「いのちゃん…」
緊張した面持ちで隣に座ったヒナタが身を寄せてくる。ふかふかのソファーの上に借りられてきた仔猫みたいに怯えた様子でちんまりと座っている。
結局、私はヒナタだけ誘った。合コンなんて…と渋るヒナタを「いつまでもそんな内気じゃナルトが帰ってきても大した進展はないわよ」と強引に誘った。ナルトの名前を出すとヒナタがやる気になることは周知の事実だったので連れてくることに成功した。
木の葉茶通りで集合して先輩に連れられて入ったお店は、それまで私達が入ったことのないようなところだった。居酒屋なんかはお父さんや奈良のおじさんに連れられて入ったことがあったけど、そういう感じでもなかった。雰囲気が全然違う。
木の葉の繁華街の外れにある六階建ての建物の螺旋階段をぐるぐる登ってドアを開けると青い光に照らされたフロアに出た。照度を押さえた間接照明が下から壁を水底のような色に染めている。白いタイル張りのフロアの片側にバーカウンターがあって、一人掛けや大人数で座れるばらばらのデザインの椅子やソファーが適当に配置されている。結構、広い。奥にはビリヤードやスマートボールの台があって賑わっている。
「ここって私達が来ちゃってもいいようなお店だったのかなあ」
こそこそと小声で言うヒナタに、大丈夫よ!と返しながら、実は私も少しびびっていた。
「飲み物なんにする?」
目の前にメニューが差し出されて、見上げると先輩にあたる中忍の男の子がにっこり笑っていた。合コンで集まったのは私とヒナタ以外は年上ばかりで、女の子が五人、男の子が五人だった。壁の凹んだ奥まった場所のテーブルにみんなで座った。私達以外は慣れた様子で次々飲み物を決めてしまう。
「えーと、」
慌ててもう一度メニューに目を落とした。
お酒ばかりかと思ったらコーヒーや紅茶もある。ホットドックとかパンケーキとかの軽食もあって完全な飲み屋というわけではないらしい。少し安心した。
「ここ、ノンアルコールでも面白い飲み物が揃ってるのよ」
テーブルの向こうから私を誘った先輩が手を伸ばしてきて、よく手入れされた綺麗な爪でメニューのソフトドリンクの欄を指した。
ダミー・デイジーとかプッシー・フットとか、耳慣れない飲み物の名前が並んでいた。リモーネっていうのはレモネードのことらしい。名前が違うだけでなんだか珍しいもののような気がしてしまう。
「わ、わたし、ティーソーダ」
いのちゃんはなんにする?とヒナタが訊いてくる。注文を訊いてくれてるのは男の先輩なのに、この子、さっきから私の方しか見ていない。ホントに内気なんだから。
私は顔を上げてヒナタの分も愛想良く言った。
「オレンジフラワーウォーター」
じゃあ、注文してくるからと言って男の先輩達が立ち上がってバーカウンターの方へ歩いていった。店員が注文を取りに来るわけではなくて、あそこで飲み物を頼んで受け取ったらお金を払う仕組みらしい。
お金、どうするのかな。今、渡した方がいいのかな。後で精算するのかな。ポーチからお財布を出そうかどうしようか迷っていると「奢りだから大丈夫だよ」と小さく女の先輩が笑った。一番年下の新入りだからなのかな。女の子だからなのかな。
飲み物を持って男の先輩達が戻ってきて、それぞれに飲み物を配った。「はい」とグラスを手渡されて「ありがとうございます」と言ったら、そのまま黒髪の先輩が私の隣に腰を下ろした。別に男の子と隣り合わせで座ったりなんかいつだってしているし人見知りもしない方だけど少しだけ緊張した。
乾杯、と言ってグラスを合わせてから自己紹介になった。
男の子達はみんな私達より二、三歳年上だった。隣に座った人は十七歳だそうだ。黒い髪でちょっとカッコイイ。先輩達は配属部署の話なんかして盛り上がっている。私とヒナタは中忍になって日が浅いからあまり話にはついていけなくて黙ってグラスを舐めていた。
先輩達の話を聞きながらぼんやり考えていると男の子の一人がスマートボールをやろうと言い出して、みんなグラスを持って立ち上がった。
若い忍が集まる店らしく、台にはチャクラ封じの札がベタベタ貼ってあった。台には初級者用、中級者用、上級者用で種類があった。私は木の葉温泉の遊技場でスマートボールはやったことがあったけれど、もっと仕掛けが多くて難しそうな台ばかりだ。
やってごらん、と言われて男の先輩がヒナタと私のために台にコインを入れてくれたけどすぐに玉がなくなってしまった。
「んもー!」
台のガラス面をべちんと平手で叩いたら笑われてしまった。それからしばらく他の先輩達が玉を打つのを眺めていた。暗黙の了解で男の子達はみんな上級者用しかやらないみたいだった。上級者用の台は更に色んな仕掛けがついていて忍といえどそうそう点数を稼げない仕組みになっているんだけど、みんな結構上手い。
「なんか欲しい景品ある?」
黒髪の男の子が急に訊いてきたのでびっくりした。さっき隣に座っていた時は全然私の方なんか見もしなかったのに。
「ぬいぐるみとか?」
景品の並んだ棚を指して言う。
こういうとこの景品のぬいぐるみって安っぽくてあんまり可愛くないのよね。でも動物の形をしているからなんだか可哀想で捨てられなくて部屋に溜まっていくんだ。女の子はぬいぐるみが好きだろうとか単純に思われても困る。
でもとってくれるというのを断るのもなんだし、なんかいいものないかなと景品を物色していたら、可愛いラベルの瓶が目に入った。目を凝らすと商品名が書いてある。
オレンジフラワーウォーター
「あれ!あれがいいです!」
私は小瓶を指差した。
さっき私が頼んだオレンジフラワーウォーターの原液だ。実を取るのとは別の特別に香りの良いオレンジの花から取った蒸留水を瓶詰めにしたもので、料理に入れたりコーヒーに入れたり、お風呂のお湯にだって入れられるのだ。高価な物ではないけれど輸入品でなかなか手に入らない。
「わかった」
黒髪の男の子はスマートボールの台にコインを入れて何度か玉を弾いて台の調子を確かめた後、ばんばん玉を打ち始めた。
うわ、すごい。
弾いた玉は台に打ち込まれたピンに弾かれて右に左に跳ね返って、移動するバーに打ち上げられて、目まぐるしくいくつもの玉が台の中を跳ね回った。開閉を繰り返すホールに玉が吸い込まれると上からザラザラと新しい玉が落ちてくる。それが打ち上げられた玉に当たってまたホールに吸い込まれる。
見ている内に台の盤面は玉で覆い隠されて何も見えなくなってしまった。黒髪の男の子は足下の箱に玉をあけると、また玉を打ち続けた。
あっという間に二箱分のガラス玉が溜まった。
「すごーい!」
ずっしりとガラス玉の詰まった箱に私は感激してしまった。それだけでなんだか財宝の山みたいに見える。
黒髪の男の子と一緒に景品交換所に行って、玉を交換して貰った。
「はい」
と、黒髪の男の子が水色のラベルにオレンジの花の描かれた小瓶を渡してくれた。キャップは黄色ですごく可愛い。中身がなくなったら部屋に飾っておこう。嬉しくて顔がにやけてしまう。
男の子が飲み物を買ってくれたので、一緒に壁際のスタンドに行ってスマートボールに興じている他の子達を眺めていた。
「髪、伸びたよね」
黒髪の男の子が言った。
「え?」
私は驚いて隣に立つ男の子を見上げた。わ、背高いんだ。座っている時はあんまり意識しなかったけど、大人といってもいいくらいの身長だ。同期の男の子達はまだ私と背丈は変わらないけど、二、三歳年上になるとこんなに大きいんだ。
「前の中忍試験の時にばっさり切っちゃっただろ」
えええ!?なんで知ってるの、そんなこと!?
「あの時、俺、試験場の警備で見てたんだよね」
ぎゃー!あれを見られてたのかーーー!!
サクラとガチンコ勝負した時だ。あの時のいのは本当に恐かったと後で色んな人に言われた。うーわー、恥ずかしー。
「試合のためとはいえ、随分思い切ったことする子だなあって思って。それからなんか気になってさ」
山中さんのこと見るようになっちゃったんだ、と照れくさそうに黒髪の男の子は言った。
「ああ、」
私は気の抜けた声を出してしまった。
あれにインパクトを受けたのか。でもあれは先にサクラが−−−。
さっきまではしゃいでいた気持ちが落ちていくのを感じた。
いつも思い切ったことをするのはサクラの方だ。
私は破天荒に見られがちだけど、案外普通のことしかしない。
髪を切ったのは作戦として計算尽くだったけど、そこまでしたのはサクラにどんな事でも負けたくないと思ったからだ。形振り構わず目標に向かっていくサクラに、自分だってそれくらいやれるんだって見せつけたかった。
「あの時、私と試合してた子はどう思いました?」
私の言葉に黒髪の男の子は、え、と困った顔をした。
「春野サクラかい?ああいうのはガツガツしすぎてて、俺はあんまり…火影が代わった途端、自分を売り込んだり、ちょっと、ね」
男の子は言葉を濁した。
サスケ君のことに触れるのを避けたんだろう。抜け忍という言葉はこんな場所で軽々しく口には出せるものじゃない。
あの一件の直後に綱手様の直弟子になったことで春野サクラの名前は有名になった。あまり良い意味ではなく。
サスケ君と一緒に里抜けをするつもりだったんじゃないのかとか、その疑いを追求されないために綱手様に取り入ったのだとか陰で言われている。実際、綱手様の傍にいるおかげでサクラは守られている。サクラにはそんな意識はなかっただろうけれど、自分から安全な場所に潜り込んだのは事実だ。カカシ先生を見限って。
私だったら、シカマルやチョウジが里を裏切るなんてあり得ないけど、同じ立場になってもアスマ先生を裏切るような真似は絶対しない。アスマ先生は面倒くさいばっかり言っていて適当だけれどもちゃんと私達を守ってくれている。だから私もアスマ先生が判断を下すまではアスマ先生の部下でいる。
そりゃあ、誰だって伝説の三忍の一人である綱手様に弟子入りできればと思うだろう。私だって思う。アスマ先生に不満があるわけじゃないけど、綱手様は生ける伝説と呼ばれる方だ。くのいちなら誰でも一度は指導を受けてみたいと夢見るような方だ。みんな少しでも強くなりたいと思ってる。サクラだけじゃない。でも、じゃあ、皆が皆、綱手様に弟子入りしたいと言い出したらどうなるだろう。指揮系統も育成システムもめちゃくちゃになる。だから下忍の担当上忍師は里が決定するんだ。そして里の決定には皆、従う。
でも、結局。
「結局、抜け駆けした奴が勝ちって事ですよねえ」
スタンドに凭れて私は吐き出した。
サクラは綱手様の許でどんどん腕を上げていくだろう。カカシ先生は黙って許した。
サスケ君は抜け忍扱いにはならず、三年後まで処置は保留という形で落ち着いた。カカシ先生が上層部に働きかけたんじゃないかと私は推測している。でなければカカシ先生は自らが追い忍としてサスケ君を殺しに行かなければならない立場になると思う。たとえ抜け忍でも弟子を手には掛けたくなかったんだろう。
サクラは、サスケ君は里を裏切ってなんかいない、必ず助け出すと言い張っている。
自分が守られていることも意識しないで呑気なことだと思う。
私はサスケ君のことが好きだったし、彼が里を裏切ったなんて信じたくないけれど、そのためにシカマルやチョウジが傷ついたことは許せないと思っている。
自分が傷ついたからといって他人を傷つける人間を私は許せない。
だからこんな事を言ってはいけない。
「昔っからちゃっかりしてたんですよね、あの子」
自分の口から嫌な言葉が飛び出すのを私は聞いた。
今まで一度もサクラの陰口なんて叩いたことはなかったのに。いつだって悪口は本人の前でしか言わないって豪語してたのに。
私、今すっごいイヤな子になってるんじゃない。でももう一人の自分が心の中で囁いた。
いいじゃない。どうせ相手は知らない人で、こんな知らない場所で、ちょっとくらい愚痴ったっていいじゃない。今までサクラにされてきた非道いことをここで吐き出したっていいじゃない。
「親切にしてやっても仇で返すっていうか、気に掛けてくれる相手の事なんて考えてないんです」
「ふうん、同期だったっけ?」
促すような相槌に私は頷いた。
「いつも自分が、自分が、自分が、ってそればっかり。でもそうやって自分から主張する子の方が評価されるんですよね」
やる気があるからサクラを弟子にしたと綱手様は言っているそうだ。
自分は頑張っています、努力していますと周囲に見えるように振る舞う人間だけがやる気があるわけじゃない。だけどそうしなきゃ誰も気づいてなんてくれない。
サクラは狡い。
分かっている。これは嫉妬だ。
サクラは努力している。がむしゃらに。だから手を貸す人がいる。
悔しかったら自分も同じくらい頑張ればいいのだ。
分かってるけど。
「サクラは−−−」
「それ以上は言わない方が良い」
後ろから聞き覚えのある声がして私の言葉を遮った。
振り返るとシノが立っていた。
「どうせ後で後悔するのだろう」
見知らぬ空間に見知った顔を見つけて私はびっくりして口を噤んだ。
「シノ!どうしたの?」
シノはいつもの顔を半分隠すジャケットではなくて、額宛もしていなかった。
「ヒナタを迎えに来た。いのも一緒に帰るかと思って探しに来た」
シノはつかつかと私達に近づいてくると、私の手元のグラスを手に取った。
「何を飲んだ?」
「オレンジジュース」
「嘘をつけ」
シノはグラスに顔を近づけてくん、と鼻を鳴らした。
「ほとんどジュースだよ」
私は言い訳するように言った。本当は少しだけアルコールが入ってる。さっき一緒にいる男の子に買って貰ったチャパラというカクテルだ。
シノは私の横にいる男の先輩へ顔を向けた。
「これくらい平気だよ。中忍になれば任務で酒くらい飲む」
先輩は肩を竦めて言った。シノは黙って首を横に振った。
「帰ろう」
一言言って歩き出す。
私は急に正気に返ったみたいになって、シノの背中を追いかけた。後で先輩に挨拶もしなかったと思い出したけどその時はそんなこと考えつかなかった。
シノにサクラの悪口を言っているところを聞かれた。同期の仲間に私が本当はイヤなことばっかり考えている子なんだと知られたことがショックで、言い訳したいけど何にも言えなくて私は泣きたくなった。
なんで、私ばっかり…。
「ヒナタはいいよね。大事にされてるし」
なんかやけくそになってシノの背中に言った。
「迎えに来るんだもんね。私んとこなんか、」
「自制心が弱まってるな」
シノは溜息をついて振り返った。
「シカマルもチョウジもおまえを大切にしている。そんなことは見ていれば分かる」
薄暗い青い光に包まれて周囲のざわめきが遠い中、シノの言葉が私の耳に届く。
「おまえがサクラを大切にしていることもだ」
見ていれば分かる、とシノは言った。
「でも私、本当にサクラが嫌いだって思う時があるんだよ」
私らしくない気弱な声が出て、ほんとに泣きそうになった。
「俺もキバやヒナタが本当に鬱陶しいと思う時があるな」
ポケットに手を突っ込んだままシノは何でもないことのように言った。
「そんなレベルじゃないんだよ!本当に絞め殺してやろうかってくらい憎くなる時があるんだよ!」
「俺もキバの口に赤丸の糞を詰め込んでやろうかと思う時がある」
表情も変えずさらりと言ったシノに私はぽかんと口を開けてしまった。
「なに!?あんた、その無表情の奥でそんなこと考えてるの!?」
うわ。こいつ、ほんとに食えないよ!ちょっと、奥さん聞きました!?
私の顔を見てシノはフッと笑った。
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