12日の晩、一行は木の葉の里に帰着した。
大門を抜けたところでガイが解散を宣言した。
検疫を通り抜けると夜も更けていい時間だ。
「お疲れ様でした」
全員、頭を下げ合い自分の家へと帰って行く。
式使いは妻子の元へ、医療忍と若い中忍は二人で並んで歩いていく。同じ方角らしい。実家暮らしだと言っていた。一週間ほどだったが、ずっと一緒に行動していた者達と別れるのはやはり寂しい気持ちになった。
報告書の提出はイルカが請け負った。大門の前の大通りを抜けてごちゃごちゃした町並みを本部へ向かう。ガイは上官として報告所までつき合ってくれた。
久しぶりに自分の職場へ足を踏み入れると何とも言えない気持ちになった。
やっぱり落ち着く。帰ってきたなあ、という気がした。
早く子供達の顔が見たい。
窓口の机に座った夜勤の同僚が「お疲れ様」と笑ってくれた。
晴れがましい気持ちで任務完了の報告書を提出する。やっぱり失敗報告より成功報告の方が断然いい。
出発前は萎んでいた自信が蘇っているのをイルカは感じた。
時折、任務に出て、アカデミーで子供達を教えて、受付で働いて、それでいい。大丈夫だ。
報告書を出た廊下でイルカはガイに深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
任務のことでも、他のことでも沢山のことをガイに学んだような気がする。ガイは少し慌てたようで、両手を振ってイルカに頭を上げるようにと言った。
「俺はなにもしてないぞ。壷を見つけてきたのは結局、あいつだったしな」
「でも、ガイ上忍のおかげであの塔から生還することが出来ました」
ありがとうございます、ともう一度言い、イルカは頭を下げたまま絞り出すように言った。
「カカシ上忍のことをよろしくお願いします」
ガイは「ああ」と頷いた。
「大丈夫。お前が責められるようなことにはならないさ。まかせておけ」
顔を上げたイルカの前には、ニッと白い歯を見せてナイスポーズを決めたガイがいた。
イルカは胸にこみ上げてくるものを耐えて微笑み返した。
ガイと別れ、一週間ぶりの我が家へ帰った。
その晩は夢も見ないで眠った。
「イルカせんせーい」
弾むような声が空に響いて、振り返ると通りの向こうから七班の三人が手を振っている。おう!と応えて手を振れば三人が駆けてくる。
「イルカ先生、今日は仕事じゃないの?」
「俺達、これから報告書に行くんだってば」
息を弾ませてナルトとサクラが順番に言う。三人が受付所にいるイルカの所へ、自分達だけで出来る任務を探して欲しいとやって来たのは十日前のことだ。今日、すべての任務を終えて、報酬を受け取りに行くのだろう。
「ああ。今日は早上がりなんだ。お前達、ちゃんと任務出来たか?」
「もっちろーん!だってばよ!」
握った拳を突き上げてナルトが調子よく言う。
「もう、あんたはすぐ調子に乗って!」
「散々、世話焼かせたくせに…」
サクラが呆れ、とサスケが冷めた調子で呟くが、聞こえていないようだ。相変わらずの三人に自然と笑みが零れてしまう。
「よくやったな!お前達も忍者らしくなった!」
イルカは順繰りに三人の頭を撫でた。わしわしと髪を掻き混ぜられてナルトは懐こい猫のように目を細め、サスケは無愛想な犬のようにされるがままだ。サクラは手櫛でせっせと髪を撫でつけて文句を言った。
「もー、今朝セットしてきたのに!」
「悪い、悪い」
はは、と笑ったイルカにぷぅ、と頬を膨らませる。
「じゃあ、先生、俺達報告に行ってくるってば」
「おう。気をつけてな」
本部へ向かう三人を見送って、イルカも自分の目的地へ足を向けた。今日は9月の15日だ。カカシは今日の午後、帰還する予定だ。
木の葉の繁華街の中でも老舗ばかりが並ぶ一角へイルカは足を向けた。
夜が更けてきた。そろそろ風が冷たくなる。びゅう、と吹き抜ける風が木々の葉を色づかせていく。空を見上げると連なる建物の軒の向こうに澄んだ秋の星空が見えた。
里の空だ。
ナルト達が昇っていた映画館の丸屋根にはいつもこの季節に観ることの出来る変光星が引っかかっている。
イルカは上忍宿舎の門前の植え込みの縁に腰掛けてカカシの帰りを待っていた。腕の中には末川屋と屋号の入った贈答用の化粧箱が抱えられている。それから竹の皮に包んだ握り飯だ。
------それで暖かいご飯があったら幸せですねー。
幸せそうに目を細めたカカシの顔が目に浮かんだ。暖かいご飯とはいかないけれど、出来るだけ彼の希望に添いたかった。
イルカは冷たい夜風を胸に吸い込み、深く呼吸した。少し高くなっているブロックの上で佃煮の箱を載せた膝を抱きしめ目を閉じた。
カカシに早く会いたいと思う気持ちと、いつまでも待っていたいという気持ちが代わる代わるイルカの胸を苦しくさせた。
丸屋根にかかった変光星が屋根の突端のポールを横切る頃、親しんだ気配が近づいてくるのを感じてイルカは顔を上げた。
上忍宿舎は本部棟からほど近い静かな界隈に建てられている。ここは任務で里の外へ出ることの多い単身者のために里が用意したもので、家族のいる者や里に常駐する上忍は皆、自分の家に住んでいるのだが、カカシは上忍師の任に着き、里内での任務が主なものとなってからもここに住み続けている。部屋の中の設備はあくまでも簡易的なもので、要害に建てられる砦の兵舎と変わりがない。一度、遊びにおいでと言われたけれど、エントランスに取り付けられた窓口から二十四時間、管理人が出入りする人間を監視しているような建物で、なんとなく入りづらくてイルカは一度も訪れたことがなかった。
生け垣の根本の暗がりに座り込んでいたせいか、向こうから歩いてくるカカシはまだイルカには気がついていないようだった。
くすんだ灰色の髪が月の光で銀色にきらめいている。誰かに見られているなんて思ってもいないだろうカカシの無防備な顔をイルカは眺めることが出来た。
疲れているみたいだ。
でも機嫌はいい。
いつも手放さない文庫本を、今は見もしないでゆったりとした足取りで夜を歩いてくる。自分の縄張りの中で寛いでいる獣の姿を遠くから観察しているような気分だ。
誕生日の夜に任務帰りで疲れているとはいえ、だからこそか、本当に好きな人に会った後ならあんな浮かれた顔になるんだろう。今、自分が出て行ったらカカシのそんな気分をぶち壊しにしてしまうかもしれない。
そんなのお互い様だとは思う。イルカだってカカシの一言でこの十日間いかに胸を悩ませたことか。だけど、自分の顔を見て、カカシの態度に嫌そうな素振りの欠片でも見つけたら立ち直れなくなってしまいそうだ。
嫌な感じで胸がドキドキと走り出す。
カカシはもう、すぐそこまで近づいている。どうしよう、このまま気配を消してやり過ごそうか。でも、じゃあ、一体自分は今夜なんのためにここに来たのだ。今日を逃したら、また自分はカカシの本命の相手を気にしながら、何も言い出せずにずるずると日々を重ねてしまうだろう。絶対に今夜でないとだめだ。
そう思うのにイルカの喉からはなんの声も絞り出すことが出来なかった。
黙ったまま近づいてくるカカシをじぃっと見上げていた。
すぐ近くまで来て、カカシの目が植え込みに蹲るイルカの上を一撫でした。
え、と呟いてカカシの足がぎくっとしたように止まる。
「イ、イルカ先生!?」
目が合う。久しぶりに出会った綺麗な青い目にイルカはなんだか泣きたいような、それでも嬉しくなってしまってじんわりと笑った。