二人は来た道を引き返した。来る途中で公営の湯屋への道標を見掛けたのでそこへ行ってみる事にした。石の道標の示す方へ、小路を曲がる。先ほどは通らなかった路地、まだ見ていない店の前を歩いて歩いて、すると不思議にまた中心街の石畳の坂に出た。
 イルカは歩いてきた路地を振り返った。
 目的地を通り過ぎてしまったらしい。
「変だな。途中にそれっぽい建物とかなかったですよね?」
 カカシに尋ねると「はあ」と曖昧な答えが返ってきた。
 おかしいなあ、とイルカは再び路地を引き返した。歪な三叉路、急な曲がり角、くねくねと坂を上ったり降りたりして、そしてまた先ほどの石の道標に出た。
 イルカは首を傾げた。どこかの分かれ道で曲がらなければならなかったのかもしれない。
 もう一度、とイルカは路地へ足を踏み込む。さっき通らなかった道を選んで曲がり角を曲がる。店先に鈴なりに匂い袋をぶら下げた土産物屋、漬け物屋、小さな旅籠屋があって俥屋がある。板塀が突き出していてUの字に道が曲がる。
 迷路のような町だ。
「砦があるからね」
 カカシが言った。
 外敵の侵入を防ぐために狭い道が複雑に入り組んでいるのだ。イルカは山の上の砦を振り仰いだ。
「山の上から見ればどことどこが繋がっているのかすぐに分かるんでしょうね」
 頭の中で砦の位置と湖の気配から方角を割り出しながら歩いていく。微かだった水音が近づいてきて、唐突に道は途切れて今度は湖畔の葦原に出た。生い茂る葉の陰から、ピチチと甲高い小鳥の声が響いた。
 イルカは頭を抱えた。
「迷子になってしまいましたねえ」
 言葉とは裏腹に楽しげにカカシが言う。
「公共の施設がこんな分かりにくくていいんですかね!?」
 ムキになってイルカはまた来た道を引き返した。
「さっきはこっちの道を行ったから、今度はこっちに行ってみましょう」
 注意深く周囲を見回しながら小路を歩いてゆく。間口の小さな民芸品の店、干物屋、湯ノ花を並べた縁台を通り過ぎる。
 カカシはぶらぶらと後をついてくる。
 中点近くなった陽の光りが頭上から降り注ぐ。温泉場特有の硫黄の匂いがぬるく建物の合間に漂っている。乾いた白い道が眩しい。木造の家々が黒々と軒を並べる細道を二人は歩いた。
 そしてまた街道に出て、目の前には先ほど来た道祖神がある。
 寄る辺ない心持ちになって、イルカは呆然と道祖神の顔を見た。風雨に晒され目鼻をほとんど失ったそれはのっぺりと微笑んでいる。
 困り切って振り返ると、カカシは猫のように目を細めてイルカの手首を握った。そのままイルカを引っ張って小路を引き返す。似たような木造の家々の間を縫うように進む。さっき道を曲がった歪な三叉路まで戻ると、カカシは板塀に向かって踏み込んだ。ぶつかる、と思ったのに、二人は板塀に挟まれた狭い路地に入っていた。
「あ、ここに道があったのか」
 三叉路と見えたのは見間違いで、板塀の陰に四本目の道があったのだ。道の両側を挟んだ板塀が錯覚を誘って道を隠していた。
「なんだ。ちゃんと道しるべが出てるじゃないか」
 道の入り口に「町営銭湯 白羽の湯」と掘られた小さな石塔が立っている。
「全然、気がつかなかったなあ」
 鼻の頭を掻きながらイルカは周囲を見回した。路地の向こうから湯気が流れてくる。
 行きましょうか、そう言って振り返るとカカシは少し残念そうな顔をしていた。
 もしかして、わざと迷っていたのだろうか。



 路地を進むと、向こうから自分達と同じ黒い任務服を着た一団がやって来た。若い男ばかりで手拭いをぶら下げて、湯屋の帰りらしい。非番なのか、額宛やベストを身につけていない者もいる。
 知らない顔ばかりだったが、こちらに気がつくと口々に挨拶の言葉を口にし、頭を下げてすれ違っていった。
 板塀に挟まれた一本道を数分歩くとすぐに湯屋の前に出た。
 入浴料は34両。普通の銭湯だが、源泉掛け流しと幟が立っている。
 早速、中へ入ろうとしたイルカをカカシが引き留めた。
「やっぱり、入るのよしましょう」
 どことなく不機嫌そうにカカシは言った。
「は?なんでですか?やっと辿り着いたのに」
 ここへ来るために数十分は無駄にぐるぐると歩き回ってしまった。ようやく見つけられたというのに入りたくないとはどういう事だろう。
「朝、風呂に入ったばかりじゃないですか」
「そりゃそうですけど」
 折角、温泉街に来たのだから色んな風呂に入ってみたいではないか。それにイルカは温泉場の地元の銭湯というのが好きなのだ。温泉旅館の風呂とは違った、気さくな雰囲気がいい。地元住民達と同じ湯に浸かって寛ぐのが楽しい。
「温泉場に来たら、温泉にはいるくらいしかやることないでしょう?」
「だからって、湯に入りすぎるのも体に毒ですよ。湯治っていうのは一日一回、五分くらい浸かるのが丁度良いんです」
 そりゃあ、本格的な湯治ならそうだろうけど。
 イルカにとっては温泉はレジャーと同じだ。一週間や一ヶ月も長逗留して体を癒すというならカカシの言うのが正しいけれど、たかだか二日か三日しか滞在しないのだから、出来るだけたくさん湯に浸かりたい。
「やめましょう。お腹も空いたし、どこかでお昼にしましょうよ」
 カカシはイルカの返事も聞かずにすたすたと歩き出してしまう。
 イルカは未練がましく銭湯の入り口の、湯と大書きされた暖簾を振り返り振り返り、その背を追った。





うろうろ。

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