「それで、都合が悪くなるとすぐに居眠り始めるわけよ」
「土の国の代表もどうせ狸寝入りだろうって勝手に話を進めようとするんだけど、草の代表がやたらとっぽい奴でさ、コハル様、コハル様、眠ってらっしゃるんですか?コハル様、勝手に話を決められてしまいますよ、っていちいち小声で声を掛けるんだけど、これが静かな会議場に響くのよ」
「それが土の国の使節の神経を逆なでするらしくて、場の空気はピリピリしてくるし他の三国も気が気じゃないんだけど、草の代表だけはそれに気がつかないの」
「最後に草の奴が困り果てて、コハル様、目が細うて寝ておられるのか起きておられるのか分かりません、って」
「ぶっ」
「その声が会場中に響いたもんだから、みんな笑っちゃってその日の会談は何も決められずに流れちゃったのよね」
「あっはっはっはっはっ」
「後でコハル様も、ほんとにあれは焦ったって汗拭いてらっしゃったわよ」
「うたたねコハルの必殺技が通用しないなんて、草は油断ならないよ、って」
「あっはっは!」
女達の話にイルカは声を上げて笑った。
女達はみな話がうまく、イルカの知らない上層部の強面達の裏話を色々と知っていた。
砦内に温泉を引き込んでいるパイプが破裂した時の話や、綱手姫が胴元になって拳闘の賭け試合を開催した話などとんでもない話が次々飛び出した。
面白い話ばかりだったが笑いながらイルカはカカシとオリベという特別上忍の様子が気に掛かって、時折、二人の方へ目を向けた。カカシはいつものように気持ちの読めない笑顔を絶やさなかった。オリベの方は話に積極的に加わるでもなく、時々、カカシをじっと見ていた。
本当に知り合いに似ているだけなのか、それとも二人には面識があるのか、あるとしたらどういう関係だったのか、オリベのたった一言が自分でもおかしいと思うくらい気になった。
なんとなく二人はワケありなんじゃないかという気がする。なんとなくだ。なんの根拠もないがこういう予感は奇妙に外れないということをイルカは短い人生の中で学んでいた。
昔の恋人、とか。
嫌な気持ちになった。
別にカカシにだって過去につき合った相手くらいいるだろう。自分にだっていたのだから、カカシにいないはずがない。カカシは自分ですれっからしだと言っていたくらいだ。
でも、なにも今、ここでそんな相手に会わなくてもいいだろうと思う。
二人で約束して、初めての旅行に来た。
この休暇で二人の関係は親密なものになるだろうとイルカは思っていた。色々と不安はあるけれどお互いしか知る人のいない場所でゆっくり向き合えば、気持ちがはっきりするんじゃないかと思っていたのだ。
だが、宿に着いてからカカシと話したのは風呂に入る前だけだ。風呂場で鼻血を出して倒れて部屋に運ばれて一方的に詰るような事を言われて、その後はまともに会話していない。
考えると気が沈んできた。
折角、二人きりの旅行だったのに、となんだかだんだん残念な気持ちになってくる。
しかし、今は楽しむべき時だと思い直す。酒と食事を振る舞われて、楽しい話をしてくれて、なのにこんな事を考えているなんて和尚や女達に申し訳ない。
本来ならとても楽しい状況なのだ。大勢でわいわいやるのがイルカは本当は好きなのだ。みんな一緒に場の空気を守って、平等に気遣い合う。なのにカカシの存在があるとそれだけではいられない。気がつくとなんでカカシの隣の席を離れてしまったんだろうとか、なんでカカシはあっさり自分を移動させてしまったんだろうとか、そんな些細なことに不満を感じている自分がいる。
一人の人間に意識を囚われるという事の苦さをイルカは思い出した。
それが苦手で恋愛下手だと言われていたのに、気がついたらそんな状況に填り込んでいる。
さもしい。こんな自分はどっかに消えて欲しい。
−−−ああ、そうか。そこからすぐに逃げ出したくなるから、俺は恋愛が下手なのか。
ぷかりと浮かんできた考えにイルカは自分で納得した。
『恋愛関係になりましょうってゆってるんです』
その申し出を受け入れたからには、この苦さも引き受けなければならないものなのか。
恋愛するって恥ずかしいことだな、とイルカは思った。痛みをおぼえることも嬉しいと感じることもすべてが恥ずかしい。感情が一人の人間に向かってしまうのは恥ずかしいことだ。忍として。教師としてもだ。
個を捨て、私を殺せと教えられて育ったのに、そんなのはとても苦手だ。
そういう事を二人でしましょうって、言われたんだ。
里を出る前にイズモとコテツが言っていた賭けの話を思い出した。恥を捨てて恥を買うか。全然、割のいい話じゃない。そうしてもいいと思うくらいの相手にしてくださいと言われたんだ。
カカシも賭けに噛んでいるとしたら一生恨んでやる。
−−−これがお開きになったらカカシさんと話をしよう。
イルカはひっそりと決心した。
食事が済んで、部屋に帰れば二人だけだ。
そうしたら、自分のこの苦さを聞いてもらおう。
それが許されるのが、つき合っているってことなんだろう。
まさかダメ出しはされないだろうな。少し不安だ。
自分が頑張らないといけないのならば頑張ろうと思った。
気がつくと鍋の中はだし汁に浮かんだ白滝の切れっ端が浮かんでいるだけになり、酒も回って、どこをどう転がったかいつの間にか話は歴代火影で誰が一番強いかという議論になっていた。
驚いたことに女達は全員が二代目の熱狂的なシンパだった。
イルカにとっては火影といえば三代目だ。幼い頃からずっと里長として里を支え、イルカ達を見守ってくれた存在は他にいない。
初代様は伝説の人物だし、四代目は九尾の厄災で身を擲って里を救った英雄だが、彼らに比べると実は二代目はあまり印象が強くない。無論、火影を名乗った人物なので忍としても卓抜した能力を持っていたのだが、どちらかというと今の里の組織や施設を作り上げた実務家としての功績のほうが目立つ。
「それはあなたが実際にあの方を見たことがないからよ!」
口角泡を飛ばす勢いで女達が言う。
「あの方がひとたび印を結べば、大地は震え、山は鳴動したものよ」
「水のない場所で水遁使えるのよ!どうやるか分かる!?」
「えーと、理論上なら…」
「あの方は実際にやってみせちゃうのよ、軽々とね!」
どうやら彼女らが多感な少女だった時代に活躍したのが二代目だったらしい。
「和尚はどう思います?」
女達の剣幕に押されてイルカは端で聞いていた和尚に話を振った。途端に「だめだめ」と和尚が口を開く前に女達が遮った。
「和尚は初代グッズまで集めている初代フリークだもの。お話になんないわよ」
は?グッズ?
「これこれ、軽々しい物のように言うんじゃない。あの品々はこの寺に祀られている初代様の遺品じゃぞ」
「そんな物があるんですか!?凄いじゃないですか!」
初代火影が木の葉の里を作り上げるまで彼と配下の忍達は各地を流転したという。野火の峠は火の国の軍事的要衝でもあったから実際に初代様が立ち寄ったのは間違いない。ならば遺品も本物である確率は高い。
後で見せて貰えるものか訊いてみようとイルカは思った。
「わしはやはり木の葉の里という理念を打ち立てた初代様が歴代火影の中では最も偉大な方だと思うのう。初代様なくしては他の火影もありえんかった」
蝦蟇和尚が薄くて広い口をもぐもぐさせながら自分の考えを述べた。たしかにそれはもっともだとイルカも思った。
「今は誰が偉いって話じゃらいよ!誰が一番強いかっていう話らよ!」
酒瓶をどん、と卓について鉄火肌らしい鳶色の髪の女が叫んだ。
ちょっと、あんた呂律回ってないわよ、と他の女達に指摘されて、うっさいと首を振る。
「歴代火影を並べてガチンコ勝負させらら誰が勝つかよ!」
つまり中忍試験の三次試験のように一対一で勝負させたら誰が強いかということらしい。そんなこと現実に起こりっこないのに皆、真剣だ。
「初代様は木遁が使える」
和尚が言う。
「技のキレらら二代目よ!」
女も引かない。
「俺はやっぱり三代目だと思うな。すべての忍術を網羅したというプロフェッサーの名は伊達じゃないですよ」
イルカも故・三代目の名誉のためにと口を挟んだ。
「上忍はどう思うんです?」
女の一人が騒ぎを傍観していたカカシに水を向けた。
「んー」
と、緊迫感のない声を上げて少し考える素振りを見せてカカシは弓形に目を細めた。
「四代目かな。俺くらいそう言ってあげないとあの人泣くでしょ」
ちっ、ミーハーめ、と誰かが舌打ちした。四代目は若い女子供に人気があるのだ。時代が近いせいもあるが金髪碧眼という見目の良さも大きな要素だ。
「初代目と三代目の陰に隠れがちらけど、実際に木の葉の里を里として整備しらのは二代目らのよ。アカデミーの創設者らって二代目らのよ。アカデミー教師としてそこんとこどうらのよ!?」
女に人差し指を突きつけられて、ぐぅ、とイルカは唸った。
「そ、それは勿論、二代目の事も初代様のことも、四代目も、みな命懸けで里を守り作り上げた立派な方々ですから尊敬しています」
でも、とイルカは続けた。
「三代目以外の皆さんは夭折されています。いいですか、今は誰が強いかという話ですよね?年齢や年代を関係なしに歴代火影の一番強かった時期を比べて誰が強かったかを決めるとします。すると初代様も二代目も四代目も若くして亡くなっている。もっと長生きすれば極められた術も新しく開発した術もあったでしょう。でも、皆さんその前に亡くなっているんですよ。とすれば一番長命で一番忍術に精通された三代目の最盛期が一番強かったって事になるでしょう」
滔滔とイルカは述べ立てた。我ながら理路整然としている。どうだ、と周囲の者を見渡したイルカに、ぶつん、とどこかで紐が切れたような音が聞こえた。
「しゃらくさい!そいつ、押さえ込みな!あたしが上に乗ってやる!!」
鳶色の髪を燃え立つように振り立てて女の一人が卓を叩いて立ち上がった。きゃあ、と嬌声を挙げて他の女達がイルカに飛びついた。あれよ、という間もあらばこそ、イルカは女達の腕の中で体を固定されていた。
「え、なに?」
と思わず間抜けな声を上げてしまったイルカだが、両側から別の女のそれぞれの手が自分の浴衣の襟を引き裂くような勢いではだけさせたのを見て青ざめた。
「ぎゃーーー!!何すんですが、あんたたち!?」
女達の腕に後ろから腕と首をホールドされてイルカはばたばたと床を蹴った。女相手に本気で抵抗もできず、しかし相手は六人だ。そして実戦経験はイルカをはるかに上回っているだろう。
「教師ってのは理屈っぽくっていけないよ。体に言い聞かせてあげるわ」
腰に手を当て仁王立ちになった女がイルカを見下ろし質の悪い笑みを浮かべた。どこかが完全に切り替わったらしく急に口調がはっきりしているのが恐い。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと…!」
待った!と叫びながらイルカは卓の向こうのカカシに助けを求めるように目を向けた。カカシは目を見開いてイルカを見つめていた。覆面の下でぽかんと開いた口まで見えるような気がした。ぼけっと見てないで止めて下さいよ!上忍のあなたか和尚しか止める人いないんだから!というイルカの心の声は届かないようだ。和尚は「しかし初代様は木の葉忍術の祖としてありとあらゆる忍術の基礎を…」と誰も聞いていないのに初代が如何に強い忍であったかを説いている。
鳶色の髪の女は片足でイルカの足首を払い、脚を広げさせた。そしてずい、と身を乗り出すと凄味のある笑みを浮かべながらイルカの腿に手をついた。酒臭い息がイルカの顔にかかる。女がこういった事に手慣れているのが嫌でも分かった。
女が手をイルカの腿の上で滑らせた。
「わー!堪忍!俺、今、パンツ穿いてないんですよ!!」
際どい所に手を伸ばされそうになってイルカは焦って叫んだ。
「なんだって!?」
その一言で女達が色めきたった。なんなのその反応!?
さっき風呂でぶっ倒れてカカシに浴衣を着せ掛けられたままなのだ。さすがにパンツまで穿かせてもらうわけにはいかないだろう。しかし一人でこっそり穿こうにもそんな間もなく食事の用意が出来たと呼ばれたのだ。まあ、着物の下にはパンツを穿かないというからいいかと思ってそのままなのだ。
イルカにのし掛かっていた女が一旦、身を引いて、しげしげとイルカを見下ろした。他の女達の視線もイルカの腰辺りに集中する。そろ、と女の手が浴衣の裾にかかる。
「だから、マジ勘弁て…!」
イルカの制止の声を無視して、鳶色の髪の女がイルカの浴衣を捲り挙げた。日に焼けていない膝の内側が露わになる。
「たまんないねえ、この白さ」
「アンズ、早く捲りなよ」
「馬鹿、ちょっとずつだよ。ちょっとずつ…ほら、ピンクに染まってきた…」
言われてイルカは首筋までを赤く染めた。まるきり生娘をいたぶる与太者だ。かんにんして…とか涙ぐみそうだ。
「ちょっと…もう…」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし」
「減りますよ!!」
必死のイルカの言葉を女は笑い飛ばした。
「そうだねえ。減るかもしれないねえ。あたしゃ、音に聞こえたさげまんだ。あたしに乗られたらあんたの命も目減りするかもねえ」
女の細い指が柔い内腿の肉を撫でるようにして浴衣の布を押し上げる。
「だめですよ!」
ぴしゃりとイルカは撥ねつける勢いで言った。
「自分で自分の事をそんな風に言っちゃ」
女達が一斉に動きを止めてイルカの顔を見た。
奇妙な間にイルカが自分に迫るアンズ、という名らしい、女を見上げると、女の方も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「ああん、先生!私、ずっと誰かにそう言って欲しかったのぉ!!」
と、いきなりイルカの後ろを取っていたナズナがイルカの頭を胸にかき抱いた。
あんた、関係ないじゃん!
ナズナの胸の谷間に顔を埋もれさせてイルカは、ぎゅむう、と呻いた。他の女も「せんせぇ!」と言ってイルカに抱きついた。
「なによおー、鼻血ブーのくせにぃ!!」
「ぎゃーーーー!」
一拍おいてアンズがイルカの腰に腕を回して、頬を擦りつけてきた。だからパンツ穿いてないんだっての!
ひとしきり「せんせい」「せんせい」とイルカに懐いてから、気が済んだのか女達はイルカから離れていった。
「やっぱり空気読まないとっぽいのが一番強いわよね」
くしゃくしゃになった鳶色の髪をかきあげてアンズが、はー、と息をついた。それは俺のことですか…とイルカは床に腕を突いてがっくりと項垂れた。ほつれた髪がばさりと頬にかかった。すごい消耗した気がする。
「じゃあ、みんなでお風呂行こうか」
女の一人が提案した。
「先生も一緒に」
「はいぃ!?」
腕をとられて蹲った畳の上から引っ張り起こされる。一緒に風呂に入ろうということらしい。
「いや、俺はいいですよ!」
ぶんぶんと頭を振ったが、女達はイルカを取り囲んで部屋を出た。
「もう襲ったりしないから、健全なお色気を楽しみましょうよ」
「楽しめませんよ、そんなの!大体、あんた方そんなべろべろに酔っ払って風呂なんか入っちゃだめですよ!」
平気、平気、と女達はイルカを湯殿へと引きずって行く。
冗談じゃない。これ以上遊ばれてたまるか。
助けを求めるように振り返ると、遠ざかる襖越しにカカシにオリベ特別上忍が話しかけているのが見えた。