食事の用意が調ったと作務衣姿の男が呼びに来て、二人は庫裡へ招かれた。
 食事は普通、宿坊の食堂で摂るそうだが、里の中央から来た二人に住職が会いたいということだった。
 この寺が忍宿として機能していたのは第二次大戦中までで、野火の砦が出来てからは主に湯治場として利用されるようになったということだったが、和尚は当然ながら木の葉と縁のある人物だろう。木の葉の中央の情勢が知りたいのだろう。三代目が亡くなって火影が代替わりしたこともあって、ここへ来るまでも里外に配属されている誰もがイルカに里の様子を聞きたがった。
 廊下を寺男に案内されながら、自然とイルカは付き従うようにカカシの後ろを歩いた。私用で来ているとはいえ二人は里からの客人と遇されるわけだ。外地の人間の前で上忍であるカカシに馴れ馴れしくするのは憚られた。
 その様子から寺男は二人を、休暇に来た上官と付き添いの部下という位置づけで納得したらしい。現地の民間人か、アカデミーから下忍にならずに草として送り込まれたのか分からないが、軍事施設のすぐ傍の寺で働いているのだから心得ているのだろう。今はそのように振舞うのがイルカにとっても楽だった。
 廊下を渡り本堂の脇を巡って住職達の生活する庫裡へ通された。
 二人を迎えたのは異様なほど蟇蛙に似た和尚だった。
 はげ上がった頭のぬめっとした光り具合といい、横に広がった顔に大きな口、垂れ下がった顎の肉など、どう見ても蝦蟇だ。
 イルカは思わず「ナルトがいつもお世話になっております」と頭を下げそうになったほどだ。
 カカシが先に畳に膝をついて丁寧に頭を下げた。
「まあ、そう堅苦しくなさらず」
 蝦蟇和尚はにこやかにお膳の前の座布団へ座るよう促した。イルカもそれに倣う。
「遠い所をよくおいでになられた」
「お久しぶりです。すっかりご無沙汰しておりました」
 カカシは以前もここに来たことがあると言っていた。和尚とも知り合いのようだ。
 この場での会話はカカシに任せた方がいいだろうと思ったので、イルカは「お世話になります」と頭を下げて後は黙っていた。
「目の具合はもういいのですか?」
 和尚の言葉にカカシはにこりと目を細めた。今は長い前髪に隠されている特殊な力を持った左目のことを言っているのだとイルカにも分かった。
「あの頃よりはずっと使いこなせるようになりましたよ」
 カカシは写輪眼のせいで度々チャクラ切れをおこすと聞く。イルカと知り合ってからも二回ほどそんな事があったようだ。イルカは実際にそんな状態のカカシを見たことはないが、ナルトが言っていた。
 野火の連山は火の国と土の国との国境にある。両国の兵隊として働いた岩隠れの忍と木の葉隠れの忍は大戦の最後まで交戦していた。カカシやイルカが子供の頃、この辺りは激戦地だったはずだ。
 いつ頃、カカシはここにいたのだろう。
 和尚は三代目と親交があったらしい。話から推測すると三代目よりも年上のようだった。幾つくらいなのだろうと見当をつけようとするのだが、見れば見るほど蝦蟇そっくりだという事以外はわからない。カカシの語る木の葉崩し後の里の様子に織り交ぜて、和尚の昔話を聞きながら食事は進んだ。
 野火の山には傷を治す霊力を持った蝦蟇が棲んでいて、連山から湧く湯はその霊力を宿していると信じられているのだそうだ。この寺は一次大戦の時に傷を負った初代様がその蝦蟇に助けられてこの湯で体を癒したという言い伝えから蝦蟇への感謝を表すために建立されたという。
 その蝦蟇ってあなたなんじゃあ…とイルカは何度も訊いてみたくなったが我慢した。
 献立は春らしく、筍や山菜を使った素朴なものだった。精進料理なので肉や魚は使われていないさっぱりとしたものだ。一楽のラーメンが世界一美味いと信じているイルカだが、たまにはこういうのもいいなあ、と思った。
 しかし、出来立ての恋人との初めての旅行という感じじゃないなあ。
 なんだか本当に上官のお供で挨拶回りに来たみたいだ。
 イルカは三代目のお供で度々そういう事があったので、なんだか仕事に来たような気分になった。
 カカシは何を考えているんだろう?きわどい事を訊いてきたかと思えば、イルカを置いてけぼりで涼しい顔で昔の知り合いと国際情勢について話したりしている。何も考えてないのかもしれないが。
 男ってそういうとこあるんだよなあ。
 自分では見えなかった男としての部分をカカシに見つけてイルカは色々と過去の失敗を反芻した。
 女の子を誘う時は俺も気をつけよう。
 とりあえず料理を楽しむことにして、菜の花の辛し和えをもぐもぐやっていると廊下からぱたぱたと小走りに誰かがやってくる気配がした。足音の軽さから女だなと見当をつける。
 がたりと揺れて開いた襖の向こうには案の定、浴衣姿の女が立っていた。その顔に見覚えがある。先ほど湯殿で倒れたイルカを戸の陰から心配そうに眺めていた顔だ。一瞬、湯気に霞んだ肌の色を思い出しかけて、イルカは慌てて頭の中の画像を打ち消した。
「あんた達、いい若い者がそんな老人食みたいなもの食って!」
 膳に並べられた料理を見て女は叫んだ。
 ぽかんとするイルカ達に女はにぃ、と笑った。
「こっちにおいでよ。鴨鍋だよ」
 和尚が「またお前達か…」と溜息をつき、ゆるゆると首を振った。
 どうするのかとイルカが見ている前で和尚は自分の膳を持って立ち上がった。移動するらしかった。すぐに廊下から作務衣の男が現れ、ひょいと辞儀をしてからカカシの膳とイルカの膳を持った。
「ここからは無礼講ですぞ」
 と満更でもない顔で和尚が言った。
「お客さん達だってこんなとこまで来て堅苦しい話なんてしたくないわよねえ」
 朗らかに笑う女に引き連れられて一同はぞろぞろと廊下を渡った。
 廊下を歩いている時に、イルカはつん、と浴衣の袖を引っ張られた。振り向くと横に並んだカカシが耳元に口を寄せてきた。
「気をつけて下さいよ」
 周りの者には聞こえないような小さな声でカカシが言った。
 何をだ、と怪訝に思っていると「あなた、葱背負ってますからね」と言う。
「どういう意味ですか」
 ちょっとムッとしてカカシを睨むと、カカシは大袈裟に溜息をついてみせた。
「あなたみたいなのが、彼女らの好物ですからね」
「はあ!?」
「若くて逞しい体に初心な心、なんて」
「なんか言い方がいやらしいですよ」
 カカシが自分を表した表現にイルカは眉を顰めた。
 大体、そんなイチャパラみたいな事がそうそうあってたまるか。女達は皆、くのいちのようだが、ならば一層シビアに男を見るはずだ。むしろ狙われるならカカシの方じゃないのかと思う。
 そう言うと、「分かってないですね」とまた溜息をつかれた。
「彼女達は俺みたいなすれっからしは好みませんよ」
「カカシ先生はすれっからしなんですか?」
 イルカの素直な疑問に、うう、とカカシは窮したように呻いた。答えたくないような事があるようだ。
 イルカはやはりカカシの方が女にモテるだろうと思う。手練れらしい空気は同業者ならすぐ分かるだろう。今は顔を隠しているけれど、風呂場で顔を見られたかも知れないし、カカシは女好きしそうな風貌をしている。
「わっかい小娘ならそうかもしれませんけどね、」
 イルカとしてはそれも聞き捨てならない言葉のような気がする。
「あいつら全員、プチ綱手ですよ」
「は?五代目?」
「あんななりしてますけど、多分、みんなあなたの母親くらいの年齢ですよ」
「え!」
 カカシの言葉にイルカは一瞬、固まった。
「だって、さっき風呂で見た時はぴっちぴちでしたよ!?」
 しっかり見てんじゃないのよ、とカカシがぼやいたがイルカはそんな事より今、聞かされた事の衝撃の方が勝っていたので聞き流した。
「気をつけて下さいよ」
 カカシは念を押すように囁いて、イルカから身を離した。
 これは本当に狸の宿に来てしまったんじゃないだろうか。
 女と和尚の背中の向こう、長い廊下の果てに賑やかな光が見えてきた。

所詮、仕事人間のカカシ。色々と自覚しないイルカ。

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