ベッドサイドの机に置かれた透明なプラケースの上から、カカシは缶ビールを一本取り上げた。
 よく冷えている。
 底の方が凍っているらしく、缶を振るとしゃりしゃりと音がした。
「便利ですねえ」
 カカシからビールの缶を受け取った黒い髪の後輩が、缶の冷たさに片頬で笑った。
「これが、例のチョコレートですか」
 ヤマトは身を屈めて、並んだビール缶の隙間からしげしげとプラケースの中を覗き込んだ。
 巨大なチョコレート塊が眠っている。
 丸みをおびたハート型の甘い菓子は、その質量でもって圧倒的な存在感を部屋の中で放っていた。
 カカシもビール缶を取り上げると、プルタブを引き上げてごくりと一口を飲み込んだ。顎間接がキンとするほどよく冷えている。
「よく出来てる」
 ヤマトは感心したようにプラケースを眺め回していたが、見ているだけでは飽き足りなくなったのか、上に並べられたビールの缶をよけて、プラケースを両手に持った。「重っ…」と小さく呟く。
 そう。ばかみたいに重いのだ。そしてデカイ。
 プラケースに張られた結界は一分の隙もなく、高度な水遁忍術を封じ込めている。
 衝撃のあの日から一ヶ月が経とうというのに、それが綻びることはない。
 術を施した人物の人柄か、実にしっかりと作られている。壊す意図を持って干渉しなければ、半永久的にこの冷蔵装置は働き続けるのではないだろうか。
 これだけ高度な術を駆使して為されているのは、ただ、チョコレートを冷やすという、それだけなのだ。
 ビールを冷やすというのは副次的な、カカシが後から付け加えた役割にすぎない。
「ちょっと、ナニしてんの」
 ヤマトが容器を開けにかかったので、カカシは鋭い声を出した。
 チョコレートの入っている方ではない、水を張り、結界で循環させている装置の方をこじ開けようとしている。
「これだけ強固な結界となると、媒体として術者の体の一部が使われているかもしれませんよ。血とか、髪の毛とか」
 後輩の言葉にカカシは顔を顰めた。
 生き血の入ったチョコも、髪の毛混入チョコもごめんだ。
「何らかの呪いが掛かっているかもしれません。先輩を狙う輩は多いんですから」
 真顔で言われてカカシは視線を俯けた。
 そんな事はない。
 これをくれた人に限って、そんなことはない。と、自分が信じたいだけなのかもしれないが、思う。
 それに呪いというならば、このチョコレートの質量と重量が既に呪いだ。
 一体、これをどうしろというのだ。一度、部屋のベッドサイドに置いたら、もう動かせなくなってしまった。ものすごい存在感と違和感を振りまきながら、眠るカカシのすぐ横にずっとあるのだ。目に入るたびに考えてしまう。
 何を考えて、あの人はこれを自分にくれたのだろうか、と。
「火影様のいる受付で渡されたっていうのだから、悪質なものではないんでしょうけど」
 その人のことを、知っているのかいないのか、ヤマトはビールを飲みながらプラケースをひっくり返したり、立ててみたり、ためつすがめつしている。
「うーん、きれいな術だな。芸術的といってもいいかも」
 こぽりとも音を立てず、静かに水が循環している。液体から気体へ、また液体へ。短いサイクルで目まぐるしく変転する物質は、エネルギーを生み出しながら、自ら消費し、閉じた世界で美しい均衡を保っている。
 ごつい茶色のチョコレート塊よりも、その術の美しさの方にヤマトは気を引かれるらしかった。
「ん、見つけた」
 プラケースを覗き込んでいたヤマトが小さく言った。
 カカシが見ていると、ヤマトは腰のポーチから千本を取り出し、容器の隙間に差し込んだ。
 小さな紙片が、千本の先に引っかけられて床に落ちた。
「媒体は術者の手跡か」
 そう言いながら紙片を拾い上げたヤマトが破顔した。
 カカシへ、その紙片を差し出す。
 1センチ四方ほどの小さな紙には、墨で小さく『堅』と書きつけられていた。
 ―――結界が、チョコレートが、
 『堅』
 あまりに実質的で、実直な文字にヤマトが笑いを深める。
 これなら無害そうだ、と元の位置に器用に千本を使って貼り付ける。
「モテますよねえ、先輩は」
 ビールを旨そうに啜りながら、黒髪の後輩は機嫌良く言った。
「ボクだったら、ちょっと心動かされちゃうかもなあ」
 ヤマトは何らかの感慨を、その結界と水遁術に守られた物体に抱いたらしかった。
 でも、と後輩はつけ加える。
「先輩は先輩ですからね。仕方ないか」
 勿体なさそうな顔つきで、ヤマトは言った。


ヤマトン。