たくさん汚してしまった。
「イルカ先生、若いから」
カカシはイルカのべたべたしたものが顔につかないようにゆっくりシャツを脱いだ。イルカは開け放たれた襖の間でばったり倒れている。傍らには半分に折りたたまれてぺしゃんこになった座布団が力なく転がっている。
早い時間から傾れ込んだせいか、時計の針は真夜中までまだ間があった。そんなに気持ちよかったのかと訊きたくなるほどカカシは上機嫌で、汚れた服を洗濯機に放り込み、風呂の準備をしている。
悠然としたものだ。
イルカは情事の度にいいように振り回されて、そこに転がっている座布団と同じくらいくたくたにされてしまう。
生まれた時から忍だったような男は、イルカには理解できないような諦念と貪欲さを抱えてイルカに触れてくる。どこかで何かを突き抜けてしまったような率直さがイルカの羞恥や怒りや戸惑いまで平らげてしまうのだ。
「若いっていったって四歳しか違わないじゃないか」
むくりと身を起こしてイルカは一人ごちた。
イルカがカカシに敵わないのは年齢故の事とは思えない。四年後に自分がカカシのようになっているのかというと、とてもそうは思えない。
手元を探って卓袱台の下で丸まっていたズボンを拾って脚を通す。上着はなぜか部屋の向こうに飛んでいっている。
若いというのは未熟だということだ。
未熟か。そうだな。忍としても教師としても自分は未熟だとイルカは思う。
春が来ると毎年思い惑う。
自分の知らない道筋がまだまだ沢山あるのだろうと白い土塀の向こうに思いを馳せる。
それぞれの道に振り分けられてゆく子供達の行く末を案じて心が乱れる。
「またぼんやりしてる」
はっと顔を上げるとカカシが台所からこちらを見ていた。
「すいません」
思わずイルカは謝った。考えてみれば人が訪ねてきている時に上の空というのも失礼な話だ。気持ちの切り替えが出来ていない。体を重ねる相手だからとカカシには甘えているんじゃないか。
来てくれて嬉しいし、まだ帰って欲しくはない。でも明日の下忍認定試験が気に掛かって仕方ないのだ。
カカシは大股で部屋に入ってくると、イルカの横に腰を下ろした。
「別に謝らなくてもいいですけど」
イルカの剥き出しの肩にカカシがぺたりと頬をくっつけてきた。
「俺、イルカ先生が悩んだり落ち込んだりしてるとこ見るの好きだし」
え、とイルカは固まった。なんてことを言うのだと、まじまじ自分の肩口にある男の顔を見た。上からの角度だと白い睫が意外に長いのが分かる。
やっぱりこの人って変わってる。サドっ気があるんじゃないかと疑っていたが、日常の中でもそんな事を考えていたなんて恐ろしい人だ。
そんな思考がイルカの頭を巡ったが、イルカが何を思ったかなど気にした風もなくカカシは続けた。
「俺は面倒なこととか嫌いなんです。迷ったり遠回りしたり躊躇ったり、そういうの全部省いて手っ取り早く結果だけ出したい質なんですよ」
それじゃあ、さぞかしイルカを見ていたら歯がゆい思いをするだろう。もう一度、すいませんと謝りかけたイルカに、でもねえ、とカカシが言った。
「そういうものがイルカ先生を形作っているのかと思って。あなたを見ていると苦しむことも美徳なのかと思います」
ぺたりとイルカの肌に頬を押し当てたまま首を捻ってカカシは犬のようにイルカを見上げた。
「え、」
イルカの口から小さく漏れた声を吸い取るようにカカシはイルカに口づけた。
「俺はそういう性分じゃあないですけどね」
ぺろりとイルカの唇を舐めてカカシは笑った。
朝夕に毎日通う道を逸れて小路を右左、思いがけない静けさの中、白く長い土塀に沿って歩いてゆけば町衆達の町だ。
イルカは土塀のこちら側に、惑うことも知らないままにすべてを失くしてきたような男と棲んでいる。
「あなたはなんにも知らないんですね」
イルカがそう言うと嬉しそうな顔をする変な男だ。
苦しむことが美徳だというのなら、この男は歩んできた道筋にずいぶんと磨き上げられてきただろう。同じ側に生きていられることをイルカは素直に嬉しく思う。
そして時折、土塀の向こうに棲む人々のことを考える。
土塀の向こう側から届けられる忍具にイルカ達が命を託すことを彼らは知っている。
それぞれの辿る道筋は思案の外。
額宛に打ち出された木の葉の紋はイルカ達の誇りだ。