「べっくしょいっ!うらぁーーあ!!」
白い綿の衝立の向こうのベッドで亜麻色の髪の美女が豪快にくしゃみをした。
イルカは体温計を銜えたままぼーっと座って、目の前の診察をしてくれる黒髪の医療忍者を眺めていた。衝立の横でカカシが腕組みをしてこちらを見ている。
「はい、綿棒さしますねー。結構、深く入りますからじっとしてて下さいねー」
中央の病院まで走りつくと、カカシは急患センターのドアを叩いた。任務での負傷者とは別の夜間窓口に連れて行かれて保険証を提出し、待合室の椅子で待たされた。周囲には何人か急患患者がいて、同じように診察の順番を待っていた。合皮の長椅子の上でイルカはぐったりとカカシに寄りかかっていた。
さっきまで力の限りしがみついていたので、今は全身から力が抜け落ちてしまった。ふにゃふにゃとなされるがままに診察室に連れて行かれるとなぜかシズネがいた。
「あ! イルカ先生!」と驚いた顔でやって来て、医療スタッフの代わりに別室でイルカを診てくれた。
「多分、インフルエンザだと思うんだけど」
何度も吐いて、薬も受け付けないみたいだったから連れてきました、とカカシが説明する。それを訊きながらシズネは手早く検査の準備をした。
鼻の穴に綿棒を差し込まれてイルカはびくっとした。本当に吃驚するくらい深く入っていく。鼻の奥の粘膜に一瞬触れて綿棒は抜き取られた。
「すぐ検査結果出ますけど、発症直後は陰性になることもあるので念のため薬出しておきますね」
口から体温計を抜き取ると、熱は三十九度まで上がっていた。シズネはちょっと眉を寄せて、そこで寝ていて下さいと綱手の隣のベッドを示した。カカシに腕を取られて大人しくイルカはベッドに身を横たえた。
「イルカ先生、昨日避難所に行ってきたんでしょう。それでうつったんだと思いますよー」
今年はもう何人か感染者が出ていますからね、と衝立の向こうからシズネの声が言う。
「一緒に行った先生方も注意した方がいいでしょうね」
カカシが壁際に置かれた丸椅子を持ってきてベッドの横に腰掛けるのをイルカはぼんやり見上げていた。病院に来たという安心感からか悪心は治まっていた。その代わり頭がふわふわして周囲が変にカラフルに見えた。
こんな高熱を出したのはいつぶりだろう。例年は冬の初めにアカデミーでワクチンの接種を受けるのでインフルエンザなどにはついぞ罹ったことがなかった。今年はアカデミーが休校だったからまだワクチン接種を受けていなかったのだ。
そうか、昨日の避難所で感染したのか。
避難所は狭いスペースに大勢の人が寝起きしているから病気の感染は心配だ。寒くなってきたからそうでなくとも辛いだろうに。
そこまで考えてイルカはがばっと体を起こした。脇にいたカカシが珍しく驚いて仰け反ったほどの運動速度だった。
「避難所の子供達はっ……!?」
インフルエンザで命を落とすのは体力のない子供と老人が殆どだ。今、こんな状況の里では皆、抵抗力も落ちているだろう。
「避難所では先日、ワクチンの接種を行ったので大丈夫ですよ」
シズネが衝立の向こうから顔を出して言った。
「既に感染していた人は仕方ないですけどね。ワクチンも万能ではありませんが、私もその時打ったんですけど効いているみたいです。綱手様があの様子なのに私だけ無事なわけありませんから」
隣のベッドでうんうん言っている五代目に視線を流して眉を下げて笑った。
「ご自分でワクチン接種の指示を出しておきながら、綱手様ご本人は忙しさにかまけて接種を受けていなかったっていうんですから」
仕方がない人だと言わんばかりにシズネは肩を竦めてみせた。
よかった、安心してイルカはベッドの上にばたりと倒れた。
こんな小さな里での流感性感冒は恐ろしい。医療が発達していなかった時代は大陸中で数千万人の死者をだしたという記録がある。
隣のベッドに顔を向けると、美しい容にマスクを掛けた五代目が「うーうー」と低い唸り声をあげている。
イルカは避難所に赴いた時に感冒の流行のことなど思いつきもしなかった。自身が任務で負傷する以外は大病らしいものを患ったことがなく無頓着だったのだ。
五代目は医療を専門とするくのいちとして、そういった事柄に対する意識が高いのだろう。
里の民を守るのは戦闘技術だけではないのだ。
うっすらとイルカは五代目の火影としての素養を理解した。
この人は三代目とも、四代目とも、今までのどの火影とも違った存在になるのじゃないだろうか。
少し自覚が足らない所はありそうだけど。
三代目がイルカにナルトをくれた。ナルトはイルカにカカシを連れてきてくれた。
五代目もナルトが連れてきたんだったな。
深く息を吐いてイルカは目を閉じた。今度は眠ることが出来そうだった。