食堂へ行くとカワズが朝食の支度をしていてくれた。
 女達はまだ寝ているそうだ。一体、昨夜は何時頃まで遊んでいたんだろう。
 朝食はみそ汁とご飯、山菜の和え物に卵焼きといった簡単なものだった。手を合わせてからありがたく頂く。最後に昆布の佃煮をのせたご飯に茶を注いでさらさらと啜ると二人は食堂を後にした。
 昨夜、あの後、オリベ特別上忍はどうしたのだろうと少しだけ気になったが、自分から触れるのも気が引けたのでイルカは黙っていることにした。カカシは機嫌が良いし、わざわざ水を差すこともないだろう。過去のことまでほじくり返す必要もないように思う。
 浴衣の上に半纏を羽織って、寺の正面の山門から石段を下った。
 昨日、イルカが砦から辿って来た道は脇道らしく、この石段の方が正式な参道らしい。苔の生えた石段は角が磨りへって丸くなっており滑りやすかった。雨など降ったら大変でしょうね、などと話ながら寺で借りた下駄を履いてきた二人は用心深く石段を踏みしめて下っていった。こつん、こつん、と二つの足音が林の中に響いた。
 石段を下りきると道は灌木の茂みを大きく迂回して湖の岸まで続いていた。足下に小石が多くなり、視界が開けると目の前に青い湖面が広がっていた。
 大きい。
 空を映した青の上に鉛色の波が立ち、盛り上がって白く光を反射しては岸に寄せてくる。波の上で水鳥たちが群れをなして水を掻いている。春になると繁殖のために渡ってくる鳥達だ。
 イルカは大きく息を吸い込んだ。
 水の匂いがした。
 昨夜、イルカが林の中で嗅いだ匂いだった。
 一晩中、部屋の中に立ちこめていた気配の正体はこれだったのだ。昨夜は一人で微かな波音を息を潜めてじっと聞いていた。カカシが戻るのを待っていた。
 今は二人で波打ち際に立っている。
「ああ、そうかあ」
 イルカは得心して呟いた。
「なんですか?」
 カカシが振り返る。
 イルカは力の抜けた笑いを浮かべた。
「昨夜、ずっと波の音がしていたんです。水の匂いがしていた。湯屋からもほんの少しだけ湖面が見えていた。俺は大きな水が近くにあるんだなと思って、色々と想像していたんです」
 砦の上からも見えた。
 鳥達を浮かべた大きな青い湖面。
 遠くに。
「こうやって降りてくればちゃんと見ることが出来たんだなあと思って」
 イルカは水の際まで行って下駄履きの足を水につけた。
「こうやってね、ちゃんと触れるんです」
 イルカは手を伸ばしてカカシの手を掴んだ。引き寄せられるままカカシは足を踏み出して自分も足を水につけた。
「今はあなたも一緒に水に中にね。いるんですよね」
 照れて笑いながらイルカは言った。カカシはイルカの顔を見ながら何か言いたげに口を薄く開いた。しかし、そのまま何も言わずにイルカを見つめている。
「同じ水の中にね」
「はい」
 イルカの言っていることが解ったのかどうか、素直に頷いたカカシがじっと自分を見つめたままなので気恥ずかしくなって、イルカは繋いだ手をぶらりと振って離した。そのまま下駄に水をからげて水際を歩き出す。乾きかけの髪が水辺の風に吹きなぶられるにまかせてぶらぶらと歩いた。
 湖面では水鳥の群が朝の身繕いをしている。大きく羽を広げて白い胸を見せ、水を潜ったり水面に顔を突っ込んで餌を啄んでいる。雁や鴨、鴫や千鳥もいるようだ。ここで繁殖をする鳥達と、更に南に移動する旅鳥が一時、羽を並べている。
 イルカの後ろから、フューイフューイ、と鳥の鳴き声がした。
 振り返ると後ろに置いてきたカカシが二本の指を口元に当てて鳥の鳴き声を真似している。連絡のために使う鳥の鳴き真似だ。
 フューイ、フューイ、フューーーーイ。
 独特の籠もった深い音色だ。お尻の音だけ音が跳ね上がる。
 上手いなあ。
 イルカもアカデミーで年少のクラスに教えている。子供達はこれが大好きだ。授業で教えた後は休み時間でも放課後でも、若鳥が大人の鳥達の鳴き声を真似るように子供達が拙い指笛を吹き鳴らし合っている。
 イルカも口に指を当てて鳴き声を返した。
 フューーイ、フューーイ。
 フューーーーイ。
 互いに鳴き交わしているとカカシが小刻みの甲高い音を出した。
 フュフュフュイ。フュフュフュイ。フュフュフュイ。
 求愛の声だ。
 うわー、恥ずかしい。
 イルカは拳を握り合わせて口に当て息を吹き込んだ。
「グエ、グエ、グエエエ」
 そこにいる鴨たちの声真似だ。湖面の鳥達が驚いたようにこちらを伺ってそわそわとしだす。
 カカシが体を揺らして笑った。




恋を語る。

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