「そう深刻になるほどのことでもない」
水戸門ホムラは眼鏡の奥から猛禽類のような鋭い目を一同に巡らせた。
木の葉の重鎮と呼ばれる面々が会議室の円卓に顔を並べている。
「いつものことだ。火の国が、我々を試したがるのは」
上座に座る年若い火影へ言い聞かせるように、ホムラは続けた。綱手は眉間に皺を刻んで、苦々しげにカミソリの異名を持つ老人を見つめている。口をひん曲げて拗ねている子供のような顔だった。
「腹を立てているのは国主の弟だ。国主自身は何も言ってきていない。だが、弟を諫める素振りもない。木の葉隠れがどこまで火の国に従順かを見ているんだろう」
常に眠っているような顔のうたたねコハルが、薄く目を開いた。
「綱手、21人の忍の命を差し出すか?」
「冗談じゃない!」
綱手は言下に言い捨てた。
「そのとおりじゃ」
うむうむ、と老人達は頷き合う。
「では、儂一人が腹を切って見せようか」
ホムラの言葉に、綱手はぎょっと目を剥いた。
猫一匹のために、三代目火影の盟友であり、共に里を支え続けてきた人物を失うなどとんでもない話だ。
「儂は里のためならいつだって、こんな老い腹詰める覚悟はある」
「だめだ!そんな事になったら−−−−」
「そんな事になったら、木の葉隠れは火の国の犬どころか、猫の子にも及ばぬと笑われるな」
綱手の言葉を受けてコハルが続けた。
「大切なのは釣り合いをとることじゃ」
綱手姫、と優しく御意見番達は言い含める。
「猫一匹に21人の忍の命では釣り合わぬ。儂らの誰か一人でも釣り合わぬ。だが、火の国は血を見たがっている。血にまみれた忠誠しか、彼らは納得せん」
ぎりぎりと綱手は歯を軋ませた。
「つまり、釣り合う誰かの血をもって火の国を納得させろと」
赤褐色の艶やかな瞳を火のように滾らせて綱手は一同を見渡した。
命を存えさせるために存在する医療忍にとって、それは耐え難い選択だった。
「責任をとるのは部隊長の役目だ。中忍一人なら妥当だの」
里の痛手も少ない、と事も無げにホムラは言い放つ。
「はなから忍の命などないも同然」
全てを里に捧げ尽くせと老人達は言う。
彼ら一人一人が既にそうであるように、と。
三度の大戦をかいくぐってきた老人達を前に、初代の孫姫は彼らを説き伏せられるだけの言葉を持たなかった。
「要するに猫を見つけ出せばいいんだろう!どうせ金に飽かせて珍獣集めの悪趣味な連中さ!いざとなったら岳の国の何とかという村に行て、同じ猫を貰ってくればいいのさ!」
「それがですね、綱手様…」
荒々しく足音を響かせて歩く五代目火影に早足で付き従いながら、猫のような目をした付き人が声を潜める。
「件の猫は国際条例で輸出入が禁止されていまして−−−神山の神聖な猫ということになっているそうです。特別な許可がなくては持ち出しは出来ないそうなんです」
「じゃあ、許可を貰うさ!緊急事態だ!」
「それが、そのう…」
「なんだい、まだるっこしいね!」
ぴしゃりと怒鳴られて、シズネはおずおずと言葉を舌に載せる。
「その許可を出している団体は、抗議文を送ってきた動物愛護団体から多額の献金を受けているそうです」
は?と綱手は後ろを歩く付き人へ振り返った。
「ですから、忍は全ての忍獣との契約を白紙にして彼らを解放すべきだと主張する団体と裏で繋がっているんですよ。彼らを納得させるだけの条件を提示しなければ、許可は得られないと思います。綱手様はカツユとの契約を放棄出来ますか?」
綱手は眉間に険しい皺を刻んだ。
忍にとって、契約した忍獣を失うのは己の手足を失うに等しい。失うだけでも十分に痛手だが、自分の戦い方も術も熟知した忍獣を生きたまま解放するのはあまりに危険だ。他里の忍と新たに契約を結ばれた場合、自分の術の特性も弱点も全てが相手に伝わってしまうだろう。まさに生死に直結する問題なのだ。
「動物は愛護するが、私らには死ねってことかい」
唸るように言って、綱手はうん、うん、と数度頷いた。
「こうして里に落ち着いてみると、いかに忍が世間にとって厄介者なのかがまざまざと分かるねえ」
忍ではない人々は、いかにして忍達の力を削ぐかに躍起になっているようだ。
巷間を流れ流れていた時分には感じたこともなかったのに、皮肉なこった。
綱手は呟いた。
「連中の裏をかいて、猫一匹持ち出すのは簡単なことだろうが−−−」
「不正なルートで入手した保護獣を、火の国の国主に献上というわけにもいきませんね。今度は火の国と岳の国との国際問題になります」
「−−−岳の国へ使節を送ろう。話してみないことには始まらない」
山の神の使いの黄色い猫を、食ってしまったからもう一匹くれと言って、果たして受け入れられるものだろうか。シズネは溜息を飲み込んで口を引き結んだ。
「うぃーしゃーるおーばーかーーーぁああむ」
いのが口ずさむのにサクラは嫌そうに眉を顰めた。
「なに、その歌?」
うぃーしゃーるおーばーかーーーぁああむさーーーーーむでーーぇぇえええい、と繰り返したいのは笑って答えた。
「デモの人達が歌ってるのよ。外国の歌みたいよ?」
結構、耳に残っちゃうのよねえ、といのはまた口ずさむ。
サクラは広いおでこの端を引きつらせる。
「そんな気楽に構えてて良いのかしら」
低く吐き出したサクラの言葉に、いのは片眉を上げて見せた。
「デモなんて、木の葉の忍には馴染みのなかった行動だわ。あの人達は、ちゃんと分かってやっているのかしら」
こんな小さな里で対立が生まれるのが、それを目に見える行動にしてしまっていることが、里の内外に与える影響は自分達が自覚しているより大きいかも知れない。
忍の隠れ里にしては、他里に比べ穏やかで平和的だと言われる木の葉の里だが、それでも多くの矛盾や対立を孕んではいる。だが、外側からは火影を中心にした統制の取れた共同体と見なされている。
「まあ、今までなかったことでも取り入れてみるのはいいんじゃないの?私たち忍にだって権利や主張は認められるべきだし」
「浮き足立って外国の真似事しているだけなんじゃないの」
「じゃあ、サクラは猫一匹のために同胞が殺されてもいいっていうわけ!?」
「違うわよ!」
そうじゃなくて、
「うまく言えないけど、私達は忍なんだから忍らしく、もっと、別のやり方があるはずなのよ」
具体的になにがどうとは言えないけど…と言葉を濁したサクラに、「なるほどねえ」といのは頷いた。
「あんたの言うこと、分かる気がするわ」
「いの…」
こういう時に、サクラはいのを頼もしいと思う。
ただの新しもの好きのミーハーみたいだけど、慎重派のサクラの言うことにも頷いてくれる。
「あんまり騒ぎ立てるな。距離を置いて見てろって、アスマ先生も言ってたしね」
あんたんとこの先生はなんて言ってるの?と訊かれてサクラは肩を竦めた。
「なんにも。いつも通りよ」
「あんたのとこって、今、隊長が二人いるでしょ?どうなってるの?」
「隊長はカカシ先生よ。ヤマト隊長は私達とは別の任務に就いてるし」
ヤマトは受付所で猫の捜索を指揮している。
「まあね。私達に今、出来るのはいつもどおりに任務を受けて遂行していく事よね」
サクラもそれに頷いた。
デモに参加する忍達は、任務もボイコットしている。その分、任務に就く忍の数が少なくなって人手が足りないのだ。
「私は何があっても、五代目を支えるつもりよ」
「もちろん」
少し遅れて医療忍としての修行を始めたいのも、サクラの言葉に大きく頷いた。
出来るだけお互いで情報を交換することを約束して、サクラといのは別れた。