「目を閉じておいでよ」
「はたけ上忍て本気の子は相手にしないんですよね」
飲みの席で隣に座っていた女が肩に身を擦りつけるようにして言ってきた。
上忍ばかり、花見がてらの慰労会でここにいるのは特別上忍以上の階級の者ばかりだ。隣の女もきっとどこか特殊部隊の人間だろう。擦り寄せられた女らしい丸みを帯びた柔らかな体は同時に鍛え上げられた筋肉の弾力があった。
花見とはいうものの今はまだ二月で花は花でも梅見の会だ。桜の咲く季節は異動や組織の再編で忙しいから今の内にやるのだという。誰が言い出したのか知らないが無茶な話だ。
しかし、こんな寒空の下、何を好きこのんでと文句を言いつつも皆、夜の空に凛と咲く白梅を美しいと思ったようで三々五々に梅林の根元でジャケットの前をかき合わせ、マフラーに顔を埋めて酒を飲み始めた。気の利いた幹事が野外用のコンロを持ち込んで燗をつけてくれた。
誰も騒いだり大声を出す者はいない。ぽそぽそと友人同士かたまってたわいない話をしているのが聞こえるくらいだ。静かな夜の空気の中に梅の花の甘さが漂ってカカシはいい気分で杯を傾けていた。
カカシは里内にあまり友人がいない。ずっと暗部に所属していたため仕事仲間の顔も殆ど知らない。幼くして上忍になったから同期の者とも関わりを持たなかったし、生涯の親友となることが多いと言われるスリーマンセルの仲間もとうの昔に鬼籍に入っている。
随分と寂しい人間だ。
恋人くらい作ればいいと思うのだが、かつて自分を好いてくれた女を受け入れられなかった事を考えると、他の女を好きになることも出来ないのだ。彼女は死んだ友人の想い人だった。カカシにとってもあれほど自分に近しい存在になった異性はいない。彼女の手でカカシは親友の体の一部を移植された。心も体も、あれほど近く触れあったのはあの二人だけだ。
それは性的な接触を凌駕する。
だからこそ命がけで友人が守った彼女に触れることは出来なかった。彼の想いを汚してしまうようでどうしても受け入れられなかった。それは彼女に対してだけではなく、彼の血肉を彼女から分け与えられたカカシは、自分が自分として誰かを愛するということが分からなくなってしまった。
大切なものならある。守りたいものもある。
優しかった恩師がカカシに遺していった、この里。
だからただの道具のように里のために働くことだけを己に課してきた。優しい彼女の手を離れて、戦うことだけに自分の価値を見いだしてきた。
幾人か褥を共にした女はいる。女の体は慰めになった。戦闘で高ぶった体を鎮め、荒んだ気持ちを和らげてくれた。お互いにそれだけを求めているような相手しかカカシは選ばなかった。自分と同じように気持ちを別の場所に置いてきたような女とばかり寝た。
この女はどうだろう。宴の最初から意味ありげな視線をカカシに投げてきた。気がつくと友人らしい女達の輪を抜け出して、燗をつけたばかりの酒を持ってカカシの隣にきていた。
肩まで垂らしたボリュームのある亜麻色の髪がちょっといいなと思った。戦闘慣れしていそうな身のこなしや頭の回転の良さそうな顔つきがカカシ好みだ。
「私、後腐れないですよ」
そういう事を言う女はよくいるが、さてどうだろう。そう言いながら泥沼、なんてパターンは腐るほど目にしてきている。体を合わせるという行為はどうしたって情を生むものらしいから、最初はそのつもりがなくてもやっぱり本気になってしまったと言い出す女は多い。
そうなると面倒だ。
だが同時にそれを期待もしている。
カカシはそういう事態を忌避しながら、望んでいる自分を知っている。寝てみたら忘れられなくなった。相手のことが頭から離れない。もう一度会いたくて会いたくて気が狂いそうになる、一夜明けたらそんな自分になっていないだろうか。
後腐れのない女ばかり選ぶくせに、そんな夢を抱いている。馬鹿なことだ。
この女こそ自分の運命の相手だったらいいのに。
こんな自分が人なんか愛せない。そんな資格はない。自分などただの道具として里のために働いて野垂れ死ぬのがお似合いだ。
そう囁く誰かの声を吹き飛ばして、何も考えられないくらい夢中になれる相手が現れてくれないだろうか。死んだ友人のことも、その想い人のことも、里のことも何もかも忘れてしまうくらい好きな人。
俺だけの女。
カカシはいつも夢見ている。
「一度だけ私と寝てみませんか?」
直截な女の物言いはカカシの気を引いた。面倒な駆け引きや勿体ぶった所がないのはいい。この女も自分と同じ動物的な輩のようだ。
「俺、やる時も覆面はずさないよ?」
女は笑った。
いや、本当にカカシの顔が見たいというだけで寝ようと誘ってくるくのいちはいるのだ。仲間内で賭をしているのかもしれないし。
「そんなんじゃないですよ。純粋にお手合わせしていただきたいだけです。後学のためにも」
彼女はカカシに告げた。
「私、彼がいるんです。だから後腐れありませんよ」
つきあっている男がいるのにどうして自分と寝る気になったのかと聞くと女は薄く笑って肩を竦めた。
「真面目な人なんです。優しいし大事にしてくれる。でもそれだけ」
真面目だけが取り柄の野暮天なのか。物足りないから美味しそうな男をつまみ食いするのだと女は言った。結婚をする気はあるらしい。むしろそのためにつきあっている。
「そいつのこと好きじゃないの?」
「好きだけど」
女は顔を顰めた。
「体が錆びつきそうで怖い」
体を張った任務をこなしているくのいちらしい言葉だった。感情よりも肉体がそう警告を発するのだろう。
カカシは動物じみた女を好ましいと思ったので、その夜を女と一緒に過ごした。