「光の世界」


 「皆さんガンバ!」と書かれた垂れ幕が下がっている。アカデミーの行事で使うような色画用紙に太マジックでぎゅっぎゅっと、誰が書いたのか知らないがヘタウマな字だ。
 まず、それに驚いた。
 自分達がここで受け取る任務は「ガンバ!」なんて可愛らしい言葉で表現出来るようなものなんだろうか?
 受付の机の前に並んだり、隅のソファで時間を潰している忍達も呑気な様子で、自分の知っている暗部の待機室やブリーフィングルームとはだいぶ雰囲気が違う。
 二の腕にまとわりつく長袖のシャツは、まあ、暖かいと感じるが、ポリマー繊維製のごつい襟と肩パットのついたベストには閉口した。
 これがあれば首をかっ切られる危険は減少するが、動きも制限される。防御より攻撃に重点を置いた暗部の制服とは違った考え方で作られた物だ。パットと襟は肩と背中についたボタンで留められていて取り外し可能だが、これを外して着用している者は上忍でも見掛けない。支給服が嫌なら、自分で装備を用意するのだろう。待機室で見た上忍のくノ一達はほとんど自前の装束だ。
 よく知っているはずの里の、今まで踏み込んだ事のない世界にヤマトはまだ慣れないでいる。
 ナルトを預かるのはカカシが復帰するまでの事だと思っていたのだが、修行を二人で見てやることになり、その間は暗部を外れて通常部隊に配置された。任務も受付を通して受けるようにとの指示だ。とにかく、ナルトが里にいる時は里の外へは出ないようにとのお達しである。
 五代目火影のナルト少年への思い入れは並々ならぬものがある。それを不安視する声もあるが、どちらにせよこの里に暮らす限り九尾の問題は避けては通れない。あの少年に対する措置が温情あるものであることが、彼同様、半ば人工的に作られた忍である自分にとっては安心出来る。
 様々な闇をこの里は抱えている。
 自分の存在もその一つだ。
 今までは里の闇の産物として薄暗い場所に隔離されていた自分が、緊急措置としてもこんな明るい場所に引き出されてきた事がヤマトにとっては思いも寄らない。
 窓を背にした任務受付はやけに明るい。
 明るくクリーンなイメージを一般の依頼人達に抱かせるためだそうだ。忍の里など、外の世界では得体の知れない禍々しいものだと思われているから、少しでもそれを払拭するのだという。里長自ら、依頼人の前に姿を晒すのも信用を第一と考えるから、だそうだ。
「ガンバ、ねえ」
 舌の上で転がすように低く呟いてヤマトは首を傾げた。少し面白いような気分になっていた。何より、自発的に受付に赴かなくては任務を受ける事が出来ないという状況が珍しい。暗部は常に火影の手駒として確保されていなければならない戦力だから、招集が掛かるまでは待機か、事後処理、演習である。
 完全に自由の身というわけではないが、ナルトの修行の時以外は拘束時間はほとんどなくなった。
 さて、自分にはどんな任務が渡されるんだろうか。
 ヤマトは受付の列に並んだ。一応、五代目に顔を見せておこうかと、火影のすぐ隣の男の列に並んだ。受付は中忍か専門の書記官の仕事だ。
 前に並んだ男が依頼書を受け取り立ち去ると、ヤマトの前には支給の服を規定通りに身につけた男が座っていた。黒い髪をきっちりと頭の上で括って肩に垂らしている。鼻の上に真一文字に掃かれた傷痕と目深に締めた額宛が少々強面の印象だが、男が微笑むとその印象は瞬時に消えた。
「おはようございます。今日も一日、頑張りましょう」
 多分、それは決められた営業用の文句なのだろう。他の受付の者達も皆、口々にそれを繰り返している。
 しかし、ヤマトの前に座っている男の笑顔は他の者達の寝ぼけた顔とはまったくかけ離れていた。明るく爽やかという言葉を体現してしまっている。
「どういった任務をご希望ですか?」
 にこりと問われて、ヤマトは思わず答えていた。

「−−−−−ポテトのS、ひとつ」


 場違いな科白を吐いたヤマトに一瞬、受付の男はきょとんとした顔を見せた。
 それから今度は本当に笑って、いや、込み上げた笑いを噛み殺して「階級とお名前を頂いてもよろしいですか?」と尋ねた。
 横で五代目が「なにをやっているんだい」という顔でこちらを見ている。
 ヤマトは顎を掻いた。どこかのチェーン店のカウンター越しに目にする笑顔を思い出してしまったのだ。
「すみません、こちらに来る方はほとんど顔と階級は覚えているのですけど記憶になかったものですから」
 希望の任務を聞いて階級を推し量ろうとしたらしい。
「ああ、暫く外にいたので」
 ヤマトはポケットから忍登録カードを取り出した。そこに記されているのは数日前に火影から与えられた暫定の名前と所属だった。
「単発のCランク任務、どうだ?」
 依頼書の束を捲った男の隣から五代目が一枚の依頼書をヤマトに寄越した。内容を確認すると、里からそう遠くはない村での警戒任務だった。
「カカシ班と一緒に行ってこい。イルカ、手続きしてやれ」
 火影に言われて、イルカと呼ばれた男は「はい」と答えて、早速、合同任務の書類を作成した。
「どうぞ。お気をつけて」
 そう言ってイルカという男はにこっと笑った。
「フライドポテトは西商店街のミヨシ精肉店のが美味いですよ」
「え?」
「コロッケも絶品です」
 くっくっと笑われてヤマトは顎を掻いた。
 なんだか場違いな所に来てしまったなあ。



「あの人はやたらめったら朝、強いからね」
 あの人はいつもそうよ、と元暗部の先輩が言った。
 ああ、あれがナルトのイルカ先生だったのか。
「血圧が高いのかね」
 遅刻常習犯である先輩は首を傾げている。
「すぐ鼻血ブーーーっだってば」
 その横で弟子の少年が大人ぶった顔で腕組みをしている。
「あー、イルカ先生の話聞いたらラーメン食いたくなってきたってばよ。帰り、受付寄っていこうっと」
「おまえ、まだあの先生にたかってんの?」
「なっ…たかってるわけじゃないってばよ!」
 ただ、ラーメンはイルカ先生と食べるのが一番うまいんだってば!
 そう言いながらナルトは向こうにいるサクラとサイの方へ歩いていった。「なーな、今日の帰りさあ」と声を掛けている。
「ボクも一度、挨拶に行った方がいいでしょうかね?」
 ヤマトが呟くと、カカシは唯一露わになった右目を眇めてちらりとヤマトを見た。
「−−−−いや、おまえは行かなくていいよ」
「でも五代目から、ナルトにとってイルカ先生の存在は重要だと聞いています。今後、彼の精神面をケアする必要がでてくるかもしれません。その時のためにも−−−」
 カカシの眇めた目が気になってヤマトは食い下がった。別に、そこまで必要な事だと思ったわけではないのだけれど、何か引っ掛かった。
「ナルトの修行にあの人は関係ないよ。逆にあんまり構われると厄介だ」
 ま、ナルトは自立心が旺盛だから心配はしていないけど、とカカシは冷淡な仕草でひらりと手を振った。
 もしかしてカカシはイルカとはあまり仲が良くないのだろうか。その様子を見てヤマトは思った。
 カカシは暗部の中でも古株の一人だ。人の好き嫌いもはっきりしている。
 ああいう人は苦手なのかもしれない。
 ボクは、そんなに嫌じゃないけど。
「おまえはあの人に近づくんじゃないよ」
 牽制するようにカカシが言う。ヤマトは肩を竦めた。
「別に言われなくても、ボクがイルカ先生と関わる事もそんなにないでしょう」
 他人のことにカカシが口を出すのは珍しいなと思う。
「おまえはなんか、やらかしてくれるような気がするんだよねえ」
 あさってを見ながらカカシが言った。
 どういう意味だろう。カカシにとって、自分が信頼に足る後輩だと自負しているだけにヤマトは気になった。



 帰りにヤマトはいつもと違う道を通って西の商店街へ行ってみた。
 まだ日が暮れるには早い時間だ。通りには夕飯の買い物に来たらしい人々が行き来している。並ぶ店々の軒にはピンクや黄色の造花がぶら下がっている。本部棟周辺の宿舎の建ち並ぶ界隈とは違って、雑多な家々が並ぶ住宅街の長閑な商店街だった。
 こんな町並みを知らなかったわけではないのに、初めてその中にとけ込んでいる自分をヤマトは感じていた。
 3年前に暗部を抜けたカカシもこんな気持ちになったのだろうか。
 先輩も随分、丸くなったよなあ。
 自分の知っているカカシはもっと神経質でピリピリしていた。触れたら手が切れそうな、抜き身の刀のような人だった。
 カカシに言えば「若かったんだよね」と決まり悪げに言うだろう。
 左右の店を眺めながらミヨシ精肉店の看板を探す。
 しばらく歩いてゆくとみつかった。看板が見えたわけではない。香ばしい匂いが漂ってきたのだ。
 店先のショーケースの上のトレイにほっこりと湯気をたてたフライドポテトとコロッケがのっていた。
 美味そうだ。
「すいません」
 ヤマトは店の奥に声を掛けた。すぐに年配のおかみさんが顔を出して、紙袋に揚げたジャガイモを詰めてくれた。
 代金を払って紙袋を受け取る。揚げたてらしくあつあつだ。
 袋の口を開いてひとつ、ぱくりと口に入れた。塩味が効いていて美味い。しかし、熱い。はふはふ、と息を吐きながら咀嚼する。手にした紙袋にはずっしりとした重みと温かさがある。美味しそうな匂いにつられて、ついたくさん買ってしまった。
 シンプルな塩味が後を引いて、ヤマトは続けてフライドポテトを口に頬張った。
 面を被っていないと楽だ。こうやって買い食いも出来るし、息苦しさもない。
 買い物客で賑わう商店街をてくてくと歩いていると、向こうから歩いてきた男と目があった。
「あ、」
「あ!」
 イルカ先生だった。
「こんにちは」
 軽く頭を下げると、向こうもぺこりとお辞儀をした。近づいてきながら、イルカの顔に笑みが浮かんでくるのをヤマトは眺めていた。人懐こい、愛嬌のある笑顔だ。
「それ、本当に買いに来てくれたんですか?」
 イルカの視線が手元の紙袋に注がれているのに気がついてヤマトは頷いた。
「ええ。美味いですね、これ」
 おひとつ、どうぞと真顔で袋を差し出すと、イルカは顔を伏せて、くっくっと笑い声をたてた。
「?」
「いえ、頂きます」
 イルカはひょい、とフライドポテトを摘むと口に入れた。ほっこり微笑んで「美味い」と呟く。
「イルカさんの家はこの辺ですか?」
「ええ、この商店街の常連です」
 指についた塩をぺろりと舐め取ってイルカが答える。
「ヤマト上忍、」
 って呼んでもいいですかね?とイルカが尋ねるのでヤマトは頷いた。名字はなく名前しか火影から貰っていないから他に呼びようがない。
「ヤマト上忍はこの辺じゃないですよね。里外から戻ってきたんでしたね」
 本当はずっと里にいたのだけれど、イルカとはテリトリーが違う。ヤマトは黙って口元だけで笑った。
「火影様直属ですか?」
 ひそりとイルカが言ったので、少なからずヤマトは驚いた。
「わかりますか?」
「ええ。大体、皆さん、受付にくると同じような反応をされるので」
 分かるようになってしまいました。数瞬、何かを思い出すような顔を見せて、イルカは黒い瞳でじっとヤマトの顔を見た。
「ナルトをよろしくお願いします」
 思いがけず深い瞳で言われて、ヤマトはしばし、静止した。
 それから「あっ!」と声を上げた。
「ナルト達が、受付にイルカ先生を訪ねていったはずなんですが」
 一緒にラーメンを食べに行くとか言ってなかったか。
「すれ違いになったのかな」
 意味もなくヤマトはきょろきょろと通りを見回した。ナルト達がこちらに来るとも思えないけれど、つい彼らの姿を探してしまったのだ。
「ああ、そうですか。じゃあ、一楽かな」
 慌てたヤマトとは逆にイルカは落ち着いた様子だ。よくある事のような雰囲気だ。
「まあ、子供達は放っておいても勝手にやりますから」
 大丈夫ですよと言ってイルカは鷹揚に笑った。
「ヤマト上忍はあんまり暗部って感じじゃないですね」
 それから付け足された言葉にヤマトはまた、静止した。


 自分は屍の山から生まれた。
 多分、自分は一度死んだのだと思う。
 細胞の死。
 自我の死。
 新しい自分を生きる事に惑いはない。
 ただ、未だ知らない世界に触れるのに戸惑うだけだ。


「だから近づくなって言ったのに」
 男の肩口にひょこひょこと揺れる黒髪を見送っていたヤマトの背後から、よく知った飄々とした声が言った。
「いつからいたんですか?」
 遠ざかるイルカの背中を見つめたままヤマトは言った。
「今朝からおまえ、変だったよ。自分で気がつかなかった?」
 悠然と構えた声だ。カカシはいつものように猫背でだらりと立っているのだろう。
「ああいう人は、俺達みたいのには毒なんだよ」
 帰れなくなっちゃうよ?
 軽い調子で耳に吹き込まれた言葉にヤマトは眉を顰めて振り返った。心を動かされた現場を見られたのが腹立たしい。
 揶揄するような表情をしているだろうと思ったのだけれど、カカシは困ったように眉尻を下げていた。
「別にボクは、」
 こちらの世界に深入りする気なんてないのだ。
 ずぶずぶなのは先輩の方じゃないのか。
「先輩のそんな顔を見る日が来るとは思わなかったですよ」
「まーね」
 たとえばの話、と前置きをしてカカシは言った。
「救命ボートの定員はあと一人だ。俺とおまえは沈没する船の上。どうする?」
「ボクは沈没する船になんか乗りません」
 憮然と答えるとカカシは目を細めた。
 いつもなら、最後の命を仲間のために削る人だ。
 でも、今は分からない。
 明るい日の光の中は複雑で、色んな物が育ったり枯れたりして絡み合っている。
 ヤマトは慣れない場所の足場の悪さに戸惑いを隠せないでいる。



闇から闇へ葬り去ろうと思ってた話なんですけど
本をあげた知り合いが「よかったよ!」と言ってくれたのと
これの続きの話はわりと気に入ったのであげてみました。
再び「ぐがああ!死んでしまえ、自分!!」という気分になったら下げます。
カカイル←ヤマトは「猫を食った話」でリベンジします。