イルカ達の部屋の向かい三つ向こうの大部屋に案内された。入り口に近づいただけで旨そうな匂いが漂ってきた。
 部屋の真ん中に置かれた広い卓には既に鍋が三つ並んでぐつぐつと煮えていた。
 入り口から右手の襖を開くと縁を挟んですぐに自炊場があり、そこで調理したものが手早く運んでこられるようになっている。本来の食堂はここなのかもしれない。鍋の材料は山の下の村で調達してきたもの、鴨は自分達で捌いたという。
 女達は気安い様子で和尚とイルカ達を部屋に招き入れた。
 野火の砦に駐留する木の葉のくのいちで、たまの非番にやってくる、この宿坊の常連らしい。誘いに来た一人を合わせて六人いた。浴衣に半纏着ですっかり寛いだ様子になっている。階級は定かでないが互いに気の置けない仲のようだ。
 和尚を床の間の前の上座に座らせて、その隣にカカシが腰を下ろした。イルカもその横に腰を下ろす。運んできた膳は部屋の隅に置かれて、その上に載っていた料理だけが寺男の手で卓に並べられた。
「蝦蟇和尚、その方達紹介してくださいよ」
 女の一人が嫣然と微笑んで和尚に甘えるように言った。やっぱり蝦蟇って呼ばれているんだ、そう分かってイルカは少し胸の中がスッキリした。
「里からいらしたはたけ上忍とうみの中忍だ」
 カカシは「どーも」といつもの調子で猫背のまま頭を下げた。
「初めまして。うみのイルカです。ご馳走になります」
 イルカがそう言ってきちっと頭を下げると、女達からくすくすと笑い声が漏れた。
 浴室でのことを思い出しているのだろうと分かったのでイルカは顔に血が集まるのを感じた。
 女達も端から簡単に自己紹介をしてくれた。下忍中忍のグループに一人だけ特別上忍が混じっている。仕事仲間だが駐留生活が長いのですっかり気心が知れているという。
 互いの紹介が終わるのを見計らったように寺男が燗をつけた徳利を盆に並べて運んできた。杯が回され女が酌をしてくれた。
「お疲れ様!」と決まり文句で杯を掲げると、まず一献。鍋のふたが開けられてもうもうと湯気が部屋の天井に流れた。
 甘辛の醤油出汁に鴨の肉から出た油が溶けて美味しそうだ。
 最初に呼びにきた女が和尚の横で器に鍋の具を取り分けて渡すのを合図に次々と鍋に箸が伸びた。ここでの流儀はどうなっているのかとまごついていると、横から女の白い腕がにゅうと伸びて、カカシの皿を取った。
「好きに取っていいんだよ」
 そう言いながらイルカの斜向かいに座った女がカカシとイルカの皿に順に鍋のものを取り分けてくれた。「ありがとうございます」と頭を下げて、イルカは皿を受け取った。柚を搾って最初に鴨の肉を口に入れるとしっかりした歯ごたえがあって鶏よりも味が濃い。脂と身がはっきり分かれていて、野生のものだとすぐに分かった。
「美味しいです」
 思わずにかっと笑って言うと、女達も楽しそうに笑った。
「麓の温泉町も面白いけど、一般人が多いからね。高いお代払って気取った料理食べるよりもここで自分達の好きなものを好きに料理して食べる方がよくなっちゃうんだよ」
 湯気の向こうで女の一人が言った。
「そう言って非番の度に押しかけて来よるんじゃ」
 蝦蟇和尚が肩を竦めて、ふう、と溜息をついたのを女達はけらけらと笑い飛ばす。
「こんな山寺で寂しく暮らしてる和尚の飲み相手になってあげてるんじゃない」
「この駐屯地は配属先としては当りの方だよね。水も豊富だし、冬の冷え込みは厳しいけどなんてったって温泉がある」
 砦の中にも温泉が引かれていつでも湯に浸かれるのだそうだ。
「そっちは男湯と女湯に別れてるけどね」
「は、はあ」
 ね、と顔を覗き込まれて赤くなって答えたイルカに、ぷっ、くすくす、と女達から笑いが漏れる。もうその話題はいいですって…。
「山が高いから季節の移り変わりで随分、眺めも変わる。木の葉にも四季はあるけど、ここの気候の激しい変化とは比べ物にならないよ」
 イルカは中忍になったばかりの数年は里外に出たこともあったが、わりと早いうちに教員候補として里に呼び戻されたので長期の外地勤務の経験はない。気候も風土も違う土地での兵舎暮らしというのはどんなものだろうかと興味があったので、女達の話は面白かった。
「今はいい季節だよ。辛夷の花が咲いて、渡りの鳥達が来る。湖の氷も融けて鱒も釣れるしね」
 地元の漁師達が作っている押し寿司が美味いから、帰る前に是非食べていけと勧められた。魚が美味いのはやっぱり秋だけど、と今度は秋には何が美味いかと挙げられる。そんな話をしながら次々と杯には酒が注がれ、空になった徳利が転がる。
「カワズ、そっちもういいから、あんたもこっち来てお飲みよ」
 女の一人が自炊場にいる寺男を呼び立つと、酒瓶を抱えて二人で戻ってきた。今日はとことんまで飲むつもりらしい。カワズという名らしい寺男は米粒みたいな形の顔にへらりと笑みを浮かべて酒瓶の栓を抜いて女達に酌をして回る。
「あんた方も男同士で固まってないで、こっちおいでよ」
 おいで、おいでと手招かれてどうしようかとイルカは伺うようにカカシを見た。気をつけろと釘を刺されたばかりだ。カカシは動く気はないようだがイルカの視線に気がつくとにこりと目を細めた。
「別にいいですよ。少しくらいなら遊んできても」
 少し?遊ぶ?
 すれっからしできれいな遊び方をするらしいカカシにとってのそれはどういう意味なんだろうと引っ掛かりを感じながら、しかしこれは遊ぶんじゃなくて遊ばれにいくようなものだ。
 なんだか父兄会を思い出すな…と思いつつ、にっこり笑って「お邪魔します」と女達の間に開けられた場所に腰を下ろすと早速、杯を持たされた。
 イルカは腹を据え、酌をされるままぐいぐい飲んだ。
「あんた、飲みっぷりも食べっぷりもいいねえ」
 酒の合間に鴨の肉と水菜をばりばり食べるイルカに隣の女が嬉しそうに言った。イルカは酒は強い方だ。食欲も旺盛だし、なにより腹が減っていた。考えてみれば朝、隣の関所を後にしてずっと歩いてここの砦まで来たのだ。昼間食べたのは途中の茶店で食べた掛け蕎麦と砦で出されたお茶と茶菓子だけだ。粗食に耐えるのも忍だが、正直さっきの精進料理だけではもたなかったかもしれない。鴨鍋を食わせてくれてうまい酒まで出してくれるくのいち達が天女に見えてくる。天女達はさっきから調子よく杯を干している。本当は狸なのかもしれないが。
 女の一人が「それにしても」とイルカの顔を眺めながら言った。
「里から業務指導に来るっていうからどんなオヤジかと思ったら、風呂場で鼻血吹いちゃうような子だったから吃驚したわー」
 ぶっ、とイルカは酒を吹いた。
「いやー、あれはいいもの見させてもらったよねー」
「今日ここに来てよかったって思ったよねー」
「わわ、忘れてくださいよっ」
 慌てて片手を振り回すイルカに「いやいや、」と女達はかぶりを振った。
「最近じゃ一般人でもあんな素直な反応は返ってこないもんねえ」
「感動したわー」
 うふっと顔を見合わせて笑い合う。反応すればするほどからかわれると分かっているのにイルカは顔を赤らめた。やだ、真っ赤!と笑われる。
「外地の連中なんてスレちゃってさあ。中央勤めだとそんな純真に育つのかしら?」
 純真て、どんな言い草だよ。イルカはごほん、と咳払いして口を挟んだ。
「いや、俺は中央って言ってもアカデミーの方なんで」
「えー!イルカちゃんて学校の先生なの!?」
 いつの間にかうみの中忍がイルカちゃん呼ばわりだ。
「はい」
「私の初恋の人も先生だったのよー!」
 きゃー!と隣に座っていた女がイルカに抱きついた。
「うわ!」
 慌てて女の体を抱きとめる。女もルカと同じ縦縞の半纏を着ているが、中に着ているのは浴衣だけで体の柔らかさがダイレクトに指に伝わってきてイルカは慌てた。
「ナズナ、あんた初恋の人が何人いるんだい…」
 他の女がツッコミを入れてからから笑う。
 今時の若い娘は温泉から出た後もばっちりメイクをキめて現れて同行の男達を落胆させたりするが、この女達はその辺、抜かりがない。湯に浸かって上気した素肌や結い上げた髪と浴衣の襟から覗く白いうなじのなだらかなラインの効力を十分心得ている。
 こんな風に自分の体や魅力を楽しんでいる女達はいいな、とイルカは思う。安心感がある。遊ばれるのは勘弁だが。
「先生といえばエビスの坊やはどうしたんだろうねえ」
 ふと思い出したように女の一人が言った。
「そういえば先生になるとか言ってたねえ」
「エビス先生をご存じなんですか?」
 意外な所で意外な名前が出た。驚いてイルカが尋ねると女達は頷いた。
「以前、一緒の隊だったんだよ。まだ中忍になったばっかりで色々面倒見てあげたんだよ」
「そうそう!あの子もよく鼻血出してたっけねえ!」
 きゃはは!と一人が笑う。
「異動が決まった時は、絶対出世してやるーって泣きながら出て行ったよねえ」
 …なにをされたんだろう、エビス先生。
「エビス先生は今は三代目のお孫さんの教育係をしていますよ」
「へええ、本当に出世したんだ」
 旧知の消息に女達はしきりに感心している。
「エビスはオリベさんが可愛がってたんだよねえ。オリベさん?」
 一斉に女達の目が仲間の一人に集まった。
 オリベと呼ばれた女は一人だけ「オリベさん」と敬称つきで呼ばれている特別上忍だ。細面の黒い髪と目をした色白の典型的木の葉美人だ。彼女は一人だまってじっと向こうを見ていた。視線の先を辿って
「あらあ!」
と、女の一人が頬に手を当てて甲高く声を上げた。
「オリベさんは顔を隠してる男が好きだったのかしらあ」
「エビスも眼鏡取ると優男だったものねえ」
 女達に囃されてオリベはぎょっとした顔で振り返った。オリベが見ていたのはカカシだった。カカシは先ほどから和尚と静かに話ながら杯を舐めていたが、自分が話題になっていることに気がついたのかこちらに視線を向けた。
 オリベは慌てたようにしっしっと手を振って
「なんでもないよ。昔の知り合いに似てるな、と思っただけさ」
と肩をすくめた。
 イルカは思わずカカシの顔を見た。カカシはちらりとイルカに目を寄越したが、何を言うでもなく杯の酒に天井の灯りを映していた。

彼氏じゃないの
彼女じゃないの
曖昧な関係〜

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