長い回廊を本部棟へ向かって歩いていく。窓の外からオルガンの音が聞こえてきた。
軍事施設の密集する木の葉の中央棟に子供達の声が響いているのを聞くと、外からの客人達は皆一様にぎょっとする。非戦闘員である子供が何故、こんな所にいるのかと驚くのだ。
客人に何故かと問われれば案内役の忍びは「ここが一番安全ですから」と答える。実際、障壁に囲まれた狭い里の中でここ以上に安全な場所はない。本丸であるこの中央棟が落ちる時は木の葉が滅ぶ時だ。
だが、この中央棟に戦闘員以外の人間がいるのかというとそうではない。子供達も戦闘員だからここにいるのだ。忍びとして額宛を与えられていなくとも、大人の忍びがいなければアカデミーの子供達が一般人を守って戦うだろう。忍び達が死に絶えても、他の国々では非戦闘員と目される人々が武器を取って戦うだろう。誰も里を捨てたりはしない。
ここはそういう土地なのだ。
開いた窓から暖かく湿った風が吹き込んでカカシのふさふさとした髪を揺らした。オルガンの音が流れる空をつい、と切り裂いて燕が黒い背を見せた。雨のせいか低く飛ぶ。
カカシは回廊を抜け、辿り着いた報告所の引き戸を開いた。
受付の長机についた係員達がさっと顔を上げる。
そのうちの一人の目がカカシを認めて黒々と輝く。
黒い髪を頭の上でぴょこんと括ったイルカ先生だ。いつもカカシは誤解しそうになる。自分を見て嬉しそうな顔をしたんじゃないかと。しかし、イルカの視線はすぐにカカシの後ろや腰あたりに移動する。そうして、カカシの後ろにはもう小さな部下達の姿はないのだと気がついて少しがっかりした顔つきになる。
カカシは確認したくもない、そんなイルカの微細な表情を見届けてゆっくりと窓口の机の前に近づく。
「お疲れ様です」
イルカは愛想良く笑ってカカシに言う。
依頼人や斡旋される忍び達が出入りする受付とは違い、こちらは任務を終えた忍びが報告書を提出するための窓口であるから午後一のこの時間帯は大抵、閑散としている。
カカシはイルカの前に、ひら、と報告書を机の上に置いた。
イルカはその報告書に生真面目な顔つきで目を通す。午前中に片づけた簡単なCランク任務の報告書だ。
カカシはイルカの伏せた目蓋や、鼻梁の傷、顎のラインや耳の形をじろじろ見回した。奥二重の目蓋の下に隠れた睫の長さや、軽く前歯で噛んだふくりとした下唇の窪みまで。それらに指で触れ、唇で感触を確かめたらどんな感じだろう。いつも子供達の頭をわしわしと撫でている平の厚いごつごつした手で、自分にも触れて欲しい。きっと温かいだろうな、と想像しただけで心地よくなってしまう。鞣したような浅黒い肌の味はどんなだろう。
「依頼人からは既に経費は受け取っているんですね?」
子供達と一緒の時は殊更ははきはきと良く響く声が、大人相手の時は低く落ち着いたものに変わるのが、どうしてこんなにクるんだろう。
はい、と平坦に答えながらカカシは目の前のイルカから得られる情報を最大限に取り込もうと集中する。意識してやっているわけではない。タチの悪いことにすべて無意識だ。勝手にカカシの眼はイルカを深く観察し、耳はイルカの立てる音を拾い聞こうと聳つのだ。
しかしそんな不躾な視線はイルカが検印を押して顔を上げるまでだ。
「問題ありません。お預かりします」
そう言ってイルカが顔を上げた時にはもうカカシはいつもの捉え所のない、気のなさげな顔つきに戻っている。
真っ直ぐにカカシを見上げてにこりと笑うイルカは、自分がカカシにどんな眼で見られているかなんて微塵も気づいていないようだ。
まだ大丈夫だとカカシは思う。
気づかれていなければ、どんな眼で見ようとこちらの勝手だ。