書類保管庫は埃っぽかった。
 特に機密性の高い書類を保管しているこの部屋は火影の執務室の真下に位置しており、警備は厳しいが出入りする者は少ない。ここに入れるのは一定以上の資格を与えられた事務官か、任務に関連して許可された上忍のみだ。ファイリングは完璧で几帳面に制作年月日順に揃えられているが掃除の手までは回らないようだった。
 窓はなく、部屋中を占拠した白木の棚が壁からの照明に白々と浮かんでいる。
 カカシは移動式書架の狭い隙間に潜り込んで棚から抜き出した資料を床に並べていた。
「おい、関係ないもの見てるなよ。人がわざわざ資料あさりにつき合ってやってるってのに」
 通路から顔を出したアスマが文句を言った。
 防犯のために保管庫へ入る時は二人以上の人員でと定められている。
「ん。ちょっと待ってて」
「なんだ、気になる奴でもいるのか?」
 カカシがいたのは上忍名簿を並べた棚の前だった。ベストについた埃を払いつつアスマが書架に挟まれた狭い隙間に身を滑り込ませてくる。カカシよりもずっと大柄だが狭い空間で動作は自然で無理がない。
 カカシはしゃがみこんで数冊の資料と名簿を床に並べていた。
「葛城オヅノ…ふーん、最近帰って来た奴だな」
 カカシの手元の資料を覗き込んでアスマが呟く。
「音無しの森に二年半…」
「激戦地だな」
 こいつがどうかしたのか?尋ねるアスマにカカシは「んー、別に」と気のない風で答えた。こいつの「別に」ほど胡散臭いものもないとアスマは思ったが面倒そうだったので流す事にした。公用だろうが私用だろうがこいつの気にかかるものなど厄介に決まっている。
「それよりこっちだろ。ヤマネの報告書あったぞ」
「あーどーも。悪いね、探させちゃって」
 そう思うんならちゃっちゃっと自分で探せ。文句を言うアスマに構わずカカシは受け取った報告所に視線を走らせた。
「鉄瓶ゴトクの資料は見つかったのか?」
「ん。コレ」
 床からファイルを拾い上げてカカシは立ち上がり閲覧用の机に積み上げた。
「やっと手を離れたと思ったらコレだ。ガキなんざ構うもんじゃねえな」
「まーね」
 二人は素早く資料に目を通した。



 保管庫を出るとすぐに司書達の詰める窓口カウンターで、カウンターの後ろには保管庫へとは別にもう一つ扉がある。その奥で専門の書記官達が火影の執務室から送られてくる書類をせっせと資料に編纂している。公務や特務の依頼書と報告書、各地に送り込んだ草達からの報告、各国の大名からの手紙や通商に関する書類、その他国家間の揉め事や厄介事が起きた時に証拠になるような書類の数々、そんなものがここには収められている。
 二人は保管庫へ入室の際に預けた認識票やホルダー、ポーチなどを受け取り廊下へ出た。
「久しぶりのデスクワークで肩こったぜ」
 首をこきこきさせながらアスマがポケットから煙草を取り出した。保管庫は火気厳禁、禁煙だからずっと我慢していたのだ。開け放された窓に凭れてアスマは満足そうに煙を吐き出した。木の葉の中心部であり本丸に当たるここは歴代火影の顔岩を背に里で最も背の高い建物だ。今日のように晴れた日の眺めは絶景だ。
「空が高いねえ」
「んー」
 どこでものんびりとした空気を漂わせる二人の上忍は暫し、ぼんやりと空を眺めた。
 キーン、コーン、と間延びした鐘の音が晴れ渡った空に響いた。アカデミーの授業がこれから始まるのか終わったのか。校庭へ目をやると数人の教員がライン引きを持ってたかたかと走り回っている。その後に石灰の白い線がくっきりと伸びてゆく。これから校庭で何かの競技でも行うのだろうか。
「お、噂の先生じゃないか」
 アスマが校庭を走る教師の一人を指差した。黒い頭の後ろにぴょこぴょこと括った髪が揺れている。なんでだかあの先生は愛嬌がある。
 とっくにその人物を見つけていただろうカカシは無言で、しかしその目は彼の姿をじっと追っている。
「あの先生にも言っておかなくていいのか?」
「言うなら五代目が言うでしょ」
「五代目は三代目と違うぞ」
 アスマの言葉にカカシは曖昧に頷いた。
「ま!愛されちゃってるからね、あいつは。五代目も悪いようにはしないよ」
 二人の上忍が見下ろす校庭にはぞろぞろと子供達が集まり始めていた。
 教師の前に四列縦隊を作った生徒達が準備体操を始めるのを眺めながら、自分達とは別にそれを眺めている人間がいるのにアスマは気がついた。アカデミーの正門から入った木立の辺りに佇む人影。
「おい、おまえの同類だ」
 カカシは頷いただけだった。





「こら、そこ!隊列を崩すな!」
 ちょろちょろと列からはみ出す小さな体に向かって大声を出す。
「番号!」
 号令をかけると校庭に並んだ子供達が、いち、に、と先頭から順に声をあげる。子供特有の甲高い舌足らずな声が校庭に響く。列の最後まで番号をかけ終わると最後尾の子供がイルカの元に走って報告に来る。
 今日の授業はくのいちクラスと合同で陣形の演習だ。
「長蛇!」
 号令とともに素早く子供達が一列縦隊を作る。
 それを基本形に雁行、鶴翼、とイルカの声に従い校庭を子供達が駆け回る。年長クラスになると号令ではなく短い笛の合図で次の陣形を知らせる。合図はその授業ごとに変わるから記憶力と咄嗟の判断が瞬時に要求される高度な授業になる。
 が、今年イルカが受け持っている年少のクラスにはまだそこまでは無理だ。
 衝軛の陣から退避に移る際にぽてりと女の子が転んだ。
 そこから隊列は崩れ先に行く者と後に続く者との差があっという間に広がる。陣形の意味なんてもう皆無だ。
 ああ、イルカは頭を抱えたくなったが、転んだ女の子の先を走っていた男の子が素早く引き返して女の子を立たせると肩を貸した。周囲にいた子供の一人が気が付いてその傍らを付き添うように走る。
「方円の陣!」
 イルカが彼らを指差してくるくると合図すると周囲の子達も気づいて彼らを中心に小さな円陣を組む。
「走れ、走れ!」
 一緒に授業を行っていた教師が先に退避した子供達に指示して校庭の端で偃月の陣を組ませると、遅れてきた子供達を後ろへ庇うように陣内へ引き入れる。
 そこからまた魚鱗、蜂矢と展開させて竜渦の陣。
 そして元の位置に移動しながら長蛇、衡軛。
「ノバラ、大丈夫か?」
 脚を引き摺って戻ってきた少女に声を掛けると痛みに歯を食いしばってこくりと頷く。少女に保健室に行くよう指示してからイルカは向き直り隊列の中の一人の少年に目を向けた。
「カガリ、よく気が付いたな。偉かったぞ」
 イルカは少女を庇った少年に笑いかけた。少年は照れくさそうに俯いて「この前の授業でやったから」とぶっきらぼうに答えた。
 前回の授業ではクラスメートを怪我人に見立てて退避しながら搬送する訓練をした。それにしても咄嗟に怪我人を庇った判断力はたいしたものだ。このくらいの年齢の子供達は周囲の状況より教師の言うとおりに行動する事を優先しがちになる。そのため臨機応変の対応が取れない子供が多い。アカデミー教育の弊害と言われもする。
「今みたいに予想外の事が起きた時に自分で考えて行動できる事、それは大切な事だ。周囲の者も状況が変わったらそれに合わせて行動する。ミギワがノバラとカガリの二人を庇うように走ったのも、思うように走れない二人の状況を見てそれが良いと思ったからだな」
「木の葉忍は味方を絶対に見捨てないんだって、父ちゃんが言ってたもん」
 胸を張って言った少年にイルカはにこりと笑った。
「方円の陣は真ん中にいる者を庇いながら全方向の敵に警戒できる、偃月の陣はこれ以上は一歩も退かないという陣形だ。集団戦では指揮官に従って陣形を組むが、指揮官の目の届かない局地的な状況によってはそれぞれが周囲の者と連携して動かなくてはならない。侍と違って忍は集団戦より局地的な戦いをすることの方が多い。隊全体の動きと小隊単位の動きの両方を常に考えている事が必要だ。カガリやミギワみたいに前に習った事を忘れないで自分で考えて行動するんだ」
 完全な駒に徹しなければならない時と、一人の忍として判断しなければならない時、それを見極めるのが彼ら一人一人の力量だ。
 その時その時の判断に正解はないから、つまるところは彼ら自身が何を重んじるかにかかってくるのだが、それは子供達一人一人が自分で学び考えてゆく事だろう。
「もう一度、今度は順番を変えてやるぞ」
 イルカは再び号令を飛ばした。



「カガリ君はあの歳でいい動きをしますね」
 合同授業を終えた後、くのいちクラスの担任が感心したように言った。
 毎年クラスに数人は目立つ子供がいるが、カガリはここ数年の生徒達と比べてみても優秀だ。
 体術も忍術も、今日のような集団訓練でも一人前の忍のような動きをする。無口でぶっきらぼうだが行動の端々に弱い者への気配りが見られる。
「くのいちクラスでも人気があるんですよ。今頃ノバラ達大騒ぎですよ」
 なるほど、ああいう事をされたら女の子も夢中になるだろう。
「いいなー。俺もカガリを見習わなくちゃ」
「まあ、イルカ先生」
 くのいち教諭はころころと笑った。
 他の教師と別れてイルカは自分のクラスの教室へ向かった。これからホームルームで演習の反省会だ。
 カガリの事はイルカも気に掛けていた。上級クラスへの編入をさせてはどうか、そんな事も考えている。カガリは以前、担当したうちはサスケに似ていると思う。兄ほどではないが彼もその才が突出していた。
 上忍の器。
 それを感じさせる。
 だが後に彼が辿った道筋を考えると突出した才能を持つ子供の教育は慎重にするべきかとも思う。サスケの場合は環境も状況も特殊だったし、カガリは精神的に彼より安定している事を考えると才能のある子供にそれを発揮する場を与えないのも良くないだろうと思えるのだが。
 こういう事を考えている時にイルカの頭に必ず浮かんでくる顔がある。
 彼だったらどうするだろう。
 彼が絶対に正しいわけではない。だが折につけその言葉を思い浮かべては反芻してしまう。
「六歳で中忍か…」
 今の時代にそれはありえないとは思うが。
「でも上忍になればいいってもんでもないよなあ」
 最近知り合ったもう一人の上忍の姿が思い浮かんでイルカは慌てて頭を振った。
 嫌な事は考えない。思い出さない。
 教師の顔に戻ってイルカは教室の扉を潜った。

ナルト書きたいよー!
話進んでませんね。ゴメンナサイ。

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