最近、木の葉の恋人同士の間でよく交わされる会話があるそうだ。
「あたしと火影様が目の前で死にそうになっていたら、どちらを助ける?」
 美しい上に豊満な肉体を持った、見た目だけはうら若い火影の就任に里の女達は複雑な気持ちを抱くらしい。勿論、表だってそんな言葉は吐けないから恋人との共寝の睦言で、こっそりと拗ねたように囁くのだ。
 肝の据わったくのいちなら「あなたが死んでも火影様だけは私が守るわ」と嘯くだろうし、それが忍の本来なのだが、そんな風に拗ねられるのもなかなかいいものらしい。
「困っちゃったよ。そんなの答えられないだろ?」
 わざとらしく眉間に皺を刻んではいるがちっとも困った風ではなく、話を振った同僚はイルカ達を見回した。
 定食屋の小さな卓に男四人が肩を寄せ合って、夕食がてら軽くビールを引っ掛けているところだ。受付業務を終え、少しの残業を終えて四人で一緒に職場の帰りだ。以前は夕餉時は混み合って相席が普通だったのが、今はイルカ達の他には二、三の客がちらほらと店の中にいるだけだった。この辺りはあまり被害のでなかった地域だが、里に常駐する忍の数自体が減っている。
 寂しい店内を活気づけようとしたのか、同僚の口から語られたエピソードはイルカをひやりとさせた。
 昼間のイルカと綱手のやり取りを聞いていたわけでもあるまいが、時代が時代なら、随分と際どい話だ。
「なんだよ、要するに惚気だろ」
 もう一人の同僚が「やだやだ」と首を竦めた。
「俺なんか女房に今まで地方の任務に行くたびに買って集めた提灯を捨てるか、あんたが捨てられるか、どっちがいいって迫られてるんだぞ」
「提灯て、アレですか? 土産物屋で売ってる地名の入ったアレですか!?」
 つい食い下がって確認してしまったイルカに年上の既に妻帯している同僚は少し赤くなって頷いた。
「うわ、あんなの買う人がホントにいたよ!」
「それは本気で捨てられますよ」
「よりによって地名入り提灯はなあ…忍として…」
「どこに行ったか丸わかりじゃないですか」
「んな、極秘任務の時に買うわけないだろう!」
 同僚の一言にイルカ達は、ぐっと笑いで喉を詰まらせた。
「ご、極秘任務の度にミニ提灯買ってる忍って…」
「み、見てみたいよ、そんな奴!!」
 口の中に飯が詰まっているため笑うことが出来ず、イルカ達は肩を振るわせて腹筋をひくひくと痙攣させた。
「うるさいな!なにを集めようが俺の勝手だろう!」
 まあ、そうですけど…と一応は頷きながら、やっぱりそれは趣味が悪いよなあ、奥さんが捨てたくなっても仕方ないよなあ、と口々に言いながら大根の煮付けをつついていると、イルカの隣に座っていた同僚がビールをごくごく飲み干して、ふう、と一息ついてから言った。
「俺は火影様のあの胸に抱かれて死にたい」
「ああ、それ、いいなあ」
 きっと天国のような心地だぜ、と他の同僚達も酔ったわけでもなかろうに馬鹿を言う。
「俺ら独り者にとっては五代目は女神様だよなあ」
 なあ、と同意を求められてイルカはすぐには頷けなかった。
 誰の腕の中で死にたいか。
 そんなの決まっている。
 あの人がいい。
 あの人に抱かれて死にたい。
 死ぬ時はあの人の傍がいい。



 里を九尾の妖狐が襲ってくる。
 忍達が次々に倒されてゆく。四代目はもういない。
 巨大な九本の尾を打ち振りながら、狐は里の中心へと向かってゆく。九尾の吐く毒々しい息が木々をなぎ払い、家々の屋根が木っ端のように吹き飛ばされる。
 三代目や上忍達は顔岩の上で九尾の妖狐を封じるための術の詠唱を始めている。でも間に合わない。
 九尾の狐は中央棟の屋根を踏み砕き、彼らの前に顔を擡げる。
 耳まで裂けた大きな口を開いて三代目達に襲いかかる。
 その時だ。
 イルカは起爆符を大量に抱きかかえて九尾の口めがけて突っ込むのだ。
 完全に倒すことは出来ないかも知れない。だが爆発の衝撃で狐が弱った隙に三代目達は術を完成させる。
 あの白い光−−−四代目が包まれたあの冷たい早暁のような清らかな光が九尾を消し去る。
 すべてが終わった後に、地に伏したイルカの亡骸を見つけた三代目がそっとイルカを抱き起こす。
「おお、イルカ…ようやったのう…」
 えらかった、おまえは里を救ったのじゃ…涙を零しながら三代目が言う。



 なーんてな。
 起爆符を抱えて突っ込んだら死体なんてぐちゃぐちゃで抱きしめることも叶わない。
 同僚達の軽口を聞き流しながらイルカは一人、苦笑した。
 幼い頃に一人の部屋で膝を抱え込んで何度も何度も空想したお話だ。
 三代目に声を掛けてもらってから、イルカが思い浮かべるのはいなくなった両親の顔ではなくそんなヒロイックな夢物語に変化していった。
 両親のことを思い出すのは辛すぎたのだ。
 だからそんな空想にのめり込んだ。
 一人の部屋で両親の残した巻物を繙き、独学で作った何十枚もの起爆符を押し入れに仕舞い込んでいた。子供の作ったものだから本当に効力があったのか怪しいと思うがその頃は本気だった。
 アカデミーの成績は中の中で高度な術も使えなかったけれど、いざとなったらこれで戦おうと心密かに決意していた。子供だけの一人暮らしで誰かが侵入してきたら…とそんな危機感があったのも確かだ。
 風の強い晩などは家の軋む音が恐ろしくて震えていた。両親がいた頃は他のどんな所よりも安心出来る場所だった実家が、一人でいると風で家ごと吹き飛ばされてしまいそうな頼りない場所になってしまった。
 夜中に不安になって布団を抜け出し、カーテンの隙間からじっと夜の空を眺めていたりした。
 恐ろしくて寂しくてまんじりともしない夜、イルカは三代目のことを考えた。
 きっと優秀な忍になって三代目の役に立ってみせる。
 今はそれに至る途中なのだ。途中のたった一夜に過ぎない。夜は明けて朝が来る。アカデミーへ行く。友達に会える。先生がいる。新しい術を覚える。卒業試験はもうすぐだ。
 目の前の不安や寂しさだけで一杯になってしまいそうな時、三代目の存在はイルカに未来を考えさせてくれた。  アカデミーを卒業すると担当上忍がついて、小隊の仲間も出来た。任務と修行で忙しく、余計なことを考える時間はなくなっていった。
 中忍になった頃には自分はさほど優秀な忍ではないということは分かってしまったけれど、いつか三代目の役に立ちたいという思いは変わらなかった。
 また九尾の妖狐のような恐ろしい敵が里を襲ってきたら、今度こそ自分も一緒に戦う。里を守るために戦った両親のように。たとえ戦死しても慰霊碑に名前を刻んでもらえる。それを見て三代目は自分のことを思い出してくれるだろう。
 そんな夢想は子供の頃のままずっと胸の内にあったのだ。
 三代目がイルカを必要としたのは非戦闘員であるアカデミー教師としてであったのはイルカにとって皮肉なことだった。更に仇である九尾の器となった子供を託されることになってイルカは複雑な気持ちになったけれど、
 −−−おまえならあの子供を受け入れてくれるじゃろう?
 三代目にそう言われればイルカには頷くことしか出来なかった。
 なんでもよかったんだ。お役に立てるのならば。
 実際にその子供を目の前にした時には様々な感情が渦巻いた。
 イルカの中の苦しさや憎しみとは裏腹に子供はただの子供で、か細い足で必死に地を踏みしめて立っている様が哀れだと思ってしまった。
 恐ろしくて寂しくて、まんじりともしなかった幾つもの夜。
 この子供はまだそのただ中に生きているのだと思ったら、もう憎むことは出来なかった。
 今となってはナルトは特別に心配で可愛い、かけがえのない存在になった。
 これも三代目が与えてくれたものなんだと思う。
 だが、三代目はもういない。


三代目ラブイルカ。