明るい黄色の果皮に親指の爪を食い込ませて穴を空けると、イルカは力強く皮を剥き始めた。
イルカはベッドに腰掛けている。
カカシは向かい合わせの床の上、壁に凭れて座り込みその様を眺めていた。兵舎のカカシの部屋は七畳ほどでベッドの上以外には窓際のデスクと、続きの間の簡易キッチンに置かれた折り畳み式のテーブルと椅子くらいしか居場所がない。
プチプチと内皮の白い繊維が実から剥がれてちぎれる音が聞こえる。
カカシは今日のデートでイルカを部屋に連れ込むことに成功した。
イルカをベッドに座らせたのはもちろん意図的にであったが、カカシがジャケットを脱いでクローゼットに仕舞い込んでいる間にイルカは途中で買ってきたグレープフルーツに手をつけていた。ビニール袋をガサガサいわせているなと思ったら神妙な顔つきで皮を剥いている。
家に着いたらそのまま傾れ込んでしまおうと思っていたカカシは拍子抜けして、暫く突っ立ったままイルカを眺めていたが、手持ち無沙汰になり珈琲を煎れることにした。
イルカは途中で寄った果物屋で「寝不足と運動にはビタミンCです」と本気なのか、からかっているのか分からない科白を吐いていたが、これからの夜に備えて食べるつもりなのか、単に気を逸らせたいだけなのか。
「どうぞ」とインスタントの粉末を湯に溶いただけのコーヒーをイルカに差し出すと、「ありがとうございます」と頷いたが両手がふさがっていて受け取れない。仕方なしにイルカのカップは傍らのデスクに置いた。なんとなく隣に行くことが出来ず、カカシはとりあえず向き合う形で床に座りこんで自分のカップも床に置いた。
イルカは皮を剥いた果実を半分に割ると、身を屈めてカカシにその片割れを差し出した。
「カカシさんもどうぞ」
熟れたグレープフルーツは実が柔らかく、中の袋が崩れて果汁が滴りイルカの指を濡らしていた。
カカシはある光景を想像した。
座っている飼い主の前で床に蹲っている犬。構って欲しいのだけれど、主人の邪魔をするのも気が引けて様子を窺いながらぱたん、ぱたんと尾を緩く振っている。すると、飼い主が名前を呼んでおやつを手に載せて差し出してくれるのだ。
「カカシさんは人が剥いた蜜柑とか食べられない方ですか?」
カカシの作った間をどうとったのか、イルカが尋ねた。
昔はどっちかというとそうだった。だが、そんなデリカシーは戦場で全て削ぎ落とされた。
カカシは木の葉の猟犬で、今はイルカに発情しているただの犬だ。
自分の周りの美しい女達が高慢に振る舞うわけが、カカシにはよく分かる。彼女達は自分が求められる存在だということを理解しているのだ。
今のイルカもそうだ。
求められている事が分かっているから、上忍を見下ろして悠然と果物など剥いていられる。
その高慢さの陰には警戒がある。
求められる側というのは奪われる側だからだ。
カカシは犬らしく床に手をついて、イルカに手ずから与えられた黄色い果実を直接、口をつけて食んだ。イルカは驚いたらしく、彼の腕は少し震えた。
酸味の強い果肉を噛むと果汁がが弾け、滴った。床に垂れる前に啜る。舌を伸ばしてイルカの指に絡めた。生暖かい感触に怯んだ手首を掴んで、イルカの指を一本一本、丁寧に舐めた。ごつごつした関節に歯を立て、上目遣いでイルカの顔を伺うと困ったように黒い目が揺れていた。
時間は十分に与えたと判断して、カカシはイルカの手を握ったままベッドに乗り上げた。乗り掛かられてイルカは体勢を崩し、後ろの壁に肩をつけた。
イルカのジーンズの腰から白いTシャツへ、視線で舐めるように這い上がる。真新しい白いシャツは、カカシと出掛けるためにわざわざ選んだおろしたてのものだろう。待ち合わせ場所にイルカが現れた時、カカシはこのシャツの白さが眩しくて仕方なかった。カカシと会う日をイルカも特別に思っていたことがその白さに表れていた。
「イルカ先生も食べておきなさいよ」
イルカの目の前で彼の指を噛みながらカカシは促した。殆ど寝そべる格好になったイルカの腹の上に置かれた手の中、剥かれたグレープフルーツの皮の内に実の半分がごろんと転がっている。これから運動して寝不足になるんだから、と揶揄するように付け足すとイルカの眉間にぐっと皺が寄った。
「片手だと食べにくいです」
目を逸らしてイルカが憮然と言う。照れている。戸惑っている。イルカの動揺がすぐ傍の体から伝わってくる。
「うん」
カカシは握っていた手首を離しイルカの胸に頭を載せた。近い距離にある顔にイルカがもぞもぞと居心地悪そうな顔をする。
「食べて。待ってますから」
でも逃がさないから。
カカシがにっと目を細めると、イルカは辛うじて肩から上だけ身を起こした体勢で、渋々とグレープフルーツを口に運び始めた。カカシはすぐ間近で咀嚼する口元を眺めていた。イルカは袋ごと口に果実を放り込んだ。果実を割るたびに果汁が滴って食べにくそうだ。折角の白いシャツに汁が飛んで染みを作る。カカシは寝そべったままイルカの胸に手を置き、頬を擦りつけた。木綿の柔らかな手触りが気持ちいい。本当に犬になった気分だ。イルカの形を確かめるように撫でると、小さな突起が見つかった。
イルカの乳首だ。
自分でもちょっとどうかと思うほど、ガツンと頭に血が上った。
「あ、ちょ、ちょっと…!」
果汁を喉に絡めて苦しそうにイルカが足を跳ね上げた。カカシはTシャツの上からイルカの乳首を摘んでいた。人差し指と親指で挟んで押しつぶして、摺り合わせる。
「いいから、食べてて」
「なにが、いいからですか!!」
と言いながらイルカは残りのグレープフルーツを一気に口に押し込んだ。ほっぺたを膨らませてむぐむぐと噛んでいる。律儀な人だ。カカシはその隙にイルカのTシャツの裾をジーンズから引っ張り出して捲り上げた。鍛えられた腹筋が露わになる。肌は浅黒い。白いシャツとの対比にクラッときた。
「イルカ先生は白が似合いますね」
唇を食いしばったままもぐもぐ咀嚼しているイルカの顔がうっすらと赤くなった。やっぱり俺に会うためにお洒落して来たんでしょ。嬉しいな。
カカシは興奮のまま、イルカの腹を舐めた。自分の息があがってきているのが分かる。
「カ、カカシさん…」
「ん?キス?」
まだ果汁に濡れているイルカの唇に食いつくように口づけた。グレープフルーツの味がする。舌を入れるとイルカの口の中が冷たい。温度差がなくなるように舌を絡め取り、頬の内側を舐めて粘膜を温める。口づける角度を変えると唾液が零れる。それも綺麗に舐め取った。
ベッドを横切るように投げ出されたイルカの体、膝が時折、ぴくりと震える。
もう中身のないグレープフルーツの皮をイルカの上から払い落として利き腕でTシャツの中に手を滑らせる。口づけのせいでイルカの胸もせわしく上下していた。
一気に脱がせてしまおうとTシャツの裾に手を掛けると、「待って下さい」と必死な声でイルカが言った。
「シャワー浴びてからです!」
「別にいいですよ。俺、そのつもりで家出る前に浴びましたもん。イルカ先生も入ってきたんでしょ?」
イルカの耳の後ろに鼻を突っ込んでカカシは言った。イルカの体臭に混じってほのかに石鹸の匂いがする。イルカも同様に朝、風呂に入ってきたんだろう。イルカは「でも…」と歯切れが悪い。期待してきたと思われるのが恥ずかしいのだろう。だが、カカシはここまできてぐずぐずしていたくはない。つい皮肉な言葉が飛び出す。
「シャワー浴びて、さあ、やりましょうってのがいいわけ?」
そんなのナンパした女とするみたいじゃないですか、とボヤくとイルカの顔が真っ赤になった。
「あ、俺、血液検査はすべて陰性です。性病を貰ったことはありませんし、過去1年以内は怪しい毒に触れたこともありません」
一応、先に言っておいた方がいいだろうと思いカカシは自分から申告した。カカシのような遠隔地の任務を受ける忍は感染症に罹る危険性が高いため、定期的に検査を受けている。
「だから大丈夫ですよ」
安心してもらって心おきなく…とキスを続けようとしたカカシの顔をイルカの手ががっしり掴んだ。
おおおお、ココナッツクラッシュ!
「そんな事を言ってるんじゃありません!」
白い歯を剥きだして凶暴な顔つきを見せたイルカに、お、とカカシは目を引かれる。
「俺だって好きな相手に臭いとか汚いとか思われたくないんだ」
覆い被さるカカシをはね除けてイルカはタイル敷きの床に降り立った。
「シャワー借ります」
そう断ってすたすたと部屋の奥へ向かう。肩がいかっている。もの凄い覚悟を決めて彼がここにいるのだということを、その時、カカシは理解した。
カカシは暫し、その後ろ姿を見送ったが、イルカが浴室のドアを開けるのを見て我に返って追いかけた。
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