日差しが強くなった。
火影岩の照り返しで里の町並みが白く眩しい。
目を眇めて歩いていると、奇妙な光景に行き会った。
本部棟の建物の壁に沿って緑の簾が出来ていた。植物の蔓である。屋上から吊られたネットに絡んで上へ上へと伸びている。
大きなギザギザの葉の生い茂るあちこちに、黄色い花が咲いている。
いつの間にこんなに風になっていたんだろう。
初夏の日差しを浴びてさわさわと緑の葉が揺れる。
繁った緑の中で梯子を立てて作業をする人の姿がある。近づくと数人の中忍の中にイルカがいるのに気がついた。一人の中忍が押さえている梯子の上でせっせと何かをしている。
「イルカさん」
ヤマトが声を掛けると、梯子の上のイルカはひょいと顔を下げてこちらを見た。
「何をしているんですか?」
イルカはにこりと笑った。
「受粉しているんです」
ぽかん、とヤマトは口を開けて緑の葉に埋もれているイルカを見上げた。
「マクワウリですよ。アカデミーの生徒達と育てているんです」
毎年、アカデミーで春に植えるのだそうだ。
「こうやって簾にすると、夏には生い茂って教室が涼しいんです」
収穫も出来ますしね、と言ってまたイルカは笑った。
「去年もいっぱい穫れて、本部の食堂でも出されたんですよ」
瓜には雌花と雄花がある。受粉しなくとも単為結果するが、種を採るために受粉をするのだそうだ。
「アカデミーの先生はこんな事もしてるんですか?」
「まあ、趣味と実益を兼ねてってとこですかね」
イルカははにかんだように鼻の傷を掻いた。
明るい日差しの中でひらひらと黄色い花が踊る。眩しい。
「夏になったらヤマトさんにもお裾分けしますよ」
指先を花粉で黄色く染めたイルカが言う。
−−−夏。
夏になる頃には自分はどうしているだろう。
ナルトの修行が終わったら、また暗部に戻ることになる。
もともと、ここは自分のいる場所ではないのだ。
ヤマトはじっとイルカを見上げた。
ここは明るい。イルカのいる世界。穏やかで確かな存在のある世界。
あのラボで唯一の生存者として発見されてからこれまで、自分の過ごしてきた時間がヤマトには夢のように感じられた。夢の中で思い出す現実が不確かなように。
実際には夜だけを生きてきたわけではないのに、思い出すのはいつも夜だ。
轟々と絶えず耳元で風が鳴っている。風の中を突っ切って、前をゆくほの白く光る銀の髪。
ずっと、自分の前を走っていてくれると思っていた。
いつの間にか自分の前から姿を消して、こんな場所で、こんな人の隣に立っていた。
カカシは十年、暗部にいた。
通常部隊へ配属替えされるまで勤め上げるのは希有な事だ。
「ボクもやっていいですか?」
見上げて尋ねると、「いいですよ」とイルカは笑った。降りてこようとするが、その前にヤマトは梯子に手を掛けた。大人二人の体重を受けて梯子が撓む。下で押さえている中忍が「危ないですよ」と声を掛けたが構わず、イルカのところまで登った。
「ちょっと、待って下さい。俺、降りますから」
「大丈夫」
不安定とはいえちゃんとした足場のある場所でバランスを崩すようなヘマはしない。
イルカの肩越しに手を伸ばして花に触れた。指を差し込んで花粉を掬い取る。甘い香りがほのかにする。
「そっちの雌花につけるんです」
イルカが指差す花へ、花心に花粉を塗りつける。
首元でぱさりとイルカの括り上げた髪が揺れた。イルカはヤマトの体と梯子に挟まれて窮屈そうに身を縮めている。くすぐったい。なんだか愉快な気持ちになった。次々とヤマトは瓜の花に花粉を着けた。
梯子の横木に肘を突いて、イルカは寛いだ顔を見せた。
「あっちの空き地には南瓜を植えているんです。生命力が強いから世話なんかしなくても、毎年勝手に生えてきて、勝手に実がなるんです。元々は大戦中に、食糧の確保のために植えていたらしいんですけど。あっちは食堂のおばちゃん達の管轄なんです」
俺達の仕事は任務だけじゃないんですよ、とイルカは言う。
「農作業したり、本部棟の敷地内の管理をしたり、単純な肉体作業も多い」
通常部隊の下忍、中忍はそうだろう。同じ任務に就いても、ヤマト達の部隊とは任される仕事が違う。
「任務でも開墾するのに邪魔だから、この岩盤を術で砕いてくれとかね。無茶な依頼されますよ」
笑い混じりで穏やかに語られる日々の事物をずっと聞いていたいと思う。
誰かと一緒にいる事を心地良いと思うのは、その人が作り出す時間を心地良いと思うことだ。
時が止まればいいと願うのは、その人に留まって欲しいという願いだ。
「受付で花を貰って困っている人に“食べたらどうですか”って言ったんでしょう?」
「あれ?なんで知ってるんですか?」
イルカの答えにヤマトは口元を緩めた。
そうだと思ったんだ。
手の届く範囲の花にはすべて受粉させてしまうと、下で梯子を押さえている中忍が「交代ー」と声を上げたので二人は梯子を下りた。ヤマトは今度はイルカと一緒に梯子を押さえる方に回った。
梯子に登った男が先ほどの自分達より高い位置で手を動かすのをヤマトはじっと見上げた。
こんな事をしたがる自分を、イルカは不思議そうに見ている。そんな風に見つめられても、ヤマトはいつものように感情が読めないといわれる顔つきしか出来ない。
この人は花だ。
捧げられた、欠落を贖うための花。
カカシの花だ。
ヤマトは隣に並んで梯子を押さえているイルカへ顔を向けた。肩を掴んで、振り向かせる。黒い目が瞬いてヤマトを見る。ヤマトはすぐそばにある唇に自分の唇を重ねた。
男でも唇は柔らかい。
触れ合った瞬間、大袈裟にイルカの体は刎ねた。びくん、と震えて大きく蹌踉ける。
その拍子に梯子が大きく傾いだ。
「あーーーー」という声を上げて、梯子もろとも上にいた中忍が弧を描いて宙を飛んだ。