ナルトもぽかんとカカシの顔を見つめた。
 カカシの見開かれた右目はナルトに向けられているがナルトを見てはいない。
 なんだ?
 不審に思って問うようにアスマへ目を向けるとアスマまであんぐり口を開けて固まっていた。
 二人の上忍のただならぬ様子に当惑しながらもナルトの脳のシナプスをピリリと電気が走った。
 目の前にいるのは木の葉屈指の上忍だ。実戦も、その他のことだって経験豊富のバリバリ現役。
 やっぱ男同士の話は男同士でだ。これ以上の相談相手がどこにいる?
「そうだってば!聞いてくれよ、カカシ先生!」
 ナルトはカカシの腕をがっしり掴んで捲くし立てた。
「は?え?」
 カカシはその年でもう耳が遠くなったんじゃないかと疑うくらい反応が鈍かったが、とにかくナルトは状況を説明した。
「だから俺、サクラちゃんに相談してさ、イルカ先生に指輪買ったんだってば。なのにイルカ先生ってばさあ…」
 そんな無駄遣いして何のために任務に行ったんだー!って、とナルトはイルカの声色を真似て言ってみせた。
「店に返してこいって突っ返されちゃったてばよ」
 不貞腐れてぶーたれるナルトに、カカシはへにゃりと肩の力を抜いた。
「ハハ…ハ…そーかー…そーだよなー…」
 まさかだよなー…あー、ビックリした、呟くカカシに重ねてアスマも「流石に焦った」と力なく笑った。
 カカシはお手拭を手に取って額宛をずらしてごしごし目の周りや額を拭いている。アスマもすはー、と紫煙を吐いた。
「って、まだ安心するとこじゃないってばよ!二人とも俺の話聞いてくれてるのかってば!」
「あー、はいはい」
「カカシ先生、反応悪いってば!」
 俺がこんなに頭を悩ませているのに!
「だってなあ、そんなの今に始まった事じゃないだろうに」
 アスマがぽんぽんと自分の頭を叩きながら言った。
「え、そ、そうなの?」
「あの先生が何年受付に座ってると思ってるんだよ。」
 何年って…四年以上であることは確かだ。
「受付に座ってると目立つからなあ。今までだってあの先生には色んな奴がちょっかいかけてたはずだぞ」
 まーなー、あの歳になって未だにそれってのもすごいけどなー、とアスマは変な事に感心する。
「で、でもさ、でもさ、他の奴らももちろん論外だけど、とにかくその上忍が性質悪いんだってば!」
 受付所でも当然のようにイルカの列に並ぶし帰りも待ち伏せしてるみたいなのだ。
「あー、いたいた。そうゆう奴、前にもいたよ」
「ええ!?」
 アスマの言葉にナルトは仰天だ。
 アスマは暢気に「なー、カカシ?」とニヤニヤ笑っている。
 カカシはあらぬ方を見ながら「あー…」と生返事を返した。
 二人の様子はイルカなんかどうでもいいと思っているみたいでナルトは苛々してくる。
「そんな事があったんならなんで二人とも知らん顔してたんだよ!ホント、先生達ってば先生甲斐がないってば!」
 先生甲斐ってなんだ?アスマのツッコミにも怯まずナルトはムキーと気炎を上げる。
「イルカ先生もカカシ先生も俺の先生だろう!先生の生徒の先生は先生じゃんかよ!!」
「おまえの言ってる事ワケ分からんぞ…」
「ホントは俺だって誰も頼ったりしたくなんかないってばよ!イルカ先生は俺がこの手で守るって決めてんだ!!なのに先生は--------っ」
 イルカ先生は、ナルトの言う事なんてちっとも聞いてくれないのだ。
 子供だから。元生徒だから。
 階級は追いついても歳は追いつけない。
「でも、俺はっ------俺は--------っ」
 興奮しすぎて言葉が出てこなくなってしまって、ナルトは目の前の野菜串を睨みつけたまま歯を食いしばった。
 三人の間に沈黙が落ちる。
 アスマが困ったように頭をガシガシ掻いた。
「だいじょーぶだよ」
 カカシがぽつりと言った。
「あの人は絶対、落ちないから」
 え、と顔を見ればカカシは頬杖をついてにこりと眉尻を下げて笑ってみせた。
「それにあの先生、結構強いよ」
「--------そうなのか?」
「そうだよ。まあ、受付でしか会った事なくてアカデミーの教師だって知らない奴は舐めてるみたいだけどな」
 そうなのか。アカデミーの先生って強いんだ。
「当たり前だろ。でなきゃ日向やうちはや他の名のある一族が子供を預けるのを納得するわけない」
 力量のない教師ではアカデミーに預けるより自ら修行を見た方がいいと思われてしまう。だが、それでは子供の里という共同体に対する帰属意識が薄くなる。また両親が忍としては優秀でも教育者として優秀とはいえない場合もある。
「イルカ先生は中忍でもAランク任務も何度かやってるし、上忍相手だろうがそうそう好き勝手にゃされないよ」
「--------でも、俺でもイルカ先生押し倒せたぞ」
 カカシが笑顔のまま凍った。
「なんで黙るんだよー。やっぱ気休めなんじゃんかよー」
 拗ねてナルトが肩をぶつけるがカカシは固まったままだ。なんだか今日のカカシ先生はいつもにも増して挙動不審だなあと思っていると代わりのようにアスマが答えた。
「そりゃー、おまえさん相手だからだろ。あの先生、子供にゃとことん甘いからなー」
「もう子供じゃないってばよ!」
「イルカ先生にとっちゃ、いつまでも可愛いナルトだろうよ」
「アスマ先生にとってもシカマルはずっと可愛いシカマルなのか?」
「ん。俺とかカカシはそうゆタイプじゃないな」
 ひらりと手を振ってアスマは一蹴した。
「ま!イルカ先生も自分に降り掛かった火の粉くらい自分で払えるでしょ」
 ナルトとアスマが会話しているうちに解凍したらしくカカシがお決まりの文句で締めくくった。なんだか釈然としなかったがイルカの話はそこまでで、アスマが違う話題を振ってきた。
「そういや、おまえさん、日向の娘とはどうなったんだ?」
 尋ねられてナルトはアスマへ顔を向けた。
「日向の娘って、どっち?」
 上を向いていたアスマの煙草がかくっと下を向いた。
「どっちって、」
「二人いるじゃん、ヒナタとハナビ」
 普通、同期の方を思い浮かべるだろうが。アスマの言葉にナルトは日向の娘って言われても分かんないってばと反論した。
「ヒナタとは任務に出る前に会ったってばよ」
 出立の前夜、家に来て傷薬とお守りをくれた。
「ほお、ほお、あのお嬢さんが根性見せたじゃねえか」
「ヒナタは根性あるってばよ」
「んで、おまえさんはどうしたんだ?」
「一緒に一楽行ってラーメン奢った」
 あー、アスマが気の抜けた声をあげた。
「大盛りにしてもいいってゆったんだけど、いいって言うから叉焼麺に卵つけてやったってば」
「叉焼麺ってアレか、あの麺が見えなくなるほど叉焼がのってる」
「うん。美味しいって喜んでたってば」
 その時のほかほかしたヒナタの顔を思い出してナルトは首を傾げた。
「あいつ、なんか昔っから俺に色々くれるんだよな」
 不思議だと言ったらアスマがぷすーと煙を吐き出した。
「ま、そんなとこでしょ」
 カカシも眉尻を下げて笑っている。なんだか馬鹿にされているような気がしてナルトは面白くなかった。
「んで、任務明けに会いに行ってはやってないのか?」
「うん」
 だって、帰って来た日はイルカ先生と約束があったし、その次の日はそれどころじゃなかったし、今日はサクラちゃんと約束があったし…
「天然鬼畜…」
 アスマがぼそりと呟く。
「だ、だってさ、俺、色々貰ってもヒナタにやれるようなモン何にも持ってないし!」
「物が欲しくて色々してくれるんじゃないだろうよ」
「だから!ラーメーン奢ったの!叉焼麺!旨いんだぞ!!」
「うん。それがナルトの精一杯だからね」
 アスマ、うちの子あんまし苛めるな、とカカシがナルトの頭をくしゃりと撫でながらゆってくれた。
 本当を言うとナルトはヒナタとはあんまり仲良くしない方がいいと思っている。
 日向の家は木の葉の里一の名門だ。ヒナタの父親はナルトの事をあんまりよく思ってないみたいだ。ヒナタは知らないけれど父親の方はナルトの腹に封じられた九尾の事を知っている。
 サクラの家の人達はサクラがナルトの事を色々話していてくれるらしく会っても親しげな言葉を掛けてくれる。でも日向家の人々はあまりナルトにいい顔をしない。
 「うちのお父さん、誰にでもそうだから」
 気にしないで欲しいとヒナタは言うけれど、この間ラーメンを奢った後、ヒナタを家まで送っていった時も家の人は誰も出てこなかった。妹のハナビだけが屋敷の二階の窓から顔を出して「お姉ちゃん、デートだったの?」と生意気そうな言葉を降らせてヒナタを慌てさせたくらいだ。
 あの声は多分、屋敷の中にいただろうヒナタの父親にも届いたに違いない。
 後でヒナタは叱られたかもしれない。悪い事をした。
 自分を卑下したくはない。いつか絶対、火影になって里の誰もに自分を認めさせてみせる。その決意は変わらないけれど、幼い頃から何かと自分に善くしてくれたヒナタに迷惑はかけたくない。
 そういったナルトの複雑な心境を見透かしたみたいにカカシは軽い言葉で取り成してくれる。
 やっぱりカカシ先生はカカシ先生だ、見てないようでいつもきちんと自分たちの事を見ていてくれた。ちょっとばかし感動を覚えながら、元部下の事だけでなく同じくらいイルカ先生のことも考えてくれたらいいのにとも思う。
 ああ、でもカカシ先生は元々放任主義だからなあ。
「もっと強くなったら、もっといろんな事うまくいくのかな。イルカ先生も俺の言う事きいてくれるのかな」
「いや、変わんないでしょ。あの人の頑固は」
 確かに。
 ナルトは思わず笑ってしまった。
 それから元十班の面々がどうしたの、紅先生が誰を振ったの、そんな話題で一頻り盛り上がって閉店の時間まで三人飲んで食べて話した。




 店の外に出ると通りは人影もまばらで多くの看板は既に灯りを落としていた。夜気が町並みをぬるく包んでいる。
 里の外の大きな町の繁華街はもっと擦れて薄汚れていたが、木の葉の里の町並みは飲み屋街でもどこか柔らかい温かみがある。通りも店主達が毎朝、掃き清めているのだろう。烏の群がるような塵の山もない。
 三人はぶらぶらと歩いて帰った。ナルトの家が一番近かったのですぐに二人の上忍たちとの分かれ道がやってくる。
 じゃあな、またな、そんな軽い挨拶を背に受けて通りを曲がると
「ナルト」
 カカシがナルトを呼び止めた。
「イルカ先生のことだけどな」
「うん?」
「本気でイルカ先生の良いところ知ったうえで好きだっていう奴がいたらどうする?」
「え------」
 カカシの言葉にナルトは言葉を詰まらせた。
「そ、れは、」
 イルカ先生には幸せになって欲しいから…早くお嫁さんになってくれるような人が出来たらいいのにな、そんな戯言をイルカと交わすのはいつもの事で…。
「それは、イルカ先生もその人のこと好きだっていうなら俺は何も文句はないってば」
「そうか」
「うん」
 カカシはまた覆面と額宛に覆われた横顔を向けていたので、その時カカシがどんな顔をしていたのかナルトは知らない。

ナルト悩めるお年頃。
カカシ先生も悩めるお年頃?