うみのイルカは一限目の授業を終え、職員室の自分の机で三限目の準備をしていた。
昨日は色々とイレギュラーな事が重なり少し寝不足だった。
昨夜、大家に預けた隣の子はカカシが迎えに行ったはずだ。
母親が帰宅した気配がなかったのが気にかかっているが、誰かしら大人が傍にいればあの子は大丈夫だろう。
しかし、学校に上がる歳にもなっていない女の子がいつも一人で留守番をしているという状況がどうにも不用心に思えてイルカは眉間にしわを寄せた。
たまたまカカシが仲良くなって昼間は一緒にいるけれど、そうでなかったら随分と心許ない話だ。
託児所や知り合いに預けるなどできないのだろうか。
母子家庭のようだがまるで子供をあのアパートの一室に隠してひっそりと息を潜めて暮らしているように見える。
「うみの先生」
事務の女性に呼ばれてイルカは顔を上げた。
「お客さんです」
イルカは椅子を立ち、職員室のドアから出た。廊下には男性が一人立っていた。生徒の父兄かとも思ったがゴム長を履いて前掛けをしたまま姿で学校にくる父兄はあまりいない。その四角い顔に見覚えがあった。
「うみのさん!」
「ええと……魚正の……」
イルカの言葉に男は大きく頷いた。
「イサキです。うみのさん、今、大丈夫かい? 実はちゃんがいなくなってね」
イサキの言葉にイルカは目を見開いた。
「え!?」
「今朝方、ちゃんのお母さんが家に帰ってきたら家には誰もいなくて、玄関ドアに貼ってあったメモを見て大家さんの家に迎えに行ったそうなんだけど、大家さんははたけさんが迎えにきたから家に帰したって言うんだよ」
玄関ドアに貼ってあったメモとは昨夜、イルカが貼ったものだろう。
「確かに朝、カカシさんが迎えに行くと言ってましたけど……」
カカシがまたを連れ出したのだろうか? 昨日の今日で?
「それでね、お米屋の主人が朝、ちゃんとはたけさんが歩いてるのを見たっていうんだけど、それっきり二人の行方が分からなくて……」
イサキは眉を八の字に寄せた。
「今、町内会のみんなで探してるんだ。大家さんは足が悪いから俺が代わりにうみのさんに知らせにきたんだけど」
心配げなイサキの顔を見ていてイルカも胸がざわざわしてきた。
カカシが一緒なら心配はいらないのではないかと思うが、しかしカカシに何かあったなら……今でもカカシに恨みを抱いて狙っている者がいたとしたら……イルカはゾッとした。
「警備部に連絡は?」
「いや、まだ。ちゃんのお母さんが大事にしないでくれって言うもんだから」
「そんなことを言っている場合じゃないでしょう!」
思わず大きな声が出てしまいイサキがびっくりした顔になる。
「すみません」
「いや、……うみのさん、分かるでしょ? あの親子はどうも訳ありっぽい」
イサキが声を潜めた。
イルカはイサキの顔を見た。
やはり、皆なんとなくあの親子に何かを感じ取っていたらしい。あの母親の閉鎖性は少しおかしい。
……でも、うちも訳ありなんです、と腹の中で言ってイルカはポケットから懐中時計を取り出して時間を確認した。
今朝、イルカが家を出た後すぐにカカシはを迎えに行ったとして、二人がいなくなってから三時間ほど経っている。
確かにまだ騒ぐほど時間が経過したわけじゃない。普通なら警備部に届けるのも夜まで待ってみてからとなるだろう。
だが、事がカカシ絡みだった場合はそう悠長なことは言っていられない。
カカシに何かあったらすぐに知らせること。
上層部にそう言い含められて同居を許諾された。
イルカは憂鬱な気分になる。
里はカカシの復帰を諦めたわけではない。
「ちょっと待っててください。協力してくれそうな人を探してみます」
事情を知っていて、内々で動ける人物。
彼が任務に出ていなければいいが。
イルカは上忍待機所へ向かった。
ソファでくつろぐ面々を見渡すと、果たして彼はそこにいた。
「ヤマトさん」
イルカが呼ぶと猫のような目をぱちくりさせてヤマトは戸口までやってきた。
「ちょっとお願いがあって」
イルカはヤマトを戸口から外へと連れ出して廊下を歩きながら手短に事情を説明した。
「カカシさんだけなら二、三時間姿を消しても心配はしないんですが、子供を連れてどこかへ行ってしまうことはないと思うんです」
「心当たりはないんですか?」
「目撃者の話からその子の母親の働いている店に行こうとしたみたいなんですが、途中から足取りが掴めなくて」
「分かりました。彼らが通った道から調べてみましょう」
「すみません、杞憂かもしれませんが」
「先輩のことですからね、神経質になってもなりすぎることはないです」
カカシの首にはいまだに懸賞金がかけられている。
その事もイルカの憂鬱の種だった。
「何人か、暇そうなのを見繕って捜査させます」
暗部を動かすのだろう。表沙汰にならないように調べてくれるという事だ。
「よろしくお願いします」
イルカは頭を下げるとイサキの待つ玄関ホールへ向かった。
上司に授業と受付のシフトの調整を頼んでイルカはイサキと一緒にアパートに戻った。
家の様子を一瞥して、朝、出かけた時と変わりないのを確かめる。
なくなっているのはカカシの財布とサンダルだけだ。
「のお母さんは?」
イルカが訊くとイサキはイルカを大家の家に連れて行った。
「今、大家さんの所で看ていてくれているんだ」
カカシとがいなくなっている事が発覚してから大家が近所の者に声を掛けてくれたそうだ。
大家の家のゆくと庭に面した居間に布団が敷かれていて真っ青な顔の女性が臥せっていた。
「お玉さん、うみのさんだよ」
大家が声を掛けると彼女はうっすらと目を開き、身を起こした。
「昨夜、仕事場で過労で倒れたそうなんだよ。だから帰ってこられなかったんだってさ」
痛ましそうに大家が女性を見つめる。
「この度はご迷惑をお掛けして……」
お玉と呼ばれた女性は掠れた声で言うと項垂れた。イルカは床に膝をついてお玉と目を合わせた。
「ハルさん……晴特別上忍の奥様ですね?」
イルカが言うと、お玉ははっとしたように目を見開いてイルカを見た。
「特別上忍とは何度か任務で一緒になりました。あなたのいた茶店にも何度か行った事があります」
お玉はまじまじとイルカの顔を眺めた後、ぎゅっと目を閉じて涙をはらはらと落とすと絞り出すように言った。
「きっと……木ノ葉に来たのが間違いだったんです」
◇◇◇
「子供を連れてきたのはお手柄だが……なんでこんな男まで連れてきたんだ」
父親に呆れたように溜息をつかれて海路(カイロ)は肩をすくめた。肩に負った男をゆっくりと座敷の床に下ろす。
久し振りに帰ってきた実家は重苦しく陰気な空気に包まれていて何とも居心地が悪い。
一度は他国に骨を埋めるつもりで出た家だったが、帰ってきてみると天井の木目一つも懐かしいものだった。しかし、あの頃と決定的に違ってしまった事がある。
兄の不在。
それがこんなにもこの家の人々に影を落とすものだったとは。
以前は朗らかだった父親の落ち窪んだ目を見て海路は痛々しく思う。
「仕方ないだろう、幻術を使ったら突然、倒れたんだ」
父のしょぼついた目が驚きに見開かれる。
「一般人相手に術を使ったのか!?」
「こいつ、一般人じゃないよ。ヤバイ眼つきしてた」
「確かに一般人の体つきではないが……」
床に寝かせた男を一瞥して父親が言う。
一見、痩せて見えるが担ぎ上げてみると胸板も腹も引き締まった筋肉に覆われていた。忍の体だった。
木の葉では珍しい銀髪で顔の半分を覆っている。整った顔をしているが左目を横切る傷跡がある。脱力した立ち姿に隙はなかった。少し薄気味悪いような気配のなさ。
「子供はどうした?」
「母さんがみてる」
父親は胸の底から吐き出すような溜息を吐いた。
「最初からこうしていればよかったんだ」
そうだろうか。
以前の賑やかだった家の様子を思い出して海路はやるせない気持ちになる。
忍ならば誰もが覚悟していなければならないことではあったが、たった一人の喪失がこうまで状況を変えてしまうなんて思ってもみなかったのだ。
忍ならば当然と受け止めることを、一般人はそうは受け止めない。
逃げ道があるならばそちらに縋る。
どちらが歪なのだろう。
今日、海路自身の為したことで、一人の人間の行く末を決めてしまったのかもしれない。
まだ幼い姪の。
「一度、きちんと話し合った方がいい」
「話はすでについている。約束を違えたのは向こうの方だ」
「それはそうかもしれないけど……」
「放っておけば里抜けするかもしれん。大事になる前に子供だけでも連れ戻せてよかった」
父親の言うことは正論で、しかし海路には躊躇いがある。
面倒ごとを抱え込むのはごめんだ。
だけど、何のために自分は忍になったのだろうかと考えると――――
「この男はどうする?」
「厄介だな。この事を言いふらされても困る。始末するか?」
「父さん!」
「冗談だ。おまえの幻術でどうにかできるだろう。意識が戻ったら幻術にかけてどこかに捨ててこい」
畳の上に寝せた男を見下ろして父親は冷淡に言った。
「子供に会ってくる」
子供――なんて余所余所しい呼び方だ。以前のように名前を呼べばいいのに。
襖を開いて部屋を出ていく父親を見送ってから、海路は押入れを開いた。
布団を縛るための真田紐を見つけると、それで男の手足を縛った。
男の顔は真っ青だった。
行き倒れられても寝覚めが悪いと連れてきてしまったけれど、手間を増やしただけだったかもしれない。
「死んだりしないよな?」
幻術にかけて家に帰らせれば大丈夫だろうか。
男の顔にかかった髪を掌で掻き分けると、顔を覗き込む。
「起きろ」
ぺちぺちと頬を叩くと薄っすらと男の右目が開いた。
すぐさま印を切って幻術を発動させる。
男の眼を覗き込んだままチャクラを集中させる。
低く男が呻いた。
記憶が混濁するように、今、目にしているものが現実ではないと思い込むように術を練っていく。
ふと、鼻先を焦げ臭さがかすめた。
パリパリと何かを引っ掻くようなかすかな音が聞こえたような気がした。
気のせいかと思っているうちに音はだんだんとはっきりと大きくなっていった。
思わず男の右目から目を逸らして、音の鳴る方へ意識を向けた。
縛り上げた男の手からパチパチと紫色の光が爆ぜている。
「雷遁――っ!?」
はっとして男から距離をとる。
男の顔を見やると爛々と燃える真っ赤な左目が見返してきた。
「あんた……!?」
◇◇◇
晴(ハル)は気のいい男だった。
名前故か彼が部隊長になると晴天に恵まれるというまことしやかな噂があって、実際に彼の部隊に配属されると雨にあうことは少なかったように思われた。
上層部の誰かが物好きにも統計を取ったところ晴れる率は九割九分を超えたらしいと、これまたまことしやかな噂が流れたりした。
本人は穏やかで気さくな人柄で、名前の通り清々しい印象の男だった。
イルカも何度か任務で一緒になったが、気配りのできる優秀な上官で気持ちよく任務を遂行できた。
そんな彼が足繁く通う場所があった。
木ノ葉を出て半日ほどの所にある峠の茶店だった。
ひと組の夫婦ものが経営する小さな茶店で、場所としては火の国の領内だったが客の殆どは任務依頼のために木ノ葉を目指す一般人と、任務を終えて木ノ葉に帰還する忍達だった。
火の国側からの難所越えをした人々が一息つくような、ささやかながらも心強い店だった。
店主が腰を悪くしてからは木ノ葉の忍が麓から峠の上まで物資の調達を依頼されるようになり、峠越えが晴天に恵まれるようにと晴特別上忍がその任務に任命された。いいや、あれは自分から志願したのだと言う者もいた。
茶店を営む夫婦には一人娘がいた。
つやつやとした黒髪の気立てのいい娘で、忍にも臆さず接する所が密かに若い忍達に人気があった。
そんな彼女がいつの間にか晴特別上忍と恋仲になり、木ノ葉へ嫁いできたのは十年ほど前の事になるだろうか。九尾の厄災後の、復興も進み木ノ葉が豊かに栄えてゆくだろうと思われた平和な時代だった。
「生まれた子供は忍にする事、それが嫁ぐ時の家から出された条件でした」
うつむきがちにお玉は言った。
その時はそれで納得していた。忍の里に嫁ぐということはそういう事なのだと理解していた。
結婚して三年目に生まれたのは女の子だった。
夫はたいそう喜んで、義父や義母も孫を可愛がってくれた。
このまま幸せに時が過ぎるのだと思っていた。
木ノ葉崩しで夫が亡くなるまでは。
「夫が亡くなって急に怖くなったんです。娘を忍にするということは、いつ死んでもおかしくない道を娘に歩ませることなんだと」
更に夫が亡くなってから娘は口がきけなくなってしまった。
こんな状態で忍になんてなれるはずがない。
けれど、長男を亡くしたら次の跡取りはその娘だと義父も義母も当然のように考えていた。
「娘は忍にはしたくありません。でも分かってもらえなかった。だから娘を連れて婚家を出たんです」
本当は里を出て実家に帰りたかったが一度、忍の里に入った者はそう簡単には里を出ることはできない。
隠れるように暮らしながら、いつ婚家に連れ戻されるのかとびくびくしていた、と。
お玉は時折、声を詰まらせながら語った。
「じゃあ、ちゃんを連れて行ったのはお義父さん達かもしれないんだね?」
イサキの言葉にお玉は頷いた。
「きっとそうだと思います」
その言葉を聞いてイルカは安堵の息を吐いた。
カカシに恨みを持つ者の仕業でないのならば解決は早いだろう。
「じゃあ、の家に行ってみましょう、ヤマトさん達にも連絡して――」
言いさしたところで庭に人影が降り立った。
瞬身で現れたヤマトはその場にいる面々を一瞥してイルカと目を合わせた。
「先輩とお嬢さんの行方はまだ掴めませんが、母親の勤め先へ向かう道に吐瀉物が落ちていました」
その言葉にイルカは眉間にしわを刻んだ。
「カカシが発作を起こしたのかもしれない」
だとしたらカカシは意識を失っている可能性がある。
「が一緒だったら立ち往生したはずだ」
子供の身ではカカシを抱えることはできまい。やはり誰かが二人を連れ去ったのだ。
それがの家の者なら危害は加えられないはずだが……
「ヤマトさん、」
「シッ」
ヤマトがイルカの声を遮った。
どうしたんですか?と問おうとしてイルカもそれを感じ取った。
チリチリと肌に刺さるような感覚。
空気の鳴動。
ぞわりと体中の毛が逆立つような悪寒に似たなにか。
遠くから何かが迫ってくる。
それはやがて音となってイルカ達を襲った。
無数の鳥達が鳴きかわして飛んでくる。
姿のない鳥達が。
鳥達の声が最高潮に達した時、里の一角から紫の電が立ち上った。
「先輩だ!」
ヤマトが背を向けて駆け出す。イルカも追おうとしたが履き物が玄関にあることを思い出して、廊下へと回った。
イルカが履き物を履いて外へ出たときにはもうヤマトの背中は遙か向こうの建物の上を跳んでいた。
イルカにはまだ何が起こったのか把握できていない。里のどこかで大きな術が使われたのだろうということくらいしか分からない。
しかし、ヤマトには分かったようだ。
その場に誰がいるのか。
「俺も行ってきます! 皆さんは安全が確認されるまでここにいてください!」
イルカは庭から大家とイサキとお玉に声をかけた。
庭の木戸から出て音のした方を目指して走っていくと、里のあちこちから同じ方向へ走ってゆく忍達の姿が見えた。警備の忍や暗部だろう。
ヤマトといい、暗部はさすがに足が速い。びゅんびゅんと飛ぶように駆けてゆく。
その影を追ってイルカも民家の屋根を跳んだ。
現場に近づくと焦げくさい臭いが充満していた。
民家の一角が吹き飛んでいて、野次馬達が群がっていた。
火の手はあがっていないようだ。
これだけの被害が出たにしてはのんきな空気だ。
敵襲ではないらしい。
被害のあった民家の向かいの家の屋根から現場を見下ろして、イルカはヤマトの姿を探した。
ヤマトはすぐに見つかった。
暗部達が人垣の向こうに固まっている。
その輪の中に銀色の頭を見つけて、イルカは眼を見開いた。
屋根から跳び降り、人垣を掻き分けて暗部達のもとへ向かう。
「あ、イルカさん」
こちらに気がついたヤマトが声をかけてきた。
その声にぱっと銀髪の頭が振り返る。
鈍色の瞳と燃えるような赤い眼。
イルカは息を飲んでただその眼を見つめ返した。
「先輩、治ったんですよ!」
横でヤマトが嬉しそうに笑っている。
「イルカ先生、」
カカシが何か言おうとしたのを遮るようにイルカは目を逸らして周囲を見回した。
「は?」
イルカは固い声で暗部の一人に尋ねた。
「子供はあちらに」
暗部が指さした方を見ると少女は身内らしい女性に抱き抱えられて呆然としていた。
その隣で、同じく呆然としているのはこの家の住人だろう。
「術が暴発して一部屋吹き飛んだんだ」
「怪我人は?」
「一人。幸い、軽い火傷と打撲で済んだ」
ほっとイルカは胸を撫でおろした。
「カカシさん」
「はい」
イルカの態度が硬いことを敏感に感じ取っているらしいカカシは殊更、歯切れよく返事をした。
「何があったんですか?」
「俺にもよく……」
カカシは困ったように首を傾げた。
「朝、と道を歩いていたらあの男と出会って……」
カカシが視線を向けた先に目をやると、一人の若い男が医療忍に手当を受けていた。
「事情は警備部隊が訊くみたい」
カカシはへにゃっと眉を下げた。
「これ、俺がやったみたいなんですけど、やっぱ弁償しないといけないのかな」
カカシに言われてイルカは唸った。
破損した住宅をよく見てみるとなかなか由緒のありそうな木造住宅だ。
弁償するとすればかなりの出費になりそうだが、果たしてカカシに責があるのかはまだ分からない。
「とりあえず、俺も警備部に話をしに行かなきゃならないみたいなんだけど」
「体は大丈夫なんですか?」
思わず心配げな声が出ると、カカシは表情を和らげた。
「今のところ大丈夫」
改めてカカシの全身に目を走らせる。右手に派手な擦り傷がある以外は外傷はないようだが少し顔が青ざめている。
イルカはそっとカカシの右手を掴んで傷の具合を検分した。
「医療忍を呼んできます」
「先生――」
逆に手を取られて引き戻された。
赤い左目がイルカを見つめてくる。
消えたはずの瞳の焔が赤々と燃えている。
――――治ったんですか?
訊かなければならないのに言葉が出てこない。
「イルカ先生、俺、」
「はたけ上忍!」
カカシが何か言いかけたところで向こうから医療忍がやってきた。
「腕の手当てもありますし、はたけ上忍はこのまま病院まで来ていただいて検査を受けていただくことになります」
医療忍の言葉にイルカはぎくりと体を強張らせた。否応なく事実を突きつけられる気がした。
「検査はいつまでかかるんだ?」
横から警備部の忍がぬっと割り込んできた。
「今日一日はかかると思います。あちらの方は手当てが済み次第、すぐにお話しできますよ」
唯一の怪我人である男を示して医療忍は言った。
カカシは医療忍と警備部員を見比べてからイルカへ目を向けて肩を竦めた。
「先生、先にと家に帰っていて」
「カカシさん、」
「テンゾウ!」
呼ばれて「はい」とヤマトがすぐに返事をした。
「先生とを家に送ってあげて」
「はい」
「送ってもらう必要なんて――」
「いいんですよ。送っていきます」
「頼む」
イルカをヤマトに託すと、カカシは医療忍達に囲まれて現場を後にした。
ヤマトの手を煩わせなくても、とイルカは思ったが結果的にはヤマトがいてくれて助かることになった。
の祖父である家の当主が家を壊した上に、孫まで連れて行く気かと怒鳴りつけてきて一悶着あったが、ヤマトや他の暗部達が「未成年者略取にあたる可能性がある。一旦は母親の許に帰すのが筋でしょう」と収めてくれた。
「」
イルカが呼ぶと少女はぼんやりと顔を上げた。
屋敷の一部が吹き飛ぶほどの術の暴発を目の当たりにしたのだ。よほどショックを受けただろう。トラウマにならなければいいのだけれどとイルカは痛ましく思った。
「お母さんのところに帰ろう」
安心させるように柔らかい声で言う。少女はこくりと頷くとイルカの許へと歩いてきた。
手を差し出すと素直に握ってくる。
イルカはと手を繋いで、ヤマトと一緒に自分のアパートへと帰った。
カカシは二日、帰ってこなかった。
アカデミーから帰るとイルカは暗い我が家に灯りをつけ、卓袱台で冷や飯を納豆で掻き込んだ。
小さな卓袱台の上にはカカシが読んでいた小説が開いたページを下にして伏せられている。
台所のシンクの横の洗い物篭には片付けられないままの二人分の食器が乾いている。
すべてが二人用に用意した部屋だった。
この部屋でカカシはいつも昼間、一人で何を考えていたのだろう。
アパートの隣の部屋からは人の気配はするものの静かだ。
もともと静かな暮らしぶりの親子だった。
この二日、母親は仕事を休んで娘についているらしい。少女は庭にやってこない。
イルカは立ち上がると庭に面した掃き出し窓の前に立った。がらりと窓を開くと幾分涼しくなった夜気が流れ込んでくる。
この間まで蒸されるように暑かったのに。
イルカは縁台に出て腰を下ろした。
カカシが丹精して育てた野菜の苗がこんもりと茂っているのが窓からの灯りに浮かび上がる。
ナスもトマトもピーマンもよく育って収穫されるのを枝の先で待っている。鈴なりの胡瓜はイルカの背丈よりも高い位置まで実っている。
とても二人では食べきれそうにない。ここまで育ってしまったものをカカシはどうする気なのだろう。
カカシとが道端で店を開いていた光景を思い出してイルカはくすりと笑った。
――本気で農家になるつもりだったのかな。
イルカは膝の上に頬杖をついて夜の庭を眺めた。
カカシとイルカとと、三人の小さな庭。
夏の日差しを吸った土の匂いをイルカは大きく吸い込んだ。植物の呼吸する青臭い空気も一緒に肺に流れ込んできた。咽るような濃い生命の気配が満ちている。
暗がりのどこかでにゃあん、と猫が鳴いた。
イルカが目を凝らすと隣の庭との境の垣根の下に灰色の大きな猫がいた。
「おまえ、の猫じゃないか?」
おいで、と呼んでみたが猫は垣根の下にじっとしている。
いつもはぴんと尻尾を立ててその辺の柱に身をこすりつけては甘えた声をたてるのに、今夜はおとなしく香箱を組んで動かない。
「が出てこないからお前もさみしいのか?」
黄色く光る生き物の眼を見ていると少しだけ気がまぎれる気がした。
静かな部屋に突然、玄関チャイムの音が響いた。
こんな夜更けに誰だろうかと思いながらイルカは部屋の中へ戻り、玄関のドアを開けた。
「夜分にすみません」
ドアの向こうに立っていたのはの母親のお玉だった。
「うみのさんにお願いがあって――」
イルカはお玉の話に頷いて答えた。
翌日、昼過ぎにカカシは帰ってきた。
イルカが家にいたので驚いたようで「あ、イルカ先生!」と驚いていた。
「おかえりなさい、カカシさん。ちょうどよかった」
「イルカ先生、授業は? 今日、お休みでしたっけ?」
「半休を貰いました。俺もさっき帰ってきたところです」
玄関に突っ立ったままのカカシの所までいくと、イルカはサンダルをつっかけた。
「カカシさんも一緒に来てください」
カカシの横をすり抜け玄関を出ると、ぽかんとしたままのカカシがついてきた。
イルカは隣の部屋のドアの前に立つとチャイムを押した。
◇◇◇
遠くで小鳥の鳴く声がした。
ちりちりと小さく鳴く声はだんだん大きくなって、たくさんの鳥がいっせいに鳴いているような声になった。
神社の境内の楠の下できいた蝉しぐれのように耳いっぱいに音が響いてわんわんと体全体が揺さぶられるような気がした。
音が大きすぎてなにも聞こえないのといっしょだと思った。
なんにも聞こえなくなって目を見開いていたら、紫の光が窓の向こうからあふれて、ずしんと世界が揺れた。
気がついたら空の下にいて、庭でお祖母さんに抱きしめられていた。
焦げたにおいとほこりのにおいが混じり合って咳が出た。
壊れかけた家の中にはたけさんが立っているのが見えた。
そばに海路おじさんが倒れていた。
はたけさんの片目が赤く光っていた。
夜のアオの眼とおんなじだと思った。
夜、一匹だけでどこかへと出かけてゆくアオとおんなじ目をしていた。
朝、起きるとお母さんはもう起きていて、部屋の片づけをしていた。
机の上には朝ごはんができていて、わたしはお母さんが掃除をしている横で一人で食べた。
お母さんは先に食べてしまったみたい。
わたしが歯をみがいているとお母さんは部屋の床に念入に掃除機をかけ、「お買い物にいくわ」と言った。
わたしは急いで着替えをしてお母さんと一緒に商店街へと出かけた。
和菓子屋さんでお花の形や透明な四角いきれいな色のお菓子をたくさん買って箱に詰めてもらった。お饅頭の箱も四つ買った。
それからイサキさんの魚屋さんへ行った。
お母さんはイサキさんに丁寧に頭を下げて、お饅頭の箱を一つ渡した。
「先日はありがとうございました」
「いや、気にしなくっていいよ。困った時はお互い様だし。ちゃんが無事でよかった」
イサキさんはいつも通り、手ぬぐいを頭に巻いて大きな口で笑った。
「いいようになるといいんだがねえ」
しみじみとわたしを見て言う。他に言いようがないみたいだ。お母さんは硬い顔で頷いていた。
家に帰るときれいなお菓子をいつ食べるのだろうとわたしはそわそわしたのだけれど、お母さんはお菓子の箱を戸棚にしまってしまった。
それから二人で大家さんのところに行った。
お母さんはお饅頭の箱を大家さんに渡してまた丁寧に頭を下げた。
大家さんは「いいのよ、そんなに気を使わなくて」とおっとり言った。お母さんが「あなたもちゃんとお礼をしなさい」と言ったので、わたしは頭を下げた。
大家さんは押入れの中からお座布団をたくさん出してきた。それと木の箱に湯飲みを並べてお母さんに持たせた。三人で手分けしてそれをわたしの家まで運んだ。
座布団と湯飲みをきれいに掃除した部屋に運び込むと、自分の家なのにいつもと雰囲気が変わってなんだか落ち着かない感じがした。
お母さんも朝から緊張した様子だ。
なにも手につかないような気持で時間をやり過ごして、お昼ご飯のお茶漬けを食べ終わった頃、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」と言ってお母さんがドアを開けるとうみのさんとはたけさんが立っていた。
「すみません、突然、こんなことをお願いして」
お母さんが頭を下げるとうみのさんは首を振って「いえ、あなたの言う通り第三者が同席した方がいいでしょうから」と言った。うみのさんの後ろに立っているはたけさんを見ると、はたけさんもわたしを見てちょっと眉毛をさげた。
「どうぞ、散らかってますけど」
きれいに片づけたばかりなのにお母さんはそんなふうに言ってうみのさんを部屋にあげた。
「じゃあ、お邪魔します」
うみのさんの後ろにくっついた犬みたいにそろそろとはたけさんはわたしの家に入ってきた。
「お座布団だして」
お母さんに言われてわたしはうみのさんとはたけさんのためにお座布団を床に置いた。
「あ、俺がしますよ」
うみのさんはすぐに動いて七枚あるお座布団を部屋に並べた。わたしとお母さんの部屋はそれだけでいっぱいになってしまった。
お母さんはうみのさんにもお饅頭の箱を渡して丁寧に頭を下げた。
「そんな、いいんですよ。むしろカカシさんが先方に……申し訳ありませんでした」
うみのさんは言いよどんで頭を下げた。はたけさんも困った顔をして「すみません」と頭を下げた。
「いえ、家の事は……」
お母さんも困った顔をして言いよどんだ。三人ともどうしたらいいのか分からないのだと思う。
「あの、ヤマトさんにもお礼をお伝えください」
お母さんがお饅頭の箱をもう一つ差し出すと、うみのさんは「はい」と言いつつカカシさんを見て「ヤマトさんに会えますか?」と訊いた。
「んー、会える時もあるし会えない時もある」
そんなあやふやなばっかりの会話をして、一応という形でうみのさんはお饅頭の箱を二つ受け取った。
お母さんはお湯を沸かしてお茶の準備を始めた。
しばらくしてまた玄関のチャイムが鳴った。
お母さんの背中がぴりっと硬くなったのがわかった。
玄関を開けるとお祖父さんとお祖母さんと海路おじさんが立っていた。
卓袱台を挟んでお母さんとわたしと、反対側にお祖父さんとお祖母さん、左の窓側に海路おじさん、部屋の入口に近い方にうみのさんとはたけさんが座った。
それだけで部屋はみちみちのいっぱいだ。
こんなにたくさんの人がこの部屋に入ったのははじめてのことで、わたしはなんだか珍しい気持ちでいた。
お祖父さんとお母さんはさっきからずっと同じことを繰り返し話している。
「晴と結婚した時に約束したはずだ。忍の家の嫁になるという事がどういう事か分かっているなと念を押したではないか」
「でもあの時とは状況が違います! お義父様はが死んでもいいと仰るんですか!?」
「だから……忍とはそういうものなのだ! 里のために生き、里のために死ぬ。それが木ノ葉の里の忍なのだ。君、君だってそう思っているだろう!?」
突然、お祖父さんに話を振られたうみのさんは目を丸くして「まあ、それは……」と答えた。
「だったらは忍にはさせません!」
お母さんが叫ぶ。
「はの家の跡取りだぞ! 勝手なことを言うでない!」
わたしはお祖父さんの白髪とはたけさんの灰色の頭を見比べて、やっぱりはたけさんは年を取ったから白髪になったわけではないみたいだと考えた。
ずっと前、お父さんが生きていた頃、お祖父さんとお祖母さんとお父さんとお母さんと海路おじさんと一緒にあの家に住んでいた頃は、お祖父さんの髪の毛ももっと黒かった。
もっと優しい声で話していたとも思う。
あの頃もみんなで一緒の部屋で、蝉の声を聴いたことがあった。
お父さんが亡くなって、わたしのことでお祖父さんとお母さんは喧嘩をしてしまって、あの家も出てゆかなければならなかった。
「ねえ、お二人がいくら話しても平行線でしょう。将来の希望は本人に訊くのが一番じゃないですか?」
はたけさんがのたりとした声を出した。
「ねえ?」
はたけさんの黒い片目がわたしに向けられる。
「でも、この子は……」
「は口がきけんじゃろう。何を尋ねても何も答えん」
お祖父さんが首を振る。
はたけさんはじっとわたしを見ながら言った。
「話せるよね? 言いたいことが言えないから黙っているだけでしょ?」
わたしははたけさんを見て、お母さんを見て、お祖父さんを見た。
わたしが忍者になるか、ならないか。
そんなことは訊かれたってわからない。
だけど――
「わたしはお母さんのそばにずっといるの。それでお母さんのことを守るの」
ずっと思っていたことを言葉にした。
お祖父さんが驚いたように目を見張る。
お母さんが「……!」と息をのんだ。
わたしはみんなを見回した。
「そうだね」
にこりとはたけさんが笑いかけてきた。
「はお母さんの傍にいればいい。里を守るのは俺たちの仕事だ」
うみのさんが首をまげてのろのろとはたけさんを見た。なんだか見たくないのに見なくてはいけないものを見るみたいに。
「カカシさん……?」
うみのさんがつぶやいた声は小さくて、すぐに他の人の声にかき消された。
「忍にはならないというのか!?」
「!」
お祖父さんとお祖母さんに念を押されてわたしは頷いた。
「お母さんが嫌がることはしない」
わたしはお父さんみたいにお母さんを置いていったりしない。
冷たくなったお父さんに縋りついて泣いていたお母さんの姿を思い出すと、わたしはつらくてつらくてどうしようもなくなってしまう。
もうお母さんにあんな思いはさせたくない。
「の家は俺が継ぐよ」
ずっと黙っていた海路おじさんが口を開いた。
「おまえ……諜報の任務はどうするんだ!?」
「俺の代わりなんていくらでもいるよ。それとも中忍の俺が家を継ぐのは気に入らないか?」
海路おじさんの言葉にお祖父さんは声を詰まらせた。
「そ、そんなことは言っていない。だが、せっかく幻術をきわめて今の任務に指名されたのに……」
「そ、そのお陰で俺も治ったんだよね」
みんなきょろきょろとはたけさんと海路おじさんを見比べた。
「綱手様には俺から話をつけますよ。海路が今の任務を降りての家を継げるように。俺の復帰条件に入れときます。お玉さんとが火の国の実家に戻れるようにもお願いしましょう」
「そんな事……」
「できますよ。俺を誰だとお思いで?」
はたけさんはにこりと目を細めて言った。
なんだかいつものはたけさんとは違って見えた。
普通の大人の人みたい。
大人の忍の人みたい。
話し合いは夕方、外の光が赤くなってきた頃に終わった。
わたしは忍者にはならない。
の家は海路おじさんが継ぐ。
金輪際、の家とわたしたちは関りを持たない。
紙にそういったことを書いてお祖父さんとお母さんが交換した。
お祖母さんは私の事を抱きしめて「晴の子なのに……」と泣いていた。
海路おじさんは私の頭をなでて「元気でな」と言った。
お祖父さんは振り向きもしないで家を出て行った。
ばらばらになってしまったものはもう戻らないのだとわたしはもう一度知った。
一度目はお父さんが死んだ時。
今日が二回目だ。
家族だったのにいなくなってしまうことがあるのだ。
わたしは庭に出て、垣根のそばで隣の庭を見ていた。
隣の庭ではうみのさんが野菜の苗を次々と引き抜いていた。
まだ実のなっている野菜の苗がどんどん地面に投げ捨てられていく。
アオーンと鳴いてアオが塀を乗り越えてわたしの庭に降りてきた。
わたしはアオを抱き上げて、うみのさんが黙々と手を動かすのを眺めていた。
うみのさんは時折、目元を袖で拭った。
泣いているのかと思って近づこうとすると、後ろから肩を掴まれた。
「今日はもう、家にお帰り」
はたけさんは私にそう言うと垣根を潜って自分の家の庭に入っていった。
うみのさんに何か話しかけているけれど、うみのさんははたけさんを振り切ってナスの苗をはたけさんに投げつけた。
「あんた、俺のものになるって言ったじゃないか!」
「俺はあなたのものだよ」
「うそつき!」
はたけさんはうみのさんを後ろから抱きしめると抱え上げて、縁台から家に入っていった。
「こんなんでごまかされないからな! カカシさ……んん、んーーーー!!」
うみのさんが怒鳴っていたけれど、口をふさがれたみたいにその声はぐぐもって消えた。
私はしばらくアオを抱っこして、はたけさんの家のカーテンの閉まった暗い窓を見ていたけど、誰も出てこないと分かったので自分の家にもどった。
◇◇◇
「んっ……んっ……うんぅ…………!」
くちゅくちゅと唾液の絡まる音を立ててイルカの唇を吸う。
イルカは嫌々と首を横に振って逃れようとするけど追いかけて口を塞ぐ。
腕に抱き上げたイルカと唇を合わせながら、脚で引き戸を蹴り開けて寝室に入るとイルカをベッドの上に放った。
スプリングのきいたダブルベッドはなんなくイルカを受け止めて軽く浮き沈みした。
「カカシさん……!」
物みたいに投げられてイルカが抗議の声を発するのを無視して、これみよがしにTシャツを脱ぎ捨ててイルカの上に乗り上げる。
「カカシさん、こんな……んぅっ……」
イルカの上に覆いかぶさると再び唇を合わせた。
これからする行為を十分に意識させるように丹念にイルカの口腔を舌で犯してゆく。
上着の裾から手を滑り込ませてイルカの腰から肋骨をたどり、親指できつく胸の尖りを押しつぶす。
「ん!」
手になじむ肌と異物のような突起を繰り返し撫で上げれば、イルカは身を捩って体を硬くする。
「イルカせんせ」
「うそつき」
目元を真っ赤にして睨み上げてくるから塩辛くなった目尻をべろべろと犬のように舐めた。
押しのけようと顔に突っ張ってくる手を掴んで指を絡ませて握るとざらざらとした土の感触がある。
「素手でむしるから……」
野菜の茎に生えた棘で傷つけたのだろう血の滲む指先をカカシは口に含んで丁寧に舐めた。
傷にしみたのか、イルカがぽろりとひと粒、涙をこぼした。
「あんた、結局……里のものなんじゃねーか……ずっと……」
「先生、ごめんね」
イルカは歯を食いしばって泣いた。
カカシはゆっくりとイルカの体を撫でながら後ずさり、イルカの脚の間に身を入れた。
イルカのズボンのバックルを外してジッパーを下ろし、下着の中からイルカの性器を取り出した。
「いやだ」
「うん」
そっと手で捧げ持って先端から口に含む。
「カカシさん!」
敏感な先端を唾液を含ませた舌で何度も擦る。
「いやだぁ……」
イルカは首を横に振ったけれどもイルカの分身はカカシの舌に可愛がられて硬度を増した。
先端を舌先でくじり、裏筋を辿って舌と指で刺激してゆく。それを十分な硬さに育て上げるとカカシは口を離して、イルカの衣服を脱がせた。
「あんた、ずるい」
息を上げながらイルカが憎々しげに言った。
「イルカ先生が好きだよ。ずっと傍にいてほしい」
「いてくれないのはあんただろ」
イルカに毒づかれてカカシは困ったように笑った。
「ごまかされて」
腕を伸ばしてサイドテーブルの引き出しからローションを取り出すとイルカは不満そうな顔をしながら足を開いてくれた。
「あんた、ずるい」
「うん」
わかってる。
イルカも里も、忍である自分も手放せない。
まだ自分に力があるなら存分に振るいたい。
「それでも先生が好きだよ」
イルカの後孔に自らの先端を押し当てるとゆっくりと貫いた。
「あ……はぁ……」
呼吸を合わせてイルカが受け入れてくれる。
いつの間にか慣れ親しんだ体だ。
甘い、イルカの息。
快楽を追うためでなく分かち合うために殊更、ゆっくりと腰をゆすった。
突き上げられながらイルカの黒い眼が涙に滲んで光った。
両手を重ねて握り合い、互いのいい所を擦り合わせる。やがてイルカの体はしっとりと汗を滲ませて潤んでくる。感じ始めているのだ。
「んっ……んっ…………あっ……!」
やがて全身を震わせながらイルカの中がカカシを締めつけた。
突き上げる速度を上げてカカシはイルカを追い込んでゆく。
「ひっ……あぁ! カカシさ……!」
イルカは腰を突き出して自らの性器をカカシの腹に擦りつけながら達した。
カカシも衝動に逆らわず、ひときわ深く突き上げるとイルカの中に精を注ぎ込んだ。
イルカの胸に倒れ込んで荒い息を吐く。
「あ……はぁ……はぁ……」
イルカの胸が上下するのを素肌に感じる。
「あ、せんせ……」
カカシの腹に硬いものがあたっている。
「中だけでイっちゃったの?」
イルカは中イキだけして射精できなかったらしい。
カカシは手を前に回してイルカの性器を握った。
「あ……! ひっ……!」
一度、扱き上げただけでイルカは二人の腹の間に精を吐き出した。
びくびく震える体を抱きしめてカカシは更にイルカの性器を擦り上げた。
「あ……カカシさん……!」
「ん、今度はちゃんとこっちでもいこうね」
イルカの中に挿れたままのものをゆるゆる揺すると再び硬度を持ち始めた。
「あ……カカシさ……俺、イったばっかりで……」
「ん。中、ひくひくしてて気持ちいいね」
「や……待っ……! あ! あ! あ!」
「イルカ先生、好きだよ。俺から離れないでね。ずっとだよ?」
今度はガツガツと貪るようにイルカを責め立てながらカカシは言い聞かせるように耳元に吹き込んだ。
「ば……馬鹿野郎……! あぁ……!」
親指の腹で鈴口を割り開くように刺激するとイルカは声を絞って精を迸らせた。
「ふっ……ぁ……ぁ…………」
精を吐き切ってくたりとしたイルカの体を好きなように貪ってカカシはイルカの中で達した。
「先生、ごめんね」
イルカの中に迸らせながらカカシは囁いた。
力なくイルカの腕が持ち上げられて、ぽん、とカカシの頭にのせられた。
「……ありがと」
イルカを抱きしめて、イルカの匂いに包まれてカカシは目を閉じた。
◇◇◇
はたけさんとうみのさんは庭の野菜をぜんぶ抜いて畑を潰すと引っ越していった。
引っ越しの日、わたしとはたけさんは縁台で何もなくなった庭を眺めていた。
アオが塀の上から庭のようすをふしぎそうに見ていた。
「がいてくれて楽しかったよ」
はたけさんが言った。
わたしははたけさんの白い顔を見上げてだまっていた。
口がきけないわけじゃないけど言葉が出なかった。
うみのさんと台所の掃除をしていたお母さんが縁台に出てきたので、わたしはお母さんの腰にぎゅっと抱きついた。
「寂しくなります」
お母さんがわたしの頭を撫でながら言った。
「ん。俺もです」
はたけさんは目を細めて笑った。
引っ越し屋さんが荷車に積んだ荷物は驚くほど少なかった。ほとんどの物を処分してしまったのだとうみのさんが言っていた。台所にあった冷蔵庫も茶箪笥も寝室にあった大きなベッドもなかった。
「じゃあ、短い間でしたがお世話になりました」
うみのさんが大家さんにきっちりとお辞儀をしてから、わたしに顔を向けた。
「、元気でな」
わたしはこくりと頷いた。
二人が行ってしまうと何もない庭で蝉の声だけが鳴っていた。
庭から空っぽの部屋を眺めていると本当にはたけさんやうみのさんという人たちがいたのかなと変な気持ちになった。
次に隣に引っ越してきたのは忍者じゃない人達の一家で、ユキちゃんとナナちゃんという姉妹がいた。
ユキちゃんはわたしと同い年でわたしたちはすぐに仲良くなった。
一緒に手習いに通い始めて文字と算術を習った。
友達もたくさんできた。
男の子たちはよく忍者ごっこをしている。
わたしとお母さんは火の国には戻らず、木ノ葉隠れの里で暮らしている。里にいた方が何かと便利だからとお母さんは山奥の実家に帰るのはやめたようだ。
の家とは関りを持たないという約束だったが、たまに海路おじさんが様子を見に来てくれる。
海路おじさんはお父さんによく似ている。目元なんてそっくりだ。お父さんより顎の線が細いのが違いだろうか。
そのうちにはたけさんのこともうみのさんのことも朧げな記憶になった。
まるで夏の暑い日の午睡の夢のよう。
変わらないのはいつものように塀の向こうからぬるりと現れるアオだけだ。アオは今日もお隣の縁台の上で日向ぼっこをしながら眠っている。
あの時、忍になることを選んでいたらどうなっていたのだろうと時々考える。忍者アカデミーに通ってうみのさんの授業を受けたりしていたのだろうか。けれど、やっぱりそんな生活は想像がつかなくてすぐに考えるのをやめてしまう。
あの人達はあの人達の世界に帰ったのだ。
わたしやお母さんとは違う世界の人達だったのだ。
ただ、降り注ぐように響いた千の鳥の声と、世界を揺るがした紫の雷。
その光景だけは今でもはっきりと覚えている。
◇◇◇
本部棟が新しくなってから何年経ったろうか。
火影執務室から見張らせる木ノ葉隠れの里も随分と様変わりした。
第四次忍界大戦が終わってから里は急激に発展した。暁の襲撃で一度は何もなくなって文字通りぺしゃんこになったけれど、大戦後はベビーラッシュで人口も増え宅地が広がり、科学技術の進歩でインフラも充実した。
そんな木ノ葉隠れの里の復興を牽引する男は今、執務机に顔を伏せてぐっすりと寝入っている。
ドアをノックしたのに何の反応もないのを訝って、そろりと執務室内を覗いたイルカの眼に入ったのは、無防備に居眠りをする六代目火影の姿だった。
イルカは足音を立てないようにそうっと火影の座る机に近づいた。
いつもは驚くくらい人の気配に敏い男がすうすうと安らかに寝入っている。
息をひそめて顔を覗き込めば、連日の激務のせいか目の下に隈ができている。頬の肉も落ちたかもしれない。
気持ちよさそうに眠っているのを起こすのが忍びなく、イルカは声を掛けずに火影が自然に目を覚ますのを待った。
どうせ今日はもう帰るだけなのだ。
イルカは今もアカデミーの教師をしている。それなりの役職も与えられ、責任は増したがやりがいを感じている。戦争が終わって他国から移り住んできた者達の子弟も多く、新しい価値観や文化に触れて勉強の日々だ。
火影執務室の窓から見える夜の里の灯りを眺めながらイルカはほっと溜息をついた。
「ん……」
ごそりと衣擦れの音がして、六代目火影が身を起こした。イルカの吐息だけで目を覚ましてしまったらしい。
「すみません。起こしてしまった」
「イルカ先生」
イルカの顔を見てカカシは目を細めた。
「夢、見てました。猫が出てきた」
なんだったかな、名前、とカカシは独り言ちる。
「昔、いたでしょ。おっきくて灰色の」
「灰色の?」
「隣の女の子が可愛がっていた。何だったかな……」 カカシの言葉にイルカは密かに息を呑む。
一時期、カカシがチャクラを練れなくなって忍を引退するかと危ぶまれていたことがある。その頃の話だ。
今にして思えば二ケ月にも満たない短い期間だった。けれどその時のことはイルカの記憶の中で鮮やかな思い出となっている。
カカシを独り占めできた幸せな記憶だ。
「カカシさ……」
「ああ、思い出した! アオだ。アオーンって鳴くからアオだってが」
が言っていた。
カカシは愛おしむようにその名を呼んだ。
「楽しかったね、あの頃」
イルカはカカシの顔を確かめるように見た。
「そうですか? 本当に?」
「なんで疑うんですか、本当ですよ」
「だって、あなた、忍術が使えなくなって……」
忸怩たる思いを抱えて過ごしていたのではないのか。
「まあ、まったく平気だったわけじゃないですけどね。毎日、あなたがいて、あなたの事だけ考えて、あなたが帰ってくるのをと待って、野菜作って。楽しかったですよ。今となっては人生の夏休みみたいなもんだったのかな、と思いますけど」
カカシは嬉しそうに笑った。
「新婚旅行も行きましたしね」
そういえば、そんな事もしたっけ。
お互いがお互いのものだと確かめるようにままごとみたいな新婚ごっこもやったっけ。
「イルカ先生、あなたが提案したアカデミーに普通科を併設する件、通りそうですよ」
「え……?」
「そのせいでの事を思い出したんだな。今後はある程度の訓練を受けた上で忍になるかどうかを生徒自身が決められるようになるでしょう」
こりこりと頭を掻きながらカカシは言った。
「あ……ありがとうございます!」
イルカはがばりと火影に頭を下げた。
木ノ葉隠れの里の忍者アカデミーは先進的な教育機関として他国にも知られている。しかし一般人の子供の教育が立ち遅れていることがイルカはずっと気掛かりだったのだ。
「これからまた忙しくなりそうですよ。あなたもね」
「はい!」
意気揚々と答えたイルカをカカシは小首を傾げて見上げた。
「ねえ、イルカ先生」
「はい?」
「また一緒に暮らしましょうか」
イルカは目を見開いた。聞き間違いかと思ったけれどカカシはまじめな顔でイルカを見つめている。
「里も落ち着いてきました。だからってあの頃みたいにあなたの事だけ考えて暮らしていけるわけじゃないけど、少しでも傍にいたいんです」
「それは……」
それはイルカだって同じだ。
少しでもカカシの近くにいたい。
「イルカ先生、一緒に暮らそうよ」
イルカの視界でまつ毛の先に里の灯りがともったようにきらきらした。
「はい」
黒い眼を潤ませてイルカは頷いた。
おわり
目次にもどる