「友達と恋人って何が違うんだろう?」
 職員用の食堂でうどんを啜り、一つ溜息をついてイルカは呟いた。
「なんだ、イルカ。今ごろ思春期か?」
 聞きとがめた隣の同僚がからかうような言葉を投げてくる。
 アカデミーの生徒みたいなこと言ってるなあ、と笑われた。
 ほっといてくれ。自分でもいい歳した男が何言ってるんだと思ってるんだから。
「友達以上恋人未満ってか?」
「誰だよ、相手」
 興味をひかれたらしくテーブルの向こうに座っていた同僚も話に加わった。
「言わない」
 何だよー、と不満そうな声が聞こえてくるがイルカは無視した。
 向かいに座った同僚はすでに妻帯している。一部を除いて忍の婚期は早い。離婚率も高いが。一部の例外というのは特異な忍働きを果たす者達で彼らには生涯独身を貫く者も少なくないが、大概の忍たちは生き急ぐように妻を娶り子供を残そうとする。未婚の母や寡婦も多い。
 自分も大人になったらさっさと結婚すると思っていた。それが気がついたらこの歳だ。モテる方ではないが、まったく相手がいなかったわけでもない。
 幼い頃両親を失ったせいか結婚願望は強かったが、一方で一人に慣れ過ぎてしまった自分もいた。
 大勢でわいわいやるのは好きだ。アカデミーで子供達に囲まれているのも幸せを感じる。だが、自分のテリトリーに踏み込まれて一対一で濃密な関係を築くのは苦手だった。
 気のいい中忍先生、そういう自分でいれば自分も相手も安心だと思っていたが人間というのはそう単純なものではないらしい。
 -----保父さんになって欲しかったわけじゃない。
 そう捨て台詞を吐いたのは最後につき合った彼女だった。
「俺、恋愛に自信ないかも…」
 んなもん見りゃ分かるって、失礼にも同僚達は笑い飛ばした。
「やっぱ、やりたいかどうかなんじゃないのか?」
 隣に座った同僚が言った。飲み屋ならまだしも女性職員も大勢いる食堂で、と思わずイルカは周囲を見回す。
「やっても友達って事もあるけどな」
 向かいに座った同僚が更に言う。
「うわ、おまえそういう事してんの?」
「んー、まあ、任務先でとか、あるじゃん」
「ねえよ」
 この場でそんなあけすけな会話は…と言葉を挟むイルカを置いてけぼりに二人は話を進める。
「くのいちが俺達なんて相手にするわけねーだろ」
 くのいちは必要とあらば身を擲って使命を果たすが必要がなければそこいらの男に肌身を許したりはしない。そうでなければ部隊の規律は乱れて任務遂行も覚束なくなるだろう。そもそもくのいちは男の忍に比して数が少ない上に、戦働きをするくのいちは更に少ない。戦場に身を置くくのいちは選び抜かれた精鋭であり、自分たちのような凡庸な中忍がお相手願えるような相手ではなかった。
「潜入任務の時なんかは結構そういうことあるぜ?」
「ああ、おまえ諜報部出身だっけ」
 イルカも隣の同僚も主に戦働きが主だった。
 故に自分が戦場に身を置いていた時分、お世話になったのはもっぱら自分の利き腕だ。
 あるいは同じテントのさばけた友人か。
「男同士でもやるときゃやるけどなあ」
 生々しい発言にイルカはどきりとした。
「たしかにやっても友達って事はあるな」
 イルカもまったくそういった経験がないわけではなかった。
 長期の任務に出た際に、色々教えてくれた先輩中忍にはそっちの方も教えられた。
 皆、していることだから、と。
 好奇心もあったし、子供だと思われたくなくて言われるままに手でお互いを慰めあったりした。
 でもある時、いつもは馴染みの女の名を呼んで果てる彼が、耳元で「イルカ…」と囁くのを聞いてイルカは怖くなった。
 軽いノリでしていたはずの事が急に重たくなった。
 自分は人間同士の関わりを嘗めていたのだと思う。
 女の代わりだ、単なる処理だと言ってはいても相手は生身の人間なのだ。何の感情も生まれない方がおかしい。
 以来、イルカは惚れた相手以外には触れないし触れさせない。
 それが最低限の礼儀と思うからだ。
 お堅いと笑われる事もあるけれど、軽い気持ちで触れ合うのは自分には向かない。その先輩中忍とは今でも時折顔を合わせる。向こうは気にしていないようで気さくに話しかけてくれるが、彼の顔を見るたびにイルカはバカな事をした、若気の至りだったと今でも思う。
 だが実際に女のいない環境で何ヶ月も行動を共にしているうちに互いを無二の存在のように感じるようになる事もある。熱に浮かされたように互いだけを求めて慰めあって、なのに里へ帰ってくると夢から覚めたみたいに何事もなかったように女の柔肌に縋りつく、そんな白々とした光景は忍の里では何度も繰り返されてきた。
 それとは違うな。
 イルカは思う。
 彼は番になりましょうと言った。
 一時の熱病ではなく、ある程度恒常的な繋がりを持ちましょうということだろう。
 里に帰ってきて彼が縋る先は自分なのか。
 うわ。
 ありえねぇ。
 あの男に触れる度胸なんか自分にはないぞ。向こうが触れてくるというのも想像できない。
「まあ、男は数に入らねえよ。仕事だし」
 同僚の言葉にイルカは俯けていた顔を上げた。
「仕事って、」
「任地じゃ自分の右手より他人の右手の方がマシってくらいだろ。上官に命令されたりしたら従うしかないしな。里の中でだって、」
 いつ死ぬか分からないから恋人や伴侶は作らないが、里へ帰って来た時には決まった相手が欲しい。そんな上級の任務をこなす忍達が階級の低い者から相手を見繕って囲うというのは聞く話だ。
 誰かもそんな上級の忍ではなかったろうか。最近はランクの低い任務ばかり受けているようだが、時折やはり上層部に呼び出されては彼でなくては、という仕事を任されているようだ。
 仕事。仕事、か?
 俺は囲われたって事になるのか?
 でも俺はお手当てなんか貰ってないぞ。飲みに行った時も割り勘だし、こないだ家で食事を出した時も材料費はきっちり半分払ってくれた。第一、まだ何にもしてないし。
 ‥‥‥‥‥‥。
「…で、友達と恋人ってどう違うんだ?」
 今度は同僚達も黙り込んだ。
「おまえら早く結婚しろ。それがいい」
「なんでそうなるんだよ。くっそー、ちょっと自分が結婚決めたからって!ご祝儀返せ!」
「そんなのとっくに式場代で吹っ飛んだっつの」
「やっぱり営巣活動だ…」
 イルカの呟きは二人の耳には届かなかったようだ。

ダラダラ続く。