八階では既に三名の中忍が非常ドアの前で待っていた。
ぼんやりと自分の手首を見つめているイルカに、次いで八階に到着したガイが「行くぞ」と声を掛ける。
「ガイ上忍、今、」
振り返ったイルカがガイに確認するように問いかけた。イルカの後から昇ってきていたガイは見ていたはずだ。
索敵、クリアしたはずの階段の暗がりにまったく気配を悟らせず、潜んでいた人間がいた。そんなことが出来るのは上忍の中でも限られた存在だ。しかもイルカのよく知る気配だった。
それに一階にいた草忍の漏らした言葉。「裏切ったのか」というのはどういう意味だ。
「今は任務を遂行することだけ考えろ」
ガイが短く言った。腑に落ちないまま、イルカは口を噤んで部下達の元へ走った。
非常口を開ける。
敵らしい影はない。
ガイが床に耳をつけた。
「七階か」
下の階に多くの気配がざわめいている。
「七階にも鼠を走らせろ。とっととこの塔を出た方がいいようだ」
ガイの指示で鼠使いの中忍が三匹の二十日鼠を下の階へ送った。
イルカ達は八階の廊下を用心しながら素早く進んだ。
まるまるワンフロアを占めるVIPルームがギャラリーに改装されていた。若い中忍がピッキングで部屋のドアを開ける。部屋の中は暗く、人影もない。ホテルの警備を信用して見張りは置いていないようだった。
イルカ達はガラス張りのケースや棚の中を素早く確認していった。
アンティークな飾り棚の中に目的の壷があった。小さな鍵を壊すと易々とそれは取り出すことが出来た。傷が付かないように緩衝材で包み込みイルカが胸にそれをくくりつけると、長居は無用とばかりに五人は部屋を出た。再び廊下を非常口へ、螺旋階段へ向かおうとすると、ガイが首を横に振った。
「七階に下りたら命はないぞ」
ガイがぞっとするような言葉を口にした。
「でも、じゃあ、どうやって塔を出るんですか?」
医療忍が不安げに尋ねた。
上へ行けば行くほど塔は先すぼまりになり、逃げ場はない。
「陽動しましょう」
イルカが言う。よし、と頷いてガイが廊下の窓を開いた。
「一階と七階の鼠を暴れさせろ。その隙にここから下りる」
びゅう、と吹き込んだ突風がガイの前髪を吹き上げる。
「ここから…?」
窓の外の絶壁を見下ろし、若い中忍が恐ろしげな声を上げた。
「距離があるだけだ!木登りと変わらん!」
ガイに急き立てられて、若い中忍と医療忍が窓枠へ取りついた。全員が位置に着いたことを確認して鼠使いの中忍が術を発動させる。七階と一階に残された鼠の姿の式達が巨大化して暴れ出すはずだ。
「急げ。おそらく式は一瞬しかもたんぞ」
階下で人の声が上がるのを合図に真っ先にガイが飛び降りた。続いて他の四名も窓の外へ飛び出す。足の裏にチャクラを集中させて、地上八階から一気に塔の外壁を駆け下りる。
七階に差し掛かった時、パン、と足下の窓ガラスが割れて式の二十日鼠が投げ出されてきた。鼠の姿を保っていたのは一瞬で、すぐに白い煙をあげて紙片に変わる。術を返され、術者である中忍ががくりと膝を落とす。足が外壁から離れて滑り落ちそうになるのをイルカが咄嗟に腕を掴んだ。
「チッ、効かないか!」
ガイが素早く印を結び、塔の外壁に手をつく。
「口寄せ!!」
ぼん、と煙が上がり、その中を駆け抜けるイルカ達の目に巨大な甲羅を持つ爬虫類の姿が垣間見えた。
後ろから追っ手の足音が聞こえてくる。
振り向くな!とガイが叫ぶ。くないや千本が耳元を掠めていった。巨大な口寄せ獣が月の光を遮り、イルカ達の足下の壁に影を作る。蠢く影と敵忍達の戦う音を背中に垂直の壁を滑るように下る。術を使って遅れたガイが後ろから「飛び移れ!」と命じるのに従って、二階から隣の建物へ次々と飛び移った。舌を噛まないように歯を食いしばって、屋根から屋根へ、移動しながら物陰に紛れ地上へ向かう。
「やりましたね!」
暗闇をびゅんびゅん走りながら若い中忍が声を上げた。
黒い塔を遙か後方に、五人は夜の街を飛ぶように駆けていた。イルカの胸には白地に赤い絵付けの壷がある。
月の光に照らされた塔の壁面にはもうガイの使う妖亀の姿はない。
ハー、ハーと膝に手をついて息をつく。
「追ってきませんでしたね」
黒い塔を遠く振り仰いでイルカは後方からの気配を確認する。塔を少し離れるとすぐに追っ手の気配はなくなった。
「俺達の目的が自分達の守っているものとは違うと気がついたんだろう」
ガイが額の汗を拭いながらふぅ、と自分の前髪に息を掛ける。
「七階には何があったんですか?」
「分からん」
医療忍の問いにガイは首を振った。
こんな大事になるとは思わなかった。こっそり誰にも気がつかれないように壷を盗み出すはずだったのに。
けれど壷は無事、イルカ達の手の中にある。
五人は顔を見合わせて笑った。
これで口うるさい依頼人ともおさらばだ。やっと里へ帰れる。
用心のため二手に分かれて宿へ帰ることにした。ガイとイルカは銀杏屋へ立ち寄ってから帰ることにした。
部下達を見送り、イルカはそっと自分の手首に確かめるように触れてみた。
握られた手首がじんと熱く痺れるような気がした。
あの手は確かに、よく見知った彼の手だ。