「電気」
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょうってね、言うでしょう!」
イルカ先生はコップ酒を片手に力説した。
「はあ、でもそういうの結構ウザかったりしません?」
俺の言葉に「うっ」とイルカ先生は胸を押さえた。
「そ、そんなことは…」
思い当たる節があるらしい。傷つけるつもりはなかったんだけど、ごめんね?
「ま、どうぞ」
気付け薬のように俺がコップについだ酒をイルカ先生は一気に飲み干した。
自宅飲みの最中に、イルカ先生のアパートの黄色くぱさついた畳を毟りながら「チームワークってなかなか育たないもんですねえ」とうっかり呟いたりしたもんだから、熱血教師うみのイルカの『生徒の心を掴むためには』講座が開催されてしまっていた。
カカシ的には『うみのイルカの心を掴むためには・実践編』講座をお願いしたいところなのだが、なかなかどうして、この中忍教師は強敵だ。心配している元生徒達の話が、現指導教官であるカカシの口から出た途端に食らいついて離しやしない。
イルカの心をがっちりキャッチしているのは子供達なのだ。
家に上がり込んで酒を酌み交わすほどの仲になったというのに、カカシはいまだに物欲しそうにイルカの周りをぐるぐると回っているだけの状況だ。
こういう人は根本的に俺なんかとは思考回路が違う。俺と似ていると感じるサスケにとってもそうだろうなと思う。俺はもういい年だからある程度鈍感になったけれど、サスケなんかはこの人やナルトと一緒にいると、好ましいと感じるのと同時に心のどこかが灼ききれるような気持ちになったりするだろう。自分が昔、オビトやリンを疎ましく感じたように。
あの時の自分の気持ちを思い出すとたまらなくなる。
明るい場所になんかいられない。暗い方へ暗い方へと潜っていこうとする習性の生き物なのだ。光に耐えられるだけの強靱さも鈍感さも持ち合わせていない。差し伸べられた手が自分を傷つけるんだと思い込んで闇雲に振り払っていた。
もっと柔らかく生きていけたらと、いつ頃からか思うようになった。そう思うようになった時には色んな事が手遅れだった。
闇の中へ潜り込んでいこうとするサスケにも、厳しい光の中へ突っ込んで行こうとするナルトにも、柔らかなカンテラの光が彼らを照らせばいいのにと願わずにはいられない。カンテラを翳す手は俺でも、サクラでもいい。
自分では無理か。とカカシはいつも結論を出してしまう。他力本願なのだ。自分は組織の手駒に過ぎないと歯車根性が染みついている。それでも三人の部下達に対して、自分にしては努力していると思う。
目の前のこの人に対しても。
「点けてるつもりなんですけどねえ、全然明るくなんないんですよ」
カカシは、はー、と溜息を漏らした。闇夜を照らす、人の手による光。かつての師や、目の前の中忍教師が当たり前のように周囲の者達に与える、そんなものがどうしてもカカシには灯せない。
「そりゃ、電球切れてるんじゃないんですか?」
「え!?」
イルカの口から衝撃的な言葉が吐かれてカカシは仰け反ったまま固まった。
「俺の電球切れちゃってるんですか!?もう点かないの?!」
「切れた電球はもうつきませんよ。でも」
くくっとイルカは笑った。
「カカシ先生は切れた電球っていうより、昼行灯ですかねえ」
あははは、と笑われた。
なかなか言ってくれる。普段、真面目そうにしているくせに、実はいい性格してるんじゃないか。三代目が言ってましたよ、昔はすごい悪ガキだったって。ナルトと気が合うはずだよね。
黙り込んだカカシに気を遣ったのか、イルカはフォローのように言った。
「むやみにやたらに電気の紐、引っ張ってたってダメですよう。電球が切れてたら付け替えなきゃなんないし、ブレーカーが落ちてるのかも知れないし、」
コンセントがいかれてるかもしれないし、接触が悪いのかも知れないし。どんなものでも使っているうちにがたがくるものなんですよ、とイルカは言った。
「そうそう、カカシ先生っていつも引き気味なんですよね」
うん、うん、とイルカは一人で納得して頷いている。
「もっと積極的に相手の中に入っていかないと。人間って態度ではっきり示さないとなかなか分からないものなんですよ」
「そうですかね」
「そうですよ」
タン、と卓袱台に酒の入ったコップを置いてイルカはカカシの目を覗き込んだ。
酔いに濡れた黒い目が艶やかに光ってカカシは息を呑んだ。ホントに分かってない。
「引いてダメなら押してみな、ですよ」
力強くイルカが言った。
ままよ、とカカシはイルカ先生の胸を、トン、と押してみた。
酒でふやけた酔っぱらいは簡単に後ろに倒れ込み、すっぽりカカシの腕の中に入った。
「ホントだ。押してみるもんですね」
イルカは「くくくっ」とくすぐったそうにカカシの腕の中で笑っている。
「イルカ先生、体熱い」
接触が良くなって、熱伝導率が著しく向上したらしくカカシの体温もぐんと上昇した。ぺったりくっつけた頬の下で、笑い上戸の酔っぱらいの背中がいつまでもくつくつと震えていた。
そんな夜もある。