フウセンカズラの実をむくと中から小さな黒い種が出てくる。
丸い黒い粒に白いハートマークが浮かんでいて可愛らしい。
昔、子供の頃、近所に住んでいた女の子にこの種を貰ってイルカはずっと大事に自分の机の引き出しに仕舞いこんでいた。イルカはそのハートは女の子が書いたものだと信じていたのだけど、自然にこういう模様が浮かぶのだという。殻の方の種がくっついている部分もハート型をしていて、そこからもいだ痕なのだ。
イルカはハート模様の種をもらってからその女の子を意識するようになったけれど、女の子の方が何を思ってくれたものかは分からなかった。なんの意味もなかったのかもしれない。
報告所の机の上に小さな種を三つ並べてみる。
「-----結婚したいなあ」
小さな白いハート型を眺めながら呟いた。
へえ?聞きとがめた隣の席の同僚がイルカを振り返った。
しまった。職場で呟くような言葉ではなかった。
報告所の列は途絶えて人気のないエアポケットのような時間についポロリと言葉がこぼれた。慌てて口をつぐんだけれども暇を持て余していた同僚はさっそく食いついてきた。
「珍しいな、イルカがそんな事言うなんて」
「いや、なんとなく、さ」
言葉を濁したけれど相手はこの話題を打ち切ってくれるつもりはないようだった。
「つき合ってる相手いるんだろ?そろそろカウントダウンなのか?」
「え?」
カカシとの付き合いを人に話した事はない。勘のいい連中はなんとなく察していると思うが表立って話題に上ったことはない。
「だって前はおまえ、結構付き合いよかったのに最近さっぱりだし、こりゃあ女出来たなって」
言われてみればカカシとは空いた時間は極力一緒に過ごすようにしてきた、そのせいで同僚と飲みに行く機会も減っていた。
「昔は皆でナンパとか行ってたのにさ」
若い忍の集まるような店でくのいちのグループに声をかけて連絡先を聞き出したり、そんな事をしていた頃もあった。あの頃はミズキも一緒によく遊んだ。ミズキがいるだけで女の食いつきが違うと重宝されつつ疎ましがられてもいた。陰で女を食いまくっていたらしいとか、今頃になってそんな噂もちらほら出てきた。
イルカから見たミズキは女にもあまり関心がない風に見えた。イルカ自身は安全牌とみなされていたようでよく声がかかった。いつも酔っ払いの世話係になってしまうイルカにミズキは「毒にも薬にもならない奴だと思われてますよ」と一見優しげに、けれど痛烈な皮肉を投げてきた。
そんなミズキをイルカは嫌いではなかった。
今となっては彼がイルカを含めた周囲をどう思っていたかなんて分からないのだけれど。
黒い小さな種を人差し指でつついて転がしてみる。
こんな風に心を形にして差し出すことが出来れば安心なのに。そうしたら大切に机の引き出しに仕舞っておく。
「俺らもそろそろいい年だもんなあ」
出会いがなくってさあ、とぼやいた同僚が言葉を切った。
報告所の扉が軋んで大柄な人影が入ってきた。
紫煙の匂いですぐに誰だか分かった。猿飛アスマだ。三日がかりの十班の任務は漸く終わったらしい。アスマに目の前に立たれてイルカは居心地の悪さに俯いた。
カカシもそうだが上忍は表情が読めない。特にこの髭を生やしたバタ臭い顔立ちの上忍は表情が読みにくい。無表情というわけではないのだがガラス玉みたいな色素の薄い目のせいかもしれない。
「これ頼む」
アスマは普段どおりの調子でイルカに報告書を差し出した。卒業生を預かっている上忍達は列が混んでいなければなるべくイルカに報告書を出すようにしていてくれるらしい。
はい、と受け取りイルカは書類をチェックした。体に似合わず几帳面な字を書くアスマは、イルカとカカシとの事を知っている数少ない人間だがそんなことはおくびにも出さない。カカシにイルカ以外に本命がいることも聞いたはずなのにイルカにはまったく気取らせないつもりなのだろう。こういう時、男は男友達を庇う。お互い様、口を出す方が野暮というものだ、そんな意識が働く。それはイルカも知っている世界だ。わざわざ相手の女に男の不義を知らせるのはそいつがその女に気がある時くらいだ。
なんだか自分は変な位置に立っているんだなあ、とイルカは改めて思った。
イルカは男なのにアスマにとって自分はカカシの女なのだ。
中忍の男を色として扱う事に躊躇いがない、そこに上忍との階級的な意識の差を否が応でも見せ付けられる。
手を引いたほうがいい。今のうちに。一生に一度の恋なんてものじゃない。たまたまそんな風に状況が転がって互いを抱え込んで手放せなくなっているだけだ。忍である自分達には時間がない。男同士の関係にうつつを抜かしている間にさっさと配偶者を得て子孫を残す事を考えるべきだ。カカシには既にそういう相手がいるのだろう。
自分は----------カカシしか見えていなかった。二人で立っているような幻想を見ていた。もっとしゃんとしなくては。だからいつまで経っても中忍なんだ。
ないものねだりをしている間に確実に手に入るものさえ遠ざかっているのかもしれない。
報告書に書かれた子供達の様子がなんだかやけに眩しく感じた。
いのは今でもサスケが好きなのか。あてのない片想いを続けている少女の情熱にイルカは腹の底を焦がされるような思いがした。信じて叶うものなら-------。
「おい」
頭上から太い男の声が響いた。
「今、暇か?」
え、と見上げるとアスマが苦々しい顔つきでイルカを見下ろしていた。
「暇そうだな」
人気のない受付所内を見回してアスマはイルカの首の後ろに手を突っ込んでベストの襟を掴むと引き立てた。
「この先生、少し借りるな」
隣に座っていた同僚に声をかけ、有無を言わさずアスマはイルカを廊下の喫煙所へまで引っ張っていった。
廊下の角に設けられた喫煙スペースには黒い背もたれのない長椅子が壁に沿って直角に二脚置かれている。その脇に灰皿が三つ。
アスマはどかりと椅子に腰を下ろすと立たせたままのイルカをじろじろと眺め回した。イルカは思わず直立不動になって上忍が口を開くのを待った。
アスマは持っていた煙草を灰皿に押し付けると両手に顔を埋めて「ああ、面倒くせえ」と呟いた。
「ただの普通の中忍じゃねえか。色っぽくもなんともねえ」
はい?
もしかしなくともそれはイルカの事を言っているのだろうか。
そんな事わざわざアスマに言われなくとも最初っから分かっている。どこの誰がイルカに向かって色っぽいだの可愛いだのぬかすか。変わり者の上忍約一名を除いて。
「読めねえ…奴はホントに読めねえ」
アスマが何を苦悩しているのかは分からないが人を職場から引っ立てて来ておいてその態度はどうなんだ。上忍相手だろうが自分は牛馬のように品評されるいわれはない。
「ご用件は何でしょうか」
イルカは顎を引いて低い声を出した。
鼻っ面に傷があって目深に額当てを結んでいる自分はこうして視線に力を加えると少しだけ強面に見える。部隊長となって部下を率いている時はなるべくこういう顔つきをすることにしている。だが上忍相手には通用しないらしい。ニヤッと笑われた。
「内勤でも元は叩き上げのふてぶてしくて頑丈な中忍だろうが。何が心配なんだかなあ」
なあ、と同意を求められてイルカは曖昧に頷いた。
「まあな、案外カカシは元々あんたみたいなタイプが好きなのかもしれないな。ガイのことも結構意識しているみたいだし」
ガイ先生?ガイ先生はカカシの永遠のライバルだ。イルカは二人の関係のことはあまりよく知らないけれど、どうしてここで名前が出てくるんだ。
アスマは胸ポケットから煙草を取り出すと手馴れた仕草で火をつけた。さすがに様になっている。
「ん。まあ、いいや。顔は見たからまあ、いいだろ」
アスマはそう言うと立ち上がり用は済んだとばかりに立ち去った。
後には一人廊下に突っ立っているイルカが残された。
----------なんだったんだ?
やっぱり上忍はよく分からない人が多い。
席に戻ったイルカに同僚がなんだったのかと尋ねてきたけれどイルカは首を傾げるほかなかった。