木の葉の映画館はどんな大作でも必ず二本立てなので時間に気をつけなくてはならない。
メインの映画の余韻を愉しみたければ、そちらが後になるような回から映画館に入らなければならないからだ。さもないと感動超大作の後にB級ホラーを平気でぶつけてくる館主のセンスのお陰で、その日の残りをメロウな気分で過ごすことになる。
待ち合わせした映画館前は週末であることもあって、大層な人出だった。
丸屋根の映画館は、戦前から木の葉の目抜き通りにあって木の葉の娯楽の中心だ。
久しぶりに晴れた空から明るい日差しが降り注ぐメインストリートを、梅雨明けもまだだというのに気の早いことだ、腕や背中を露わにした女の子達が笑いさんざめきながら行き来している。ぽきりと折れそうな細いかかとのミュールをつっかけて器用に歩く。
劇場前の壁に寄りかかってイチャパラを読んでいると、「カカシさん!」と弾んだ息で呼ばれた。
小走りで現れたイルカは
「カカシさんが先に来ているなんて!」
と、驚いた顔をしている。
俺だっていつもいつも遅刻してるわけじゃないんですよ。
心の中だけで言って、カカシはにこりと目を細めた。
イルカはオレンジっぽいチェックのシャツの中に白いTシャツを着ていた。胸の筋肉の流れがシャツの生地越しにうっすらと分かる。白いシャツの胸元が眩しいような気がした。
髪はいつもより低い位置で括っている。珍しいですね、と言うとイルカは笑った。
「劇場の中であれだと後ろの人が画面見づらいらしいんですよ」
今日の俺は映画館仕様です。と言ってまた笑う。頑丈そうな白い歯が口元に覗く。
その歯で噛んでほしい。色んなところを。
カカシは相変わらずの首元から顔半分を覆う黒いシャツに、支給品であるカーキ色のジャケットを着てきた。肩口に木の葉のマークのはいった、ベストと同様、木の葉の中忍以上なら誰でも持っているものだ。これに派手な刺繍を入れた物が、スーベニアジャケットと称して大門近くの土産物屋でよく売られている。カカシのは正規品なのでいたって地味な物だが、カラフルな部隊章や階級章などがいくつか胸に縫いつけられている。久しぶりにタンスの奥から引っ張り出した。支給された頃はごついジャケットに着られているようだったのが、いつのまにか様になるようになっていたのは驚きだ。
男の服は胸で着ろ、というのがカカシの師匠のさらに師匠のお言葉だ。
胸板が厚くないと、格好つけても様にならないという事らしい。
カカシはまたイルカの白いTシャツの胸を見た。まだ新しい真っ白なシャツがイルカの鎖骨や胸筋に沿って微かにたわんで影を作ったり、盛り上がって白く映えたり。魅惑のラインだ。手で触って確かめてみたい。
男の胸元を見てそわそわする日が来るとは思わなかった。
エロスの不思議だ。
まだ前の回の映画が終わっていないのに劇場のロビーには列が出来ていた。
人々の間に挟まれて二人並んで劇場の扉が開くのを待った。
「座って観られますかねえ?」
「これくらいなら大丈夫でしょ。同時上映は『復讐の爪痕・巨大アリクイの恐怖』かあ。どっから見つけてくるんだろねえ、こういうキワモノ…」
カカシは壁に貼られたポスターのリアルなアリクイの絵を眺めて感心した。
「あ、ポップコーン!俺、買ってきます!飲み物も!」
ひょいと伸び上がって列の向こうの売店を見てイルカが言い出した。
「巨大アリクイがばきばき人食ってるの観ながらポップコーン食べるんですか?」
「気分ですよ。映画館ではポップコーンとコーラ。ね?」
ニカッと笑ってイルカは列を離れて売店へ向かった。一番大きなバケツみたいなポップコーンを買っている。
いつもの動きやすい支給服じゃなくて、ぴったりしたGパンを穿いているから、なんか、もう、その後ろ姿だけで……女に感じるのとはまた違った色気だ。カカシはエロスの不思議を噛みしめた。
劇場の扉からエンドテーマ音楽が流れ出して、見終わった観客達がぞろぞろと出てきた。みんな別世界から帰ってきたみたいにぼんやりした顔つきをしている。
カカシは席を取るために先に場内に入った。席を探して人々が右往左往する中で素早く通路の左側の座席を陣取り、隣の席にジャケットを脱いで置いた。中央よりは少し前寄りだが、まあ、いいだろう。
イルカがポップコーンと紙コップを二つ、器用に手挟んで運んできた。カカシがジャケットをどけるとその席に腰を下ろした。紙コップを一つ渡された。中の氷がしゃりしゃりと音を立てる。プラスチックの蓋に差されたストローを吸い上げると甘い炭酸の味がした。
ごそごそと座り心地の良い位置を探して背もたれに凭れる。古びた映画館のシートはただでさえ硬いのに、連日満員のせいかクッションが人の尻の形に窪んでいた。
隣に座ったイルカがカカシの頭を見上げているのに気がついた。
ああ、邪魔かもねえ。この突っ立った髪は。
気になるらしい。
でも猫背だから大丈夫。
どうせ映画が佳境に入る頃には尻がずって座高は低くなってる。
場内アナウンスが流れて、灯りが落とされる。
ざわついていた観客達が、しん、と静かになる。
隣に座った互いの横顔を意識しながら二人も口を噤んでスクリーンを見上げた。
アリクイは恐かった。
カカシは知らなかったのだが、アリクイは二本の後ろ足で立つのだ。外敵が現れるとすっくと立ち上がり、威嚇するように両前足を広げて、フッ、フッ、と左右に身を揺らす。隙だらけのようで隙がない。しかも四つ足で歩いている時は頭も尻尾も細長くて、どっちが頭なのか分からない長い体にふさふさと毛の生えた、弓形のモップのような姿なのだ。それが立ち上がるとヒトデのように妙に体が広がって怖い。
そしてアリクイはばきばきとは人を食わなかった。細長い口から鞭のように撓る長い舌を出して、粘度のある唾液で獲物を巻き取り、絡めて口に吸い込むのだ。カメラは正面からこちらへ伸びてくる滑った舌を撮す。それが異様に怖かった。
あらすじは幼い頃、人間に酷い目に遭わされた仔アリクイが、森の奥でシロアリを食いまくって巨大になって人間の村落を襲うというパニック物だった。前半はとにかくアリクイの怖さでぐいぐい引き込まれたが、後半で謎の格闘家と巨大アリクイの一騎打ちになったあたりで訳が分からなくなった。
隣を伺うと、存外イルカは真剣な面持ちで画面を見ていた。
手とか握りたいなー、と思ったが、この映画の空気がそれを許さない。メインの映画が始まるまで我慢しようか。あっちはロマンスの要素も入っているようだし、ムードの盛り上がった所で−−−と考えたが、アリクイと格闘家に友情が芽生えそうになっているのを観ているうちにどうでもよくなってきた。
ま、いっか。
カカシはイルカの膝の上、ポップコーンのバケツを持っている手に自分の手を重ねた。スクリーンの中では格闘家の回し蹴りがアリクイの脇腹にクリーンヒットしたしたところだった。
イルカは、はっとした顔でカカシを振り返り、どうぞ、という感じでポップコーンを差し出してきた。
いや、違うんだけど…
カカシはおとなしくバケツに手を突っ込んでポップコーンを掴み取るとむしゃむしゃ食べた。イルカも思い出したように、ポップコーンを摘んで口に入れた。
映画が終わり、エンドロールが流れる。十五分間の休憩時間にはいった。
「よく分からない映画でしたね」
カカシはシートの上で伸びをして言った。イルカが「ははっ」と笑った。
それから笑みを口元にのせたままカカシへ視線を流した。
「今日は手甲してないんですよね」
と言った。
「直接、触ったからちょっとびっくりしました」
カカシは暫し、固まった。イルカはよくこういうどうということない科白でカカシを固まらせる。
「まあ、今日は非番ですし、」
カカシは肘掛けの上で手をひらりと返した。
「そうですね」
だから、なんでそんなことで嬉しそうな顔をするんですか。
カカシがじっとイルカの顔を覗き込んでいると、イルカは少しだけ眉を曇らせた。
「さっきのアリクイ、可哀想でしたね」
と、言った。
ああ、なんか結局、謎の格闘家に倒されていたよな。
「やっぱり、子供の頃に受けた心の傷は大きいんですよね」
イルカ先生は顔を俯けて真面目な口調で言った。カカシはイルカの手を取って、手の中でぽんぽんと弾ませた。そんな事を考えながら観ていたのか。
「でも死闘の果てにアリクイと格闘家は心を通わせることが出来たんですよ」
考えてみればこの里でこの手の映画を上映出来るようになったというのがすごいことなのかもしれない。巨大な獣に襲われるといえば、すぐにこの里の人々は九尾の事件を思い出す。大蛇丸の襲撃の記憶もまだ新しいが、娯楽作としてこういう映画を楽しめるようになったというのは、それだけ人々の心に余裕が出てきたということなのだろう。そしてスクリーンの中で怪物が英雄に倒されるのを観て人々は安心する。
そんな中でイルカはスクリーンの怪物の中に自分の元教え子達の幼い顔を重ね合わせて胸を痛めていたのだろうか。
でもナルトはあんな風に不気味に両手を広げて左右に揺れたりしませんよ。
もう一人の方はどうなったのか、まるで分かりはしないが。
水っぽくなったコーラを飲み、ぼんやりしているうちに周囲の人々は入れ替わり、開演のブザーが鳴った。場内が暗くなり、メインの映画が始まった。
二本目の映画はまともだった。
仇討ち話に男装したヒロインと、彼女が女だとは知らずにいる青年剣士のもどかしいラブストーリーが絡められていて、けれんみたっぷりのなかなか面白い映画だった。
ずっと手を繋いだままで観た。肘掛けの上でカカシがイルカの手を自分の掌に載せてやんわりと握っていただけだったけれど。一見、美少年のヒロインと剣士とのラブシーンなど倒錯的な画面になるたび、イルカの手がたじろぐのが分かったが、カカシは手を離さなかった。イルカは振り解こうとはしなかった。
そのうちイルカは映画に没頭しだして、カカシの方へは意識を向けなくなった。クライマックスでヒロインの着物が破けると、おお!と身を乗り出していた。劇場中の男達の反応がそんな感じだった。
確かに美乳だった。
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