「上忍式中忍式〜中忍の逆襲〜」
上忍式
カカシの訓戒の賜か、イルカはカカシにはきちんと自分の欲しい物を伝えるようになった。
訓戒というか、かなりの実力行使だったような気もしないでもない。
あの翌日のイルカは陰鬱な顔をして押し黙っていたかと思うと、突然真っ赤になって「うおぅ!」とか叫んでゴロゴロ床を転げ回ったり、それであらぬ所が痛んだのか低く呻いて丸まったり、最後には「俺は十の歳から一人でなんでもやってきて…」と問わず語りに語ってはさめざめ泣いたり忙しそうだった。
カカシは身も心も満たされた後だったので、初めてイルカの家にお泊まりした次の日もこんな風だったなあなどと思い出しながらにこにこ見守っていた。そのご機嫌な面が気に入らないといってイルカはまた「うがー!」とか「シャー!」とか吠えていた。面白い人だ。
でも触れようと伸ばした手を振り払われるのはいただけない。昨夜、さんざん触りまくってるのに今更じゃないかと言うとイルカは真っ赤になって「こんな昼日中からそんな話をしないでください!」と言う。
「俺が欲しいってキューキュー仔犬みたいに鳴いてたくせに」
嘯いたカカシにイルカは絶句し、
「あんな俺は本当の俺じゃないんだー!!」
と叫んだ。
聞き捨てならない言葉だ。
本当のイルカがどんなものかカカシは是非知っておかねばならないと思ったので、その日は一日掛けて本当のイルカとやらを探求させてもらった。やっぱりイルカはキューキュー鳴いていた。
それが先週の日曜日。
「イルカせんせ〜い、どれがいいですか〜?」
そのせいかカカシがそう言うとイルカの背筋はビッと伸びる。
「はい!俺は南瓜がいいです!」
いつもハキハキした人だが殊更滑舌よく、まるで任務の報告をするようにしっかりと答えるようになった。
今日は土曜日で半ドンだったので演習場で七班の修行をみてやってから、イルカをアカデミーまで迎えに来た。帰る道すがら木の葉茶通りにお焼きの屋台が出ていたから昼飯代わりに食っていこうということになった。
「一個じゃ足りないでしょ」
「そうですね」
三個くらいかなあ、カカシの言葉にイルカは身を屈めて本格的に屋台のお焼きを吟味し始める。三個買うと少しお得になるのだ。
「カカシ先生は茄子が好きですよね」
茄子のお焼きを選んだカカシにイルカが言った。
「そういえばそうですかね」
夏から秋にかけて安いせいかやたら食堂のメニューに出る。暗部時代、カカシにとっての温かい食事とはすなわち本部の食堂のメニューだったから茄子は美味い物と頭にインプットされてしまったのかもしれない。
肯定したカカシに、イルカは「やっぱり」と嬉しそうに笑った。
可愛い人だよなあ。俺の好きな物とか知りたいんだ。
実際のところ、カカシはあまり味にはうるさい方ではない。栄養バランスさえとれていればあまり味には拘らない。前線での生活が長かったせいか凝った料理とかあまり知らないし。
それより今、カカシが腐心しているのは如何に「うみのイルカ」という人間を美味しく戴くかということだ。
なんせ、生まれて二十六年目にしてお目にかかったとっておきのご馳走だ。上にかかっているクリームだけ舐めてみたり、いきなり最初にイチゴを食べたり、下のスポンジ生地から攻めてみるとか、大好きなケーキを目の前にした子供が惜しみながら最大限に味わおうとしているみたいなことをカカシもやっている。
今日のお題は帰り道デートだ。子供みたいに一緒に買い食いするのが面白い。端から見ればもっさいのと胡散臭いのが並んでなんか食ってんなあ、くらいだろうがカカシにとっては貴重な時間だ。できれば手とか繋いでみたいが流石に自分でも、それってどうよ、という気がする。土曜の午後のことで、アカデミー生はその辺をちょろちょろしているし、本部勤めのイルカには同僚も多い。毎日顔を合わせる相手にそんなところを見られてはイルカは気まずいだろう。
イルカが望むなら周囲がどんなに引こうが構わず手を繋ぐが、イルカは別に自分と手なんか繋いで歩きたくはなさそうだ。
この間からどうも警戒されているようだが、本当にイルカが困ることはカカシはしないのだ。ただ、イルカが望むことをきちんと言って欲しいだけだ。
中忍式
「あ、イルカ先生だコレ!」
お焼きを買って公園へ行きベンチに腰掛けた。途中で買ったお茶を開けてさあ、食べようかとしたら、公園の向こうからちびっ子の声がした。と思ったら「イルカ先生〜!」と聞き覚えのある声も聞こえてきた。昼前に別れた部下の一人だ。お孫様とナルトが連れ立って駆けてくる。
「おう、木の葉丸!ナルト!」
イルカが一瞬で教師の顔つきになる。謹厳実直で裏表のない男と評判のイルカだが身近に接するようになると彼がいくつもの顔を使い分けているのがよく分かる。今は良き教師で良き兄、良き父、といった顔つきだ。さっきまではもうちょっとあまやかな顔をしていた。そのギャップにときめいてしまう。
イルカが笑いかけるとナルト達は犬ころのようにはしゃいだ様子になる。だが、隣にカカシが座っているのに目を向け、ナルトは怪訝そうな顔をした。
「なんでカカシ先生がいるんだってばよ?」
それは俺たちがおつき合いしているからデース。
心の中だけで答えてカカシは無言のままイルカへ視線を向けた。ナルトへの説明はイルカに任せた方がいいだろう。イルカはカカシの態度から意向を読み取ったらしく、ナルトに「帰りが一緒になったから飯でも食おうかと思って」と無難な答えを返した。
ふーん、と気のない返事を返しつつ、内心、何か自分のことを話してたんじゃないかと心配らしくナルトはそわそわし始めた。イルカがぷっと笑ってナルトのほっぺたを引っ張った。
「別にお前達にどんな教育をしたんだ、とか苛められてないから安心しろ」
「そ、そっか」
ナルトが頭を掻いて笑う。ナルトがイルカに話す任務話の中ではいつも自分が大活躍した事になってるらしい。いつもサスケに助けられてドベドベ言われては喧嘩していることは黙っといてやるか。イルカ先生はお見通しだろうけど。
「なんだコレ?変わった大判焼きだなコレ」
イルカの膝の上のお焼きの包みを木の葉丸が不思議そうに覗き込んだ。
「木の葉丸はお焼き食べたことないのか?」
なにそれ?とナルトも首を傾げた。でもいい匂いがするらしく、くんくんと鼻を鳴らして顔を寄せてくる。
「食べてみるか?」
イルカが包みを二人に差し出した。
「え、いいよ、先生のお昼だろ」
三個しかないのに二人が食べたら一個しか残らない。
「じゃあ、一個を二人で半分こな」
珍しく遠慮したナルトにイルカは鷹揚に言う。どれがいい?と訊かれてもじもじしながらナルトと木の葉丸は一つを選んだ。生地からオレンジ色の餡が顔を出している南瓜のお焼きだ。
あ、それはイルカ先生が食べたかったやつじゃないのかな。
どれがいいかと尋ねられて真っ先に答えたのが南瓜だったのに、惜しそうな顔も見せずにイルカは南瓜のお焼きをナルトに渡した。ナルトが半分に割って片方を木の葉丸に渡した。イルカは半円の暖かい食べ物に子供二人が食いつくのを優しい眼差しで見守っている。
そんなイルカを見ていてカカシは奇妙な気持ちになった。
もしかして自分はイルカという人間の真価を見失っていたのかもしれない。
この、おまえのためならなんだってくれてやるさ、と言わんばかりの男らしくも慈愛に溢れた姿こそイルカの最大の魅力なのではなかったか。
「うえ!?これ南瓜!?」
「南瓜だコレ」
もぐもぐと食い続ける木の葉丸の横でナルトが「うえぇぇぇ、野菜食っちゃったってばよ〜」と口元を押さえている。イルカがしてやったりと笑い声を立てる。
「他のはあからさまに葱とか野沢菜だったから避けたのに〜」
「これならお前も野菜食べられるだろ」
ニシシ、と悪戯が成功した子供みたいな顔でイルカが笑う。ム〜、と膨れながらナルトはお焼きを三口ほどで口に入れてしまった。
「パンプキンパイと同じだろ」
イルカの声にナルトは納得できない顔つきのままこっくりと頷いた。本当に野菜が嫌いなんだな、こいつ。でもイルカ先生に貰った物は残せないもんな。木の葉丸の手前もあるし。むぐむぐと無理矢理咀嚼してナルトは南瓜味のお焼きを飲み込んだ。
「野菜食わないとだめだぞー」
イルカの声にうーい、と低く手を振り答えながらナルトは木の葉丸を連れて公園を出て行った。
「ははは、あいつときたら…」
可笑しそうにイルカは笑った。もう、可愛くって仕方がないという様子だ。それを聞きながらカカシは先ほどから胸の内に蟠るものをどうしていいのか分からずにいた。色んなイルカを見せてもらった。自分しか知らないイルカの顔だってあるだろう。だのに不覚にも子供達が羨ましいと思ってしまった。
その気持ちをどう表現したらいいのか分からずにカカシはじっとイルカの顔を見た。彼らと同じものをイルカから貰いたい。でもそういう時になんと言って強請ればいいのかカカシは知らない。「そんなはした金で俺を使えると思ってんの?」そんな言葉で自分の値を釣り上げ、相手に縋らせるのは得意なのに、自分から欲しがる事は苦手だ。
言葉にならず、カカシは困ったように目を細めて笑顔を作った。
イルカが驚いたように目を見開く。
俯いて「あんたは…」と呟くと手早くお焼きを包み直し、お茶にも蓋をして片手にまとめるとカカシの手を握って立ち上がった。
あれ?あれ?イルカ先生?
呆気にとられるカカシの手を引いてイルカは土曜の午後の人の多い公園を突っ切ってゆく。握られた掌が熱い。イルカの大きな手がしっかりカカシの手甲をはめたままの手を握っている。上忍の手を握ってずかずか歩いていく中忍の姿に道行く人が驚いたように目を向ける。
当然のようにイルカはカカシを自分のアパートに連れ込んだ。玄関ドアの鍵を開く時だけ手を離した。でもドアを開けるとすぐまたカカシの手を握って部屋の中に引き込み、背後でドアが閉まるとそのまま振り返ったイルカにカカシはドアに押しつけられた。
イルカの大きな温かい手がカカシの頬を包み込むようにして覆面を引き下ろし、少しだけ背伸びしたイルカがちゅ、とカカシの唇にキスをくれた。
ぽかんと見下ろしたカカシをイルカは真っ赤な顔で見上げている。眉間に皺が寄っているのは照れ隠しだろう。
「なんで俺のして欲しいことが分かったの?」
まだ握ったままの手を揺すってカカシが問うとイルカは笑った。
「言わなくったって」
顔に書いてありますよ、と。