「イルカぁぁ!無事だったのかぁ!?」
若い部下を伴って依頼人の屋敷に戻った。裏木戸を潜った途端に大音声と共に緑色の影が眼前に現れ、イルカはひっくり返りそうなほど驚いた。
なんで、この人がここにいるんだ!?
「そっちの君も!怪我はないか!?大丈夫か!?よーしよし!!」
緑色のジャンプスーツを着たガイが屋敷の庭にいた。イルカの肩をがっしり掴んだかと思うと、すぐ後ろの若い部下の体を抱きしめんばかりにして体をあらためている。
あのう、夜中ですのでお静かに…と障子の陰から屋敷の当主が顔を覗かせて小さな声で言った。
はっと我に返って、イルカは屋敷の主人を見、もう一度ガイへ目をやった。
「ええと、どうしてガイ先生が−−−−」
「武装窃盗団はどこにいるんだ!?」
ハイ?
「重火器をいくつも装備して町中を荒らしているそうだな!」
なんの話だ?
イルカは座敷にいる主人へ問うように視線を向けた。
「−−−母上が上忍の方を呼んでしまったようで」
目を逸らしがちに屋敷の若い当主は言った。その後ろ、座敷の奥では姑がむこうを向いてむっつりと座布団に正座している。
「大変だったな!よく持ちこたえた!!」
ガイに肩をばんばん叩かれ蹌踉めきながらイルカは姑を睨んだ。
嘘の依頼申請しやがったな。
もう大丈夫だ!木の葉忍びの底力を見せてやろう!!とハイテンションで気勢を上げているガイを目の前からどけて、イルカは一歩前に進み出た。
「これはどういうことでしょうか?こちらには十分な人員が派遣されていたはずですが」
この任務には上忍の力は必要ない。依頼受付の係達はそう判断してイルカ達をこの街へ寄越した。イルカもそれは妥当な判断だったと思う。こんな任務にいちいち上忍をかり出していては上忍が何人いても足りない。しかもガイは上忍の中でも最高クラスの忍びだ。最高の戦闘技術を持った男に地道な聞き込みや張り込みをさせる意味があるのか?
「あ、あなた達では埒があきません!私は最初から上忍を寄越すように木の葉申し送ったはずです!」
「我々は打てる手はすべて打っています。この場合は個々の忍びの能力で左右されるような事態ではありません!」
階級が上なら上なほどいいものだと思っている依頼人は少なくない。依頼人にしてみれば任務に当たる忍びが優秀なら優秀なほどいいだろう。だが、それでは自分達中忍は一体なんのためにいるんだ?
「おだまんなさい!それだけの報酬を払うのはこちらなんだからあなた達は私の言うことを聞いていればいいんです!」
ぴしゃりと言われてイルカはぐっと言葉を飲んだ。
分かっている。どうせ自分達は雇われ者だ。依頼者の意向が第一、報酬さえ貰えればなんだってやる。自分達はそういう存在だ。
「まあまあ、奥方、どうも私が聞いてきたのと事態に食い違いがあるようだ」
横できょとんとイルカと依頼人の言い争いを聞いていたガイが二人の間に割り込みニカッと白い歯を見せた。
「彼らと任務の遂行方法について打ち合わせをしますので、一度下がってよろしいですかな?」
そういうとイルカの背に腕を回し、若い中忍に目配せをすると屋敷の敷地から外へ出た。
「四人小隊だったな。他の二人はどこにいるんだ?」
口を引き結んで足下を睨みつけているイルカの代わりに、おろおろしている若い部下にガイは尋ねた。
「あ、一人は張り込みのために借りた部屋にいます。もう一人は単独行動を取っているので式で連絡を取るだけで一緒に行動はしていません」
「宿もその部屋か?」
「はい」
「じゃあ、ひとまずそこへ引き上げよう。イルカ?」
ガイが傍らのイルカへ視線を向ける。
上忍のガイが来た以上、自動的に指揮権はガイへと移る。
イルカは俯いたまま、「はい」と応えた。
狭い屋根裏部屋に吊された裸電球が四人の男達の姿を壁に影絵で描いている。天井が低いので座ったすぐ頭上に電球が垂れている。オレンジがかったその光の下でイルカはガイに捜査状況を説明した。
張り込みをしている相手や、闇市場に商談を流していること、以前の犯人グループを捜していること、次に狙われそうな家に目星を付けて監視していること等々、張った網のすべてを告げるとガイは首を傾げて
「で、なんで俺が呼ばれたんだ?」
と不思議そうに訊いてきた。
それは俺達が中忍であなたが上忍だからです。
その言葉を飲み込んでイルカは「依頼人の信頼を得られなかった私の責任です」とだけ言った。
依頼人は最初から中忍が任務を受けたことを気に入ってはいなかった。中忍だって十分任務を遂行する能力はあるのにだ。更にイルカは以前もこの街で似たような依頼を遂行している。三代目だってイルカが適任だと思ったから自分にこの任務を任せたはずだ。上忍にだって向き不向きはあるし、ただ階級が上なら使えるはずだなんていうのは素人考えに過ぎない。上忍にも中忍にも下忍にも使いどころというものがある。今、イルカ以上にこの街やこの窃盗事件について知っている者はいない。忍びとして優秀でもイルカよりも巧くこの任務を遂行できるとは限らないではないか。
心の中の反発を口には出せずにイルカは硬い表情で板張りの床をじっと見ていた。本来、客間としては使われない屋根裏部屋には布団を敷く一角にだけ畳が並べられ、他の部分は冷たい床板が張られている。ガイを畳の上に座らせて、他の三人は板の間に腰を下ろしていた。
部下達は、いや、もうイルカの部下ではないのか、戸惑った様子でじっとイルカとガイを見守っている。
指揮官の交代はままあることだ。いつまでも成果を上げられなかった時や任務を失敗した時、依頼人を満足させられなかった時、隊の頭がすげ替えられることはある。
そういう時、周囲は気まずい。切られた指揮官が里へ送還されてくれればいいが、残って一緒に任務遂行をする場合など非常に気を遣う。イルカもそういう経験はあるが、切られる側になったのは初めてだ。
しかも、よりによってガイがやってくるとは。
カカシに認められ、好意を寄せられているガイに任務さえ奪われるのか。
恋人を奪われたって泣きやしない。
だが、仕事を取り上げられたらどうすればいい?
忍びであることしかイルカは自分の拠り所を持っていないというのに。
だが、忍びであればこそこういう時も感情に左右されてはいけない。自分が毅然としていなければ部下もガイも困るだろう。
「今後の指示をお願いします」
イルカはガイに向かって頭を垂れた。他の中忍二人もイルカに倣う。
ガイはううむと唸って腕組みをし、三人の中忍をぐるりと見回した。
ガイ自身困惑しているだろう。上忍師として下忍の指導をしている上に、単独の任務をこなさなくてはならない上忍達がどんなに忙しいかイルカは知っている。Cランク任務になど呼び出されて上忍としての矜持だって傷つくだろう。プライドの高い上忍なら怒って帰ってしまってもおかしくない。
中忍三人は彼の次の一言をじっと待った。
「俺はこういう任務は苦手なんだなあ」
意外に穏やかな声が降ってきてイルカ達は顔を上げた。
「俺は体術馬鹿だからな。頭を使うのはダメなんだ。引き続きうみの中忍が指揮をとってくれ。俺はそれに従う」
三人の中忍はぽかん、と口を開けてガイを見つめた。
「そ、んなこと−−−−出来るわけないじゃないですか!!」
イルカは怒鳴った。思わず語気が強くなる。
「なんでだ?」
「ガイ先生は上忍なんですよ!」
「いかにも、俺は上忍だが体術しかできん」
んなわけあるわけないだろう!!!!
上忍仲間の内では「体術馬鹿」と揶揄されているが、知力、体力、技量、すべてを備えていなければ上忍にはなれない。下忍になったばかりの子供達は分かっていないが、下忍も二年目、三年目になれば、忍びを長く続けていればいるほど上忍になるのがどんなに難しいものなのか分かってくる。
「依頼人の話が嘘なら俺の出る幕はなさそうだし、ここは土地のこともよく知っていて捜査方法も弁えているうみの中忍が引き続き指揮をとった方がいいだろう」
ありえねーーーー!!!
力一杯、心の中でイルカは叫んだ。
カカシだったら絶対そんなことは言わないだろう。猿飛上忍も夕日上忍も、他のどんな上忍だってそんなことは言い出さない。言ってはならないことだからだ。忍びの社会は階級で成り立っている。それぞれがそれぞれの役割に徹することで困難な任務も確実に遂行することが出来るのだ。下の者が上に楯突くことも、上の者が下の者に諂うこともあってはならない。
「他の者に示しがつきません!」
ばん、とイルカは床板を叩いた。イルカの立場を気遣っているのだろうか?だがそんな気遣いはされる方が迷惑だ。
「真面目だなあ!イルカは!」
ハッハッハッと悪びれずにガイが笑う。
「ガイ上忍、上忍といえども隊の規律を乱すような発言はお控え下さい。個人の気まぐれで指揮系統を混乱させられては隊員達の命に関わります」
「これは命に関わるような任務なのか?」
ガイに切り替えされてイルカは言葉に詰まった。ぜんぜん危険な任務なぞではない。壷を一個探しているだけだ。それだけのために自分達はこの三日間を汲々として過ごし、依頼人に怒鳴り散らされ、指揮官の交代だなんだと騒いでいる。ガイの冷静さが恨めしい。
「別に俺は面倒がって指揮権を放棄するといっているんじゃないぞ?確かに依頼人に嘘をつかれたのはむかっ腹が立つが−−−」
やっぱり怒ってはいたのか。
「だからこそ!さっさと片を付けて依頼人の鼻をあかしてやりたいじゃないか!現時点で事件について一番よく知っているのはうみの中忍だ。捜査方針を変える必要もないし、もう一人、別行動を取っている奴だっていきなり指揮官が替わったら混乱するだろう?」
「でも、俺には上忍であるあなたを部下として使うなんて出来ません!!」
悲鳴のようにイルカは言った。顔が引きつっているのが自分でも分かる。
じゃあ、そうだなあ、とガイはもう一度腕組みをして言った。
「部隊長は俺に交代だが、うみの中忍が指示を出してくれ!以上!」
「余計混乱します!」
「うみの中忍、命令だ。以上!」
ふん、と鼻息を吐いたガイに他の三名の中忍は唖然と彼の顔を見た。イルカ以外の医療忍と若い中忍も、こんな事を言い出す上忍を見たのは初めてに違いない。
こんな事をケロリと言ってのけるのがガイという男なのだった。
「で、これからの予定について指示してくれ」
ガイは決めてしまうともうその問題に頓着しなかった。さくさくと話を進めてくる。イルカは生理的に滲んできた脂汗を拭って、今後の捜査についてガイに説明した。仕事を取り上げられるのはもちろん面白くないが、しかし上官には絶対服従を叩き込まれてきた身にはこれはこれで辛いものがある。
翌日からの張り込みのローテーションを少し変えて、単独行動しているもう一人に連絡用の式を飛ばした。
一人人員が増えただけで急に狭く、そしてなんだか暑苦しくなった屋根裏部屋で、イルカは夜空を見上げて溜息を吐いた。
ガイ先生は緑色が好きなんだろうか?
通常の支給服の代わりにいつも緑色のジャンプスーツを着ているし、今も一般人に紛れるために平服をと言ったら緑色のジャージに着替えてきた。袖やズボンに白い二本線が入った本物のジャージだ。
どう見ても一般人には見えない。
だからといって忍者に見えるかというと、見えない。
他にどんな服装だったら一般人に見えるのか、イルカにも皆目検討がつかない。
「ベルボトムのジーンズですよ」「ちびTとか似合いますよ」「編み上げのブーツとか」ひそひそと医療忍と若い中忍が進言してくるのだが、カッコよすぎだ、それは。ますます目立つ格好をさせてどうするのだ。
「不審人物に見えます…」
恐る恐る言ったイルカに、「馬鹿だな」とガイは平然としている。
「この格好ならどんな場所でもジョギング中で通用するだろう!どこのご近所にもジョギングしている人間はいるゾ☆」
ナイスポーズで返された。
そうかなあ。
確かにどこの近所でもジョギングしている緑色のジャージ姿の男は見かけるような気がする。
いや、イルカがいつも里で見かけるのはこのおかっぱの上忍だ。どこの近所にもこんな存在感のある人物がいてたまるか。
変化したイルカのサポートについてもらうつもりだったのだが、こんな目立つ男を昼日中に外に出していいものだろうか。
悩むイルカを引き立てて、ガイは意気揚々と走り出した。本当にジョギングするらしい。
だが意外にもガイはサポート役を巧みにこなした。昼間は蚤の市やバッタ屋を巡り、夜は酒場へ。変化したイルカの後ろをついてきているはずなのだがイルカにはガイがどこにいるのかまったく探れなかった。時折、前方にジョギングしている緑ジャージの男を見つけてぎょっとしたくらいだ。
さすが上忍、気配の消し方も尾行の仕方もひとかたならぬものがある。
その日は一日ガイと行動を共にした。ガイの仕事の仕方や癖を知りたいと思ったのだが、まったく問題はない。上忍達は個性は強いがその技術や力量は皆等しく高レベルだ。このランクの任務で個性や癖が問題になる上忍などいないのだろう。
なんだか拍子抜けした。
ガイ先生は体術馬鹿だとか、忍者っぽくないとか、濃すぎるとか言われているけど全然そんなことはなかった。
がっかりしている自分に気がついてイルカは腹の底がひやりとした。
無意識にガイのあら探しをしようとしていたんじゃないのか。
こんなに濃ゆくて目立つ男に隠密行動なんてできるもんか、と思いたかったんじゃないのか。
上忍のガイよりも自分の方が上の事があると思いたかったんじゃないのか。平々凡々と言われる自分だが、だからこそ一般人に紛れての潜入捜査や情報収集は得意だと言われてきた。それだったら自分の方がガイよりも巧くできると思いたかったんじゃないのか。
そんなこと、上忍なら出来てあたりまえなのだ。
道具なら高い道具の方が使い勝手がいい。食材も高級な方が旨いし、弁当だって松竹梅、松が一番、竹が二番、梅はなんだか安っぽい。
依頼人だって中忍より上忍の方が安心するだろう。
カカシはイルカよりガイが好きだ。
「‥‥‥‥っ」
胸に詰まったものが溢れそうになって、イルカは息を詰めた。
任務中だ。しっかりしろ。
そういう評価を受けるのなら、自分はそれだけの人間ということだ。
なら、せめて自分に出来るだけの事をするだけだ。他の者達の足は引っ張れない。
足取りを変えぬまま、イルカは今夜監視する予定の屋敷までゆっくりと宅地の暗い道を歩いた。
高い庭木に囲まれた古い木造の家屋は、奥まった狭い路地に面しており前回も被害に遭っていた。泥棒が好む家というのがあるが、この屋敷もそんなカテゴリーにはいると思われる。塀のすぐ内側に物置小屋があり、その屋根から庭木を伝って二階の窓まで容易に辿り着ける。犯人とおぼしき男はいまだ女の家には現れていないと医療忍から連絡があった。どこかで次の盗みの準備にはいっているのかもしれない。
気配を殺して隣の家の軒に飛び上がり木の陰に隠れる。ガイもまた路地に身を隠して監視を続ける。
無駄とも思える時間をじっと明け方まで耐える。感情の殺し方は学んできたはずだった。