水際に打ち上げられた変な形の流木を拾い上げたりしてしばらくぶらぶらしてから寺に帰った。
支給服に着替えると、いつも通りにイルカは髪を括りあげた。カカシが「いつものイルカ先生ですね」と嬉しそうな顔をした。さっきは髪を下ろしているのがいいとか言ってたくせに。カカシもいつものように黒い覆面を引き上げて顔を隠してしまう。いつものカカシさんだな、とイルカも思った。
これから麓の町に降りて昼飯を食べようという話になっていた。
イルカはカカシに少し待っていてくださいと頼んで、食堂の向こうの水場に行き、出張中に溜まった洗濯物を盥に入れた。今のうちに石鹸水に浸しておけば夜、風呂のついでにざっと洗えばいい。夜に干しておけば帰る時には清潔な衣服で帰れるだろう。
食堂の外の裏庭に平たい石を敷き詰めて作られた水場があって、山の斜面から突きだした木管から山水が途切れることなく流れ落ちている。イルカは盥を木管の下に運んで水を注いだ。盥の中に水の溜まってゆく様を眺めていると、食堂の横の部屋の窓から女が顔を出した。
「ここの水は硬水だから普通の石鹸を使うと石鹸カスでとんでないことになるわよ」
オリベ特別上忍だった。
イルカは反射的に背筋を伸ばして振り向いた。彼女も支給服に着替えており、昨夜の婀娜っぽさは消えていたが黒い瞳が凛として美しかった。
「そうなんですか?」
「ええ。この土地では特殊な石鹸を使ってるのよ」
一般に温泉地は軟水が多いとされるが、ここの湯は硬度が高いらしい。イルカは手にした携帯用の小さな袋に小分けに入れた粉石鹸を見下ろした。カルシウムやマグネシウムを多く含む硬水は石鹸の脂肪酸と反応して石鹸カスができやすいのだ。
「赴任したての子がよくやるのよ。黒い支給服が白い石鹸カスだらけになって、いくら洗っても落ちないの」
では、町でこの土地の石鹸を調達してこないといけない。今はとりあえず洗濯物は水に浸けておくだけにしよう。イルカが礼を言って部屋へ戻ろうとすると、オリベが引き留めた。
「ちょっと待ってね」
そう言ってオリベは部屋に引っ込んだ。暫く、ごそごそと荷物をかき回す音が聞こえて、再びオリベが顔を出した。
「これ、使って。椿油の石鹸だから石鹸カスが出にくいの」
オリベの差し出した丸い石鹸入れをイルカは見て、すこし躊躇した。
「いいんですか?」
「いいのよ。私は予備の石鹸をいくつも持っているから」
オリベから物を貰うのはなんだか気が引けた。カカシとの事がやっぱり気に掛かるからだ。
−−−カカシには気にしないと言ったのに。
軽く頭を振ってイルカは丸い石鹸入れを受け取った。
「ありがとうございます」
イルカが頭を下げると、オリベは優しく微笑んだ。その顔を見て、イルカは複雑な気持ちになった。オリベはイルカをカカシの部下くらいにしか思っていないのだろう。だからこんな風に親切にしてくれるのだ。本当の事を知ったらこの美しいくのいちはどうするだろう。カカシの様子からは既に二人の関係は終わっている事のようだけれど、カカシのような男をそう簡単に忘れられるものだろうか。
「あなた達はいつまで逗留するの?」
オリベが問うた。
「明後日には里に帰ります」
姿勢を正してイルカは出張のついでの有給消化である事を説明した。なんだか事務的な言葉遣いになってしまう。
「そう。今回はあなた達がいて楽しかったわ。他の子達も楽しかったみたい。はしゃぎすぎたみたいだけど許してやってね」
優しく笑ってオリベは部屋へと戻っていった。
イルカはオリベのくれた石鹸を握りしめてその後ろ姿を見送った。