#8 居残りキャラメル

目の前に並んだ書類の束やファイルや先生用の本とか教科書とか。
高すぎる椅子に足をぶらぶらさせながら机に肘を突いて白いままの紙に目を落とす。
はあ。
溜息。
今日の授業でやったのは呪符の作り方。
何も書かれていない和紙にお手本の呪符に書かれたのと同じ文字を書き写してチャクラを籠めて封印する。定められた条件で術が発動すれば成功。
何度やってもうまくいかない。
まず墨で手が汚れる。その手をつくと紙が汚れる。書き付けられた文字に余計な点や棒が混じる。ただでさえ誤字脱字が多いのに、ますます意味不明な文字になる。
だいたい、何だってこんな変てこな文字を使うのだろう?
普段使っている文字を使えばいいのにお手本に記されているのは訳の分からない模様みたいな文字だ。読み方も「カーン」とか「ボロン」とか。「ボロン」だぜ、「ボロン」。一つの文字で「ボロン」!
「ぜってー読めないってば」
「ん?」
隣に座っている担任がこちらへ顔を向ける。
「どっか分からないとこあったか?」
どっかもこっかも、全部分からない。
「なー、先生、普通の文字で書いたらダメなのかなあ」
生徒の言葉にイルカは笑った。
「残念ながらそれじゃあ術は発動しないんだなあ。それに普通の文字だと敵にすぐどんな術かばれちゃうだろう」
言われてみればその通りだけど。
「だから忍になったら他の里の忍が使う忍文字も覚えないといけないんだぞ」
「うー」
眉間に皺を寄せ低く唸ってしまう。絶対無理だ。自分の里の忍文字さえチンプンカンプンなのに。こんな馬鹿で俺、本当に忍になれるんだろうか。
「実際に使うようになると自然に覚えちゃうんだけどな。まあ、最初に基本を飲み込んじまえば後は簡単だから」
先生は気楽に言うけど、それは先生が頭良いからだと思う。だって先生はなんでも出来るし何でも知ってるし。
何枚目かの白い紙に顔を向ける。自分の家のトイレの壁に貼ってある忍文字一覧表を思い浮かべる。
「カーンマンボロンアバンウン…」
ぐしゃ、と筆がふやけた和紙を巻き込む。
「あーーーー!またやり直しだってば!!」
椅子の上でジタジタ暴れた自分を見てイルカ先生は眉を下げて笑うと立ち上がって、後ろから覗き込んできた。隠そうとする腕を押さえられて破れた半紙を見られてしまう。
「おまえ、墨つけすぎだろう。筆はこうやって、」
後ろから筆を持った手に手を添えられて硯の上で筆が軽く扱かれると、すらすらと白い紙の上にお手本どおりに綺麗な忍文字が綴られてゆく。魔法みたいだ。
止めや跳ねのたびにちょんちょんと捉まえられた手首が紙の上で上下する。蝶々が花の上を飛ぶみたいに。
「こうやって軽く持って、力を入れすぎないで。ほら、自分でやってみろ」
手を離された途端、下手くそな文字が紙を汚す。
全然うまく出来ない。
なのに先生は「そうそう。うまいじゃないか」と言う。
そうかなあ。
「ウンアニテマリシ…」
「エイソワカ」
屈みこんだイルカ先生の声が耳元で一緒に呪文を唱える。ちょっとくすぐったい。こんな風に人にくっつかれた事はあんまりないから少し緊張してしまう。字が歪になる。焦る。
「イルカ先生、ちょっと」
むこうから他の先生が呼んだ。「はい」と先生は身を起こして声を掛けた他の先生の方へ行ってしまった。
午後の職員室にはあんまり人がいなかった。
まだ日が暮れるには間があるけれど校舎にいるのは残って仕事をしている先生達と、居残りさせられてる自分くらいだ。
静かな職員室で教師達がさらさらと物を書き付ける音や書類を繰る音がひそやかに聞こえてくる。
イルカ先生は向こうで学年主任の先生と話しこんでいる。
いつも教室では大きな声で冗談を言って笑ったり怒鳴ったりしているのだけれど、職員室でのイルカ先生はなんだか違う。低い静かな声がぼそぼそと聞こえてくる。
気持ちが落ち着く。
もう一度ナルトは筆を硯に浸すと紙に向かった。
イルカ先生がしたように軽く筆を紙の上で躍らせる。下手くそだけどさっきよりは文字に見えるものが書けた。
ちょっと得意な気分で眺めていたら、スチール椅子がキイキイいってイルカ先生が戻ってきて隣に腰を下ろした。
もう一枚、姿勢を正して筆を構える。そのまま何枚か書き上げた。書けば書いただけ上手くなっていくような気がして夢中で書いた。
真剣な面持ちで紙に向き合うナルトの視界にすっと大きな手が伸びてきた。そっと半紙の横に置かれたのはうずまき模様の入った丸い大きなキャラメルだった。
隣に座ったイルカ先生を見上げると先生は黙って書類に向かっていた。演習授業の計画書かなんかだろう。静かな横顔の口元だけが少しだけ柔らかく笑んでいるのを見て、ナルトはなんだか安心する。
お菓子貰ったのはナイショ。
他の生徒にも先生にも。
キャラメルの包みをほどいて大きな甘い塊を頬張った。

「じゃあ、気をつけて帰りなさい」
「—-うん」
ナルトはモジモジとイルカを見上げた。
「せ、先生はさ、帰んないの?」
「ああ、先生はまだ仕事が残ってるからな」
なんだあ、しょげたナルトをイルカは笑って見下ろす。
「ん?さては一楽に連れてって欲しかったんだな?」
バレたか、ぺろりと舌を出してみせるとイルカ先生は声を立てて笑った。
「一楽はまた今度な。今日はちょっと遅くなりそうだから」
「約束?」
「ああ、約束」
ゴン、と拳をつき合わせてニッと笑い合う。
「寄り道するなよ。ちゃんと野菜も食べなきゃダメだぞ」
「うーい」
なんだその返事、と早速お説教モードになりつつある声音をかわしてぴょんぴょんと階段を下りた。
本当は一緒に帰れたらいいなあ、と思ったのだ。そりゃあ一楽に連れて行って欲しいのは勿論だけど。
暮れなずむ里の道を、夕日の赤い光に照らされナルトは目を細めた。
ナルトはイルカがどこに住んでいるのか知らない。
休みの日はどうしているのかとか、どんな友達がいるのかとか、彼女はいないと思うけど家族は何人いるのかとか。ナルトが知っているイルカ先生はアカデミーの先生で、先生以外の顔を見たことがない。
だから、自分一人のために怒ったり怒鳴ったり、笑ってくれたりお菓子をこっそりくれたりするイルカが少しでもたくさん欲しくてナルトは色々苦労する。
今日は良かった。
一人でアカデミーの校庭や空き地や溜池の縁をほっつき歩くかわりにずっと隣に座って、一緒に筆を持って、忍文字を教えてもらった。うずまきのキャラメルも貰った。

ナルトは居残りが嫌いじゃない。

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