若い中忍達を解散させ、シノ、キバ、ヒナタを引き連れてぞろぞろと店を出た。カカシは子供達の相手はイルカに任せて後ろをついていった。
夜の町を、子供達とぶらぶら歩く。
さっきからやたらといのがイルカに懐いている。手を繋いだり、腕を絡ませたり。
カカシはいのの青いミニドレスからすらりと伸びた細い足を眺めながら感心する。子供だ子供だと思っていたが、この娘はなかなか自分の使い方を心得ている。自分に似合う色、デザインの服を着こなして、甘える相手もちゃんと選んでいる。聡い娘だ。
サクラはそういう所が少し鈍い。自分の内と外の線引きが曖昧なのだ。
ヒナタは内閉的だが、それが一貫しているから敵は作りにくい。
七班に配属されて、一番貧乏籤を引いたのはサクラだろうなとカカシは思う。まあ、持ち前の根性と記憶力の良さ、そしてその鈍さで綱手に弟子入りするという暴挙に出たわけだから、差し引きは合っているのかもしれない。
そんな事を考えてぼさっと歩いていたら、いのが
「先生、一楽に連れて行ってよー」
と甘ったれた声でイルカに強請りはじめた。キバも同調して「ラーメン、ラーメン」と連呼する。
やばい。
ぴん、とカカシは耳を尖らせた。
イルカは一応、渋い顔を作って「うーん」なんて唸っているが、もう絶対に、卒業生達と一緒に一楽でラーメン、という構図に心動かされているのが分かった。イルカはラーメンと生徒というタッグにはメロメロなのだ。
「だってイルカ先生に叱られた後は一楽のラーメンって決まってるんだもーん」
子供達の方もそんなのは分かっていて、更に押してくる。
カカシは、そうはさせるか、とずっと触りたくてたまらなかったイルカの腰に腕を回して引き寄せた。ひょい、といのの腕からイルカを取り上げる。
「今日はだーめ」
有無を言わせぬ調子で言いはなった。
いのは、ぽかんとイルカの肩に顎を載せたカカシの顔を見上げていた。
イルカの体の厚みと温度を腕の中に閉じこめて、カカシは目を細めた。
先ほどいのに「私服が微妙にダサい」と言われてイルカはショックを受けたようだった。Tシャツの裾をしっかりGパンの中に入れてたりするのがダメなんだろう。だが、小娘には分かるまい。このぴったりとした脇腹からウェストにかけてのラインがいいのだ。更にGパンの中の腰と太股。撫で回したくなるじゃないか。
カカシは後ろからイルカの耳に口を付けて囁いた。
「俺、酔ってしまったようなので家まで送ってもらえますか?」
イルカは慌てた様子で
「え、そうなんですか!? カカシ先生全然顔に出ないから分からなかったですよ」
と、あたふたとカカシの背中に腕を回して体を支えようとした。
子供達は呆気にとられたようにカカシとイルカを見上げていた。
カカシは殊更に悪辣に笑ってみせた。
「君達、気をつけなさいね。大人になったら色んな危険があるんだよ。うっかり狼さんにお持ち帰りとかされないようにね」
しっかりと釘を刺す。大人には大人の時間があるんだよ。邪魔しないでね、と暗に言い聞かせた。
子供達は黙ったままこくこく頷いた。
「そうだぞ、世の中にはタチの悪い人間だって多いんだぞ」
とイルカが言う。この無邪気な人をどうやって食べてやろうか。
「そういうわけだから、ラーメンは今度な。おまえ達気をつけて帰れよ」
ここは俺が抑えるから、おまえ達は先に行け。そんな事を言われたみたいに心配げな子供達を残して、イルカはよたよたとカカシを背に負って歩き出した。
後ろから犬塚キバが「上忍、こっっぅええええ!!」と吠えている声が聞こえた。
「カカシ先生、大丈夫ですか?」
イルカが訊く。
この人ってホントに素直だよねえ。
思いながらカカシはイルカの脇腹の筋肉を摘んでみた。
「わ!擽らないでくださいよ!」
イルカが身を捩った。カカシは喉の奥で笑った。
「少し休んでいきたいです」
「気分悪いでんすか?」
揺すってしまった事を悪いと思ったのか、イルカはカカシをしっかりと支え直すときょろきょろと周囲を見回した。どこか座れる場所を探しているのだろう。
「そうじゃないでしょ…」
「え?」
カカシはイルカの腰を掴んで歩き始めた。夜の飲屋街のネオンを外れて、小さな二坪ほどの飲み屋がぎちぎちに軒を並べている通りを過ぎると、静かな界隈に出た。
黒い土壁の向こうに木戸があり、「美須々」と小さな看板が出ている。流石にイルカもそこがなんだかすぐに理解した。所謂、逆さクラゲ、連れ込み宿だ。
「ちょっと…」
「休んで行きましょう」
イルカが身を捩ってカカシから身を離した。その腕を取って、強引にカカシは木戸へ向かった。
「騙したんですね!」
イルカは必死の形相で抗ってくる。
こんな事で血相を変えて。
「騙してないですよ。さっきまでは本当に気分悪かったんですって」
カカシはのんびりした口調で言いながら、イルカを門の中に引き込もうとした。
連れ込みの前で揉めている男二人。滑稽だ。客観的にはそう思うが、主観としてはけっこう必死だ。
「じゃあ、もう治ったんでしょう!? 休んでいく必要なんてないじゃないですか!?」
「野暮だなあ、先生」
揶揄するような口調で宥めているが、カカシも内心には、先生、俺のモノになってよ、と縋るような気持ちがある。もう、いいじゃないですか。もう、俺達しかいないんだから。子供達はみんな、大人になってそれぞれの道を歩み出している。俺ももう、我慢するのはいやなんです。そんな気持ちがイルカの腕を握る力を強くする。
「いい加減、腹を括りなさいよ。子供じゃないんだから」
つい、諫めるような口調になった。イルカがむっと眉間に皺を寄せた。
「こ、子供ってどういう意味ですか!? そういう問題じゃないでしょう?」
「さんざ思わせぶりな事しといて、そんなつもりじゃなかったなんて通用しないですよ、大人の世界では」
俺の手、握ってたでしょ。子供達の誘いより、俺の事優先させてくれたでしょ。水曜日はいつも俺の事待っててくれるでしょ。
「でも…まだ…早いですよ…」
イルカが小さく呟いた。声に惑うような響きが加わった。
「イルカ先生、いつもそれじゃないですか。早い、早いって、じゃあ一体いつになったら早くなくなるんですか?」
「う…」
「どうせいつかするんなら、今でもいいわけでしょう?」
勢いに任せて身も蓋もない事を言った。畳み掛けられてイルカは返答に詰まって唇を噛むと、二、三度瞬きをした。黒い睫に縁取られた黒い目が濡れたように光る。小さく、小さく、イルカが言った。
「壊れてしまうかもしれないんですよ?」
カカシはふ、と息を吐いた。
「いつかはなんでも粉々です」
イルカの黒い目が見上げてくる。寄る辺ない子供のような顔をしている。でも、とカカシは続けた。
「でも諦めきれないからこうしてるんでしょう?粉々になっても残るものはあると思っています」
手に掴めたはずのものを何度もみすみす逃してきた。思い込みや執着する事を恐れて、ただ去ってゆくのを見送ってきた。
「ねえ、イルカ先生。俺はもう、あなただけでいいんだ」
しっかりとイルカの腕を掴んだままでカカシは言った。
「イルカ先生が今日、来たのは、女優の生乳が見たかったから?」
「…なに言って……」
「それとも俺と一緒にいたかったからですか?」
カカシの言葉にイルカは口を噤んで俯いた。伏せた目蓋が翳るのは奥二重のせいだ。薄青く透けるような翳り。好きだなあ、と思う。
俯いたままのイルカががしっとカカシの背中を掴んだ。
「入るの?」
思わず訊く。
「入りません」
イルカは連れ込みの木戸を睨みつけたまま言った。
「なんなんですか…! もう…もう……っ! やりたいだけの男みたいに…!」
イルカの言葉にカカシはつい、にやっとした。的を得ている。今のカカシはイルカとしたくてたまらないだけの男だ。
「こういうとこは嫌なんですよ。カカシさんの家に行きましょう」
カカシのジャケットを掴んでイルカはぷい、と歩き出した。
「え、でも、こういう所の方が色々揃ってるし…俺ん家、なんにもないですよ」
間抜けな声を上げたカカシをイルカがきっ、と睨みつけてくる。
「いや、ゴムくらいはありますけど…」
ジェルとかそういうものは買っていかないといけない。医療用の傷薬みたいなのは常備しているが、ああいうのは乾きが早い。それよりは油脂性の物の方がいいかもしれない。指先や足先を温めるために塗る軟膏が洗面所の棚にあったはずだ。
「馬油とかでもいいですかね?」
「ちょっと、あんた黙ってて下さい」
じろりと睨まれた。イルカの黒い目は値千金だ。
薬局には寄らずに、途中、三叉路の角の果物屋に寄った。
イルカが果物の棚を物色している横で、カカシは出てきた時の自分の家の様子を思い出していた。
「しまった…。シーツ、ざらざらじゃないか」
掃除もしてない。
家に着いてからの行動をシュミレートしていたら、イルカがグレープフルーツを五個も六個も抱えてきたので驚いた。
「そんなにどうするんですか?」
「食べるんですよ」
一個十両、安い!とイルカは事も無げに言った。
「寝不足と運動にはビタミンCです」
黄色い大玉の果実をいくつも抱えて真面目な顔で言うので、どこまで本気かとカカシは悩んだ。
夜道を手を繋いで帰った。
イルカの片手にはグレープフルーツの入った半透明のビニール袋がぶら下がっていた。明るい月を何個も詰め込んだようだった。
「俺のこと振らないでくださいね」
カカシは言った。
さもないと、この先、グレープフルーツを見るたびに泣きたくなってしまうよ。
イルカは立ち止まって、しっとりとしたキスをくれた。
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