「ルヴァ様、大丈夫なのかなー」
ランディが晴れた空を仰いで、彼にしては珍しく気の抜けた調子で呟いた。
「うん」
答えたマルセルの返事もなんだか元気がない。
ルヴァが急病に倒れてから四日が過ぎていた。看病をしているというゼフェ
ルの姿も目にしていない。いつもの遊び相手がいなくて聖地きっての元気者二
人もいささかしょげ気味だ。
「大丈夫だって、そんなに深刻な顔しなさんな。ゼフェルだってついてるんだ
しさ」
きらびやかな衣装に身を包んだ夢の守護聖も努めて明るい調子を装っているが、
普段から親しくしているルヴァの容態には気を揉んでいるに違いなかった。
宮殿のテラスでの三時のお茶会もいつものメンバーが二人も欠けていると味
気がない。
「でもゼフェルったら面会謝絶だなんてさー」
マルセルが唇を尖らせる。
「昨日アンジェリークがお見舞いに行ったのに追い返されちゃったんだって」
「ルヴァ様の御病気を早く治して頂くためでしょう?」
皆のカップにハーブの香りのお茶を注ぎながらリュミエールが優しく諭す。
「でもアンジェリーク泣いてました。ゼフェルがまた意地悪な事言ったんです」
おやおや、とオスカーが器用に片眉を上げてみせた。
「坊やにも困ったもんだな」
そうなんですー、とマルセルは膨れたままで続けた。
「なんか、病気が感染るとか、顔がすごいとか言ってたらしいんですけど・・
・」
「感染る?」
「麻疹だか風疹だかおたふく風邪だかって言ってました」
それを聞いて年長の守護聖達の顔色が変わった。
「え?ルヴァってまだ済ませてなかったわけ?!」
「まずいんじゃないか、それは・・・」
オリヴィエとオスカーの語調にマルセルとランディはただならぬものを感じて
顔を見合わせた。
「マズイんですか、オスカー様?」
「う、うん・・・いや、そうとは限らないが・・・」
「どうしよう、僕、ルヴァ様が死んじゃったら・・・」
早くも涙ぐむマルセルをオリヴィエが慌てて宥める。
「死ぬとか、そういう事じゃないんだよ、ただ・・・」
「ただ・・・?」
「・・・・・そっとしておいて差し上げましょう」
麗しい顔を痛まし気に曇らせてリュミエールが言った。
「僕、今日ゼフェルんち行ってみる」
執務が終わってランディと連れ立って帰る途中、急に思い立ったようにマル
セルは言った。
「でもゼフェルが会わせてくれないんじゃないか?なんか感染るとまずいらし
いし」
「平気だよ、僕麻疹も風疹も水疱瘡もやったもん」
「水疱瘡じゃなくておたふく風邪だよ」
「それもやったよーだ!ゼフェルが平気なんだから僕らだって平気なはずだよ」
マルセルの言葉にそれもそうだとランディも頷いた。
「ゼフェルだけじゃ心配だしな」
二人はゼフェルの家へ向かう事にした。
自分についての不本意な噂など知る由もない小さなルヴァはゼフェルの私邸
の窓から飽かず外を眺めていた。
砂ばかりの自分の育った土地とは違い、なんと豊かな緑だろう。空気さえも
砂漠を渡って吹きつける砂まじりの風とは違い、潤いを含んで頬に優しい。
「この近くにあの花も咲いているんでしょうかねー」
昨日貰った小さな花束をルヴァは大事に小瓶に生けた。家に帰れるという一
週間が経つまであと三日。
「それまであの花が萎れなければいいのですけど」
きっと母親はあの花を見たら喜ぶだろう。そうだ、幼馴染みの少女にも分けて
あげよう。でもそうしたら他の友達だって欲しがるにちがいない。
「こんな小さな花束では足りないでしょうねー」
次から次へと花を贈りたい人物を思いついてルヴァは困ってしまった。
窓の外を見る。誘うように木々の緑が風に揺れている。こんなにたくさんの
植物に囲まれた土地なのだ、あの花もどこかに咲いているはず。ゼフェルには
「悪い人」に見つかるといけないから---どういう悪い人なのかは教えてもらえ
なかった---決して邸の外には出てはいけないと言われていたけれど・・・。
----少しだけ、ちょっとの間だけなら・・・いいですよね?
静かに、静かに窓を開け、ルヴァはそっと外へ足を踏み出した。
砂とは違う、湿った土の感触が新鮮だった。
初めてここへやって来た日はただもう驚いてしまって周囲を見回す余裕すら
なかった。けれどこうしてあらためて見るここ、「聖地」と呼ばれる土地はな
んと美しいのか。生い茂る草にそっと触れてみる。滑らかで冷たい感触。オア
シス周辺に生える植物とは全然違う。
夢中になって庭の中を歩き回っていたルヴァの耳に不意に茂みをかき分ける
音が響いた。
「え・・・・・?」
「あ・・・・・!」
目の前に現れた金の髪の少年にルヴァは凍りついた。少年も大きな菫色の瞳
を見開いてルヴァを見詰めたまま息を飲んでいる。
「なにやってるんだ!?」
背後から怒鳴られてルヴァは我に返った。慌てて振り返るとゼフェルが眦を
上げてつかつかとこちらへ向かってくるところだった。その背中へ隠れるよう
にルヴァは邸の中へと駆け込んだ。
「え?え?え?」
マルセルは訳が分からずゼフェルとルヴァの駆け去った方を交互に見遣って口
をぱくぱくさせた。
「どうしたんだ、マルセル?」
茂みの向こうからランディが顔を出した。
「今の・・・・今の・・・・」
「帰れ!」
二の句を継げないマルセルと怪訝そうなランディにゼフェルは怒鳴った。
「なんだよ、来た早々に怒鳴る事ないだろ!」
「いいから帰れ!!」
むっとして食って掛かるランディとまだ呆然としているマルセルの背を押す
ようにしてゼフェルは二人を邸の庭から追い出した。
「ゼフェル!!」
ガシャン、と閉じられた門扉に向かってランディは怒鳴ったがゼフェルは背
中を向けて邸へと歩み去った。
「なんだよ、あいつ・・・」
いつも以上に乱暴な態度にランディは悪態をついた。が、マルセルはそれど
ころではない。
「僕・・・僕・・・大変なもの見ちゃった・・・」
「マルセル?」
「ルヴァ様、子供が出来ちゃったんだ!」
「邸から出るなって言っただろ!」
部屋へ戻るなりゼフェルはルヴァを怒鳴りつけた。
「すみません・・・」
「謝るくらいなら最初っからするんじゃねーよ!!」
「すみません・・・」
庭が見たくて、とルヴァは消え入りそうな声で言った。
「庭ぁ?」
「だって・・・ここには草や木がたくさんあって・・・帰る前に外を見ておき
たくて・・・」
それに、とルヴァは続けた。
「外の人は悪い人ばかりだからって言ってましたけど、さっきの人とか全然悪
い人じゃなかったみたいだし・・・」
「俺の言った事が嘘だっていうのかよ!」
「そ、そんなことないですけど・・・」
嘘も大嘘、真っ赤な嘘なのだけれどゼフェルは面白くなかった。
「マルセルはあんたのお気に入りだもんな!」
え?っとルヴァは目を見張る。目の前の小さなルヴァには分かるはずもない。
だのにゼフェルは怒鳴り散らした。 いつだってマルセルは自分より上手にルヴァ
を喜ばせる。いつだって自分のする事にルヴァは困った顔ばかりする。いつだって・・・
「だったらあいつの教育係やればよかったじゃねーか!俺なんかよりずーーー
ーっと気だって合うんだろ!!こないだだってあいつの花壇踏んづけたって、
わざとやったわけじゃねーのに------」
「・・・・・・っ」
けれど今のルヴァは困った顔はしなかった。勿論お説教の言葉も飛んではこ
なかった。かわりにルヴァは銀灰色の瞳いっぱいに涙を浮かべたのだ。
「え!?おい・・・」
ぎょっとしたゼフェルを見上げてルヴァは懸命に泣き出すのを堪えて言った。
「あなたは・・・あの人が・・・お嫌いなんですか・・・?」
「そんなこと・・・ねーけど・・・」
「じゃあ・・・」
か細く澄んだ声でルヴァは言った。
「私が・・・お嫌いなんですね・・・」
「っち・・・」
ゼフェルはそれこそ食いつくように叫んだ。
「ちげーーーよっ!!」
あまりのゼフェルの勢いにルヴァは驚いて涙まで引っ込んでしまったほどだ。
「ちげーだろ!なんですぐそう思うんだよ、いっつもそうやって俺の事困らせ
るんじゃねーかよ、どいつもこいつも・・・!!」
「・・・私の事、お嫌いじゃないんですか?」
「だから・・・!」
よかった、そう言ってルヴァはほっとしたように笑った。それはいつものゼ
フェルを安心させる柔らかな笑みで、だからゼフェルもほっとして、それから
なんだかバツが悪くなってちぇっ、と舌打ちした。
「・・・今日はもう遅いから、明日な」
「え?」
「外、行きてーんだろ?」
一瞬、間をおいてルヴァが顔を輝かせた。
「本当に!?」
心底嬉しそうに言われてゼフェルもなんだか嬉しくなった。
「おー、そのかわりこっそりとだからな。誰か来たらすぐ帰るからな」
「出来ちゃったってねぇ・・・」
宮殿から帰る途中のオリヴィエを強引に引っ張り、ついでに廊下で擦れ違っ
たリュミエールも引き込んでお子さま二人組は帰り支度を始めていたオスカー
の執務室に押し入るように飛び込んだ。
血相を変えたマルセルの話を聞いて3人の年長の守護聖はあからさまに信じ
られないといった表情をした。
「ルヴァの腹がデカくなった訳でもないだろ?」
「あ、あたりまえです!」
からかうようなオスカーの言葉にランディが慌てる。
「お腹じゃなくって、もう生まれてるんです!」
マルセルは冗談を聞いている余裕もないようだ。
「生まれてるってどういう事?」
落ち着かせるようにオリヴィエが丁寧に質問する。
「十歳かもう少し小さい位で、ルヴァ様にそっくりな子がゼフェルの邸の庭に
いたんです」
「十歳というとルヴァが十五の時の子供か」
オスカーがもっともらしく言うのをリュミエールが横目で睨む。
「あなたではあるまいし・・・」
失礼、と小声で付け加えるのも忘れない。今度はオスカーがリュミエールを
睨みつけた。
「そんな素振りは見た事なかったけどねぇ」
二人の冷戦はいつもの事とオリヴィエは意に介さない。ルヴァに限ってそん
な事はないだろうと年少の二人に言い聞かせるように言った。
「俺も自分で見た訳ではないんですけど・・・あ、もしかして・・・」
何かに思い当たったようにランディはぽん、と手を打った。
「ルヴァ様、故郷に幼馴染みの女の子がいたって言ってました。ルヴァ様が聖
地に来たのが十一年前だから丁度いいですよ!」
「おいおい、待て待て」
ランディの推論にオスカーが手を振る。
「聖地と外の世界じゃ時間の流れが違うんだって忘れたのか?仮にそんな事が
あったとしてもルヴァは最古参の一人だ。その子供が生まれてから何百年じゃ
きかないぞ」
そうか、とランディは再び考え込む。
「でもなんでルヴァの隠し子がゼフェルの邸にいるのさ?」
オリヴィエのもっともな疑問にその場の面々は首を傾げた。
「母親が分かるような特徴はなかったのか?」
オスカーの言葉にマルセルは分からない、と首を振った。
「とにかくルヴァ様そっくりで、僕びっくりしちゃって。髪も目も顔も全部ル
ヴァ様とおんなじなんです。小さいルヴァ様がいるみたいで・・・」
「分裂でもなさったんでしょうか」
「リュミエール・・・真顔でそういう事を言わないでくれ」
オスカーが顳かみを押さえる。と、またもやランディが手を打った。
「俺、聞いた事あります!ルヴァ様の星に分裂して増える生き物がいるって」
「それはオアシスにいるってゆー原生生物の話でしょーが」
それぞれがそれぞれの感慨で頭を抱えた。