「カカシ先生が忍犬をうまく使っててカッコイイなーって思ったんだってば」
帰りに立ち寄った一楽は夕飯時には少し早かったせいか、それほど混んではいなかった。よく見かける常連が二人三人、入れ違いに出たり入ったりだ。日に焼けた暖簾の内はもうっと湯気が立ち込めて麺の茹で上げられる独特の匂いが漂っている。先日は行き違いになったためにナルトが一楽へきたのは長期任務に出立する前日以来らしい。無口な店主は二人の表情に何かあったらしいと察したのか注文を聞く以外は黙っている。
「だからってな、自来也様や四代目が使ってたっていう大蝦蟇を…」
幼い頃の惨禍の記憶は混乱していてハッキリしないがイルカも一度だけあの日に見たことがある。遠目に小山のような背中が赤い月の光にぬめっていた。その上に小さく四代目の白い羽織と金色の髪が翻っていた。
思い出してゾクッとイルカは震えた。九尾狐と同じくらいその姿は魁夷だった。
よく、あんなものを呼び出せたものだ。傍らでラーメンを啜っている少年のどこにそんな力が潜んでいるのか。
「俺だって数えるくらいしか呼び出せたことないってば」
いつもは手に乗るくらいのちっこい蝦蟇しか出てこねーんだってば、と言う。
それはそれで問題だが。
「エロ仙人が乗ってる大蝦蟇くらいが出せたらいいなーって思って口寄せしたんだ。そしたらいきなり…」
中忍としてその力が認められてからもナルトの術は不安定だった。アカデミーに在学していた時からチャクラコントロールがナルトの一番の課題だった。腹に封じられた九尾の影響を受けて彼本来のチャクラが上手く扱えないらしい。担当の上忍師や伝説の三忍である自来也、あのエビス先生まで----自分に悪感情を持っていたはずの相手をいつの間にか引き込んでしまう彼にはいつも驚かされる----ナルトのチャクラコントロールのために特訓を施してくれたという。
おかげで随分とナルトのチャクラは安定し、正確に術の発動も出来るようになったようだが強いのは土壇場だけで平静の状態ではどうも今ひとつ力が出ないようだ。調子に波がある。
「口寄せが一番難しいかも」
メンマを齧りながらナルトが唸った。
チャクラを自分の手の中で操る技はそれほど下手ではないという。自来也に相当厳しく修行させられたらしい。
「口寄せは、なんか、相性っていうか」
忍術の使い手が自分の使役する動物を持っているのは珍しい事ではないが、術者の資質や性格などでその相手が変わってくる。友好的な関係を結べるかどうかも相手による。術者自身がその使役する相手に命を狙われているような緊張関係にある場合も少なくない。
ナルトは蝦蟇の子分らしい。
そりゃあ、親分が土木現場に呼び出されたらキレるだろう。
「タイミングとかさ、今日はたまたまガマブン太が暇だったから来てみた、とかそういうのってあると思わない?」
「ぶっ」
イルカはラーメンを口に入れたまま噴出した。
丼に顔を突っ込んでしばらく咽る。
「そんなんで呼び出せるようなランクの相手じゃないだろが」
「でもなんか、そういう感じするんだよなー。あいつら」
イルカには蝦蟇の事は分からない。蝦蟇に知り合いもいない。
イルカの知らないナルトの交友関係だ。
----ナルトはそういう世界にいる方が幸せそうな気がする。
妖獣達や自来也クラスの本当に強い力を持った忍達はナルトを忌み嫌う素振りを見せない。むしろ可愛がってくれているようだ。
アカデミーを卒業した後、生徒達を引き渡した上忍師達もそうだったことを思い出す。ミズキの一件の直後だったためどんな反応をされるかとイルカは内心不安だったのだが、直接指導をすることになった上忍師も他の二人の上忍師も特に気にしている風ではなかった。三代目から九尾の目付け役として内々の指示を受けていたはずだがおくびにも出さずナルトを普通の子供と同じに扱ってくれた。
また彼の顔が浮かんだ。覆面の、顔を見せない上忍。
彼らはひどく軽やかに生きているように思えた。
ナルトもきっと彼らに近い。
自分は地を這って生きている。
ナルトはあなたとは違う。そう言ったんだったな、自分は。
現場監督の青ざめて強張った顔を思い出す。
それから昨日、圧倒的な力の差に男にねじ伏せられていた自分。
「俺が化け物だったらエロ仙人とか綱手ばあちゃんなんか怪物だってばよ」
ナルトが何気なく言った言葉にイルカは反応した。
「…そう、言われたのか?」
「へ?」
「化け物って…」
「うん?」
「ナルト」
イルカはきゅっと眉を寄せた。大き過ぎる力を人は恐れる。自分達のような特別な力を持たない存在なら殊更。
「人前ではあんまり大きな術を発動させるんじゃない」
こんな言葉を吐く自分を彼だったらどう思うだろう。
「本当に必要な時だけ力を使うんだ」
強くなれば認めてもらえる、そう信じて疑わない子供に言い聞かせるように言った。
「先生---」
ナルトは首を傾げてイルカの顔を覗き込んできた。
「イルカ先生、ここ、すっげ皺」
自分の眉間を指差してナルトが言った。
「最近、アカデミーで拳骨オヤジって呼ばれてるんだって?」
そんなおっかない顔してたらしょうがないよな、先生、皺増えちゃうよ。ナルトは笑った。
「俺の顔の皺なんてどうだっていい!」
つい声が大きくなるイルカにナルトはまた笑う。
「ホント、イルカ先生って怒りっぽいよな。すぐ拳骨くれるしさあ。俺、もう中忍なのにポカポカ殴るし」
「それはおまえがアホな事ばっかするからだろうが」
ひっで!ナルトは口を尖らせた。イルカは無視してずるずる麺を啜った。ナルトはそんなイルカをしばらく眺めていたが、自分の丼を覗き込むようにして考え考え口を開いた。
「先生、俺はさ、そういうのは平気なんだってば」
「------」
「先生はすごい気になるみたいだけどさ。俺はそれより人に迷惑かけたり、受けた任務をちゃんとこなせない方が悔しい。先生さ、俺のせいでゲンカンさんに怒られたろ?」
現場監督をゲンカンと一人前みたいな口振りで言う。
「そっちのが俺にはきついってばよ」
ナルトは真っ直ぐにイルカの顔を見てきた。
「先生、迷惑かけてごめんな」
今まで見たことのない大人びた顔で見つめられて胸が詰まった。
「…んなこと、気にしてねーよ」
折角の一楽のラーメンなのに丼の中で汁を吸った麺はのびてもごもごした。