「コヨーテテキーラ」
彼らの飲み会に飛び入りする羽目になったのはたまたまだった。
仕事が終わって一日分の任務報告書を整理していたら火影に伝令を頼まれた。上忍待機室を覗くと探し人であるアスマ上忍はまだ残っていた。夕日紅、はたけカカシ、 他に数名の上忍達もいた。紅が良い酒が手に入ったから飲み会をしようと盛り上がっているところだった。
「良いところに来たな」
口頭で伝令を伝えた後、アスマはニヤリと笑ってイルカも面子に加えてしまった。受付所以外で接する機会のない上忍達に囲まれるのも息が詰まって固辞したが大きな腕にがっしりと肩を掴まれて本部の建物を後にした。
上忍達はあまりつるまない印象があった。そうでもないのか。自分達と同じように今日みたいな休みの前日にはこんな風に一緒に飲んだりするのだろうか。みんなワクワクした顔つきで月夜の青い道をゾロゾロ歩いて行く。一様に体格とは無関係に気配の薄い連中に取り囲まれてなんだか狐狸の宴会に紛れ込んだような気持ちがした。見回すと少し離れた所を歩いているカカシ上忍と目があった。きゅっと目を細めて笑う姿は月下に銀色の髪と白い肌がぼんやり映えてやっぱり物の怪のようだった。
着いた先は川縁に広い縁台のある茶屋だった。アスマと紅が店主と掛け合って話を決める。縁台を貸し切って、つまみと酒。持ち込みの酒を一本だけ許して貰う。馴染みらしく年寄りの店主は「そんなら私にも飲ませて下さいよ」などと軽口を叩いている。本当に珍しい酒らしい。
四隅の柱から梁に沿って並ぶ提灯に照らされた縁台に思い思いに腰を据え、店の女が盆に運んできた酒やつまみをつついて暫く経った頃、そろそろいいんじゃないか、と誰かの声に紅が袂から大事そうに酒を取り出した。ラベルに花の描かれた丸い瓶、一升ほど大きさだ。それ用に硝子のぐい飲みが配られる。
皆が固唾を呑んで見守る中、きゅ、ぽんと栓を抜いてまず自分の杯を満たすと紅は右手に瓶を回した。それぞれが手酌で酒を注ぐのが流儀らしい。隣に座ったカカシがイルカに瓶を手渡す。オレンジ色の灯りの下で見ると瓶の中の液体は黄みがかった薄い緑色に見えた。確かに珍しい酒だ。イルカも皆に習って自分のぐい飲みに酒を満たして隣に回す。
美味しい〜〜、酒を口に含んだ紅が堪らないといった風にぎゅっと目を閉じる。他の面々も、ああ、これがまた飲めるなんてとしみじみと味わっている。普段、目にする機会のない上忍達のくだけた様子が珍しくてイルカは周囲をきょろきょろ見回した。
「馬鹿みたいでしょ」
隣からの声に目を向けるとカカシが笑っていた。
「いつもこんな風に集まったりしてるんですか?」
「いや、こんな人数が集まることは滅多にないね。よっぽど良い酒なんだね、これ」
口布をずらしたカカシの端正な顔を目の当たりにしてイルカはちょっと驚く。初めて見たわけではないが、目にするたびにイルカは驚く。隠さねばならない顔がこんなに綺麗なのは何かの符丁なのじゃないかととりとめもなく思う。綺麗な顔を月下に晒して微笑むカカシは屋根のない空間で空に放たれたまま消えて行く人々の声と相まって現実味がなかった。
そして手の中のガラスの器を一口舐めて、バタリとカカシは倒れた。
「カ、カカシ先生!?」
「おー、やったやった」
酒瓶を持ったアスマがのしのしとやって来てカカシを見下ろした。
「な、なんなんですか、これ!?」
「まーまー、おまえさんも飲んでみ?」
なんでこんなことに…と問いかけるイルカを無視してアスマがイルカの杯を口元へ寄せてくる。
ちびりと口に含み、イルカもまた床に突っ伏した。ぐわんと世界が揺れた。
食道が消毒されそうにきつい酒。
酔うとか酔わないとかの問題ではなく、衝撃に体が震える。
アスマがニヤニヤと二人を見下ろしている。その横で紅が美味そうに杯を干している。
なんなんだ、この人達。
じん、と指先から痺れるように熱が広がる。アルコール自体ではなくその刺激に誘発された体の反応みたいだ。スイッチが入ったみたいに体がホカホカしてくる。
床に頬を貼りつけたまま、イルカは傍らに伸びている男の顔を見た。白く薄い瞼が作り物みたいだった。
「こいつは味覚も常人以上に研ぎ澄ましているからな」
クックッとアスマが笑う。分かってて飲ませたんじゃあ非道いじゃないか。こういうの見たことあるぞ。近所の親爺が面白がって犬に酒を飲ませていた。犬が息を荒くして地面に喉を擦りつけるのを見て笑っていた。
憤るイルカの顔に気がついたのかアスマが身を屈めるようにして覗き込んできた。
「幸せな心地だろ?」
確かに全身が活性化されたみたいに温かくて、なのに指一本動かせない。不思議な心地。
「最初はみんなぶっ倒れるんだと」
二回目からはマシになるらしい。なんかヤバイ成分が入ってるんじゃないんだろうか。この酒を飲んだ人間のうち千人に一人くらいは死んでるような気がする。
滅多に手に入らないお酒なのよ、と紅が極上の微笑みで言う。ああ、今日も美しい夕日上忍。
「慣れといた方がいいわよ。口を割らせるために使われる薬と同じ成分が入ってるから」
ああ、やっぱりそういう。ろくでもない…。
「うふふー。動けないんだー」
嬉しそうに紅が指先で背中をなぞり上げる。ぎゃあ、やめて!心の中で叫ぶが声が出ない。これって市販していいような酒なんだろうか。女の子に飲ませたりしたら大変な事になるんじゃないか。
目だけで必死に訴えるイルカに気付いてますます紅は上機嫌になる。なんか自白させてみよっかな、とか恐ろしいことを言う。
「折角、手に入れたんだもんねえ。大変だったのよう。密造酒だから関所も通せないし」
そんなもん、なんでわざわざ取り寄せるんだー!
癖になるんだよなあ、とアスマが言う。苦いような甘いような、ハッカみたいな味がした。砂の国の蘭の一種から作る酒だという。
「砂の国に行くとみんな覚えて帰って来ちゃうのよね」
嘆かわしい。
「カカシは飲んだことなかったのね」
目の前の無防備に晒された白い顔に注がれる視線がいたたまれなくてイルカは目を伏せた。見ないでやってほしい。なぜだかそう思った。
イルカの気持ちを汲んだように紅は他の連中に話しかけに立った。
「人の心配してる場合じゃないんじゃないか?」
残ったアスマがんー?と太い指でイルカの耳の裏側を擽った。
うわ、うわ、うわ、感覚が鈍っているせいで変な感じがする。
上忍先生方ってどうなってるんですか、ちょっと!目を閉じたままの人に心の中で訴えるけれどぴくりとも反応を返さない。
「おお、やっているな諸君!」
向こうから聞き覚えのある熱い声が聞こえてきた。
「来たな」
ニヤリと笑ってアスマも向こうへ移動した。首を動かすことも出来ないから姿は確認できないがガイも来たようだった。輪の中へ招いて皆がしきりに酒を勧める声が聞こえてくる。
ああ、ダメですよ、ガイ先生。その酒は…
バタリ。
盛大に倒れる音が床に響いてわっと声が上がった。
ああああ、ガイ先生まで…。
「ふっふっふっ」
空気を震わすような微かな笑い声に目を向けると、カカシが目を開いていた。グレイがかった蒼い眼がとろりとこちらに視線を流す。
口元がにんまりと緩んでいる。
酔っているのだろうか。つられてイルカも微笑んだ。
ふわふわして心地良い。
紅がガイを誘導尋問している声が聞こえてくる。ひどいなあ、と思いながらどうでもよくなってしまう。
騒ぎを遠くに聞きながらいうことを聞いてくれない体を放り出して、互いを間近にじっと目線だけを絡めていた。
二人を撫でる蜻蛉のような月の光。
翌日、不思議にスッキリとした気持ちで目が覚めた。
癖の強そうな酒だったから後に残るかと思ったが良い酒はやっぱり違うらしい。
あんまりすっきりしているから昨夜の事が夢みたいに思えた。
休み明けに受付所でアスマに会った。
面白かったなあ、ガイの奴が。と笑っている。やっぱり上忍連中は魑魅魍魎に違いない。
「コヨーテっていうんだ。向こうの言葉で犬神のことなんだってよ」
狼も倒れる酒。
目を閉じた作り物のような白い貌を思い出してイルカはなんだか納得した。