#14 街道蕎麦

向こうの席のエロ親父がウザイ。
行儀悪く卓に肘を着き、焼き魚をつつきながらカカシは肺の底から空気を吐き出す。
とっぷりと暮れた日に火の国の国境近くの宿場で入った飯屋で奥の卓に座った成金臭いオヤジが傍らの、どうやら商売者らしい男をべたべたと触りまわしたり、酔っ払った濁声で下卑た言葉を囁いてはガハハと笑ったりしているのだ。
こっちは任務帰りで疲れて気が立っているというのに。
くそー。
しかも相手の男が現在、自分の気に掛けている人物になんとなく似ているものだから尚更ムカつくのだ。
仕事とはいえ、よくあんなオヤジの相手を我慢して出来るものだとカカシは男へこっそりと視線を向けた。
男は二十歳半ばくらいだろうか、黒い髪を顔の前に垂らして俯き加減にオヤジに甘えた声で何事か囁き返し、緩く微笑む。だらりと着崩した着流しは光沢のある藍地に婀娜な花蔓。仕立ては男物だが生地は女物だろう。長い髪のせいで顔ははっきりと覗えないが、時折のぞく伏し目がちの黒い眼に凄みがある。
面立ちや背格好は似ているけれど、表情や雰囲気は全然違う。
カカシの思い出す人は太陽の下で大きな口を開けて笑っているのだ。子供たちと一緒に馬鹿みたいに。
でも、やっぱり似ている。トレードマークの一文字傷はないが眼を伏せると少し寂しそうに翳る瞼とか、優しい形に笑む口元とか。
あんな風に男に甘えかかったりするイルカ先生って想像つかないけど。
ちらりと思い浮かべて慌てて打ち消す。
いや、いや、あの人はそんなんじゃない。
そんなんじゃないけど、なんだか気になるぞ、くそ、オヤジ、ベタベタすんな。
仕事柄、里の外ではなるべく猥雑な界隈に紛れ込むのだがどうも入る店を間違えたようだ。店の者の慣れた様子からここがそういった用途で使われる店であるらしいことが分かる。気になるのは店の入り口付近の卓に陣取った三人の柄の悪そうな男達で、どうもオヤジの用心棒らしい。地方の小悪党、いかにもそんな感じだ。
ああ、内陸の町で焼き魚なんか頼むんじゃなかった。萎びた干物はやたら塩っ辛いばかりで味も素っ気もない。街道沿いだからそれなりに品は揃っているかと思ったが、良い物は隣のもっと大きな宿場に運ばれていってしまうらしい。
早く里に帰って行きつけの一膳飯屋の秋刀魚定食を食べよう。それから一楽に行って、アカデミーの食堂でご飯を食べよう。
チャクラを消耗したせいでやたら眠たい。
カカシは焼き魚に見切りをつけて味噌汁と漬物で飯をかきこんだ。
エロ親父と男は話が纏まったのか連れ立って出て行った。
かろん、かろんと素足に履いた下駄を鳴らして男はカカシの横を通り過ぎた。赤い鼻緒が白い足の甲に映えて艶かしい。男の形のいい踝を目にしてカカシは目を細めた。

店を出るとカカシは日が落ちて賑わいを見せ始めた色町に分け入った。
辻に立つのは仔細ありげな女や役者崩れの男達、好色な客達が通りを流しながら物色していく。片目と口元を布で覆った特異な風体でありながらカカシは道行く人々の中にすんなりと溶け込む。酒の匂い、白粉の匂い。大体の見当をつけて裏道に入ると、先刻店の入り口近くにいた三人の男達が手持ち無沙汰に屯っているのが目に入った。カカシはさりげなく彼らをやり過ごして、その先の小路を覗き込むとまさに濡れ場の最中だった。
外で済まそうなんて、ケチなジジイだなあ。
カカシは音もなく小路の上の軒に飛び上がる。着地の瞬間だけチャクラを集中すると屋根を軋ませもせずぴたりと足の裏は瓦に吸い付く。
何のためにかといえば出歯亀だから、とんだチャクラの無駄遣いである。
こういう時は見ぬ振りをして行過ぎるのが心得と知ってはいるが好奇心が勝った。
軒下からはあ、はあ、と荒い息遣いが聞こえる。
壁に押し付けられて後ろからオヤジに体を弄られながら男が身を捩り、掠れた声で「前から、」と強請る。
甘えた仕草に気を好くしたオヤジは男の体を向き直らせて、男の胸に顔を埋めながら太腿に手を這わせて裾を割る。
その手をやんわり払って黒髪の男は「私が」と、オヤジの前に屈んだ。袷を肌蹴させ、肌に吸い付きながら体を撫でた手が懐の中に入り込んで、する、と何かを抜き取ったのをカカシの目は捉えた。
腰に抱きつき唇で着物の上から股間を刺激しつつ、さらに手は帯の中を探ってするすると様々なものを抜き取っていく。
「早く」
切羽詰った声に男はクスリと笑みをこぼして、身を伸ばすと口を吸う仕草でオヤジの顔を一撫で。
「飴玉ちょうだい」
抑揚のない単調な口調で囁いた。
「もっとよくしてあげるから。お願い、頂戴」
オヤジの頭ががくがく頷く。
もう、術に入っている。
「頂戴、頂戴。ねえ、なんでもするから」
催眠に使う低く独特な響きにカカシもうっとりと聞き入った。
暫し、囁き交わした後にくたりとくず折れたオヤジを地面に横たえ、男は小路の反対側へ歩き去った。屋根の上から目で追うと、人ごみの中、向こうから駆けてくる少年が目に入る。
すれ違いざまに手の中の物を少年が掠め取る。
なかなかいい連携だ。
でも、ずっとこちらを覗っていたくせに自分に気がつかなかった下忍の少年は減点だなあ。

「にいさん、お安くないなあ。誰に断って商売してるんだい?」
何食わぬ顔で行き過ぎようとした腕を捕らえて力任せに横道に引っ張り込んだ。
抵抗しようとする腕を掴み挙げて腕の中に抱き込んでしまう。
「俺にもイイことしてくださいよ」
にっと笑って顔を覗き込むと強張った体から、ふうっと力が抜ける。絹地の滑らかな感触が手に心地いい。
「ふざけないでください」
怒りで紅潮した顔でイルカはカカシを睨みつけた。
「なにやってるんですか、こんなところで」
「任務帰りなんですよ」
そうじゃなくて、とイルカは言い募る。
「ああ、ちょっと意外だったもので」
後をつけてしまいました。互いに任務中は見てみぬ振りが原則なのだけれど。
「イルカ先生もああいう事するんですねえ」
感心してみせるカカシにイルカはますます顔を赤らめた。
「あ、あれはっ」
腰を抱いたまま至近距離で、ん?と首を傾げるとイルカは言葉に詰まって俯いてしまった。襟元から覗くうなじがちょっと色っぽい。
「ずっと見てたんですか?」
「まあ、大体」
暗がりでもイルカが首筋まで赤くなったのが分かる。腕の中の体もなんだか熱い。
「…こ、子供達には言わないでください」
「なに?イルカ先生が美人局してたって?」
腰にまわした手を叩き落される。
「違うんですよ!本当は、」
本当は情報収集専門のくのいちを連れてきていたのに現地入りしてからターゲットの男が衆道だったことが分かったのだ。
「それで、他に適当な人間がいなかったからっ!」
しつこく腰にまわそうと伸びる手を払われる。先ほどまで男を手玉に取ってい凄みはどこへやら、イルカはいつもの純朴な青年に戻っている。髪を下ろして、着流しの婀娜っぽい姿にその表情はちょっと反則だ。
そんなんじゃないんだけど。
無意識に背中を撫で上げた手を更に叩き落される。
「なんなんですか、もう!からかわないでください!」
そうだよね。なんなんだろう。
「なかなか見事な隠身でしたよ。俺も最初分からなかった」
カカシはイルカから手を離すと素直に言った。感心したのは最初から最後までまったくチャクラを使わなかったことだ。隠身とはただの変装術だし、催眠も体に触れ声を掛けるだけでスムーズに事を運んだ。
「なんで分かったかって言うと、足がね、甲は白くてきれいなのに爪先と踝だけ日に焼けて傷があったからです」
普段から下駄や草履を履いている足じゃない。イルカは目を丸くして自分の足を見下ろした。
「今度から気をつけます」
こくりと頷く。
「まだ任務ですか?」
「これから仲間を待って隣の宿場まで」
「俺も一緒に行ってもいいですか?」
「だめですよ!」
当然だ。自分の任務は里に帰って報告書を提出するまでは終わっていないし、勝手に他の任務に就くなんて許されない。
「同じ里の人間でも任務内容は極秘です。大体、上忍一人雇うのに幾ら掛かると思ってるんですか」
呆れた声で諭される。分かっているけど、ちょっと言ってみたかったのだ。
「その任務はこの街道沿いにある子供のいない村と関係あるんですか?」
図星だろうがイルカは表情を変えない。
別にいいけどさ。
任務終わってやっとありついた食事は萎びた干物だし。
「なに拗ねた顔してるんですか」
イルカの手がくしゃくしゃと頭に触れてきた。
なんだ、俺、拗ねてるの?
もう一度イルカの腰に回した手は今度は振り払われなかった。
「任務帰りなんでしょう。疲れた顔してますよ」
そっと頬を撫でて子供に言うみたいに言う。
だって、あなたがあんなオヤジに体触らせたりしてるから。
——–二人とも雰囲気に飲まれていたかもしれない。
イルカは普段こんな風に自分に触れては来ないし、自分もこんな甘えた顔つきはしてないと思う。
「イルカ先生、いつもと違う人みたいです」
「そうですね」
イルカは苦笑して体を離した。
「じゃあ、俺は任務中なので」
そう言いながらイルカはカカシの目の前で藍地の着物をさっさと脱ぎ捨てた。裏返して袖を通し裾を絡げてきりりと髪を結い上げると黒い股引きもいなせな職人姿に早変わりだ。
顔つきは、もういつものイルカ先生。
「お気をつけて」
「あなたこそ」
去ろうとして、ああ、そうだとイルカは振返った。
「この宿場はね、山菜蕎麦が旨いんですよ」
了解、と片手を挙げると鼻面に傷のないイルカ先生は笑って夜の町に消えた。
お気をつけて。
今度はいつもどおり、里で会いましょう。

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