後ろから歩いてくるカカシを待って、二人で汀を歩いた。
 暫く行くと砂地に大きな丸い岩が転がっていたので並んで腰を下ろした。
 軽く肩を触れ合わせて動かずにいた。風が二人の髪をばさばさ揺すった。イルカの黒い髪とカカシの白い髪がいっしょくたに吹き散らかされた。
 体を少しずらしてカカシがイルカの顔に掛かった髪を指で梳き上げた。今にもごろごろと喉を鳴らしそうな顔つきでカカシは色違いの眼でイルカの黒い目を覗き込んだ。
「イルカ先生、髪を下ろすと雰囲気変わりますね」
「そうですか?」
「うん。なんかいいですね。素顔って感じで」
 カカシの言葉にイルカは吹き出した。
「カカシさんこそ、覆面も額宛もしてないと別人みたいですよ」
 まさしく素顔だろう。
「今朝はいいんですか?覆面してなくて」
 カカシは今日は起きてからずっと素顔を晒している。
「いいんですよ。今はあなたしかいないんだし、寺にも和尚とカワズしかいないでしょ」
 休暇だしねえ。とカカシはくたりと岩にもたれ掛かった。
 向こう岸の林の中からきゃあきゃあと甲高い声が聞こえてきた。見ていると浴衣姿の女達の一団が湖の向こうに現れた。くのいち達がようやく起き出して湖へ散策に来たようだ。浴衣の袖を振って歩く姿がイルカの目には白い水鳥のように見えた。
 女達は小石を拾っては湖の水面に投げて水を切って遊んでいる。驚いた水鳥が一群れ、ばたばたと水面を蹴って飛び上がった。それを見てはしゃいだ声を上げる。子供のようだ。
「−−−もしかして昨夜食った鴨って…」
 ふと思いついてイルカとカカシは顔を見合わせた。
 せんせー!と呼ぶ声がして、こちらに気がついた女達が手を振った。イルカも手を挙げて振り返した。楽しそうな笑い声が聞こえてくる。その中に一人静かに佇んでこちらを見ている女の姿があるのにイルカは気がついた。オリベ特別上忍だ。思わずカカシの顔を伺った。
「あの人ねえ、」
 カカシは微睡むように半分瞼を落としたまま呟くように言った。無意識にイルカは体に力が入った。何か衝撃的な事を言われるんじゃないかと身構えてしまったのだが、カカシは眠たげな顔で向こう岸を眺めている。
「昔の知り合いなんですよ。近所に住んでてね」
「−−−ご近所さん、ですか」
「うん。それで、俺の事ずっと気にしてたみたい」
 気になりますか?とカカシがイルカへ視線を送ってきた。いつもの気のなさそうな顔つきだ。狡いなあ、この人。イルカは、む、と眉間に皺を寄せた。
 傷の多そうな人だ。
 過去の事は話してくれたら信頼されているみたいで嬉しい。でも話したくないなら無理に聞きたいとは思わない。
「−−−痴情のもつれに発展しそうな事じゃない限りは不問に付します」
「俺と縺れてくれる気はあるんだ?」
「ありますよ」
 イルカの言葉にカカシが眼を細めてイルカの肩に頭を凭せ掛けてきた。白っぽい髪がイルカの頬をくすぐる。カカシの髪もまだ少し湿っていた。
 この人、今日はふにゃけているなあ。
 ちょっとあらぬ所を舐めただけなのに。
 くのいち達の使う手管が実に高い効果を上げるのが実感として分かってしまったイルカだった。
 日に照らされた岩の表面は温かくて眠気を誘われた。二人でぬくぬくと日を浴びながら湖に浮いた鳥達の姿を眺めた。辺りには山から雪解け水が運んできた肥沃な泥土の匂いがしていた。小さな浮き草が水上の風に吹き寄せられて葦の茂みに蟠っている。それを掻き分けて泳ぐ鳥達の胸を濡らす水の音まで聞こえるようだ。
「水鳥でも雄同士でカップルになっちゃうのがいるんだそうですよ」
 隣でのんびりと語られた言葉にイルカは驚いてカカシを振り返った。なんだかきわどい事を言われたみたいな気がした。
「毎年ああやって繁殖地に着くと気の合った者同士で番になるんですけど、なぜか雄同士でくっついちゃうのがいるんですって」
「はあ」
「でも雄同士だから互いに上に乗り合おうとしちゃって、どうしても交尾できないんですって。それで二羽して、どうしてだろうって途方に暮れるんです」
 自分達のことを比喩しているんだろうか。イルカは訥々と語るカカシの言葉に耳を傾けた。
「それで、その年は交尾も繁殖も出来なくて繁殖地を後にするんです。でね、次の年もまたここへ来るんですけど、やっぱりその二羽で番になっちゃうんですって」
 カカシは小さく笑った。
「次の年も、その次の年も、ずーーーっと同じ二羽で番になっちゃうんです。そういうのって、なんか」
 カカシはイルカの顔を見た。
「いいなあって思って。運命の恋って感じしません?」
 イルカは見つめられて何も言えずにカカシを見返した。カカシはイルカの手を自分の方へ引き寄せて握った。
「セックスも出来なくて、子供も作れないのに、どうしてもその相手を選んじゃうんですよ。秋になって渡りの季節がくれば恋なんて忘れて飛んでゆくのに、春になると覚えてもいないのに同じ相手に辿り着くんです」
 カカシの胸で自分の手が祈りの形に握られているのをイルカは見ていた。
「イルカ先生。昨夜みたいのね、無理ならしなくていいから」
 はっとしてイルカはカカシの顔を覗き込んだ。長い前髪の間から鉛色の眼がイルカを見返した。
「俺も少し焦ってました。でも、あなたがちゃんと向き合おうとしてくれたから、今はそれでいいです」
 カカシは握ったイルカの手に接吻した。敬虔な仕草だった。
「俺達は同じ水の中に立っていますね?」
 イルカは深く息を吸った。
「はい」
 イルカは自分の認識をもう一度改めなければならないのだと悟った。
 この人はきれいな人だ。





水鳥のエピソードはほんとの話。

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