甘ったれた事を考えているな、とイルカは内心深く自嘲した。そんな事が自分はしたかったのか。
「もういいですよ」
 心なしか上擦った声でカカシが言った。
 イルカは更にカカシのものを深く銜え込んだ。どうせなら最後までしたい。カカシが自分に情を感じているのならその証を見せて欲しい。
「イルカ先生、もう…」
 カカシが慌てたように腰を引こうとする。イルカは頑是無い子供のように首を振って、なおもカカシにしゃぶりついた。息を詰める気配がして、イルカの頭を引き剥がそうとするようにカカシの手に力が込められる。だが、どこか惑いがあるようにその力は弱かった。
「ん…ふっ…」
 先端がイルカの上顎の柔らかい粘膜を擦った。思わず声が漏れる。
「は、」
 絶頂は唐突だった。
 口の中のカカシがびくびく震えて熱い迸りが喉に溢れた。イルカはきつく目を閉じて堪えたが、堪えきれずに咳き込んだ。歯を当ててしまいそうで急いでまだ震えているカカシのペニスを吐き出した。飲み込めなかった白濁が一緒に零れて顎を伝った。苦い味が鼻の奥の方までとどいてイルカは咳き込んだ。喉に絡んだ粘ついた液が咳と一緒に吐き出されて口を覆った掌に散った。手に受け止めた薄白い体液をイルカは暫しぼんやりと見つめた。
 カカシが出したもの。
 正直、処置に困った。でも、これを飲んでしまう女性の気持ちが微かながら理解出来るような気もした。
 カカシは身を返して枕元に置かれた懐紙入れに手を伸ばすと、掴んだ紙で無造作にイルカの手を拭った。
 イルカが顔を上げると複雑そうな顔つきで眉間に皺を刻み、新しい懐紙でイルカの口元も拭ってくれた。
「すいません。大丈夫ですか?」
「−−−これくらい平気です」
 ぐい、と手の甲で口を拭ってイルカは身を起こしてカカシと向かい合った。なんとなく顔を見る事が出来なくて俯いた。お互いに呼吸が乱れているのが今更ながら生々しい。
 イルカは息を整えて、思い切って口を開いた。
「カカシさんはこれで俺と恋愛出来るって判断するんですか?」
「え?」
 カカシがさっと自分の顔に視線を走らせたのが分かった。
「ずっと試しているでしょう、俺の事。つき合いましょうって言ったらどう答えるか、素顔を晒してどういう反応をするか。くのいちに靡かないか。俺が彼女達と風呂に行った時も、なんで止めなかったんです?今だって−−−」
 膝の上でイルカは拳を握りしめた。
「俺が、出来ないって言ったらどうするつもりだったんですか」
 カカシのイルカに対する態度はいつもどこかで冷めていた。踏み込みたいような素振りを見せるくせに、踏み出した足に重心を移そうとはしない。水の面に足をつけて、歩けるかどうか試しているみたいだ。
 そもそも「恋愛しましょう」なんて変じゃないか。そんな風に冷静に考え考え、人を好きになったりするものだろうか。妥当な相手か、番になるに相応しい人間か観察して確かめて、
「それで、俺があなたの期待に応えられたら、ごーかっく、とでも言って貰えるんですか?」
 うわ、と小さくカカシが呟いた。
「違いますよ!そんなつもりじゃない…!」
 カカシに腕を掴まれてイルカはその胸に引き込まれた。胸を合わせると息が詰まった。カカシの両腕がイルカを囲み込むようにしっかりと抱きしめられる。
「ね、俺もしますよ」
 カカシの手がイルカの背を撫で腰に降りようとしたのでイルカは首を横に振った。
「嫌です」
「嫌なの!?」
 カカシの焦ったような声。イルカは額をカカシの肩に押しつけて頷いた。お返しして欲しくてやったわけじゃない。カカシにならしてもいいと思ったからしたのだ。返してくれるというなら同じだけの気持ちを返してくれ。
「カカシさんは俺の事をどう思ってるんですか?」
 心がなくても行為なんて出来る。自分達は忍だ。肉の中に誠なんてない。カカシのような上等な部類の忍ならなおさらそうだろう。
 そう思ったのだが。
 背中に回された手が浴衣の生地をきつく握りしめると、イルカを抱き込んでいるカカシの体がかあっと酒でも飲んだように熱くなった。
「好きに決まってるでしょう」
 絞り出すような声が告げた。言った瞬間、カカシの体に震えが走ったのが分かった。
「でなきゃ、こんなことになってるわけない。イルカ先生こそ−−−」
 湿った息が首筋に掛かる。聞いた事のない声音だ。
「なんで俺とつき合う事にしたんですか?俺の事好きでした?違うでしょ。俺がつき合いましょうって言った時に、たまたま他に相手がいなかったからですよね?まあ、いっかって思ったんでしょ」
 抱きしめる手がしがみつく手に変わった気がした。
「じゃあ、つき合ってみましょうか、なんて。ひどいよ、先生」
 耳元で零された言葉に驚いてイルカは身を反らしてカカシの顔を覗き込んだ。カカシはきゅうっと眉を八の字にして泣き笑いのような表情だった。
「あ、あれは−−−」
 あんな一言。いきなりの申し出で本気にしていいか分からなかったからそう答えただけだ。あんな−−−。
「いいんですよ。まだお試し期間中で」
 少し泣き言を零してしまいました、とカカシは薄く笑ってイルカの肩口に顔を埋めた。
「イルカ先生はちゃんと俺を見て、きちんと決めて下さい」
 カカシの言葉にイルカは黙り込んだ。
 イルカもカカシを責められる義理ではなかったのだ。とても好ましいと思っていたものが思いがけず差し出されたから、つい手に取ってしまった。それだけだった。最初から手に入らないと思っていたから積極的に欲しがったりしなかった。手に入れるために努力したわけでもない。思わぬ僥倖だからと甘んじて受け入れはしたが、だからこそ、いつ離れていってしまってもおかしくはないと心の中で一人で覚悟を決めてもいた。カカシもイルカの中のそんな心理を読み取って辛くなったりしていたのだろうか。
 この人の中でも自分は好ましいものとして存在していたんだろうか。
 カカシがイルカの髪に顔を埋めた。洗っていないのがやはり気になる。でも今はカカシの浴衣も汗でしっとりと湿って、石鹸だけじゃない彼自身や体液の匂いがしている。
 やっと自分の手の中に降りてきた。そんな風に感じた。
「俺にとってもあなたはずっと特別でしたよ」
 イルカはカカシの背に腕を伸ばした。正座したまま引っ張られたからべったりカカシに凭れ掛かるような体勢になる。
「ちょっと、姿勢きついです…」
 鼻をカカシの肩に押しつけられてくぐもった声を上げるとカカシは腕を緩めてくれた。膝行り寄ってもう一度抱きしめなおそうとする腕を掴んで二人で布団の上に寝転がった。
 ぱたりと胸の上に置かれたカカシの腕を持ち上げて身を起こすと、イルカは足下で丸まっている布団を引き上げた。一つの布団に男二人は少し狭い気もしたが、互いの体温で温まるから大丈夫だろう。イルカは布団に潜り込むとカカシの手に腰を引き寄せられた。ぴったり体がくっついた体温に安心してイルカは目を閉じた。
「あれ?続きは?」
「え?」
「特別でした、の続きですよ」
「それだけです。俺もカカシさんの事、いいなあって思ってたからつき合おうと思ったんです」
「なんで?上忍だから?」
 カカシの言葉をイルカは鼻で笑った。
「上忍なんて、里に何人いると思ってるんです」
「−−−写輪眼持ちだから?」
 躊躇ったように口にしたカカシにイルカは今度は小さく吐息のように笑った。
「俺が子供の頃は写輪眼だって珍しくはなかったですよ。他の血継限界保持者もたくさんいます」
 じゃあ、なんで?と心底不思議そうにカカシが尋ねるので、イルカも考え込んだ。
 考えてみたけれどそんなのは分からない。
 いいなあと思っていた。言葉の端々、独特の抑揚、器用そうな指先、時折、投げて寄越す一瞥、そんなものが積み重なってイルカの中でカカシへの好意に育っていたのだ。だからといって一つ一つの事象をあげてみたとしても好意の形は見えない。
「なんでかな」
 あなたを見ていると切ないような気持ちがするんだ。来たこともない知らない町並みに懐かしい気持ちがこみ上げてくるように。
 俺はここにいます。ここにいます。
 そう心のどこかが呼びかけるんだ。
 そう感じるのは自分だけじゃなくて、彼の方もそんな風に感じているのじゃないかと馬鹿みたいな事を思って、彼のくれる一瞥を大切に思ってきた。誰にも言えない、とんだ思い込みだ。知られたらきっと気味悪がられる。ずっと殺し続けてきた気持ちだ。それが恋愛という感情なのかは分からないが、ずっとこの男が欲しかった事は本当だ。
「よかった」
 イルカは布団の中でカカシの体を抱きしめて満足げな吐息をつくと目を閉じた。とろりとした眠りがくっつけ合った体の部分から流れ込んでくるようだ。
 あれ、先生、寝ちゃうの?続きは?それで終わりなんですか?とカカシの困惑した声が聞こえたけれど、それすらもイルカには安堵を与えてくれる響きだった。
 今日は慣れない事をして疲れた。


安心して就眠。

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