「一体、どうしたんですか?カカシさんだって温泉に行くって楽しみにしてたじゃないですか」
「俺は別に風呂にはいるのが好きってわけじゃありません」
 不機嫌そうに言ったカカシを、理解出来ないとイルカは思う。今朝までは上機嫌で湯に浸かっていたではないか。
「−−−−−嫌なんですよ」
 声を潜めてカカシが言った。
「さっきの連中みたいなのがいる中で、あなたが肌身を晒すのが」
「は?」
 肌身って−−−−。
 なんだかそぐわない言葉だ。イルカはカカシの顔をぽかんと眺めた。
「だから、あなた、風呂に入るのに裸になるでしょう」
 当然だ。
「そんなの当たり前じゃないですか。何を今更−−−人を混浴なんかに入れておいて、よく言いますね」
 昨日、鼻血を出した事を思い出してイルカは恨みがましく言った。
「昨日は昨日です。今とは状況が違います」
 どう違うんだ。
「俺以外の奴の前で、あんな姿晒すなんてだめです」
 あんなってどんなだ。失礼な。カカシほどではないがイルカだって鍛えているし、自慢じゃないが「イルカの裸はいやらしくない」と同じ部隊の連中にはいつも言われていたんだ。フェロモンが出ていないという意味らしい。
 そう言うとカカシは信じられないという顔をしてイルカを見た。
「一応、聞きますけど、そんな事言われるような状況ってどんなですか?」
「そりゃ、任地で水浴びした時ですよ。くノ一部隊の人達がからかいに来て−−−」
 一緒に水浴びしていた仲間の男達は調子に乗ってキャーキャー大袈裟に体を隠したりして、イルカは照れたら負けだという気がして平然としている振りをしていた。そしたらくノ一のお姉さん達に「かわいい」と尚更喜ばれた。あの時は参ったなあ、とイルカは鼻の頭を掻いて笑った。
「−−−そいつら全員…」
 くっと拳を握りしめて、何か物騒な事をカカシが呟いた。
 殺すとか、殺したいとか。
 おいおい、仲間思いのはたけ上忍が。
「大体、いやらしくないとか嘘ですよ。昨夜から、あなた、自分がどんな顔してるか分かってますか」
「顔?」
「いつもより目が潤んでて黒目がちだし、唇なんか、ぽってりしちゃって、その唇で俺の−−−」
 うわーーっ!!何を言い出すんだ、この上忍!!!
 イルカは心の中で絶叫した。カカシも流石に言い掛けた言葉を飲み込んだ。
 白い光に照らされた往来で、二人は向かい合ったまま気まずく黙り込んだ。日差しのせいだけではなく、背中がひりひりと熱い。
「ま、それはそれとして、」
 気を取り直してカカシが口を開いた。イルカは目尻を染めてカカシを睨んだ。
「銭湯はだめ。禁止」
 イルカは盛大にブーイングしたが、カカシはさっさともと来た道を戻り始めてしまった。
 あんなに歩き回って辿り着いたのに。俺のたった一つの趣味が。上忍横暴。
 ブツブツ言って後をついて行くと、カカシが一件の店の前で立ち止まった。
 小さな店の引き戸の硝子にはべたべたと張り紙がしてあって、家の間取り図や土地の見取り図が描かれていた。不動産屋だ。
 へえ、と思ってイルカもカカシと並んでその張り紙を眺めた。違う土地の不動産屋の張り紙というのは結構、面白い。観光地だけあって少々家賃はお高いなあ、などと考えているとカカシが一枚の土地の見取り図を指差した。
「これ、買ったらいつでも温泉入れますよね」
 原泉付きの家屋の図面である。お金持ちが別荘にでもするんだろう。
「そうですね。家に温泉がついてるなんていいですよね」
「買おうかなあ」
 は!?
 カカシの呟きにイルカはばっと振り返った。
「これだったらイルカ先生、好きなだけ温泉はいれますよ。他の奴に見られる心配もないし」
「そんな事のためにわざわざ家買う必要ないでしょう」
 ふーーん、とかいいながらカカシはじっと張り紙を眺めている。顔が真剣でイルカはちょっと焦った。上忍は金銭感覚がおかしい人が多い。高給取りだというのもあるが、難易度の高い任務に就く事が多いためか、宵越しの金は持たないとばかりに散財する傾向がある。それも妓楼の女をすべて買い占めたり、かと思うと一方で着物の一枚も持たず支給服しか身につけなかったりと、金の使い方がアンバランスだ。
 カカシもいまだに殺風景な兵舎に住み続けているのに別荘地を買おうかなんて、ちょっとおかしい。
「今度、いつ来るかも分からないのに家なんて買ってもしかたないでしょう」
 それに、とイルカは溜息を吐いた。
「我々は里の外に不動産は持てませんよ」
 え、そうなの?とカカシが驚いた顔をする。
「そういう服務規程があるんです。火影様の許可が降りれば所有出来ますけどね。知らなかったんですか?」
 こくりとカカシは頷いた。
「俺、いままで家を買うなんて考えた事なかったですもん」
 まあ、そうだろう。家なんて一生に一度買えばいい物だ。里の忍なら死ぬまで借家暮らしでも困らない。
 そうか、と呟いてカカシはがりがりと頭を掻いた。
 微かに眉を顰めると、ふい、と踵を返す。
 急に黙り込んでしまったカカシに困惑しつつ、イルカも後を追う。さっきまでののんびりとした足取りからうって変わって足早に、カカシは石畳の上を歩く。どことなく空気が張り詰めて、カカシの足音が消えて、気配が薄くなっているのにイルカは気がついた。
「カカシさん?」
 ん?と振り返り、カカシはいつもの眠たげな目でイルカを見た。茫洋としていて、考えの読めない顔。
 いつものカカシ。
「どっかでお昼にしましょうか」
 そう言ったカカシの顔は普段通りで、だけど今朝からずっと上機嫌の柔らかな表情をしていたのに、どうして突然そんなそっけない顔つきになってしまったのか分からなくてイルカは困惑する。




不機嫌な彼氏。

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