授業を終えて受付所のシフトに入ったイルカを待っていたのは元教え子の始末書の山だった。
「は、」
現場監督である中忍が報告書と一緒に提出したそれを前にイルカは笑顔を凍りつかせて数秒呆けた。昨日ナルトに言いつけた南街道の修復作業が大幅に遅れることになったその顛末がそこには記されていた。
「増員要請して作業が大幅に遅れる事になるなんてね」
現場監督である中忍のこめかみに青筋が浮いているのをイルカは恐々見上げた。
作業現場に突然現れた巨大蝦蟇が「こんなちゃちい仕事ごときでこのガマブン太様を呼び出すたあ、どういう了見じゃーーい!!」ブチ切れして暴れ回ったらしい。その蝦蟇に追い回されて「だ、だって口寄せ動物ってそういうもんじゃんかよー!」「なめとんのかーーーい!!」「いっつもは呼んでも出てきてくんないくせに〜!」と叫んで逃げ回った小僧のおかげで無事だった部分の道まで埋まったそうだ。
「受付で紹介されてきたからには信用できる忍だと思っていたんだがな!」
「も、申し訳ありません!」
「何のために受付け通してると思ってんだ!」
「すみません!」
イルカは平謝りだ。まずい。こんなところを他の依頼人に見られたら木の葉の信用失墜である。だが相手の中忍は切れ過ぎていて周囲の状況も目に入っていない。とにかくイルカは謝り倒した。
「やっぱりあいつを信用なんて出来ないんじゃないかっ…!」
現場監督の言葉にはっとイルカは顔を上げた。
彼の顔は真っ青だった。受付机についた手が小刻みに震えているのにイルカはやっと気がついた。
怒りのためだけではない。
すっとイルカの顔から血の気が引く。
作業現場に突然現れた巨大な妖獣。それを呼び出したのは九尾の狐を封印された子供だ。
十六年前のあの日を体験した人間なら、それはとても恐ろしい光景だったのではないか。
「あ、あいつは、ナルトはけして悪気があってしたわけではないと思います。きっとあいつなりに作業の助けになるようにと考えてしたことだと思います。あいつはまだ術を上手く使いこなせないみたいで時々ひどい失敗をしてしまうんですが、それもなんとか役に立とうと熱意が空回りしてしまうと言うか…」
イルカはたどたどしくだが熱心に言い訳した。こんな事でようやく里の人々に受け入れられ始めたナルトがまた忌み嫌われる存在になってしまってはあんまりだ。
「すみません。もう一度だけ使ってやってくれませんか?きっと一生懸命やると思います。自分の不始末がどれだけ他人に迷惑をかけるかもきちっと叩き込んでやりたいですし…」
お願いします。イルカは深々と頭を下げた。現場監督はぎりぎり歯を食いしばってイルカを睨みつけていたが
「もういい」
そう言ってふいと受付所を出て行った。
イルカはその背中を見送って小さく溜息をついて項垂れた。
「そんな顔するなよ」
隣に座っていた同僚がぽんと肩を叩いてきた。
「交代要員は要請されなかったから、また使ってくれるってことじゃないのか?」
「そうかな?」
「まあ、もしそうじゃなくても交代要請があった時にまた話せばいいさ」
「…そうだな」
イルカは泣き笑いのような顔を同僚に向けた。
「おまえってば、いつもは男らしいのに教え子が絡むとほんとダメだな」
同僚はからからと笑ってくれた。
イルカはひっ詰めた髪をかき回し、肘を突いて提出された報告書と始末書をチェックした。
それでも無視しないで叱り付けて始末書を書かせてくれたのだ。
ごめんなさい、と下手っくそな字で何回も書かれている。これじゃあ始末書じゃなくてアカデミーの反省文と変わらない。
イルカはすんと鼻を鳴らして笑った。
アカデミーの正門からひょこりと黄色い頭が覗いている。
夕暮れのオレンジ色の光に照らされて校庭もアカデミーの建物も暖かな色に染まっている。金色の髪が光を弾いてキラキラしていた。
校庭を横切りながらイルカはその光に目を細めた。
いつも悪戯をしては悪たれた笑い声を上げて逃げていく、そのくせ追いかけてきてくれるだろうかと不安そうな目をして振り返るのだ。
俺が捕まえてやらなきゃ、あの子供はどこへも行けなくなってしまう。
捕まえて、ぎゅっと抱きしめて、おまえは此処にいていいんだよと教えてあげなくちゃいけない。
憎めるはずなんてないじゃないか。
彼が、アカデミーを卒業して下忍担当官の下で任務をこなすようになって、仲間が出来て、色んな大人と出会い周囲から信頼されるようになり、自分の手などとっくに必要なくなっても。
ずっと自分にとっては大切な子供なんだ。
「ナルト」
正門の門柱の影から覗いている黄色い頭にぽんと手を載せると「せんせい」としょげた声で呼んでくる。
「ごめん、俺、先生にいわれた任務…」
「おまえ、なんつー顔してんだ。鼻かめ」
ぐずずとナルトは鼻を啜った。