「ル、ルヴァ?」
恐る恐る部屋の中を見回してゼフェルは呼んでみた。
少年がきょとんとして答える。
「はい?」
「ルヴァ!」
「はい?」
「おめーじゃねぇよ!」
怒鳴りつけられて少年はビクリと身を竦ませた。
「デカイやつだよ、お前みたいなチビじゃなくておっさん・・・」
言いながらゼフェルは信じられなかった。目の前の少年は髪の色も瞳の色も顔
立もルヴァそっくりで、それより何より宇宙でたった一人しか持たないはずの
地の守護聖のサクリアがこの少年からは感じられた。つまり、それは少年がル
ヴァ本人であるという何よりの証で・・・。
「・・・嘘だろ」
ゼフェルは頭を抱えた。
「あんのインチキ野郎!!!」
ゼフェルは凄まじい勢いで公園へと走った。
----怪しいもんばっか売り付けやがって・・・!
「おい!!!」
いつも店をだしている庭園の中央の広場に、しかし商人の姿は既になかった。
とっくに営業時間は終了していたのだ。夕闇の迫る庭園で、呆然と立ち尽くす
ゼフェルに後ろからか細い声が呼び掛けた。
「あ、あのー・・・」
見れば小さなルヴァが、ダブダブの長衣で必死で後を追って来たのだろう、息
を切らせて立っている。
「ここは一体どこなのでしょうか?あの、あなたは・・・?」
「・・・・・」
ゼフェルは混乱する頭で考えた。ルヴァがこんな事になってしまったなんて、
自分の飲ませたお茶のせいでだ、他の連中に知れたら、特にジュリアスなんか
に知られた日にはとんでもなく怒られるに決まっている。それはなんとしても
避けたい。できれば誰にも知られずに、秘密裏にこの問題をクリアしたい。
(来週になればあいつはまたここで店をだすはずだ)
なら、この一週間をのりきればいいのだ。幸い、ルヴァ自身は何が起こったの
か把握していないようだし。
「うん、よしよし」
一人で納得すると、ゼフェルは小さなルヴァに向かって言った。
「俺はゼフェルだ。ここは聖地。お前はしばらく俺と一緒にここで暮らすんだ」
「え・・・?で、でも何故ですか?どうしていきなりこんな所に・・・?」
どうやら記憶まで退行してしまったらしいルヴァはおろおろと不安げにゼフェ
ルを見上げる。
「なぜでもどうしてでもそうなんだよ!」
「で、でもそんな・・・だって物事には必ず原因と結果があってですねー・・
・」
「おめー、そんなガキのうちからそういうまどろっこしい事言ってやがったの
か」
でも、と尚も言い募ろうとするルヴァにゼフェルは尋ねた。
「お前いくつだ?」
「え?えーと、先日九つになりました」
「9才、ね」
ルヴァが守護聖に就任したのが15歳の時だと言っていたから、まだ故郷の星で
暮らしていた頃だ。
「一週間経ったら帰してやる。大丈夫だって、そんな顔すんな!」
ポン、と小さなルヴァ肩を叩いてゼフェルは言った。
「はぁ」
呆然としたまま少年ルヴァはトボトボとゼフェル後について見知らぬ美しい
聖地の道を歩いたのだった。
「欠勤?」
光を司る守護聖は整った面を訝し気にしかめて、地の守護聖の館からの使者
を見やった。
「はい、昨夕ゼフェル様からルヴァ様のお加減が悪いのでしばらくゼフェル様
の私邸にご逗留為さると連絡がございまして」
「館に帰れないほど悪いのか?」
「はあ、過労ではないかとゼフェル様は仰っておりました。環境を変えて休ま
せた方がよろしいのでは、と」
「わかった、退ってよい」
日頃勤勉なルヴァが女王試験の真っ最中に欠勤するなど、普通なら考えられ
ないことだ。
しかも、私邸に帰りもせずゼフェルの所に逗留など。
----・・・あのゼフェルの看病?ますます悪くなりそうだな。
ついそう考えてしまった自分を自分で諌め、ジュリアスは肩で溜息をついた。
----試験に影響しなければいいが・・・
ルヴァの身を案じつつ、首座の守護聖としての責任感からそう考えずにはい
られなかった。
寝覚めの悪い夢を見たような気がする。ルヴァは毛布にくるまったままぼん
やりと見知らぬ天井を見上げていた。寝不足で頭が重い。寝床がいつもと違う
せいだ。そう、おかしな夢を見た。銀の髪の少年が出てきた。見たこともない
赤い瞳をしていた。
----起きなくっちゃ
もう九つにもなったのだから一人で起きれないと大好きな祖父に呆れられる。
弟を起こしてやるのも自分の役目だ。
----だけど
いつも聞こえる風の音がどうして今朝は聞こえないんだろう。
「おう、起きたか?」
バン、と大きな音をさせて扉から現れた少年の姿にルヴァは一気に目が覚めて
しまった。
「朝飯食うだろ?」
「・・・夢じゃない・・・?」
辺りを見回してようやく自分の置かれた状況を飲み込む。石と漆喰で出来た
簡素な自分の家とは違う見たこともないつくりの部屋。床も壁もルヴァの知識
にない材質で出来ている。
「目玉焼き、ちょっと焦げちまった。我慢しろよ」
きょろきょろと部屋を見回しているルヴァにゼフェルは言った。ゼフェルは
私邸付きの使用人達に世話を焼かれるのを嫌って、必要以上に彼等を邸には立
ち入らせないようにしていた。今回はそれが幸いして他の人間にルヴァの身に
起こったことを知られずに済んでいる。その代わりにルヴァはゼフェルの作っ
た焦付いた目玉焼きを食べる羽目になったのだが。
「その格好もなんとかしねーとな」
とりあえず昨夜ルヴァはベストと長衣を脱いでシャツのまま寝たのだが、それ
にしたってダブダブなことに変わりはない。
「俺の昔着てたやつがどっかにあったと思うんだけど・・・おい、せっかく作っ
たんだから食えよ」
「あ、は、はい」
ゆうにゼフェルの3倍の時間をかけて食事を済ませたルヴァに、ゼフェルは納
戸の奥に仕舞ってあった自分の昔の服を引っぱり出して渡した。
「とりあえずこれ着てろよ。ちょっとデケーけどそれよりはマシだろ」
「はあ」
ゼフェルの膝上までのぴったりしたスパッツは今のルヴァには膝下に届くダ
ブダブのズボンだった。上に着たTシャツは腰まですっぽり被ってしまう。その
頭にはこれだけは外せないターバンがグルグル巻かれている。
「うん、おめーいつもズルズルの着てっから丁度いいんじゃねーの?」
またゼフェルは適当な事を言うが、そこは小さくてもルヴァなので「そうです
かー」とあっさり納得してしまった。自分がいつも着ている防砂マントより随
分動きやすいのも気に入った。
着心地を確かめるようにトコトコと歩いてみて、机の上に並べたままの食器
に気が付いてルヴァは片付けようと手を伸ばした。
「ああ、それはほっといていいんだ」
「え?」
「こいつがやるから」
ゼフェルの合図でキッチンからお手伝いロボットが姿を現した。ゼフェルの
苦心の作であるロボットは器用に食器を自分の腕に重ねて乗せると、またキッ
チンへと運んでいった。
「ええええええ〜〜〜!?」
ルヴァは目を真ん丸くしてロボットの後を追った。ロボットが食器洗い機に食
器を入れるとセンサーがそれを感知して食器洗い機の蓋が閉まり自動で運転を
始める。
「なんですか、なんですか、なんですか、これはーーー!?」
「俺が作ったんだよ」
ゼフェルの言葉にルヴァは信じられないという顔をする。
「じゃ、作るところ見せてやるよ」
普段は製作中は気が散ると言って作業場に人を入れないのだが、えー?とか
うわー!とか感歎符だらけになるルヴァにゼフェルも悪い気はしなかった。
小さなルヴァとの生活は悪くなかった。
年令の割にルヴァはしっかりしていて素直で聞き分けも良かった。時々妙に
抹香臭い事を言うのは大人の時と変わらなかったが、説教がないのは本当にあ
りがたい。相手を出来ない時には本を与えておけば何時間でも夢中で読んでい
るし、愚図ったり我が侭を言う事もなかった。
ガキのお守なんてまっぴらと言いつつゼフェルは故郷にいた頃から近所の悪
ガキ達の相手をよくしてやっていたものだが、こんなに聞き分けのいい子供は
初めてだった。そのかわり、うすらぼんやりしていることが多いからそれで丁
度いいのだろうか。
「マルセルなんかよりよっぽど扱いやすいよなー」
おまけにゼフェルの作ったロボットにすっかり感心してしまったルヴァに尊
敬の眼差しで見上げられるのはとんでもなく気分がよかった。
「ゼフェルさんて物知りなんですねー」
あのルヴァにそんなことを言われてゼフェルは愉快でしょうがない。ルヴァ
が感心するゼフェルの知識はほとんどが当のルヴァに教えられたものだったの
だが。
「なー、おめーの父ちゃん母ちゃんてどんなだった?」
ルヴァと二人でリビングの床に転がって夜更かししながらクッキーを齧るな
んていつもなら考えられない状況でゼフェルは隣でソファに寄り掛かっている
少年に尋ねた。
「父も母も立派な人です」
眠た気に目を閉じかけていたルヴァは話し掛けられてはっとゼフェルを振り返っ
た。
「ええと」
自分の家族の話題を振られたのが嬉しかったのかルヴァは一生懸命話を続けた。
「私の家は代々学者の家なんです。祖父も学者です。私も父や祖父のように学
者になりたいと思ってるんです」
そして、ルヴァは自分の住む小さなオアシスの村のことを語り出した。時々
父につれられて行く遺跡の事、遺跡で拾い集めた土器の破片を宝物にしている
事、時折現れる彼方の蜃気楼の事、ゼフェルが既に聞いた話もあったが初めて
聞く話もあった。
「母は私がのんびりしすぎていて心配だと言うんですけど・・・」
母親の事を思い出したのか、ルヴァは少し寂しそうに眉を曇らせた。見ず知
らずの土地でわけも分からずいきなり知らない人間と暮らす事になったのだか
ら無理もない。ゼフェルは自分が聖地へ連れてこられた当時の事を思い出し少
し胸が痛んだ。
「一週間なんてすぐだよ、あと4日かそこらだろ!」
「そうですねー」
ぶっきらぼうなゼフェルの慰めにルヴァはにこり、と笑った。
「ゼフェルさんの御両親はどうなさっているのですか?」
「え・・・?」
急に自分に話を振られてゼフェルは言葉に詰まった。
「テキトーにやってるんじゃねーの」
「テキトー・・・ですか?」
「んー、まーいいじゃねーか。それより俺に‘さん’なんてつけなくていーよ」
「あー、わかりました」
幼いなりに聞いてはいけないことだと感じたのか、それきりルヴァはゼフェ
ルに家族の事は聞かなかった。
「なんだ、おめーかよ」
呼び鈴の音にドアを開けると栗色の髪の少女がバスケットを提げて立ってい
た。面倒そうにゼフェルはガリガリと頭を掻いた。
「 あの、私、ルヴァ様のお見舞いに」
「いらねーよ。そんな事よりおめーには他にやることあるんだろー」
「でもルヴァ様、もう三日も・・・」
「だから面会謝絶なんだよ。ジュリアスから聞いてねーのか?」
ジュリアスの遣いはルヴァの欠勤を伝えてからすぐにやって来た。ルヴァの
様子を見に来たのだが、もちろんあんなルヴァに会わせるわけにはいかないの
でランチャー搭載篭城用ディフェンダーロボで追い払った。
「そんなにお悪いんですか?」
「んー、まーな」
「じゃあ、やっぱりきちんと検査なさった方がいいんじゃないですか?!」
「え!いや、それは・・・」
思わぬ突っ込みにゼフェルは慌てた。
「お医者様には診て頂いたんですか?お薬は?」
愛らしい大きな瞳を心配げに潤ませて少女はゼフェルに畳み掛ける。
「そんなすごい病気じゃないんだって!ただ・・・そう、麻疹とか風疹とかお
たふく風邪とか、まぁ、そんなようなもんでー・・・」
「麻疹、風疹、おたふく風邪・・・?」
「そーそー、下手に他人に感染すとやばいだろー。それに今あいつとても人前
に出られるような顔じゃないんだよ」
我ながらいい言い逃れだ。年頃の女の子がそんな面の男を好き好んで見たが
るわけはない。そう考えたゼフェルの思惑とは裏腹に少女は言った。
「私、麻疹も風疹もおたふく風邪ももう済ませてますから大丈夫です!顔なん
て気にしませんから」
「おめーが気にしなくてもこっちが気にするんだよ!」
----だぁぁぁぁ、なんだって女ってのはこう聞き分けが悪いんだ!!
「どうせ会ったってあいつは育成も妨害も出来ねーんだよ!サクリアの使えねー
守護聖なんておめーには用がないだろ!」
感情に任せて叫んでしまってから、ゼフェルはしまった、と思った。目の前
の少女の顔がひどく傷付いたように強張ったからだ。少女は言葉に詰まってし
ばし俯いていたが、手に提げたバスケットをゼフェルに差し出すと
「これルヴァ様に・・・」
それだけ言って踵を返した。遠離る後ろ姿が涙を拭うのを見てゼフェルは自分
の口の悪さを呪った。
「どうしたんですかー、それ?」
「おめーにだよ」
バスケットの中身は一目で手作りと分かる消化のいいプディングとビタミン
の豊富な果物、ルヴァの好みに会わせたのだろう生姜湯がポットに入っていた。
何も知らないルヴァはキョトンとしている。
「あいつ、あんたと仲良かったもんな」
いつも栗色の髪の女王候補はルヴァの執務室を訪れていた。ルヴァも彼女を
可愛がっていて依頼のない日も彼女のためにサクリアを送ってやっていた。ル
ヴァがこんな風になってしまったのは彼女にとって試験の上でも痛手に違いな
い。
「こんなもん作ってる暇に育成しろよな」
「ああ、花ですねー!ここには花がたくさん咲いているんですねー」
バスケットの中に小さな花束を見つけてルヴァが目を輝かせた。
「花、珍しいのか?」
「はい」
「・・・・・俺、今夜ちょっと出掛けるわ」
「はい、お気をつけて」
数日振りにゼフェルは宮殿に足を運んだ。誰にも会わないよう夜半過ぎ、長
い回廊を渡って中央に水盤を配した広間に出る。周囲に巡らした石柱の向こう
には暗い海のような空間に星々が広がっている。
「おめーが望んでる力とは違うかもしんねーけど」
ゼフェルは目を閉じると手の先に意識を集中させた。
暗い空間に一つ、銀色に輝く惑星が生まれた。