ザリガニ釣り

礼二郎はガキ大将だ。
マジックでギュッ、ギュッとひいたみたいな眉毛に大きな目。髪も、長い睫毛も明るい亜麻色で、外国の人形みたいに綺麗な顔をしている。でも声はでかい。
喧嘩が強いから誰も礼二郎には逆らえない。
何故だか少年達の間ではみそっかすで苛められっ子の巽を気に入っていて、いつもお供みたいに連れ歩きたがる。礼二郎といれば他の少年達に苛められることはないのだがその代わり礼二郎にポカポカ殴られるから巽にとってはあまり変わらない。他の少年達は何もなければわざわざ巽を苛めに来たりしないし、突飛な遊びを考えついては巽を実験台にしたりすることもないから彼らの方がましかもしれない。

 

 

ある日、二人は田圃脇の用水路の流れ込む小川へザリガニ釣りをしに出掛けた。糸の先にスルメをくくりつけて流れの澱んだ泥の中に垂らしておくのだ。春先の暖かな日だったが二人は流れの中に足を踏み込んだりはしなかった。ザリガニのいる泥の中には魚や動物の生き血を吸う蛭もいて、以前知らずにザリガニを取ろうと川に入った級友が悲惨な目に遭っていた。
「そろそろメダカも出てきたみたいだね」
なかなか釣れないザリガニに退屈して巽は川の中州辺りの速い流れを泳ぐ銀色の小さな魚の群を眺めていた。草の葉を風がさわさわと撫でてゆく。川の流れる音だけが小さな鈴を転がすように軽やかに響いていた。
「去年、土筆取っただろう。あれどうした?うちのお母さんさ、土筆っていったら卵綴じにしかしないんだ。礼ちゃんちはどうやって食べる?」
訊いたが礼二郎は答えない。真剣な面持ちで一心に水面を見つめている。一度何かに夢中になると他のことには目がいかないのだ。
礼二郎の横顔を眺めながら巽は一つ年上の幼なじみが自分とは違うものを随分沢山持っていることに気が付いた。意志の強さを表す濃い眉や、大きな澄んだ目、少し大人びてきた頬の線。学年が変わってから急に背が伸びた礼二郎は長い手足を持て余すように折り曲げて川辺に座り込んでいる。
怯えたような大きな目をおどおどと伏せがちにして、いつも「猿、猿」とからかわれている巽は発育不良気味で声変わりもまだだ。身長もクラスで低い方から数えた方が早い。自分も礼二郎みたいに大きくなれるだろうかと思い、どうして自分たちは別々の人間なのだろうと思った。

自分と礼二郎は別の人間なのだ。

唐突に降ってきた実感に巽は目が回るような気がした。なんだか急に周囲の景色がはきりと迫って見えて初めて見る景色のように見えた。気を抜いたらどこか違う世界に落っこちてしまうような不安な気持ちに巽は思わず礼二郎の背中に手を伸ばした。そっと触れるとシャツ越しに礼二郎の体温が伝わってきた。大丈夫、と巽は心の中で唱える。この背中に触っていれば違う世界になんか落っこちたりしない。礼二郎に触れていることが命綱なのだ。怖い気持ちと礼二郎への親しみが同じくらいの強さと早さで巽の中に溢れてきた。誰も礼二郎には敵わないのだ。
「かかった」
一言呟いて礼二郎が糸を引き上げた。糸の先にはしっかりとハサミにスルメを挟み込 んだザリガニが怒ったみたいな赤い色になってぶら下がっていた。満足そうに礼二郎は巽を振り返り言った。
「よし、火を焚くぞ」
「火?」
河原から手頃な石を拾ってくると丸く並べてその上に枯れ枝や草を敷いて二人は焚き火の準備をした。
「ねえ、絶対違うよ」
巽が言うのに礼二郎は耳を貸さない。空き缶を拾ってくると川の水を汲んで燃えはじめた枯れ枝の上に置いた。中につり上げたザリガニをボチャンと入れる。
「違わない。ザリガニは外国ではロブスターといって高級料理なんだ」
「だから、ザリガニとは別の種類だよ。伊勢エビだろう。ザリガニなんて食べられるわけないじゃないか」
「ザリガニが大きくなると伊勢エビになるんだ」
「嘘だ」
「嘘なもんか、ザリガニはアメリカザリガニって言って元々は外国のものだったのが日本に入ってきて川や池に住み着いたんだ。アメリカではザリガニのことをロブスターと言うんだ」
「そうかなあ…」
そこまで言い張られると本当のような気もしないでもない。そうこう言っているうちに空き缶の中のザリガニは煮えて真っ赤になった。
「本当にこれを食べるのかい?」
缶から引き上げたザリガニは濛々と湯気を立て、なんだかひどく生臭い臭いがした。礼二郎も眉を顰めてちょっとイヤそうな顔をしている。
「猿、殻を剥いてみろ」
「い、厭だよ」
ジロリと礼二郎は巽を睨んだが巽はブルブルと首を振って断固拒否した。
「しょうがないなあ」
言い出しっぺのくせにむくれながら礼二郎が尻尾と触覚を引っ張った。頭が付け根からもげて白くなった身がポロリと出てきた。
「うわっ」
礼二郎がザリガニの胴体を放り出した。
「何?」
黙り込んだ礼二郎は気持ち悪そうに顔を歪めている。放り出されたザリガニを覗き込むとザリガニの殻の中から一緒に煮られてしまった寄生虫の束がはみ出していた。
二人とも暫し無言で顔を歪ませて河原に立っていた。

 

「絶対伊勢エビは生で食べちゃダメだぞ。寄生虫がいるからな」
木の枝の先に突き刺した茹でザリガニを片手にぶら下げて礼二郎が言った。
「だからザリガニと伊勢エビは違うってば」
何度も言うのに礼二郎はまだザリガニは伊勢エビだと信じているようだ。
「ちゃんと養殖すればいいんだ」
それでもザリガニなんか食べたくないなあ、と巽は思った。
帰り道の途中にニワトリを飼っている家があったので鶏小屋のフェンスの間から茹でザリガニを突っ込んでやった。ニワトリ達があっという間に群がってザリガニの身を突っつき始める。
「ニワトリって肉食なんだな」
やっぱり食われる前に食わなきゃダメだ、と礼二郎はよく分からないことを納得していた。

巽はその日、夕飯の鶏肉を残して叱られた。

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