「亡者の塩」


 切り裂かれた皮袋から白い細かな粒が零れ落ちる。
 頭上から狭い渓谷沿いの道を進む荷馬車の一隊に矢が降り注いだ。
 敵のチャクラを感じると同時に足元の地面から土塊が突き上げ荷車が大きく傾いだ。馬が嘶き棒立ちとなる。
 反対側は川だ。
 積荷を落とすまいと味方の何人かがそれを支えるために身を投げ出す。
「くそ、待ち伏せだ」
 誰かが呻く。頭上からの奇襲に大きな荷物を抱えた彼らはなす術がない。
 その時、隊列の後方から一人の忍が彼らの頭上を滑空するように切り立った岩肌を駆け上った。獣じみた動きをするその体はまだ少年のものだ。
 援護するように他の忍達も苦無を放つ。
「火遁---」
 くぐもった声が響くと崖上の木立がごうっと燃え上がった。身を返し、旋回する鳥のように少年の体は落下し、崖下に着地した。同時に術とともに投げ込まれた火薬玉が劫火を吹き上げる。樹上に身を潜めていた敵たちがばらばらと斜面を駆け下ってくる。
 険しい山肌に迫られた細い山道は敵味方入り乱れての修羅場と化した。



 木の葉の隠れ里は山間の小さな盆地にある。
 岩山に囲まれ、けして豊かとはいえない実りの少ない痩せた土地に、急峻な山々の合間を流れる細い川。
 そんな土地で生きてゆくためには彼らは己の肉体と技を売る他なかった。
 傭兵として土地土地の豪族や大名に仕えること。そしてそれが彼らの術を磨き、情報網を発達させた。いつしか彼らは貧しい山里の住人ではなく一国の命運を左右するほどの力を得ていた。
 それが木の葉忍である。
 だが軍事に優れた彼らにもけして克服できない弱点があった。
 内陸に位置する里には海がない。
 彼らは生命を繋ぐために必須である塩の供給を他国に頼らざるをえなかった。
 どんなに情勢が悪化しようともけして途切らせることの出来ないか細い交易路。それが木の葉の生命線だった。



「よくやったな、カカシ」
 隊列を率いていた上忍に声を掛けられ、少年は地面に落としていた視線を上げた。
 どうにか敵をやり過ごし木の葉の忍達は崩れた積荷を荷馬車に積み上げなおす作業に取り掛かっていた。敵の土遁術によって傾いだ荷車の下敷きになった者も傷めた足を引き摺りながら皮袋を運んでいる。
「式を飛ばしたから、そのうち新しい馬を連れた援軍が来るはずだ」
 これで、また命を繋ぐ事が出来ると。
 カカシは足下に撒き散らされた粒状の白い粉を見下ろした。
 ところどころ血に赤く染まり融けて地面に沁み込んだ、それ。
 男達は黙々とそれを掻き集め、皮袋へと詰めてゆく。融けて地面に沁み込んだ分も土ごと掘り返して袋に詰めるのだ。
 唐突に、少年は悟る。
 このために自分は厳しい訓練を受け、幼いうちから刃を握らされ、敵を倒してきたのだと。
 命を差し出して得る、それ。
 自分はそうして生きてゆく。木の葉の里に生まれた故に。
 地面に蹲り、血の色に手を染めて塩の粒を掻き集めながら少年はその時初めて忍としての自らの一生を思った。





 午後の光がうらうらと陽炎を立ち昇らせている。
 演習場の端にある炊事場では子供達が騒がしく立ち働いていた。
 竈の中を覗き込む者、大釜を木杓でかき回す者、盆で材料を運ぶ者。
 今日の午後は実習授業らしい。
 子供達の群れの中に黒髪の教師を見つけてカカシは目を細めた。
 イルカ先生の授業か。
 いつものように彼の大きな声が炊事場に響いている。携帯食の作り方を教えているらしい。
 見晴らしのいい木の枝の上に寝そべり愛読書を読みながらカカシはその様子を眺めた。
 少し離れた草地にいる下忍三人にちらと視線を走らせて思案する。
 イルカがいる事に気がついたらナルトの気が散る。修行の場所を移動した方が良さそうだ。
 少し残念だけれど。
 愛読書で半分顔を隠したままカカシは彼らの傍らに降り立った。ナルトとサスケは立ったまま足を大きく振り上げてどちらの方が足が高く上がるか、なんてガイみたいな事をやっている。さすがにサクラはそんなはしたない真似は出来ないらしく、二人の少年の張り合いを眺めている。
 んとに、このチビすけ供は…。
「ナルト、足伸ばせ。サスケ、体が傾ぎすぎだ」
 二人の少年の足首を掴んで上に引っ張ってやると、顔を真っ赤にして唸っている。
「お前達、忍者のくせに体硬いぞ」
 手を離したら二人ともバランスを崩して尻餅をついた。
「ムキーッ!カカシ先生!!」
「ハイハイ、柔軟はそれくらいにして場所を−−−」
 変えようと言い差したところで、向こうからガシャンと大きな音がした。
 こらっ、とすぐさま怒鳴り声がとぶ。どうやらふざけた男子生徒が調理場で何かをひっくり返したらしい。
「あ、イルカ先生だってば!」
 イルカの声を聞きつけたナルトが主人を見つけた仔犬のように、早速駆け寄ろうとした襟首を引っ掴む。
「ムギッ!!」
 思いきり喉を絞められてナルトが動物じみた声をあげた。イルカの元へ駆け寄ろうとするのは殆ど条件反射のようだ。
 カカシせんせぇ、酷いってば、と文句を垂れるのを無視して調理場の方へ目を向けた。
 地面に散らばった白。塩だ。
 なんとなし、カカシは嫌な気持ちになる。
 昔は貴重だった塩も今は広い交易路が開かれて安価で手に入るようになった。まったく平和というのはありがたいものだと思う。昔といってもほんの十数年前だ。現在は大きな戦もなく木の葉の里には交易商人たちによって毎日のように各地からの物品が届けられる。一見繁栄しているように思えるが、結局は人的資源に頼らざるを得ない土地だ。だからアカデミーで子供達を忍に仕立て上げ、自分のような殺し合いしか知らないような男が年端も行かぬ子供達を預かる。
 戦が続くのはおまえたちのせいだと罵られ、山奥で怪しい術を使う連中が、きっと鬼や物の怪と取引して力を得たのに違いないと陰口を叩かれてもそれも嘘だとは言い難い。
 戦に追われて、あるいは周囲と違う外見や能力のために山奥へと逃げ込んだ人々が木の葉の祖となった。
 そうしてこの土地に生まれたというだけで障壁の外へ出ることさえままならない。
 子供達は素直に強い忍に憧れるけれども、実際はとても惨めな存在なのではないかとカカシは感じる。死に誰よりも近い場所で生きたい生きたいと呻いている。地獄に堕ちて、尚、苦しい辛いと苦鳴をあげる亡者のようだ。
「先生が子供の頃はな、塩は本当に貴重品だったんだ」
 教師の声が思考にかぶさった。
「先生のお父さん達が命がけで海のある土地まで買い付けに行ってたんだ。今だって、交易を拒否されたら木の葉の里の人達は明日からでも困るんだぞ」
 そう言いながらその人は地べたに膝をついて大切そうに白い粒を掌に掬い上げていく。周囲の子供達もそれに習って小さな掌に塩を拾う。
「塩がないと人間は生きていけないんだからな」
 一粒も残さぬように大切そうに。
「お前達の先輩達が毎日、依頼を受けて働いているのもそのためだし、お前達が忍を目指すのもそのためだろう」  そうやって得たものを粗末にするんじゃない。
 静かに諭されて半ベソになった子供の頭をわしわしと掻き混ぜて、その人は笑う。
 その光景はなぜだか、とても尊いものに思われた。
 では、あの時の自分達も端から見ればそんな風だったのだろうか。
 血に塗れて地べたに蹲って命の糧を掻き集める。
 それは今でも変わらない。死ぬまで変わらない。自分が忍である以上。人間である以上。
 生きていたいし、生かしたい者達がいる。
 そのためなら手を汚してもかまわないと思っている。この里の人間は皆そうだ。
 カカシは自分の部下達を見下ろした。片手で掴んでしまえるような小さな丸い後頭部が三つ並んでいる。黄色と桃色と黒い頭が三つ。まだ成長途中の薄い体を細い手足が支えている。
「ほら、修行の続きだ。演習場に行くぞ」
 カカシが声を掛けるとおとなしく三人はカカシに従い歩き出した。イルカに声を掛けないのかと尋ねると、ナルトは真面目くさった顔で
「イルカ先生は仕事、俺は修行だってばよ」
と言った。
 面白いね、おまえは。
 火影になるって事がどういうことか本当に理解できた時に、それでもきっと火影になると言い切ってくれるだろうか。そんな日がくるまで俺はおまえ達を見ていられるんだろうか。
 三人とも必ず大人になるまで生かしてやろう。
 里から預かった時に思ったことを新たに思い直す。
 それからこっそりと炊事場を振り返って中忍の教師を盗み見た。
 アカデミーの教師というのはみんなあんなものなんだろうか。さすが弁当を分け合おうとするような子供達を育てた人だ。
 一番最初の、一番当たり前の、忘れ去ってしまいそうな事を一つ一つ大切に拾い上げてゆく。


「知ってる?」
 後ろの方から部下の賢い少女が少年二人に教えている声が聞こえてきた。
「塩って一粒一粒は真四角いきれいな結晶なのよ」





「思い出カレー」用書き下ろし其の二。
そろそろ時効かな、ということでアップしました。
この頃はカカシの戦闘シーンを書くのに凝ってました。