木津に小毛桃などというモノは視界の隅にすら入っていない。
 「何だと!? 関?」
 流石の榎木津も、我が耳を疑った。
 あれほど待ちこがれていた「関口から求める言葉」を思いがけず聞いて、榎木津はすっかり舞い上がってしまった。
 「い、いいのか?」
 榎木津はらしくもなく関口の真意を確かめる。そんな榎木津を責めるように、関口は目の周りを真っ赤にさせて、潤んだ瞳で榎木津を見上げた。
 「じゃあ、僕が好きだってのはウソなんですか!?」
 「ウソじゃない! ウソでなんかあるもの!」
 「じゃあ、早くして!」
 昔年の願いが今正に成就しようとしている。関口は今確かに、榎木津を求める言葉を吐いている。もう吐き散らしていると言ってもよかった。それもそのはずで、関口の目には自分の肩によじ登り着いた小毛桃が見えていたのだから。
 そんなこととは露とも知らない榎木津は、喜びの余り眩暈に似た陶酔感にクラクラしそうだった。
 「せ、関!!」
 榎木津は関口の体を引き剥がした。そしてその唇に己のそれを深く重ね合わせる。丁寧に歯列をなぞり、口腔を隅々まで弄ぶと、関口の舌を軽く甘噛みした。すると関口の体がビクリと震えた。
 (見よ! この僕の神の如きテクニックを!!)
 しかし榎木津は大変なことを失念していた。
 関口は風邪をひいていたということを。
 熱で頭が朦朧としていた。咳はなかったが、喉は痛かった。そして鼻がつまっていた
 榎木津が漸く関口を解放したとき、関口の体は力無く崩れ落ちた。
 「関? 関? オイ! 関!!」
 榎木津は一瞬関口があんまり良すぎて失神してしまったのかとも思ったが、それにしては関口の体の熱は尋常ではなかった。
 「関!? 関!?」
 関口は鼻がつまっていたので、余りに長い接吻のため息ができず酸欠を起こしてしまっていたのだった。
 「関! おい、お楽しみはこれからなんだぞ!!」
 しかし榎木津の呼びかけも虚しく、関口の体はぐったりと伸びたままだった。
 
 十日後、すっかり良くなった関口は、京極堂宅でばったり榎木津と会った。
 「あ、えのさん、なんか久しぶりですねえ」
 そこでいつもの榎木津なら、取りあえず関口の頬でも抓っておくのだが、その日の榎木津はそんなことはしなかった。それどころか、榎木津は関口にすり寄るように近付いて、そっとその額に手を当てた。
 「うん、すっかり良くなったみたいだな」
 「あの、えのさん、お見舞いに来て貰ったのになんか途中から覚えてなくって・・・」
 関口の言葉の語尾がとぎれがちになるのは、やはり榎木津の報復を畏れてのことだった。しかし榎木津は今度も関口を抓ったり叩いたりアームロックかけたりしなかった。
 「急に気を失ったから吃驚したんだぞ」
 といいながら関口の額を指で軽くつついた。
 その様子を見ていた京極堂が、只でさえ陰気な顔を更に顰める。しかし関口の位置からは死角になっていて京極堂の姿は伺えない。
 「ど、どうかしたんですか? えのさん」
 榎木津の常ならぬ言動に、関口は狼狽えた。きっと何か企みがあるのに違いないと身構える。
 「どうもしないよ。関・・・」
 榎木津は京極堂をチラリと見遣った。相変わらずの仏頂面で本を読んでいるようだが、明らかに関口と榎木津の様子を全身で窺っているのが分かる。
 「あ、そうだ、えのさん」
 関口が突然思い出したように言った。
 「何だ?」
 「京極堂にあげたんでしょう?」
 「何を?」
 今の榎木津には関口の一言一言が全て睦言のように聞こえてしまう。
 「コケモモ酒とかコケモモジャムとかですよ」
 「あ、ああ」
 榎木津はあの日関口に手酷く拒絶された舶来物のコケモモ酒とコケモモジャムを、持って帰るのもどうかと思ったので京極堂に押しつけてしまったのだった。関口があんなに嫌っているモノを自分が持つわけにはいかないと思ったのだ。
 「狡いなあ、僕には何もなしですか?」
 「は?」
 榎木津が素っ頓狂な声を挙げる。と、待ちかまえていたかのように京極堂が二人の会話に割って入った。
 「関口君、えのさんは君みたいな味音痴にあんな良い物を持っていっても仕方がないと思ったんだろうよ」
 「なんだい、京極堂。酷いな!」
 「おいおい、酷いのは僕じゃないだろう? 君のとこへ持って行かなかったのはえのさんだぜ」
 京極堂は榎木津の方をチラリと見ながら言った。その視線は明らかに挑発している。
 「酷いじゃないですか、えのさん!」
 「酷いって、君が嫌いだと言ったんじゃないか! コケモモを!」
 「そんなこと言ってませんよ! 第一僕、コケモモなんて食るどころか見たこともないんですから好きも嫌いも分かりません!」
 「いいや、言ったぞ! あの日関は泣いて言った! 僕に泣いて縋り付いたんだぞ!?」
 榎木津の不用意な言葉に、京極堂の片眉がピクリとつり上がる。一瞬榎木津と京極堂の間に火花が散った。が、それも関口の次の言葉で霧散する。
 「あの日っていつですか? 見舞いにきてくれた日ですか? 僕あの日の記憶は全く全然ないんですから、知りませんよ!」
 「・・・・・」
 関口の言葉に俄に呆然自若となる榎木津。
 「お、覚えてない?」
 「ええ、覚えてません!」
 やけにきっぱりと言う関口。
 「何も?」
 「何も!」
 「全く?」
 「全く!!」
 じゃあ、あのとき僕を好きだと言ったことも、早く抱いて欲しいと縋り付いてきたことも(註:そうは言っていない)、全ては熱に浮かされた世迷い事だと言うのか!? 
 「ああ、変な夢を見た覚えはありますけどね・・・」
 「夢!?」
 僅かな望みを抱いて、榎木津が問い返す。
 「ええ、全くもって変な夢なんです」
 「君が見る夢なんて、大抵そんなものだろう?」
 京極堂には勿論榎木津の内心の煩悶の理由など知る由もなかったが、それでも榎木津の中で何かが壊れたことだけは手に取るように分かった。多分木場がその場にいても分かったことだろう。ただ関口だけは、まるっきりそんなことは目にも入っていないかのように気付かない。
 「いやあ、そう言われると身も蓋もないんだが。なんせ妖怪小毛桃なんてものが飛び回る夢だったからなあ・・・。それが僕は怖くてねえ。あ、夢にえのさんも出てきましたよ。僕、えのさんに『小毛桃を早く退治しくれー』だって。ははははは」
 余程その夢が可笑しかったのか、関口には珍しく朗らかな笑い声だった。
 榎木津はガックリと肩を落とした。
 全ては夢か・・・。
 ギュッと拳を固く握りしめる。
 「ははははは」
 関口はまだ笑っている。京極堂が何かを察したのかチラリと気の毒そうな視線を寄越した。
 ちくしょう! いい夢だったぜ!!
 榎木津はガバリと体を起こすと、関口の体も立ち上がらせた。
 「フランケンシュタイナーーーーーー!!」
 「うわああああああああ!!」
 関口の体は榎木津の足に挟まれたまま、美しい弧を描いて床に倒れ伏した。
 再び榎木津の目の前で関口は気を失ってしまった。
 「だから、えのさんはダメなんですよ」
 京極堂の皮肉こそ籠もってはいたものの僅かに同情の色の伺える呟きを、榎木津は涙をのんで聞こえないふりをした。

 
阿都:小毛桃って、なんか一個一個プチプチと潰したくなるような代物ですよね・・・。
久真:うう、それは気持ち悪い! お前アリの行列見て踏みつぶしたタイプだろう!?
阿都:いえ、そんなことは・・・。アリの巣に水流し込んで「大洪水〜」とかってはしましたけどね。あと、蜘蛛捕まえて埋めるとかね。「お葬式〜」とか言って(笑)
久真:さっむ〜〜〜。
阿都:いやだなあ、子供の無邪気なアソビですよう。ははははは。