「Pressure Cooker」

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 目標まで1メートル50、着火より七分経過、変化無し。
 イルカは壁に身を隠しながらそっと目標物の様子を見守る。
 銀色の滑らかな胴体、がっしりとした作りの黒い取っ手、内部から響く低い唸り。
 期待と恐れでどきどきとイルカの胸は高鳴る。
 炎に炙られて内部からの音が高くなった。そろそろだろうか。イルカは対象から目を逸らし、壁に凭れてふう、と息を吐いた。
 うまくいきますように。
 心中深く祈る。
 じっと蹲った姿勢で膝に額を押しつけて音が変化するのを待った。
 突然、がちゃりと音がしてイルカは飛び上がるほど驚いた。予想していたのとまったく別の音だったからだ。
「イルカ先生?」
 ひょい、と開いたドアから白い顔が覗いた。
「なにやってんですか?」
 玄関ドアから入ってきたカカシは、台所と居間を繋ぐ引き戸の影に身を潜めているイルカを怪訝そうに見つめていた。
「カカシ先生、それ、」
 咄嗟にイルカは言葉が出なくて口をぱくぱくさせた。同時にプシーーーッと甲高い音が響いた。イルカがぱっと壁に隠れたので、カカシもつられて身を屈めた。
「なんですか?」
「それ、」
 壁から覗いたイルカの手がコンロの上を指差す。
 カカシが屈んだままの低い姿勢から見上げると、コンロの上には真新しい圧力鍋が勢いよく蒸気を噴いていた。吹き出し口に取り付けられた錘が軽快にクルクルと回転する。
「買ったんです」
 壁から半分だけ顔を覗かせて、イルカはニカッと笑った。



「料理の時間も半減するし、ガス代も節約出来るし、料理も美味しくできるし」
 流しの前に立ったイルカが上機嫌で圧力鍋の利点を数える。嬉しそうだ。
「なんで隠れてたんですか?」
 だって、怖いじゃないですか、とイルカは言う。
「爆発しそうで」
 取扱説明書には「圧力鍋は使い方を誤ると大変危険な器具です」と書かれているという。
「前々から欲しいと思ってたんですけど、踏ん切りが付かなくて」
 でも思い切って買っちゃいました、と鼻の頭を掻きながら照れくさそうに言う。
 それで一人で爆発物処理班ごっこをやっていたのか。
 イルカの世界にはささやかな幸せがそこいら中に転がっていて、カカシは驚いてしまう。
「煮魚もこれで作ると骨まで柔らかくなって食べられるんですよ」
 大雑把にざくざくと菜っ葉を刻みながらイルカは得意げについさっき仕入れたらしい知識を披露した。
 鍋一つで嬉し恥ずかし状態だ。
 なんなの、この人。可愛いなあ。
 わきわきする手を伸ばして、カカシは後ろからそっとイルカの腰に腕を回した。一瞬、イルカは身を固くしたが、すぐに体の力を抜く。カカシはその肩口に顎をのせてイルカを腕の中に抱き込んだ。
 くすぐったそうにイルカが喉の奥で笑う。
 イルカ先生とこんな事が出来るようになるなんて夢みたいだなあ、とカカシは感慨に耽る。
 基本的にイルカは男らしい。恋愛に対する考え方もわりと古風だ。だから、カカシはイルカがこんな風に自分を受け入れてくれるとは思わなかった。
 思い切って近づいてみると意外にイルカには柔軟でしたたかなところがあった。
 かさついた心を抱えたカカシをやんわりと受け止めて、快活に笑う。
 ベッドの中でも、だ。
 時々、とても優しい顔をする。そして可愛らしい。
 無防備に差し出される好意が嬉しくて、でももっと欲しくて、カカシはがりがり歯噛みしたいような気持ちになる。そんな優しい顔するなら、全部ちょうだいよ。目の前にぷらんとぶら下げられた肉に食らいつこうと、ぎゃんぎゃん飛び跳ねている犬のような気持ちになる。
 シューーーっと鍋が湯気を吹き上げた。
「そろそろ火を止めてもいいかな」
 背中にカカシを貼り付けさせたまま、イルカはガスコンロの前へ移動して火を止めた。一頻り湯気を噴いて、圧力鍋はまた静かになった。ぐっぐっと低い呻りが中の熱を伝えてくるだけだ。中では圧縮された水蒸気が出口を求めて猛り狂っているのだろう。
「なんか、俺みたい」
 その様子を眺めてカカシは思わず呟いた。
 え?とイルカが身動ぐ。
「こうやって、溜まってくると適度に抜いてもらって」
「な、なに言ってるんですか!」
 イルカが焦った声をあげる。カカシが何を言っているのかわかったようだ。
「ずっと熱を溜め込んでぐらぐらしてる」
 後ろから腰を押しつけるとイルカはびくっと震えて流し台に体をぶつけた。ごん、と鈍い音が台所に響く。カカシはさらにぐいぐいと腰をイルカの尻に押しつけた。鼻を押し当てた首筋からイルカの匂いがしてズボンの中のものが反応してしまいそうになる。それを察知したのか、イルカは流しとカカシの体に挟まれながらジタバタと藻掻いた。
「ちょっと!危ないですよ!コンロの前で!」
 カカシはイルカの腰に回した腕を引いて、イルカをコンロ台から引き剥がした。後ろからしっかりと抱きしめて耳の後ろに鼻を擦りつける。
「あなたとしたいよ」
 切なく囁くと、さあっとイルカの首筋に血の色がのぼった。
「し、してるじゃないですか、いつも…」
「うん。でも、もっと」
 イルカは下唇を噛みしめて俯いてしまう。困っている。この体勢では見えないがぎゅっと眉の間に皺を刻んでいるのだろう。
 夕飯もまだだというのに、盛っている自分に呆れる。
 が、そういう顔をされると、実はカカシはもっとイルカを困らせたくなる。もっと困らせて、戸惑わせて、泣きそうなほど追いつめてみたくなる。
 爽やかで快活で優しくて、そんなイルカの揺るぎなさを崩してやりたくなる。
 正直に言う。
 イルカの嫌がる事をしたい。
 嫌な事をカカシのために我慢してしてくれているところを見たい。
 さらに嫌なはずなのに、カカシにされて感じてくれるところが見たい。
 ああ。俺って男は、しょうもない。
 これが、他里の忍達に恐れられる写輪眼のカカシの考える事だろうか。
 自分はもっと冷めた人間だと思っていたのに、いつからこんなアホな人間になったんだろう。ガキ共のお守りを引き受けたあたりからだろうか。
 アホっていうより、イタイ。
 くノ一の皆さんに知られたら「そんな安っぽいポルノみたいな事を現実に求めるな」と一喝されるに違いない。
「ごめんね」
 そう言って、イルカを解放して宥めてやる。
 イルカはほっとしたように眉間の皺をといて、首を捻ってカカシを黒い目を向けてくる。カカシは目を細めて笑いかけてやる。
「いいんです。待ってますから。こんな風にね」
 カカシは圧力鍋を顎で示した。
「イルカ先生がトロトロになっちゃうの」
 冗談ごかして笑った。
 イルカは流しに手を突いて俯いてしまった。耳を真っ赤にしている。また困らせてしまった。でも、自分のために困るイルカを見るのは好きだ。好きな子をいじめる子供みたいだと思ってふと笑ってしまう。
「………この鍋、買ったのは」
 しばしの沈黙の後、イルカは口を開いた。
「カカシさんが、うちで飯食うようになったから、です」
 そう言うと、イルカは流し台に縋るようにして膝を折った。ずるずると床に座り込んでしまう。
「俺なんて、とっくにトロトロなんだ」
 ちくしょう、と吐き捨てる。
「俺は、本当に、そんなことをするなんて考えた事もなかったんだ。そんなの変だ。おかしい。だけど、あなたとなら、お、れは、」
 喉を詰まらせながら、イルカは掠れた声で告げる。一体、何を言い出すんだ、この人は。
 続く言葉をはっきりと聞きたくて、カカシはイルカの隣にしゃがみ込んだ。
 流し台の下の戸棚に頭をくっつけて、イルカは目を伏せている。並んで、額をくっつけ合ってカカシは「うん、」と先を促した。期待してしまう。イルカもカカシと同じように思っていてくれたら嬉しい。
 イルカは首を捩ってカカシへ目を向けた。
 叱られないかと怯えている子供のような目をして、イルカは言った。
「あなたとだったら、してみたい」
 恥ずかしそうに小さな声でイルカは言った。いつもはきはきと大きな声を出すイルカらしくない。カカシがそう反応するか怖くて仕方がないみたいに睫を震わせている。
 その声を聞いた瞬間に、カカシは笑顔を消した。
 イルカの腕を掴んで立ち上がると、有無を言わせず奥のベッドのある部屋へズカズカと進んだ。
「え?カカシさん…?」
 状況についていけないイルカが問いかけたが、カカシは何も答えず、イルカをベッドに座らせた。そして自分はベッドの脇に立ったまま、額宛をむしり取り、ベストのジッパーを引き下ろして脱ぎ捨てた。濃紺のアンダーに手を掛けた時、イルカが「カカシさん!」と声を上げた。
「あの…今から…?」
 するんですか?とはあけすけすぎて言えないイルカを、カカシは無表情で見下ろした。今、しないでいつするというのだ。
「でも、飯、まだ食ってないし−−−」
 言い掛けた口を噛みつく勢いで塞いだ。閉じる隙を与えず舌を突っ込んで、イルカの口の中を我が物顔で動き回る。きつく吸うと唾液が溢れた。「ふんんぅ…」とイルカが鼻に掛かった声を漏らすのを聞いて頭が熱くなった。
「今は我慢して」
 貪るようにイルカに口づけながらカカシが掠れた声で言った。声に興奮が混じっている。
「でも、今日は、俺、張り切って…」
 言い掛けたイルカの口にカカシはポーチから探った丸薬を放り込む。舌の上で小さな粒を転がすと独特の匂いがする。兵糧丸だ。
 カカシも自分の口に兵糧丸を含んで噛み潰した。
 その口で口づけると、お互いの口の中にくせのある甘みが広がった。
「んん…ちょっと、待っ……」
 立ったままのカカシにのし掛かられて、イルカはベッドに身を沈めた。暗い部屋の中で怯えたように黒い目が光っている。
 イルカは自分を庇うように、無意識にだろう、手足を縮めた。変に幼い仕草だ。その仕草に煽られた。
 縮こまった腕を掴んで広げさせる。体重を掛けると、磔にされたようにイルカの胸が開いた。イルカが短く息を吸った。
「−−−だから、あんた、目の色変わって怖いんだよ!」
 叫ばれて口元が斜めになった。笑ったつもりだが、イルカにはそうは見えなかっただろう。だって、もう、余裕がない。ここまで煮詰めさせたのはイルカなのだから、責任を取ってもらわなければならない。首筋に顔を埋める。柔らかい皮膚をきつく吸い上げると、びくん、とイルカが震えた。きっと、今のは痕が残る。
「やっぱり、飯を食ってから言えばよかった…」
 自分のつけた痕を確かめるように舐めていると、耳元でイルカが呟いた。心底、情けなさそうな声だったので今度は本当に笑ってしまった。
 悔やむのはそこなんだ。大好きだよ、まったく。
「空腹のところを申し訳ないですが、」
 笑いながらカカシは顔を上げて、イルカの額に額をくっつけた。困った顔で眉尻を下げているイルカと至近距離で目が合った。
「先生、しよ」
 カカシが甘えた声で囁くと、少し、イルカの強張りが取れたようだった。
 きゅっと下唇を噛んで、目蓋を震わせると、イルカはこくりと頷いた。


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