「それであたしのとこ来たのよねえ」
ひょい、と銚子を持った女が一人、座に分け入ってきた。紅とは反対側へイルカの隣に陣取ると
「こんばんはぁ。中忍のみやまアゲハです」
と華やかな笑顔を見せた。
「あ、アゲハさん、あの時はお世話になりました」
慌てて頭を下げたイルカを尻目に女は隣り合ったガイに酒を勧めた。どうやら無駄弾は撃たないタイプの女らしい。紅のように整った顔立ちというわけでもないが妙に色気がある。ガイが照れ笑いをしながら酌を受けている。
「ぜーんぜん、結局あたしは何のお役にも立てませんでしたしぃ」
拗ねた顔を作ってカカシにも銚子を向けた。栗色の髪がくるんと肩の辺りで巻いていて、卓の上に身を乗り出すと忍服の上からでも大きな胸が揺れるのが分かる。
「ああ、あんたが情報収集専門のくのいち?」
カカシが思い当たって尋ねると女はむっと口を引き結んだ。
「す、すいません。本当に申し訳ないことをしました。俺の調査不足で−−−」
イルカが取りなそうとするがアゲハは「もー、いいわよう。何度も言われると余計に腹が立ってくるんだから」とイルカの脇腹に肘を食らわせた。
「紅さんもどうぞー」
女は悪びれずにイルカの前から紅にも酌をした。
「アゲハ、あんた謹慎中じゃなかったの?」
紅がお猪口でなくコップに酒を注がせる。二合しかないのにそんなになみなみ注いだら全員に行き渡らなくなるんじゃないか。カカシはお猪口を舐めながら様子を見守った。
「今回の任務のお手柄で解けたんです」
最後に一番遠いアスマが酒を注いでもらったがやっぱり酒は残り少なかった。
「あんた、あの中にいたな。覆面してたから顔は分からなかったが」
乳で覚えてたんでしょ、アスマは。心の中でカカシはつっこむ。そういうカカシも四人が受付所に入ってきた時、一人いい胸をした女がいたのは覚えている。
イルカが任務のために集めた人間は四人、特別上忍でベテラン中のベテランだが片手が不自由なトキワと、上官との不倫が元で謹慎中だった情報収集専門のアゲハ、班で一人だけ中忍試験を落第した下忍のマツリ。
四人とも実力に比べて報酬が安い。それに内勤のイルカが加わって即席のチームを作ったというわけだった。
「トキワさんが部隊長を引き受けてくださって、アゲハさんやマツリの働きでどうにか任務を遂行することが出来ました」
イルカがもう一度頭を下げた。
女が次々銚子を追加するものだから皆、だんだん酔いが回ってきた。多分、これは大吟醸四代目だ。故人を偲んで造られたこの酒は歴史は浅いが爽やかな口当たりで人気が高い。三代目という銘柄もあるがこちらは雑味の多い重い口当たりで通に人気だ。造った人間はなかなか分かっていると思う。
カカシは酔っても顔には出ないがガイやイルカは既に真っ赤になっている。アスマは先ほどから酒には手をつけず煙草ばかりをふかしている。紅は涼しい顔で水のように酒を飲み続ける。
「山奥の耕作地で子供達に芥子の花を育てさせていたんですよ。給金は支払っていたんですが、薬を仕込んだ飴玉を子供達に売りつけて全部巻き上げていたんです」
ああ、それであの時イルカは「飴玉ちょうだい」と言っていたのだ。カカシはねだる甘い声や顔つきを目の前のイルカに重ねてみた。悪くない。
カカシの腹の内など知らないイルカは猪口を握りしめてきゅうっと眉根を寄せた。赤く染まった顔が更に赤くなった。
「毎日、きつい労働をさせられて給金が入れば飴玉の一つも買いたくなります。そうやってだんだん薬を体に染み込ませていって、それなしではいられないようにしていったんです」
ひどい話だ、とガイが憤慨して声を上げた。まあまあ、とアゲハが酒をイルカとガイに注ぐ。
「本当にひどい話です。それでやつらは、給金は払っている、買うのは子供達自身の意志だと、そう思いこませていたんですよ」
大人だって薬の力には抗えない、まだ精神も肉体も成長過程にある子供達などひとたまりもないだろう。
「旅人が届けてきた子供の手紙には、一言も仕事がきついとか帰りたいとか書いてないんですよ。ただ、すまない、すまないって。自分の意志が弱いから約束したのに家に仕送りが出来ないって。せっかくお金を稼いでも無駄遣いしてしまうんだって」
相手の口を封じるには巧いやり方かも知れない。給金は支払う、それを何に使うかは子供達の自由だ。薬で得る快楽欲しさに散財すればそれはそのまま罪悪感に変わる。罪悪感が強ければ更に薬に依存するだろう。こんな自分では家に帰れない。親に合わせる顔がない、そう子供達は思っただろう。
じわりとイルカの目に鈍い光が浮かぶ。
「そうやって、退路を断って追いつめておいて、選んだのはおまえだって言ってたんですよ。相手の弱さを知っていながら。そういうやり口が許せないんです」
突然、激したようにイルカの口調がきつくなった。
「子供っていうのは純粋なんです。期待されたら応えようとする。ひねくれて見える子だって本当は応えたいって思っているんだ。誰かに、よくやった、って言ってもらいたいって思っている。そういう気持ちを利用して罪悪感を植え付けるようなやり方で子供達を縛るなんて−−−−」
泣くかと思ったがイルカは堪えたようだった。
かわりにガイが彼をがっしりとその胸に抱き込んだ。
カカシ、紅、アスマの三人は少なからず毒気を抜かれた。
ガイの胸に顔を埋めてふるえている、これはなんだ?
カカシにも幼い部下がいる。彼らのためなら自分の命を盾にしてもカカシは戦うだろう。他の上忍達も変わらない。木の葉の忍びとして木の葉の子供達を守のは当然だ。そこにあるのは固い血の結束と同胞への愛着だ。
だがこの男の中にあるのはもっと普遍的で無差別だ。
ただ、弱い者がそこにいれば庇う、それを当然だと思っている。
報酬が安くてすむといっても限度があろう。多分、イルカは自分の取り分を放棄したのだ。宿代や食費などの諸経費ももしかしたら肩代わりしたのではないか。
それではまるっきり舞台で演じられる正義の味方じゃないか。それなのになんだ、このめでたしめでたしな世界は。
カカシにしてみれば弱い者が強い者に蹂躙されるのはこの世の摂理である。淘汰というのはそういうことだ。子供は弱い、だが守ってくれる手がなかったとしてもそれは運が悪いだけだ。危険に対する知識がなければ食い物にされても仕方がない。親だって危険に対する意識がないから子供を奪われるのだ。可哀想だとは思うが、群れからはぐれた子鹿は死ぬしかないだろう。
カカシにしろ他の上忍にしろ多かれ少なかれそういう常識の世界で生きている。
なのに、こういうのってありなのか?
ガイ以外の上忍は三人ともがそういう感慨を持ったと思われる。そこへ女が追い打ちを掛けるように言った。
「大変だったんですよう。イルカったらあいつらを皆殺しにするって言い張って」
「イルカが…?」
アスマが驚いたように女に目を向けた。
「そうですよう。トキワさんが止めてくれなかったらどうしていたか。まあ、途中から麻薬密売ルートを追っていた火の国の警邏達と合同捜査になったんで極端な事はできなくてちょうど良かったんですけどね」
カカシは浅黒い肌に血の色を浮かべ、固く目を閉じている男を見た。歯を食いしばっているのだろう、頬に歪んだ靨ができている。
九尾狐の器を命がけで庇い、見知らぬ子供達のために身を切って奔走する男の中に潜む激情に気を引かれた。
こんな男を躊躇わず胸に抱き込めるガイを心底うらやましく思った。
他の男の腕の中で激情に顔を歪める彼の顔を思い浮かべて、後々何度か一人でイタシてしまったことはカカシの生涯の秘密の一つだ。
2005.2.4
非NARUTOの友人に「すまんけどガイ×イルに萌えた」と言われた。
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