吹く風が温んできたように思う。
天に向かって伸びる木々の黒い枝先にぽつぽつと薄紅の色が滲むようになった。
桜の開花が間近い。
気候はようよう暖かくなり始めたばかりだというのに、カカシは熱に浮かされたように日々を送っている。
任務時の張りつめた冷めた高ぶりではなく、茹だる熱病のような興奮が頭の中に取り憑いている。
これが恋というものだろうかとカカシは考える。
女と出会って一ヶ月が経とうとしていた。
幸せで苦しい一ヶ月だった。
今日は三代目に呼び出されて本部に出頭した。先月、三代目を執務室に尋ねた時には自分がこんな風になるなんて思いもしなかった。
扉を軽くノックし、執務室に入る。三代目火影は正面の大きな机に腰掛けたままちらちとカカシに目を向けると一言、
「なんじゃ、花粉症か?腑抜けた顔をして」
と言った。ハア、とカカシは気の抜けた返事を返した。
「今週末にアカデミーの卒業試験が行われる。おまえの担当する子供達もその時に決まるから心積もりをしておけ」
三代目の言葉にまた、ハア、とカカシは答えた。そういえばそんな話もあったっけ。
「なんじゃ、忘れとったんじゃあるまいな?」
ジロリと火影に睨まれる。
「いえ、」
忘れていたわけではないけれど、頭の片隅に追いやっていた。ずっとアカデミー教師を観察していたが、あんな真似は自分には出来ないような気がする。
「火影様、俺に子供なんて面倒見られるんですかねえ」
あんな風に指先までゆきわたった優しさで柔らかく額に触れたり、小一時間も子供と向き合って術を特訓したり、一緒に無邪気に笑ったり、あんなの自分には絶対出来ない。
「おまえに出来ることしか誰も期待しておらんよ。おまえが学んできたことを、そのまま子供達に注いでくれればいい。それに耐えられるようにアカデミーの教師達が子供達を育てておるんじゃ」
ああ、あの人の育てた子供達を自分が預かるのか。
不思議な感じがした。
彼らはいつも自分の手の触れられない綺麗な世界にいて、通り抜けることの出来ない透明な壁越しに自分は彼らを眺めている。彼や彼の傍にいる子供達が自分の元へやってくるなんて信じられない気がした。
「カカシよ、そろそろこちらへ落ち着け。その目がオビトのものあっても、見ているのはおまえ自身なんじゃぞ」
火影の言った言葉はカカシの脳裏にこびりついた。
女にもう会えないと言われた。
呼び出した待合いの部屋で女はおざなりにカカシに体を預けた後、淡々と言い放った。
「彼と結婚するから」
え、と固まったカカシに女は笑い声を立てた。
「嘘よ。里の外の駐屯地に異動が決まったの」
「え?」
「あなたとはもう会わないし、彼とも別れたの」
女の言葉にカカシは頭が真っ白になった。
「冗談デショ?」
呆然と言ったカカシに、女は薄く笑った。見せつけるように事後の体を伸ばして猫のように悠然としている。
「自分から志願したの」
「なんで、そんなこと−−−許さないよ、そんなの!そんなの、許さない…」
女の腕を掴んで揺すぶった。知らず恫喝するような口調になった。
冗談じゃない。自分を残していくなんて。彼と別れたなんて。そんなことになったら一体、自分はどうしたらいいのだ?この女なしでどうやって自分は彼に−−−−。
「いい加減にして!」
女が亜麻色の髪を振り乱して叫んだ。
「私はイルカじゃないのよ!!」
パリンとカカシの目の前の世界が割れた。