「黒髪大吟醸」
黒髪の男というのは、どういう遺伝的素因があるのか知らないが、どことなく艶めいた印象がある。のはなんでだろう。骨格が華奢だから?別に筋骨逞しい黒髪の男がいないわけではないのだが。例えば今年カカシと同じく下忍担当になった同僚の猿飛アスマとか。逆に色素の薄い男の方でも綺麗めな顔立ちの優男は多いはずなのだが、肌の色のせいだろうか。
一般に濃い色素の人間の方が肌理の細かい滑らかな肌をしている。カカシなど色素の究極に薄い部類だからか乾燥肌だし耳垢だって粉っぽい。
黒髪でも部下のサスケとか、特別上忍の月光ハヤテあたりは耳垢も粉ッぽそうだ。彼らの肌は青白いほどの白さで、今カカシが念頭に置いている系統の人間とはちょっと違う。あ、大蛇丸は青白いけど耳垢湿ってそうだ。
今、カカシが思い浮かべているのは、髪が黒くて肌が浅黒くて、でも日の当らない部分は妙に白かったりする、眉がくっきりしていて眼が意外に大きかったりする、女顔というわけでもないのにどことなく物腰の柔らかな印象がある、部隊に一人二人いるような、そういう種類の人間だ。一人一人見れば充分男らしく体も鍛えているのに他の男達の中に入ると、背が低いわけでもなく性格が大人しいわけでもないのになんとなく、どこかしら艶があるような印象がある。
カカシは商売女もうっとり見惚れて「綺麗」と評するような色味を持っているが、あの手の、なんだろう、猥雑な色味は持ち合わせていない。
やはり、ついて行けばよかっただろうか。
そんな事が出来るわけもなかったのだが繰り返し考えてしまう。
街道沿いの宿場で任務中の彼に出会った。いつもとは全く違う風体で、普段の彼からは想像も出来ないような事をしていた。標的であるらしい男を落としていった手並みは鮮やかだったが、チャクラを温存していたということはあの後戦闘になる可能性があったということだ。
あれから二日が経過していた。いつも彼が座っている受付の椅子には違う若い忍が座っている。
まだ彼は任務から帰らないようだ。
「黒髪の男ってエロいよなあ」
イチャパラのページを眺めながら呟いたカカシに向かいのソファに座っていた同僚が嫌そうな顔を向けた。二人とも受付のソファに座って混雑が引くのを待っていた。夕暮れの迫ったこの時刻はいつも人が多い。長く伸びた列の後ろについてじっと立っているのも面倒なので座って煙草を吸ったり雑談をして時間をつぶしている人間もそれなりにいる。
「なんだ、コラ。俺に言ってんのか?」
煙草のフィルターを噛んだアスマに思いっきりガンをつけられた。
「いや、アスマはちゃんと除外したから」
真面目に申告すると、そうか、と了承された。
しかし密かにアスマが同性に人気があることは知っている。
やっぱりエロいのか。
一度、目を逸らし、ふーと紫煙を吐いてからアスマが訊いてきた。
「なんで男なんだ?」
「黒髪の女がエロくても取り立てて考える事でもないデショ」
「そうだが」
アスマは変な顔をした。
アスマの心中としては、昼真っから受付所で何を考えているのか分からない半眼で十八禁本を読みながらある種の同性のセックスアピールについて考察をめぐらせている同僚とはいかがなものか、である。
手練れの忍に奇行が多いのは昔からだが、それが敵のみならず味方をも欺くためである場合もそうでない場合も多々あり、今、目の前にいる男の場合は半々だろうとアスマは踏んでいるが、しかし、今のはアスマ的に微妙なラインだ。
なんつーか、本音っぽい。
「趣旨替えしたのか?」
「いーやぁ?」
なんで語尾が半音上がるんだ。
「おまえ、さ」
「大体、連隊組むとさ。一人二人はいるじゃない、そういう人」
「まあ、いるかもな」
「そういう人ってどういうものなのかなあ、って」
「どういうって?」
「なんとなく受身に回りがちだったりするじゃない。本人的にはどうなのかなあ。中忍だと年齢的にはとうが立ってるわけだけど上から命令されたら断れないし」
そんな境遇の男に同情しているのかというとそうでもないらしい。どちらかというと興味があるような口振りだ。つまり、カカシは黒髪の中忍の男のセクシュアルな面についてあれこれと考えを巡らせて悶々としているらしい。
女を知らない十代の少年が女なる未知についてあれこれと思いを巡らせているような、そういうのを写輪眼のカカシがやっているというのはちょっと…。今更、忍の里で男が男を口説こうが、ふーん、こいつも好きだな、くらいにしか思わないが、それはちょっと…。
「おまえがムッツリだって事は知っている」
知ってはいたが、それは、ちょっと…だ。
アスマの微妙な心情には配慮しないままカカシは黒髪の男について考察を深めていったようだった。
あの人も汚れ仕事を請け負うのだ。
そう考えると胸が躍った。
任務のために女を誑かしたり、媚を含ませた目で男を誘ったりするのだ。人の情や欲を逆手にとってその空隙に刃をたてたりするのだ。
いつも太陽の下で子供達に囲まれて純朴そうな笑顔を浮かべている、その彼も教師という職を離れれば自分と変わらぬ一匹の忍びにすぎないのだ。
彼の戦う姿を見てみたかった。
組んだ足をぶらぶらさせながら物思いに耽っているカカシに愛想を尽かしたようにアスマが立ち上がった。そろそろ人も引けてきたし列に並ぼうかと受付に視線を巡らせると、カウンターの奥の扉から一人、内勤らしい男が入ってきて同僚達に向かって何事かを告げた。
「それ、イルカが行った任務じゃないか?」
カウンターの中で誰かが声を上げた。
「え!すごいじゃないの!」
「これは金一封出るぞ!」
列に並んだ者達は混雑にうんざりしながらカウンター内で持ち上がった騒ぎを見守っていたが、「火の国との合同捜査」という単語が出ると皆、素知らぬ顔をしながら聞き耳を立てた。カカシとアスマも見知った男の名が上がったのを聞きつけそちらへと注意を向けた。
「あの先生、見かけないと思ったら任務に出てたのか」
アスマが感心したように言う。
「すでに火の国では号外がでているらしい」と最初に情報をもたらした男が興奮気味に話している。
イルカの任務は大事になったらしい。
あの時のイルカからはそんな物々しい気配は感じなかった。下忍の少年が混じっていたし、ごく少数で行動しているような印象だった。
髪や頬に触れてきた手の感触を思い出してカカシはふるっと肩を震わせた。
「それで、イルカは今どこにいるんだ?」
「さっき帰投したんだが検疫で引っかかってるらしい」
大門の外側、脇の詰め所からすぐの所に検疫がある。
害をもたらすような動植物や病原菌が里内へ持ち込まれるのを防ぐために医療部や処理班から配属された検査官が外来者や帰還者を検査する場所だ。農作物や家畜の持ち込み時に行われることが多いが、特殊な内容の任務からの帰還者も足止めされることがある。
検疫で足止めされるようなことといえば何かを持ち帰ったかここにはない病のある土地へ行ったか、毒を使われたか。
何事があったのだろうとざわめき始めた受付所にどこからか異臭が流れ込んできた。焦げ臭いような甘ったるいような臭いだ。
入り口を注視した人々の前にエントランスを潜って一小隊四名の忍がずかずかと入ってきた。
四人とも燻されたように煤にまみれ、ベストもアンダーも汚れて破れた箇所もある。支給服の襟を鼻の上まで引き上げている。わずかに露出した黒ずんだ肌の部分に目だけが炯々と光り、戦闘を終えてきたのだとすぐに分かった。
「道を空けてください!どうぞこちらへ」
受付の男が身を乗り出して声を上げた。四人の先頭に立って入ってきたのは背は高いが痩せた男だった。その脇に付き従うようについていた中肉中背の男が覆面をずらして口元の白い肌を晒した。布の下から鼻っ面の傷が現れた。
「報告書の受理をお願いします。一応、検疫は通ったのですがすぐに洗浄するように言われましたので」
男の言葉にその場にいた者達が道をあける。
臭いの元は彼らだった。彼らの顔の下半分を覆う黒い布は顔を隠すためだけでなく下地に特殊なフィルターを縫い込んだ防毒マスクの役割も果たしている。もう誰もが彼らの体から立ち上る焦げ臭い甘ったるい臭いの正体に気がついていた。
幻覚作用のある植物を焚いた匂いだ。
臭ってくる程度なら周囲に影響はないが、おそらく彼らは任務時にその成分を含んだ煙をマスク越しとはいえ相当吸い込んできたと思われる。小隊の中には少年も混じっている。早く煤を洗い流し処置を受けた方がいいと検疫で言われたのだろう。
鼻の上に一文字の傷を持った男が人々の間をすり抜けて報告書をカウンターに提出した。先頭に立ってきた部隊長らしき男や他の二人は入り口で待っている。
受付係は手早く書類を裁いた。いつもはあの机の内側にいる人間が書いたのだから不備も書き損じもないようだった。
カカシは彼らが受付所へ入ってきた時からずっとイルカの煤と泥にまみれた精悍な顔を注視していた。未だに前線の張りつめた空気を纏い付かせたままの熱に浮かされたような顔だ。
「確かに受理しました」
受付の男のその言葉を聞くとイルカは他の三名と共に受付を後にした。
一度もこちらへは目を向けなかった。
火の国で配られたという号外の瓦版が里内に流布したのはその日の午後だった。任務から帰った誰かが持ち帰ったらしい。
火の国の警邏部隊と木の葉忍びが国境付近を根城にした麻薬密造グループの拠点に踏み込み大規模な捜査を行ったというのが事件のあらましだ。その際に大きな火災が起こったそうだから周辺に事件が伝わるのは早かったようだ。任務にあたった忍の名はもちろん書かれていないが、従事者の周辺にはすぐに見当がついたらしい。
箝口令が敷かれなかったのは火の国内外に木の葉の働きを見せつけるいい材料だと判断されたからだろう。
これは本当に金一封ものだろう。火の国の国主から正式な礼があるかも知れない。