数日後、一人の特別上忍が退官することになったというので集まりがあった。
 カカシも知っている男だ。
 任務での怪我が元で片手が不自由だったがそれでも長く戦場に身を置き、多くの戦功を立てた。彼に世話になった者は多く、労いの宴を開きたいと有志が参加者を募った。その日は班での簡単なDランク任務が入っているだけだったのでカカシも顔を出すことにした。任務を終え報告所へ入ると偶然、顔見知りの他の班の指導教官達も任務を終えた所だった。皆、その集まりに呼ばれているという。
 じゃあ、まあ、一緒に行きますか。そう話がまとまった。
 アスマ、紅、ガイ、そしてカカシ、四人とも上忍師としての任についているが一緒に行動することは多くはない。
「この前の火の国との合同捜査が最後の任務なったらしいわね」
 耳の早い紅が言った。
「最後を飾るにゃあいい仕事だったろうな」
 アスマが軽い調子で答えた。
「本当はもう引退を考えていた所へイルカ先生が頼み込みに来たんですって」
 最初、任務のランクはCランク、失踪人の捜索任務だったらしい。それがどうして火の国の警邏部との大掛かりな捜査へと発展したのか詳しい事は今のところ報告を受けた上層部しか知らない。
 ただ、依頼が持ち込まれた当初は受付で断ろうかという意見が出るくらい小さな依頼だったらしい。
「当事者に聞いてみるのが一番好いんじゃないか?」
 アスマが顎をしゃくった。そちらへ目を向けると渦中の人物が鞄片手に受付を出てきたところだった。
「イルカ先生も参加するんでしょう?一緒に行きましょう」
 紅が声を掛けた。馬鹿なことだがカカシは彼の姿を見て少し怖じけてしまった。この間、あんな姿を目にしたばかりだ。一体どんな顔をするだろうかと見守っているとイルカはいつもの感じの良い笑顔を浮かべて頷き近づいてきた。
 もういつもの受付で会う平和ボケした内勤の中忍らしい顔になっている。
 それに端倪すべからざるものを感じたのは自分だけだったのだろうか。


 貸し切りにされた飲み屋は既に一杯だった。今日の主役の人望を表すように下忍から上忍まで大勢が集まっていた。上忍四名に、プラス中忍一名は出入り口に近い卓にとりあえず腰を下ろした。
 既に乾杯はすんでしまったらしい、各自てんでに杯を持って席を行き来している。引退する特別上忍は戦働きが主な男だったのでここにいるのも戦忍が主だった。
「イルカ先生はトキワ特別上忍とは前から知り合いだったの?」
 紅がかけつけ一杯目のビールを干してイルカに尋ねた。
「いえ、依頼を受けてから上忍名簿を捲って探し当てたんです」
「へえ?」
「ちょっと難のある依頼だったんで、受けてもらえるような人がなかなかいなくて」
 受付で管理されている名簿は里の中枢に保管されている個人データとはまた違い、忍び一人一人が今までこなしてきた任務の傾向や得意分野、嗜好まで網羅されていてある意味里の最高機密といっても良い。担当した係官がその時々に気がついたことも付け足していくのでそれ以外には残されていないような情報も載っているらしい。これは上忍であるカカシ達も触ったことはない。
「その上忍名簿ってどんなことが書いてあるの?興味あるわ」
 イルカの隣に座った紅がイルカのコップにビールを注ぎながら流し目を送った。どうやら今日はあれこれ吐かせるつもりらしい。胃の中身まで吐かなければいいけれど。いつもの紅の飲みっぷりを知っているカカシはこっそりと思った。
「いやあ、最高機密なんて言ってますけど実際は大したことが書かれているわけじゃないんですよ」
 イルカは顔を傾けて零れそうになったビールの泡を啜った。
「誰それに頼み込みに行く時には『大吟醸・紅葉舞』を持って行けとかね。内部の者しか使わないような情報ですよ」
「ふうん。私達についてはどんなことが書いてあるのかしら?」
「それは言えませんよ」
 イルカが笑って言う。
「えー、じゃあ例えばカカシは?」
 言えないとゆったそばから質問だ。
 答えないだろうと思ったイルカはふっと意味深な笑いを漏らした。
「カカシ先生用には最終兵器が用意されていますよ」
 え、なになに?なんなのそれ!?と紅が身を乗り出す。ガイやアスマまでイルカを食い入るように見つめている。カカシは普段通りの眠たそうな顔つきで、だが耳だけは大きくなった。
「幻のイチャパラ初版本です」
「え!!」
 垂らされた餌にカカシは飛びついた。
「それって火の国で発禁になったっていう?」
「そうです。まだ前編後編とも書かれていない、『シリーズ』表記もないものです」
「じゃあ、削除されたって言う31頁分も…」
「削除される前の完本です」
「イルカ先生、それ…」
 中毒患者のように手が震えた。まさにカカシはイチャパラ中毒なのだ。
「今後、何かの際にカカシ先生に何かお願い事をしなくてはならない時のためにキープしてあるんです」
「そんなの、今すぐ下さいよ!!何でも言うこと聞きますよ!?そんなのが里内にあるって事が分かっちゃったら俺、今夜から眠れません!!」
 んー、でも使い時はちゃんと判断しないと…とイルカは考え込むような素振りをした。お願いします、本当になんでもしますから、と中忍相手に頭を卓に擦りつけんばかりのカカシに頭上から呆れたような声が響いた。
「気をつけろよー。似たような話で三年間、受付にいいように使われた奴を知ってるぞ」
 アスマの声に顔を上げると、「もう、言っちゃダメですって」とイルカ先生が苦笑していた。
 ネタ!?ネタだったのか!?
「一瞬、夢を見ました」
 イルカ先生はいつも俺の夢を砕きます。そう言ってすんと鼻を鳴らすとイルカは慌てたようだった。「ごめんなさい。そんなにがっかりされるなんて思わなくて」と申し訳なさそうに眉を下げた。
 カレーを食わせてもらってから甘え癖がついたみたいだなあと自分でも思いながらカカシはイルカの人の良さそうな申し訳なさで一杯ですという顔を堪能した。やっぱりそういう顔をしている方がイルカらしいと思う。
 この間の任務先で婀娜っぽい着物を着ていた姿や、任務後の荒んだ空気を纏ったイルカも良かったけれどこの方が安心だ。
 そんなことを思いながら一方では『イチャパラ初版本』についてイルカがそんな詳細な事まで知っているのはおかしいのじゃないかと疑惑を向けた。マニアでもない限り、初版本に『シリーズ』の表記がないとか、刊行された当初は前後編ですらなかったとか知っているだろうか?もしかしたらイルカはどこかで実際に幻の初版本を目にしているのかも知れない。今度こっそり受付内に忍び込んで探してみようか。
「おいおいおい、物騒なこと考えてるな」
 煙草を銜えたアスマが顔を覗き込んできたが無視した。
 紅はカカシのわざとらしいしおらしさにまったく心を動かされなかったらしく、もう違う話題に移っている。
「難のある任務ってどういう事だったの?」
「まあ、平たく言うと報酬が安すぎたんです」
 紅に振られてあっさりイルカは白状した。もう終わった任務だし、あれだけ話題になってしまった事だから内容を話してしまってもいいらしい。
 依頼の内容はカカシが予想したとおり街道沿いの村に関係する事だった。以前、他の任務に向かう途中で通りかかり子供の姿が殆ど見えないことを不思議に思ったのだ。その帰りに宿場で任務中のイルカと鉢合わせした。
 依頼人が持ち込んできた話はこうだった。
 街道沿いのある村へ口利き屋がやってきて子供達を奉公に出さないかと村人達に持ちかけた。食事も寝床も確保するし、給金もはずむという。貧しい農村だったから毎日食事が与えられて給金も支払われるのであれば、村にいて農作業に従事するよりもいいだろうと大人達は考えた。そこで子供達を口利き屋に任せて働きに出した。
 最初の二、三ヶ月はちゃんと仕送りも届いたのだが、半年もするとそれも滞りがちになり音信も途絶えた。不審に思っていたところへ村へ立ち寄った旅人が一通の手紙を携えてきた。
 文字の書ける年長の子供が書いてこっそりと通りかかった旅人に託したものらしい。
 手紙には毎日畑仕事をしている。仕送りはきっとするから待っていて欲しい。すまない、すまない、とそればっかりが書いてあった。
 もしかしたら給金を与えられずにただ働きをさせられているのかもしれない。半年の間一度も里帰りもさせずに手紙も来ないというのはおかしい。そう思って何人かの親が子供を訪ねて行ったのだがいつも門前払い、子供達に給金は支払っている、仕送りをしないのは子供達が勝手にそうしているだけだという。確かに届いた手紙にも給金はもらっているというような事は書いてあったが、ではどうして便りもよこさず顔を見せもしないのか。雇い主は街道沿いの平野に高い塀に囲まれた大きな邸に住んでいるが、子供達はそこにはいないようなのだ。名主に訴えてみたが奉公に出す時に書いた証文を盾に取られてどうにもできないという。
 名主から仕送りなどしなくていいから帰っておいでという文を遣ったのに子供達からも返事はない。
 一体、子供達はどこでどうしているのか。
 そこで村人達はなけなしの金を持ち寄って木の葉の里に捜索を依頼することにした。
 その依頼を受けたのは顔に一筋の傷を持つ、きりりと髪を結い上げた若い中忍だった。アカデミーでの授業を終えて昼からのシフトに入った彼は、村人の携えた金子袋を前に大いに頭を悩ませている同僚達の姿を目にした。
「どう考えてもCランクなんだよ」
 受付所で渋い顔をしている同僚の一人が言った。だが依頼人である村が出せる金額はDランクがやっとだ。そもそも金に余裕があるのなら子供達を奉公になど出さない。
「上忍一人に下忍三人の一小隊を送り込むにしても、荷が勝ちすぎる」
 下忍のスリーマンセルについている上忍師は部下の教育も兼ねているから特別サービスみたいなもので、お得なパック販売のように使えるのだが安く使えるのは経験の浅い下忍のいる班だけだ。Cランク任務はやはり中忍に任せるのが基本だ。
「この金額じゃあ、無理だよなあ」
 忍びだって体を張って任務をこなすのである。それなりの報酬がなければ依頼は受けられない。
 断るしかないだろうか、そう結論が出そうになった時、「待ってくれ」と声を上げた男がいる。
「俺がなんとかする」
 そう言ってイルカはその件を引き受けた。