『特別な休暇』
最初はちょっとした悪戯のつもりだった。
マルセルの花壇の花をうっかり踏んでしまったのを言いつけられて叱られたのだ。
「わざとやったんじゃねーのに」
確かにエアバイクで人の家の庭先に突っ込んだのはまずかったかもしれないが。
「なんでマルセルの花壇なのにあいつに怒られなきゃなんないんだよ」
ゼフェルは唇を尖らせてドカドカと日の曜日の庭園への道を歩いていた。
「いつもいつもうるせぇったらねーぜ」
聖地に連れて来られて以来、教育係のルヴァには数えきれない程お説教をく
らってきた。悪いのは自分なのだがそれが分かっているからこそ気に食わない。
----ルヴァなんてルヴァなんてルヴァなんて・・・
「おやぁ〜、ゼフェル様やないか。仏頂面してどないしたん?」
公園の前を通り掛かった時、気の抜ける声で呼び止められてゼフェルは振り
返った。丸メガネのイカレた格好の青年がニコニコと手を振っている。
「あんたかよ」
「お暇やったら見てったって〜、ええもんそろうとるで」
ジャーンっと縁台のうえに並べられた品物はなんなんだか、よく分からない
ものばかりだ。ジュリアスがここで買ったコーヒーカップを女王候補にプレゼ
ントされて喜んだというからそれなりに品は良いのだろうが、その種の鑑識眼
なぞ持ち合わせていないゼフェルには一山いくらのまがい物とも区別がつかな
い。
「今日はタバスコは置いてないんやけど代わりに・・・」
謎の商人は奥の棚からきれいな陶製の小瓶を持ち出してきてゼフェルに見せた。
「なんだ、これ?」
「主星を遥か数万光年、アプディダブティ星系の姫宮達に愛された猫と狼の永
遠なる追いかけっこ、太陽と月の巡るがごとく、吹く風に時は帰らず、裸足で
渡る星の川・・・」
「意味のわかんねぇ口上はいいからよ、なんなんだよそれ」
「せっかちなお客さんやなぁ」
商品にはそれぞれ紹介の仕方っちゅうもんがなぁ、とかなんとか呟きつつ商人
はコホンと咳払いを一つして、
「幻のスパイスや」
「幻のスパイスぅ?」
「そや、遥か彼方の星系の辺境の熱帯の惑星の、これまた小さな島国でだけ採
れる植物から抽出されたスパイスの中のスパイス、スパイスの王様や」
「ふーん」
「あっ、開けたらあかん!」
ゼフェルが蓋を開けたとたん小瓶の中から強烈な匂いが漂った。
「ううぐへっ、べほっべほっ〜〜〜〜〜〜〜・・・なんだ、こりゃぁ」
眼に染みるほど凄まじい匂いに咳き込んでゼフェルは危うく小瓶を取り落とし
そうになった。
「げほっげほっ・・・幻のスパイスはめったに蓋を取っていいようなものやな
いんや」
「じゃあ、使えねーじゃねぇか」
あほくさ、とその場を立ち去ろうとした時、不意にゼフェルは一つの悪巧みを
思い付いた。
「おい、それ、買ってやる」
「ええ?ほんま?じゃあ、これは特別な商品やから力三個分いただくで」
「あほか、こんなもん他に誰が買うっていうんだよ」
まだ眼に涙を滲ませている商人をああだこうだと丸め込み、結局力二個分でゼ
フェルは怪し気なスパイスを手に入れた。
準備は万端整った。
ゼフェルは満足げに机の上を見渡した。ルヴァの好きな煎餅に羊羹、緑茶、
お湯はもうポットに沸いている。そして、小瓶に入った怪し気なスパイス。
「見てろよ、おっさん」
クックックッと忍び笑いを漏らしつつ、ゼフェルは招いた客が来るのを待った。
「こんにちはー、ゼフェル」
ルヴァはいつも通り分厚い本を小脇に抱え、のほほんとした笑顔でやって来た。
「よう、入れよ」
普段は工具や作りかけのロボットの部品が転がっている机が、今日はきれいに
片付けられお茶の用意がされている。
「あなたがお茶に呼んでくれるなんて珍しいですねえ」
ルヴァの家にゼフェルがお茶に立ち寄るのはいつもの事だが、その逆はまずな
い。
「な、なんだよ、俺が呼んだらわるいのかよ!」
「いえいえ、そんなことはないんですよー、ただいつもはもてなす方なので。
でも呼んでいただけてとても嬉しいですよー」
ゼフェルの悪巧みなど知らないルヴァは本心からそう言った。この前、きつ
く叱ったばかりなので二、三日は拗ねて顔を合わせようとしないだろうと思っ
ていたのに。
----ゼフェルも大人になってくれたんですねー
そう思うと教育係としては嬉しいかぎりだ。
「珍しいお茶が手に入ったんだよ」
ルヴァに椅子をすすめてゼフェルはいよいよお茶を煎れる準備に取り掛かった。
「あの−、ゼフェル?」
「なんだよ」
「その・・・マスクは一体・・・?」
「本格的にお茶を入れる時は、マスクは必需品なんだよ」
「そうですか・・・ではそのゴーグルも?」
「当ったり前だろ!なんにも知らねーんだな」
「あーすみません、勉強不足で・・・」
マスクとゴーグルをはめた異様な出で立ちでゼフェルは例の小瓶を手にとった。
蓋を開け、お茶の葉の入ったポットにたっぷりと褐色の粉末を注ぎ込んだ。
「げほっげほっげほっ・・・ゼ、ゼフェル、それは一体?」
「スパイスティーだよ、アンタブタ星系の姫が飼ってる猫が涙流して喜ぶシロ
モンなんだとよ。あんたの為に取り寄せたんだぜ」
「ははぁ・・・」
よく分からないままルヴァは差し出されたカップの中のえもいわれぬアオミ
ドロ色の液体を覗き込んだ。立ち上る異様な刺激臭のする湯気で涙が滲んでく
る。
「飲めよ」
「・・・・・」
およそ体内に入れていいものとは思われない液体に、しかしルヴァは意を決し
て口をつけた。折角のゼフェルの好意を無には出来ない。
ごくん。
「げっ」
さすがに作ってるうちにこれは飲めねーなぁ、と思いはじめていたゼフェルは
仰天した。
「の、飲んだ!?」
「はい」
みるみるうちにルヴァの頬に赤みがさした。
「だ、大丈夫なのか?」
「美味しいです」
「は?」
「いや、ほんとに、匂いからは想像もつかないまろやかな口当たりですねー」
「嘘つけ!こんなもん旨いわけねーだろ!!」
自分ですすめておいてそれはないだろうに。しかしルヴァはそんな事は気にし
た様子もなく、ゴクゴクとカップの液体を飲み干した。
「もう一杯いいですか?」
「勝手にしろ!」
当てが外れてしまってゼフェルは面白くない。うむうむ、と異様な液体を味
わっているルヴァを放って地下室の作業場へ篭ってしまった。
夕方、ゼフェルが地下室から出てくると部屋には人の気配がなかった。
「ルヴァのやつ、帰ったのかな」
机のうえに出しっ放しになった煎餅を一つ摘んで、首を傾げる。律儀なルヴァ
が挨拶もしないで帰ってしまったのだろうか。
「うわっ!?」
何かに躓いてゼフェルは転んだ。
「おっさん!こんな所で寝るなよ!」
机の下に転がっていた人物の足に躓いたのだ。
「おい!」
深緑の長衣がもぞもぞと動いて彼は起き上がった。その人物を見てゼフェルは
愕然とした。青みを帯びた濃い色の髪の小さな少年は、銀灰色の利発そうな眼
をしばたいて言った。
「ええと、ここはどこなんでしょうか?」