チャパラナイト

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 四時間ぶっ通しで硬い座席に座り続けたため、さすがに尻が痛い。
 二人も、他の観客同様、別世界からの帰還者よろしくふらついて劇場を出た。ぞろぞろ流れる人の流れの中で、映画の世界に同調した子供達が俳優達の真似をして丸めたパンフレットで剣術ごっこをしている。ほら、あぶないわよ、と母親に窘められながら幼い兄弟は追いかけ合ってロビーへ走り出してゆく。イルカが微笑ましそうに眺めている。
 一時の回から見始めて、今は五時だ。明るい昼日中だった町が、劇場を出ると薄暗く暮れ始めていた。
 これから飯食って、軽く飲んで、で、うまくどっかにしけ込みたい。と、カカシは考えている。
 好きだと伝えた。
 キスもした。
 ま、勝手に頂いたようなものだけど。
 おつき合いを前向きに考えて下さいとお願いして、考えますとイルカは答えた。
 水曜の午後はわりと暇です、という言葉を貰って、以来、カカシは水曜日の男を続けてきた。
 自分も水曜日はなるべく空けるようにして、時間を合わせて会える時間を作った。イルカも協力的だった。今日だって、こうしてデートしている。
 そろそろ次の段階に進みたい。
 イルカのテリトリーにもっと踏み込みたい。互いの間の空間を殺して、もっと近づきたい。もう、そうしてもいい頃じゃないか。
 水曜日は平日で、次の日はお互いに仕事があるが、今日は週末だ。一晩中、一緒に過ごせる。
 とりあえず、飯だ。
 がっつりとご飯系かな。それから飲み。



 丼ものの店で夕飯を食べて、繁華街の外れにある丸いビルの中にあるバーへ来た。最近出来た話題のスポットだ。火の国の都で商いを学んできた酒屋の息子が開いた店だという。
 床に白いタイルを敷き詰め、白い漆喰の壁を青い照明が照らし出す。天井の高い吹き抜けのフロアには適当な間隔で様々なデザインの椅子やソファ、テーブルが配置されている。店の奥には玉突き台やスマートボールの台が並ぶ。洒落ているが気取りすぎてもいない。バーカウンターの中には各国から取り寄せた様々な酒の瓶が並び、品揃えもなかなかのものだ。軽食もつまめる。難点を挙げれば、話題の店だけに知り合いに会う確率が高い。田舎だから娯楽施設が乏しいのだ。
 バーカウンターの前に立って店内を見渡すと、受付や待機室で見かける顔がちらほらあった。皆、寛いだ格好で楽しげに飲んでいる。
 メニューを眺めながらイルカが珍しいカクテルの名前を読み上げてゆく。カカシも一緒に一枚のメニューを覗き込んだ。息づかいを近く感じる。腰に手を回したいのをぐっと堪えた。
「へー、チャパラなんてカクテルがあるんですねえ。カカシ先生、これにしたらいいですよ」
 イルカが一つのカクテルの名を指差して言った。
「勝手に決めないで下さいよ。俺、甘いの苦手なのに」
「じゃあ、俺が飲もうかな」
「え、じゃあ、俺も飲みます」
「なんですか、それ?」
 こちらを向いたイルカに、カカシはにこりと笑いかけた。
 一緒に(イ)チャパラ。願を掛けて飲もう。
 カウンターでグラスを受け取ってフロアのテーブルに移動した。一人掛けのふかふかのソファに腰を下ろす。映画館の椅子と比べれば、天国の雲のような座り心地だ。
 チャパラはテキーラベースのオレンジジュースみたいなカクテルだった。甘い。
 今日観た映画の話をした。
「ユマってこれがデビュー作なんですよね。すごいですね。素人なのにあんなアクションできるんだから」
 イルカが主演女優を褒める。。
「そうですねえ。美乳だったし」
「はあ」
「イルカ先生、すっごい真剣に観てましたよね」
「いや、あれは…」
 観るでしょう、とイルカが真顔で言うのでカカシは笑った。
 殺陣の場面の指導は火の国の有名な剣術師範がやったらしいとか、そういえば時々、受付にスタントマン募集の依頼が来るんですよねえ、とかそんな話をした。
 お互い一緒にエロい映画観てもいいと思うくらいには近しい位置にいるのが嬉しい。カカシはずっと友人の少ない人生で、そんな相手はあまり存在しなかった。よく「一人の時は何をしているの?」と訊かれる。単独行動が多くて、何をしているのか分からない、謎の生態だと思われているらしい。実は木の葉の中枢が開発した移植用素体で、任務以外の時は生理食塩水に浸かっているんだ、などというまことしやかな噂が流れた事もあった。だからこんなに髪も肌も白いのだと。
 笑ってしまう。
 カカシは一人の時は大概、修行するかゴロゴロしてイチャパラを読んでいる。一人で飯を食って、一人で寝る。それだけだ。
 ジュースみたいなカクテルはすぐになくなったので、かわりのジントニックを注文してそれを飲みながら、更に映画の話をした。アリクイが本当に怖かったと言ったら、イルカに意外そうな顔をされた。現実にもっと怖いものをたくさん相手にしているくせに、と言う。
「それとこれとは違うんですよ」
「そういうもんなんですか?」
 話しながら、カカシはイルカの手を見ていた。映画の間中、自分の手の中にあった日に焼けた節高いイルカの手。ずっと手を握ったまま映画を観るなんて、普通はしない。友人としては逸脱した行為だ。許してくれたのは脈有りって事だよなあ。
 カカシはイルカの指先に触れてみた。
 丸みを帯びた指先と広い爪。
 イルカは戸惑ったようにカカシの顔を真っ黒な目で見つめていた。
 考えているのが分かる。
 今のまま、少し接触の多い友人くらいのままでもいい。これ以上、近づいてのっぴきならない状況に陥るよりは、現状を維持していた方がいいのじゃないか。そう思うんだろう。情熱のままで突っ走るには年を取りすぎたし、同性同士でつき合うのはメリットよりリスクが大きい。
 カカシだって、敢えてこのバランスを崩すのを厭わしく思う気持ちがないではない。今までも何度かそういう雰囲気になった事はあった。にもかかわらず見逃してきたのは、イルカの迷いのせいだけでなく、カカシ自身にも変化していく関係を悼む気持ちがあったからだ。失った友人とするはずだった事をイルカとしたいと思っている部分もある。
 でももっとしっかりと触れ合いたいんだ。通過儀礼のように体の熱を分け合う事で抱きしめても当然の立場になりたい。
 カカシはイルカの指を三本まとめてぎゅっと握った。
 けたたましい破壊音と怒声が店の奥から響き渡ったのはその時だった。
「おまえらこいつに酒なんか飲ましてどうする気だったんだ!」
 聞き覚えのある声にさっとイルカが立ち上がった。
 続いてグラスの砕ける音や怒鳴り合う声が響いてきた。
「こらぁ! おまえ達何をやっている!!」
 完全に教師モードに切り替わったイルカが、腹に響く大音声を挙げて駆けていった。
 イルカの怒鳴り声に驚いて逃げ出そうとする男子達の襟首を引っ掴んでは投げ、引っ掴んでは投げ………あーあ。



 イルカは元生徒達を正座させて説教を始めた。その後ろ姿を眺めながらカカシはジントニックを舐めた。やっぱりイルカのGパンの尻はいいと不埒な事を考えながら。
 その場にいたのは若い中忍連中と、今年中忍に昇進した山中いの、日向ヒナタ、犬塚キバ、油女シノだった。イルカの受け持ちだった連中だ。サクラが面子にいない事にカカシはすぐに気がついた。最近、サクラは孤立しているように見える。だが、そうなっている事に彼女自身はあまり気がついていないようだ。大きな目標を掲げて偉大な師匠の元で研鑽に励んでいる。はっきり言って、そんな些事は今の彼女にとってはどうでもいいのだろう。サスケさえ取り戻せればすべてが上手くいくと信じている。
 今はそういう時期なのだろう。一心不乱に自分を磨くのは、ま、悪い事じゃない。
 山中いのあたりは気を揉んでいるようだが、心配したって仕方がない。なるようにしかならない。
 カカシ自身はもう、そういう青臭い事はやめてしまっていて、今はそこで仁王立ちになって子供達を見下ろして説教を垂れている人をどうやって口説こうかとしか頭にない。
 大人になると馬鹿になるって本当なんだな、と思う。
「グループ交際も結構だが十代は鼠の国にでも行きなさい!」
 イルカが彼らに言った。まったくその通りだ。ちょろちょろしてイルカの気を散らさないで欲しい。イルカの中の優先順位は未だに、1幼い生徒、2年嵩の生徒、3卒業した生徒、なのだ。子供達を前にすれば、イルカの中でのカカシは3の卒業した生徒の付随物に毛が生えたくらいのものだ。
「グループ交際じゃなくて合コンだよ」
 年若い中忍の一人が口を尖らせる。
「子供のくせに生意気言うんじゃない!」
 イルカは憤慨している。気持ちは分かる。いい年した俺達がやっとここへ漕ぎ着けたのに、とカカシも思わぬでもない。
「先生はなんでこの店に来たんですかー?デート?彼女放っておいていいのー?」
 だが女の子の一人がなかなか良い事を言った。
「先生は知り合いと飲みに来ただけだ。先生は成人してるからな」
 イルカは腕を組んで、ふん、と鼻息荒く言った。ふんぞり返ってみせる様が可愛い。が、ちょっと引っ掛かった。
「知り合い?」
 カカシは椅子の背に腕を預け、語尾を上げて尋ねてみた。
 全員の目がこちらに向いた。
 イルカは狼狽えて
「あ、あー、と、友達?」
と言い直した。
「友達、ねえ」
 まあ、いいけど。カカシは眉尻を下げて笑った。




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