雨は降ったり止んだりを繰り返して不安定な気候のまま夕暮れになった。明るい灰色の空の下を薄墨を落としたような猪子雲が早足で流れてゆく。陽の残光が空の縁にだけ薄赤く照り映えていた。明日は晴れるといい。朝早くの出立のため明日は来られないだろうとカカシは慰霊碑に足を向けた。
 ぱらつく雨に色を濃くした緑の中にひっそりと古びた石碑は建っている。
 オビトも大人になってリンとエッチしたかったろうなあ。
 慰霊碑を前にカカシは不謹慎な事を考えた。
 そんな話を出来るようになる前にオビトは逝ってしまった。今なら聞いてみたい。
 どうしてこんなに一人の人間に惹きつけられるのか、と。
「俺の方が子供だったかなあ」
 カカシは一人呟いた。
 人を恋う、その事を思った時にたまたま目の前にいたのがイルカだったからなのか、イルカが現れたからそんなことを思ったのかよく分からない。彼からにおった血の匂いのせいかもしれなかった。
 慰霊碑に刻まれた人々の名を眼で辿るカカシの背後から、さくさくと草を踏む音が近づいてきた。
 今日は三代目の月命日だ。
 彼が来ると思っていたわけではなかったが、期待していなかったわけでもない。背中で足音を聞きながらカカシは待った。
「カカシさん」
 と、いつもより低い声で彼が呼んだ。
 振り返ると書類鞄を脇に抱えたイルカが立っていた。
「お参りですか?」
 笑みの形に右目を細めたカカシに「はい」とイルカは頷いて、カカシの横までやってきた。濡れた草を踏み分ける足下に露が散る。
 暫く黙って並んで立っていた。
 厳かな場だというのにカカシの意識は隣に立つイルカの体温に惹きつけられる。湿った空気の向こうに感じるイルカの気配に神経が張りつめた。居たたまれないような気持ちがするのに、ずっとこのままでいたいとも思う。いずれこの人の気配にも自分は慣れる日がくるのだろうか。もうかれこれ二年近くは顔見知りを続けているというのに。
「遠征任務に志願されたそうですね」
 沈黙を破ったのはイルカだった。
 国境付近の哨戒ラインへの斥候任務のことだろう。任務受付所にも交代要員の募集が出されていたからそこから知ったのだろう。
「ああ、はい。里にいると色々うるさいので」
 カカシは肩を竦めた。うちは一族のたった一人の生き残りに千鳥という強力な技を授けた挙げ句に里を抜けられた。上忍師として最悪の結果を出したカカシに上層部の風当たりは厳しい。特に御意見番の水戸門ホムラに睨まれている。
 微妙な立場になったカカシに幸いだったのは、綱手が五代目火影に就任したことだ。綱手は彼女自身が抜け忍扱いされてもおかしくないような来歴の持ち主であった上に、カカシの部下である春野サクラを承諾なしに自分の弟子にしてしまったことをカカシに悪いと思っているらしくカカシには甘かった。
 おかげでカカシは忍びとしての命を繋いだ。
「ホムラ様は今でも三代目の死に納得がいかないんです。五代目に対しても少々きつく当たってらっしゃるようで…」
 イルカはそう言いかけて口籠もった。一介の中忍が言っていいことではない。代わりにイルカはカカシに痛ましそうな顔を向けた。
 そんな顔がとてもいい。
 イルカの真摯な言葉に耳を傾けながら、そんな浮ついたことを考えている自分に呆れる。大人になって、頭の中は随分おめでたくなった。
 自身の立場の悪化を、カカシはあまり気にしていない。父親が謂われのない批難に晒され命を絶ったあの日から、カカシの人生は逆境の連続だった。狭い里の組織の中で生きていくというのはそういうことなのだと幼い頃に叩き込まれた。
 ただ、三人の部下達に申し訳ないと思う。
 ナルトにもサクラにも可哀想なことをした。
 結局、サスケに何もしてやれなかった。
 だから、やっぱりこの人に打ち明けられはしないだろうと思う。